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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
最後の生贄ゲーム
281/319

消え逝く心

<杉村蜂蜜:働き蜂>


 踏み込みと共に勢い良く私の眼前に突き出された木刀を寸前で顔を背けると、左側に結った黒紐が音も無く床の上にするりと落ちていく。落下までの刹那の時間、私は顔を逸らした勢いそのままに身体を右捻りに回転させながら東雲雀こと木刀娘との距離を詰める。木刀を切り返す隙すら与えさせない。


 両手にしたトンファーは扱いに慣れが必要だが攻守共にバランス良く立ち回れる利便性に優れた得物だ。慣れないうちは大体自分の腕や身体に棍を当ててしまい、痛い思いをする。短い方を前方に構え、拳による突きを強化するも良し、長い方を前に向ければリーチも伸び、相手を薙ぎ払う事も、攻撃を流す事も出来る。


 引き下げた左腕に重く圧し掛かる一撃。


 切り替えされた木刀は既に振り下ろされ、私の側頭部を捉えていた。構えた棍は相手の得物による一撃を防ぐ事も出来る。


 だが、私の相手している少女は普通では無かった。


 相手の一撃を不安定な片脚で受けた為、大きく体勢が崩れ、視界の天地が反転する。私は床に転げる僅か前、右指の力を僅かに緩め、右手を内側から素早く切り返すと棍は半回転しながら相手の太腿へと打ち込まれた。


 剣道に於いて打突の機会を得る三つの教えがあるという。技や動作の初動にあたる「起こり」、「技を受け止めた時」これは次の攻撃へと繋げる為の掛にもなる。技を受ける、避ける、崩す等して相手の隙を突く反撃の機会が生まれる。剣道ではその隙を逃さない為の多くの応じ技が存在する。故に、東雲雀は一挙一動により生まれる隙を十分把握している。恐らく、同じ得物同士の戦いでは恐らく私の方が技で劣る。そして「居着いたところ」。これは体勢を崩した瞬間に起こる身体の硬直や心の隙が生む。心の隙を相手に生ませるには「驚き」「おそれ」「疑い」「惑い」の四戒とされている感情を抱かせる必要がある。それが私達二人には一切無い。


 私は木刀娘から放たれた切り返しの強烈な一撃を左の棍で受け、体勢を崩す前に自ら身体を回転させながら相手の腿へと一撃を加えた。トンファーはリーチや片手使いであるが故の威力で劣るものの、柔軟な攻防の切り返し、柔軟に変化するリーチの面で決して引けは取らない。


 僅かな力で右側の棍から放った遠心力の加わった一撃は速度による衝撃と共に相手の体勢を僅かに崩す。木刀娘の苦悶の声が頭上から聞こえる。床に転がりながら勢いを殺した私は体勢を立て直す為に素早く数歩、相手との距離を取る。私の引いた体を追い掛ける様に木刀娘が突きを繰り出すが、左脚が麻痺してるのか踏み込み切れずに私の身体を捉えきれない。


 大腿部への当たりは浅い。


 普通の人間ならその場に崩れてしまう程の衝撃はあるのだが、相手はもはや素人の領域を超えている。木刀片手に銃を構える暴力団員を薙ぎ倒す程の実力者だ。話によると暗殺者の戦車チャリオットとも戦い引き分けに持ち込んでいる。私ですらきちっと勝った事がない相手だ。


 相手は棍による衝撃インパクトの瞬間、僅かに身体を逸らし、最低限のダメージに抑えている。既に数え切れぬ程の打撃を相手は受けているのにも関わらず相手は全く退く気配を見せない。ダメージが蓄積した脚に構わず、すぐさま東雲雀は木刀を構え直す。


 黒い瞳が長めの前髪から私を真っ直ぐ捉え、その剣圧が私の殺気を押し返す様に肌をピリつかせる。私が殺した暗殺者の誰とも違う。薄暗い絶望や憎しみでは無く、ただ目の前の相手に全力でぶつかりたいという純粋な闘争本能であり、義を以って剣を交え、お互いに高め合いたいという気持ちだろうか。


