殺意の有無
現時刻は2012年12月27日16時52分。
ゲームの始まりから二時間近くが経過している。部屋の外はきっと既に夕焼けが広がっているだろう。過去の北白事件も正午から夕刻の時間域で犯行は行われた。
黄昏が人に大きく影を落とし、朱い陽がその姿を光で包んでしまう時間帯が動き易いからだろうか。
事件の在った日、夕陽を浴びた君はそこに居たのだろう。
双子の姉、日嗣命を失った私が目覚めた時、沈みかけた太陽が冷え切った心をじんわりと暖めてくれたのを覚えている。それは灯火が消える前の瞬き、最後の悪足掻きだ。けど、それはどこかほんのりと優しい光だった。そして陽が沈みきった後の空はジワジワと私達人間の体と心を気付かずに凍えさせていく。冷え切って壊死した箇所はもう一度太陽が登ろうともう元には戻らなかった。
私の髪は壊死した様にその色を上手く思い出せずに忘れていた。
それを思い出させてくれたのは他でもない、石竹君だった。
彼は壊死した心の腐り落ちた部分を柔らかく包み込み、暖めてくれた。
死んだと思っていた私の心は彼のお陰で命を取り戻した。
同じ境遇だからだろうか。彼は自分の身に起きた事も忘れていたのにそれでも強く私や他の被害者達と寄り添う様に手を差し伸べてくれた。
そっと短くなった黒い髪に手を触れる。
彼が居たから私は事件と向き合う事が出来た。姉が亡くなった山小屋へ花を手向ける事も、事件現場を精査する勇気も私に与えてくれた。そんな彼に私がしてあげられる事は……もう多くは無いのかも知れない。
彼はもう一人で歩いていける。横には杉村さんも居るし。あの木田沙彩さんの最後のメッセージで退行現象から復活して良かった……成功率は五分五分……彼女の退行原因の一つに木田さんも関与していると踏んでだけど……失敗していたらどうなっていたのだろうか。この場に彼女は恐らく居なかった。もしかしたら、石竹君を止める立場にあったかも知れない。そうなっていたら……此処に集められたメンバーも違っていたのだろうか。彼は文化祭での話を聞く限り、メイド喫茶で働いている時は少なくともこんな想定もせず、私の手紙に沿って動き、全てに決着さえついていればこんな事はしなかっただろう。
そして彼が学校から姿を消した時も、杉村さんを巻き込もうとはしなかった。最悪、一人で何かを成し遂げようとしていた。佐藤深緋さんだけを人質にして……。つまりは……この最後の生贄ゲームは彼と彼女が居れば事足りると言う事になる。故に私は後続の回答者としては彼女が相応しいと考えている。レポーターの白滝苗さんも居るが……彼女からこれ以上何かを引き出せるとは思えない。局側の専門家も役に立たず、恐らく木田さんのお父様は局側の回答には協力しないだろう。
このゲームはきっと……いや、あれこれ考えるのはもう止そう。どちらにしろ、私がこれ以上、このゲームの進行を妨げるのは悪影響しか及ぼさない。
突入部隊の潜入が迫る中、私は早期決着によりこのゲームを終わらせる事によって石竹君の身の安全を確保しようとした。けど、それは間違い。そうしたら最後、恐らくもう一人の少年は現れない。危険を承知で彼等はこの場に居る。けどきっと大丈夫。幼馴染の二人が力を合わせればきっとこの先、どんな困難にでも打ち勝ってみせるよね?私はそう信じている。だから、その上で、私は彼等にその先の結果を託そうと思う。私が倒れてもきっと彼等は事を成す。
例え、最悪の結末を想定していたとしても。
でも少しやり過ぎたかも知れない。目の前の椅子に腰掛け、少し機嫌を直した杉村蜂蜜が僅かに微笑んでいる。……良かった、死ぬかと思った。カメラの前でお漏らしはちょっと恥ずかしい。大丈夫、身体と声の震えは抑えられたはず。
「さぁ、次も連続して八ツ森側が問題出すんでしょ?早くなさい」
そろそろ私の精神力は限界を迎えている。再現映像の想起によって緩和されてるとはいえ、事件被害後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)とは一生付き合っていかなければならない症状だ。フラッシュバックする当時の記憶に伴い、私の想像で精細に補完された手首を斬り落とす為に何度も自分の右手にナイフを突き立てる姉。心が圧迫され、視界が狭まる様な感覚と共に身体の悪寒と震え、虚脱感が抜け切らない。それをいつも助けてくれるのは白い霧の世界で会えた姉の元気そうな姿だった。落とされた筈の手首はきちんとそこにあり、朗らかで他人を叱咤出来る包容力を持っている。その姉が私を叱るのだ。勝手に自分自身を責めないでと。
戦慄と恐怖、それと共に押し寄せてくる罪悪感は私を最も簡単に押し潰そうとする。それを押し返すだけの強さが姉にはあった。
そして江ノ木さんが私を抱き留めてくれた。
彼女も本来なら第五生贄ゲーム被害者であり、急性ストレス障害(ASD)を患っていて辛い筈なのに……。山小屋に監禁される状態を体感する事で嫌でも事件の記憶は蘇る。彼女はきっとそれすらも受け止めているのかも知れない。聴取の記録で北白直哉は彼女の事を聖母と呼んだ。
憎しみが不幸な連鎖を生むのだとしたら、その鎖を断つ事が出来るのもまた、被害者であり、憎しみも全部受け止める事が出来る人間なのかも知れない。それは江ノ木カナや石竹緑青の様な……?