「流石は杉村蜂蜜……それでこそ私の好敵手ライバルだ!」


 その口元に笑みが浮かび、その目はより一層輝きを増す。私は、こんな風に剣を交えた事があっただろうか。


 私の記憶には殺すか殺されるかの記憶しかない。暗殺者烏レイヴンとしての血に塗れた記憶。闇に潜み、ターゲットの隙を突いて一撃の下へ相手を死に至らしめる。私が殺した九人の暗殺者。名すら知らぬ石竹緑青の下へと送られた何人もの暴力団関係者。私の手は殺していった者達の血で赤く染まり、引き戻れない。そう、これは……私が引き受けた血の記憶。


 殺戮本能を殺人蜂が、罪悪への自責の念が女王蜂とするなら、私は防衛本能と紅き血の記憶とその痛みを引き受けよう。


「木刀娘……いや、東雲雀しののめすずめよ……私とここまで渡り合う女子校生は初めてだよ……それに、君が初めて出来た友でもある……」


 頭を圧迫する様な痛みが強く拡がり、耳元には殺人蜂の羽音が耳障りに響く。分かっている……抵抗をすれば抵抗する程、痛みや苦しみは増していくばかりだ。私達三人はその苦しみも魂も等分に分かち合うべきだと。


 けど、私や女王はそうは思わない。


 一つの身体に三つの心。人間がそんな負荷にずっと耐えられ続ける訳が無い。殺人蜂……いや、本物のハニー=レヴィアンは後から生まれた私達の存在すら受け入れ、許容しようとしてくれている。


 でもそれは……普通では無いんだ。

 なぁ、女王蜂クイーンよ。


 私達はこれ以上、殺人蜂の優しさに甘えるわけにはいかない。


 私は右手に構えた棍を一本床に投げ捨てる。


 その行動を不思議に思ったのか東雲雀が首を傾げ、木刀を下げ、構えを解く。両者が戦闘の構えを解いて向かい合う。その様子を固唾を飲んで見守る生贄達。設置された照明が光度をあげ、徐々に暗がりの部分を闇から浮かび上がらせていく。


「杉村蜂蜜……いや、働き蜂よ。友は私以外に君には幼い頃に出会った鼻血君や佐藤姉妹が居たのではないか?それに君の故郷の英国にも……」


「あぁ……確かに杉村蜂蜜には居たが、私には居ないよ……私が友だと初めて認めたのは貴様……雀が初めてだ……」


 東雲雀が目を瞬かせ、左腕で顔を隠すがその頬の赤らみがその隙間から覗いている。私は表情を変えず、真剣に彼女を見つめ返している。


「ど、どういう事だ?別人格とはいえ、一七年という月日の中で友と呼べる者の一人ぐらい……」


「八ヶ月だ」


「八ヶ月?蜂だけに……か?」


「違う!私が生まれてから今日までの日数だ……」


「……八ヶ月前と言えば……蜂蜜が転校してきて、優しい杉村蜂蜜が現れたタイミングだ。つまり……」


「あぁ。八ツ森高校二年A組襲撃事件があったその日の夜……私は生まれた。私は女王蜂があの日の夜、学校に来ていに警察と居た佐藤深緋と遭遇し、錯乱した女王蜂は罪の意識から自ら命を断とうとした。その頃は立場を逆転させ、殺人蜂は眠り、女王蜂が主導権を握っていた。私は自暴自棄になった彼女の身を守る為に生まれた自己愛、防衛本能そのものだ。基本的なパーソナルデータは共用してはいるが、働き蜂としてはまだ一年にも満たない。友など要らぬ…私はただ、女王蜂を守るだけの存在だった。はずなんだがな……この事を話したのはアオミドロ以外にはお前だけだ。あぁ、これ、全国放送だったな」


 私は心のどこかで八ツ森高校のクラスメイトとしてクラスの者達と仲良くなりたかったのかも知れない。全員にニックネームを付ける程に。


「私が生まれ出たのは私自身をとアオミドロの命を犯人から守るという役割、使命を持って生まれ出た。そしてその使命は殆ど果たされている……」


 私は身体に巻かれたベルトや隠し持つ予備ナイフを外し、武装は左手に握るトンファー一本だけになる。東雲雀はその言葉だけで全てを察してくれた。


「そうか……もう、残されてないんだな……時間が」


「あぁ……他の二人に比べて私の権限は圧倒的に少ない。だが、お前や他の者達と過ごした記憶と気持ちは決して消えない。私達三人はやがて溶け合い、混じり合い、そして一つになる」


「……そうか」


 東雲雀は余計な詮索はしない。


「さぁ……私の友よ……決着をつけようか」


 私は黄色いレインコートを脱ぐと、隠者側が座る席の腕掛け部にそっと掛ける。強化ラバータイプの黒いロングブーツを脱ぎ捨てて、素足をその場に晒す。外気に晒された脚が妙に心地良い。


 ペタペタと足裏に床の感触を確かめながら足踏みをする。


 脚が軽い。


 そしてこれなら間違って相手を蹴り殺してしまう事も無い。


「ふむ……貴様が蹴りを放たなかったのは、間違って私を蹴り殺さない為の配慮か……鳩羽!お前のをよこせ!」


「へ?あ!はい!」


 ふわりと空中で木刀と竹刀が行き交い、交換される。武器庫から鳩羽竜胆も自分の竹刀を持ち出した様だ。何度か片手で素振りを行なうと、竹刀を杖代わりに片脚立ちになり、白いショートソックスを脱ぎ捨てる。


「私も道場では素足が基本でね……こちらの方が慣れている……あとは……佐藤深緋こきひよ、ヘアゴムをかしては貰えないか?」


 私達を心配そうに見守る太陽の仮面を着けたロリポップが制服の中を探すが、見当たらずに困惑するが、自分が左右に纏めていた髪を思い出し、結っていた髪を解いてそれを東雲雀に差し出すと、やや茶色がかった髪が解かれ、緩く波打っていた。


「助かるよ……大丈夫だ。一本でいい……すまない、竹刀を少し預かっていてくれ」


 ヘアゴムを口に咥え、慣れた手つきで髪を纏め、ヘアゴムで前髪を頭頂部に纏め、まるで侍の髷を彷彿とさせる。私も解けていた左側の髪を思い出し、右側の髪を解いてポニーテールの髪型へと纏め直す。


「フフ……まるで佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の様だな」


 東雲雀が髪が上げられた事により露わになった両目が嬉しそうに輝く。


「そうかも知れないな……」


 雀と私は一度姿勢を正すと目測三M程の距離で向かい合い、目を合わせながら一度浅く礼をするとそれぞれの得物を構える。


 雀は竹刀を下段に構え浅く左足を引き、竹刀の切っ先をこちらの脳天へと向ける。


 対する私は可能な限り左脚を引き右足を前に出し、体勢を低くする。その左腕には一本の旋棍トンファー


 互いの闘気が見えない圧となってぶつかり合い、部屋を覆い尽くす。間合いを取り、じっとお互いの動きを見定める。


「……働き蜂……いや、も、もう友達だから蜂蜜と呼ばせて貰う……聞いていいか?」


「なんだ……」


「お前……もう……」


「あ、あのぉ……」


 恐る恐る上げられた声に対峙する両者が声の主へと向き直る。太陽の紋の仮面を着けた佐藤深緋が左手に着けた小さな赤い腕時計を指しながら困惑している。それもそうか……。


「攻撃可能制限時間を両者ともとっくに超えています……えっと、あれ?今、どっちのターンだっけ?あ、あれ?と、とにかく!一度仕切り直し」


「「うるさい!」」


 雀が佐藤深緋に竹刀を、私も旋棍の切っ先を向ける。


「生贄ゲームなど知った事か……!今は……今だけは……最期だけはせめて……」


 その黒い瞳から涙が溢れ、私に竹刀の切っ先をこちらに向ける。理屈では無い、本能的に東雲雀は気付いている。もう私に残された時間は無いと。


「杉村さん……貴女……まさか……」


 私の脳内意識領域下にまるで亀裂が入り、その破れ目から私の知らない感情と記憶が溢れ出してくる。基本的な情報は共有しているものの、私が外部の世界に感じ、抱く心に異物が混じり込み、それまで価値観を少しずつ塗り替えていく。


「深緋……すまない……私は、お前の妹を見殺しにした……」


「違う!貴女は悪くない!」


「私はお前に妬いていた……アオミドロの横には深緋では無く、私が一緒に居たかった……」


「働き蜂……貴女、記憶が……」


「あぁ……女王蜂と殺人蜂はこんなにも……罪の意識を抱えて生きていたんだな……罪の無い子供を殺したという意識がこんなにも……重いとはな。アオミドロ……きっとお前もそう感じているんだろ?そして……」