そうだ、石竹君はその連鎖を断とうとしている人間だ。
復讐という不幸の連鎖を繋ぐ為では無い。
少なくとも私の知る彼はこういう事を私欲でしでかす人間では無い。
故に私は彼等に踏み込まなければならない。
心の在り処を探る為に。
「……尊?目が虚ろだけど大丈夫かしら?」
蜜蜂が私の目に映る疲労の色に気付き、こっそりと声をかけてくれる。彼女はやはりカメラを意識している。つまり、その向こう側へのメッセージも意図したものととるのが自然だ。私が為すべき事は真実を暴く事では無い。彼等の行動が最も効果的に影響を及ぼす手助けをしなければ私がここに居る意味が無いからだ。歯を食いしばり、焦点を黄金に輝く彼女に合わせると、静かに頷く。それに安心したのか、眼を瞑り、その口元が僅かに綻んだのを私は見逃さない。彼女も理解してくれている……はず。私との対立がハッキリとすればする程、視聴者は私の真意からは遠い所へと目が向く。もし、この最後の生贄ゲーム自体がやらせだと思われた瞬間、全ては崩れ去ってしまう。何も考えていない他の贄はそれでいい。けど、私はそれではいけない。七年前に犯した過ちを繰り返さない為にも同じ轍は踏まない。まぁ……もう私は二十歳。十二歳の白髪美少女では通じないからね。世間は大体ロリコンだ。幼い容姿に抱く幻想。そのものが邪を含まない完全なる純粋無垢な存在として疑わない。それが盲点。いや、私が邪な心を持ってメディアに出た訳では無く、北白事件の本質は無垢な筈の少年達の心に宿った怒り。それに私達は気付けなかった事だ。再び腰に手を当てて胸を張る。見かけ倒しでもいい、私の心よ、最期まで立たせていて?
「蜜蜂よ……ところで、固有名詞を使わせては貰えぬかの?」
蜜蜂が手を組みながら、椅子の背にもたれ掛かる。
「固有名詞?なんのよ?」
「北白直哉の共犯者じゃ」
「二川亮と……もう一人の子供ね」
「うむ。そうじゃのぉ……二川亮を観測者とするなら……もう一人の少年は……救世主……かの?」
「観測者に救世主……いいわよ、その方が呼びやすいわ」
「うむ。因みに北白直哉は七年前、妾が笛吹き男と仮定したのじゃぞ」
「聞いてないわ。それより……私達がタロットのアルカナに則って名乗ってるのは、貴女に渡されたカードに準拠してよ。偽名を考えるのも面倒だったし。問題とは関係無いけど、貴女、もしかして……」
杉村さんが私の事を、所謂ジト目というやつで見てくる。首を傾げる私に江ノ木さんが声を上げて立ち上がる。
「あーっ!まさか……尊ちゃんって……中二病!!」
「えっ?妾が中二病じゃと?」
江ノ木さんがキメ顔で私を指差す。
「その個性的な喋り方が何よりの証拠なのです!」
「な、なんだってーっ!違うのじゃ!これは癖みたいなもので……わ、私って本来は引きこもりの引っ込み思案で……ひ、人と話すのが苦手なのじゃ!だから……なんか、ちょっと、その……い、石竹君とカウンセリング室で思わぬ遭遇をしてしまった時、歳上お姉さんの余裕を見せようと、変にキャラ造りしてしまって……気付いたら、いつのまにか定着してしまって……だって!ここ数年、星の教会員は兎も角、同学年のお友達なんて出来た事無かったから!」
「え!尊ちゃん……ぼっちだったの?!」
「当たり前でしょ!不登校でテスト期にしか現れない喪服の女、黒衣の亡霊の名は伊達では無いわ」
「あっ、ほら、中二病!」
「ちーがーうー!この通り名は第三者が勝手につけて……」
「気に入ってたんでしょ?」
「……はい……。私の父が人形造形師っていうのもあるかも知れないけど……そういうの、好きです」
「私も好きだよ!黒衣の亡霊さん!」