 佐藤深緋の反対側を向き、回されたカメラに向かって呟く。


「八ツ森の人達も……ずっと今までそれを抱えてきた。そしてきっとこれからもそれは変わらないんだろうな……女王蜂……先に行ってるぞ……」


 旋棍を構え直し、涙を拭う東雲雀の赤くなった瞳を見据える。


「正真正銘の全力だ……」


「私もだ……来い!蜂蜜!」


 私はその一歩を強く踏み出すと東雲雀へと一気に間合いを詰め、肉薄する。こんなにも体が軽く思えるのは久し振りだ。詰め寄る私に雀の長い脚が僅かに下がるが相手が次の行動に移る前に旋棍を連続で打ち込んでいく。


 胴体に三発入れたところで相手の膝蹴りが私に襲い来る。


 その攻撃を受けずに往なし、床を這う獣の様に体勢を低くし、何度も彼女に襲いかかる。


 私の速度に戸惑いながらも、正確な体捌きと竹刀による打ち込みがこちらからの重い一撃を許さない。殆ど相手は感覚で動いている。


 雀は咄嗟に手首を切り返し、私の左側面に向けて放たれていた上段からの打ち込みが軌道を変え、旋棍を持っていない右側面へ竹刀が丸い軌跡を描きながら一瞬で私の右側頭部捉える。


 咄嗟に右手に持ち替えた旋棍でそれを受け止めると、その剣撃がまるで暴風の様に私の身体を吹き飛ばす。


 その勢いのまま、私は部屋の壁へと激突する前に、壁側へと脚を向け、その衝撃を脚で受ける。


 重力により、壁から落下する前に雀目掛けて飛び掛かる。トンファーは弧を描く打ち込みの動作には強く、逆にいうと点で仕掛けてくる突きに対しては受けとめ難くなる。


 それを東雲雀はよく理解している。


 そして普段の剣道の試合で、相手からの打突部位は面、喉、胴、小手と限られている為、それ以外の部位への攻撃への対応は僅かに遅れている。


 旋棍の持ち方を変え、鍵状に出っ張っている部分を相手の竹刀の根元に絡めて床に押さえつける。私がトンファーを一本持ちにしたのはこういった柔軟な使い方が可能だからだ。態勢を崩した相手の肩に素早く掌底を打ち込み、床へと転倒させる。


「杉村蜂蜜!」


「東雲雀!」


 抑え込む竹刀に力が込められ、転倒しきる前に下段から無理矢理力で押し返された棍が空中を舞う。


 棍が天井近くまで打ち上げられる中、私は身体を捻り、空中で相手の下段、腿へ回し蹴りを放つ。


 私の横腹を狙った水平に打ち込まれた竹刀の一撃を、私は更に上段を目指すように相手の身体に爪先を引っ掛けながらそこを起点に身体を回転させると私のすぐ下を竹刀の腹の部分が僅かに私のフレアスカート掠め、一部が破けてしまう。


 速度、威力、共に一撃でもまともに食らえばそのダメージは計り知れない。


 相手の肩へ右爪先を引っ掛けると、相手の身体を引き寄せつつ、相手の背中へ飛び移り、逆立ちの態勢をとると、片脚を伸ばし、落下してくる旋棍を鍵状の部分に引っ掛け、それをそのまま側頭部目掛けて蹴り抜き、棍が相手の頭部を僅かに逸れ、鎖骨へと打ち込まれたその痛みで雀が呻き声を僅かにあげる。


 私の片脚を掴んだ雀は私の身体を力任せに床に叩きつける。その衝撃で背中を打ち付けた私は咳き込み、口に血の味がジワリと広がる。


 鎖骨を空いた手で抑えながら私を見下ろした雀は痛さに関係なく涙を流し続けていた。


 私に追撃するでも無く、その目はじっと私を見下ろしている。


「痛む……のか?雀……」


 首を振り、涙を拭うと私に手を差し伸ばす雀。私はその手を握り返し、身体を起こす。決闘と言う割には互いの身体を労わりあう奇妙なその光景は当事者だけでなく、周りから見ても不思議に映っている事だろう。私はある提案をする。


「次の一撃に全てをかけろ……私もそれにかけるから……」


 お互いに握る掌から温もりと共に気持ちが流れ込んでくるようだった。


「分かった……蜂蜜……これで終わりにしよう……」


 両者が手を離すと素早く間合いを空け、得物を構える。私は旋棍を右手に構え、相手は竹刀を上段に構える。


 雑念を消し、私はただ次の一撃に全身全霊を掛ける。緊迫した空気の中、私達は睨み合い、そして最後になるであろう一撃をお互いに放つ。


 相手の上段に構えた竹刀がその力強い踏み込みと共に弧を描きながら私の脳天を目指して振り下ろされようとしている。


 私は勢いに回転をつけた一撃を相手の側頭部へと……これで終わるのか……。


 私の役目はとっくに終わっている。


 もう私が居なくても女王蜂は自分で自分の事を守れる。もう一人ではない。あの春、八ツ森高校に転入してきてからの八ヶ月間は紛れも無い女王蜂のものだ。主人格である殺人蜂のものでは無い。間違えなくそれは、女王のものであり、杉村蜂蜜が世界に刻んだ彼女だけの軌跡。


(それは……貴女もよ?)


 その羽音は殺人蜂の声だった。


(この八ヶ月は貴女と私と杉村蜂蜜が一緒に歩んだ時間。それは誰にも奪えない。例え、私でさえも……)


 何を言ってるのだ?現にこうして私の意識に殺人蜂の記憶は流れ込み、一つの人格は揺らぎ、その輪郭は曖昧になり始めている。


(……退行した私を、命を狙われた緑青を守ってくれてありがとう……それに、貴女は働き蜂であり、そして、暗殺者、掃除屋の烏でもあるでしょ?嫌よ?そんな血塗れの記憶なんて、私、いらないから)


 レイヴン……それは私が表の世界と決別する為に名乗った闇に紛れる為の名前。


(ねぇ……烏……安心して?緑青は三倍愛してくれるって言ったわ?私の事も、女王蜂の事も……そして、働き蜂である貴女の事もね?)


 私は消える事が本来の正しい在り方だと思っていた。だが、殺人蜂の言い分はまるで……私に消えるなと……。


(貴女はどうしたいの?)


「私は……」


(貴女の気持ちを教えて……?)


「私はまだ消えたくない!もっと、もっとこの世界を知って、ずっと感じていたい!」


 いつもは不愉快な殺人蜂の羽音がその時だけは優しく聞こえた。


 私の目から涙が溢れ、視界がぼやけていく。ぼやけた先で雀が驚いた様に目を見開いているが、その竹刀の軌道は既に変えられない。私の張り詰めていた緊張感が解け、全身の力が抜ける。


 私はずっと怖かったのかも知れない。


 いつともなく解けて消えてしまう私の心が無くなってしまう事を。


 もうどうすればいいか分からなかった。


 私の棍も勢いは止まらず、打点は下がったが東雲雀の脇腹目掛けて旋回を始めていた。


 その時、私達の事をずっと見守っていたレポーターの白滝苗が携帯片手に慌てた様に叫ぶ。


「あのっ!テレビ局を通じて救世主を名乗る少年から電話が……」


 もうそんな事、どうでも良かった。次の雀の一撃は確実に私の脳天に届き、私はきっと意識を失う。もしくは死んでしまうかも知れない。


 すまない女王蜂よ……もう私は……疲れて……しまった。


 女王蜂の今までありがとうという言葉が聞こえた様な気がした。


 私の棍は相手の脇腹へと打ち付けられ、相手の竹刀は真っ直ぐと頭部へと打ち込まれた。


 鈍い大きな音が辺りに響き渡り、小さな悲鳴がいくつも聞こえる。


 私は目を瞑り、そのまま床へと倒れこむ。


「ごめん……待たせて……」


 私の身体は床に倒れる事無く、空中で抱き止められていた。その抱えられている箇所から広がる温もりに目を開けると、アオミドロが私を抱き抱えてくれていた。よく見るとガスマスクに亀裂が入り、ジワリと白い法衣が紅く染まっていた。


「アオミドロ!お前!私を庇って……雀!お前は大丈……」


 アオミドロの背中越しに雀の方を見ると、こちらに背中を向けた細身の少年が木刀を掲げ、脇腹を抑えながら雀の身体を抱き止めていた。


 雀の泣きそうな声が響く。


「おい!鳩羽!お前どうして!!」


 咳き込むぽっぽ(鳩羽竜胆)の口から血が滴り、雀を宥めながら剣を引かせる。


「大体いつもこんな役回りですから……気にしないで下さい。ね?石竹先輩?」


「あぁ……本当に。それより鳩羽、きちんと竹刀を受け止めてくれよな?思いっきり僕の頭に直撃してるし」


「先輩こそ……杉村天使先輩のトンファー、もろに僕の脇腹直撃してますからね」


「……おあいこ……だな」


「ですね……」


 アオミドロが頭を抑え、態勢を崩すが、それでも私の事は支え続けてくれていた。鳩羽竜胆は木刀を落とし、その場に膝を着き、その様子を東雲雀は困惑しながらペタペタとぽっぽの身体に触れて痛い所が他に無いかを探っていた。


 白滝苗の声が震えながら私達にその事実を伝える。


「……ど、どうしましょう……白き救世主を名乗る少年から……電話が掛かっています……どうしましょう……え?チーフ?そのまま全国に流すんですか?」


 白滝苗が戸惑いながらカメラマンに合図を送るとマイク越しに私達にも電話相手の声が聞こえてくる。


「本当に情けない……石竹緑青……いや、笛吹き男の偽物と言ったところか……」


 アオミドロが電話の相手を確認する様にその名を問う。


「お前は……誰だ?」


「フフフ……僕かい?僕は……いや、僕こそが……」


 ふと頭上に視線を感じてそちらを向くと、心配そうに東雲雀がこちらの顔を覗き込んで目を真っ赤にして此方を見つめている。


「む?どうしたのだ?木刀娘?」


 そして今度は私の顔をペタペタと触って私の瞳を覗き込むと涙を流しながらアオミドロごと抱きしめられる。


「良かった……優しい蜂蜜よ!本当にもう……お前が消えて無くなってしまったのかと!私は!えーん!!」


 泣き噦る最強の木刀娘に私とアオミドロは顔を見合わせ、微笑み合う。私の首に回されたアオミドロの腕に木刀娘の身体が押し当てられているのでそのガスマスクの下は真っ赤に染まっていた。どうしようと困った様に視線を私に向けるが、私はそれにそっぽを向いて知らないと答える。


「でも、働き蜂さん……大丈夫なんですか?」


「何がだ?」


「さっき、急に力が抜けた様になって、危ないところだったから、何かあったのかなぁって……」


「ふむ。私の活動時間はもう残り少なかったはずなのだが……どういう訳か……殺人蜂に私の人格を否定されてしまってね……今は何とか自我を保っていられる」


「そうですか……ふむふむ……」


 アオミドロの向こう側で膝をつくぽっぽにエノキダケが駆け寄り、身体を心配している姿が見える。


 私はアオミドロの肩を小突いて、文句を言う。


「今迄気を失っていて……こっちは大変だったんだぞ?殺人蜂は適当だし、女王蜂は気分屋だし……私の苦労も考えろ!」


 謝るアオミドロに白滝苗が言葉を挟む。


「あの……電話繋がってるんですけど……」


 アオミドロは口では謝っているものの、あまり悪びれた様子も無く、電話に答える。


「あ、はい。えっと……どちら様ですか?」


 電話越しの相手のイライラした少年の声が聞こえてくる。


「聞いているのか?お前達!僕は白き救世主……白き観測者、笛吹き男と共に世界を憎しみの炎で焼き尽くす為に始めた生贄ゲームを始めた人間だ……」


「はぁ……いたずら電話ならなら迷惑なんで……」


「どこまで君はバカなんだ!これを聞け!」


 その電話口から聞こえてきたのは女の子の泣き叫ぶ声だった。


「こっちが本物だって教えてあげるよ……何がクイズゲームだ……少女が傷つけ合い、血を流してこその生贄ゲームだろうが!」


 少女の声を聞いたアオミドロの表情が一転して、ガスマスクの下の表情に余裕が無くなっていた。


 テレビを通して行われた最後の生贄ゲームがもたらせたのはゲームの終焉では無く、生贄ゲームの継続を知らせる少年の声だった。


 アオミドロが私に誰にも聞こえない程の小さな声で囁く。


「(今度は助けような……絶対に……)」


 その声は私の中の別の二人に強く語りかけている様な気がした。私を抱える彼の指先が僅かに震えだす。彼ののらりくらりとした電話での受け答えに反して、その指は震え、緊張感が彼の身体を侵食していく様だった。


 アオミドロよ……お前の狙いは最初からこれだったのか?


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