ハート紋の仮面を着けた江ノ木さんが私に元気良くグッドサインを送ってくれる。
「私達、仲間だね!あっ!そういう蜜蜂さんも……」
突然話題を振られた杉村さんが眼を瞬かせ、その度にスポットライトを当てられた黄金の粒子が辺りに舞い散る錯覚を覚える。
「何かしら?私が何だっていうの?」
江ノ木さんが少しずつ杉村さんに近付きながら提言する。
「もう一人の人格……」
その言葉に表情が固まる蜜蜂。
「……ふ、二人よ」
「……貴女のコードネームは?」
「殺人蜂……って!これはパパ……じゃなくてお父様と緑青とで昔サバイバルごっこをして遊んでた時の名残りで……」
「ぼそっ……働き蜂に女王蜂……」
「うぅ……わ、私は……」
「分かるよ、蜜蜂……ナイフに憧れを抱くお年頃だもんね……ガスマスクだって格好いいよネ」
「カナ!貴女は……貴女って人は!」
「ぼそっ……確か……変な名前で呼び合うお友達さんからは烏って、呼ばれてた様な……。ね?掃除人って何?」
「いやーっ!それ以上言わないで!私こそ患ってるって言うのねっ!貴女は!」
な、なんだと言うのだろうか。この場面で相手をそんな手で追い詰める必要も無いのに江ノ木カナさんが横から彼女を攻め出した……何の意図が?私の中二病疑惑は標的を変え、黄色いレインコートを羽織る彼女に向けられてしまった。
「あーっ、出て来なさいよ!女王蜂!働き蜂でもいいわ!」
「おぉっ!遂に目覚めるのですね、第二の人格がっ!」
「くっ!ダメ!やっぱり出てこないでーっ!そしたら最後、私が中二病だって証明してしまう!」
顔を両手で抑え、脚をジタバタさせながら身体を左右に捻る杉村さんは耳まで真っ赤にさせている。
「フフフ、私達と一緒なのを自覚するのです……」
ジタバタする蜜蜂の細い腰に抱き着く江ノ木さん。杉村さんは顔を隠したまま丸まってしまった。二人とも際どいけど、ギリギリカメラからは下着は見えてない……はず。一体何の意図が?あっ!もしかして、彼女も……彼の動きに気付いてフォローしてくれてるのかも知れない。顔を隠してしまうぐらい辱めれば……そうだ。私達は一人じゃ無い。傷付き、倒れそうな者が居るならそれを放ってはおけないから。江ノ木さんが抱き付きながらそっと何かを囁いている。マイクと私には拾われない程の大きさで。
「……蜂蜜ちゃん……大丈夫?疲れてない?」
ピタリと蜜蜂の動きが止まる。
「カナ?貴女、私を心配して?」
「一人で大変だけど……もう少しの辛抱だよ?貴女の大切な人の意識が戻ってるみたいなの……」
「貴女……それを伝える為に……」
「あはっ、でも今は彼の方は振り向かないで?尊ちゃんにバレちゃうから……」
一体何を話しているのだろうか?私からも聞こえない秘密のやりとりが終わると、江ノ木さんはもう一度蜜蜂を抱擁すると、待機場所へと戻っていく。ジタバタしていた杉村さんが体勢を元に戻し、覆っていた手を膝に置く。抜け切らずに仄かに朱が射した頬の色は僅かに残り、緑青色の瞳の端に涙が溜まっている。そんなに恥ずかしかったのだろうか。大々的に指摘されると確かにキツイけど。でもそういう弱点の突き方があるなんて驚かされた。樹理たそといい、固定概念に捕らわれ無い人間は時折私の想像もつかない手を使う。そう言う人こそ本当の天才なのかも知れない。私が天才と持て囃されたのは十二歳だったからに過ぎない。
「……確かにそうね……私が貴女を責める事なんて出来ない……」
戸惑いながら私はそれに返事する。のじゃ言葉は意識して控える。
「そ、そうね……たまたまよ、たまたま」
「え、えぇ……偶然よ……決して私は」
「高校生にもなって中二病を患ってる訳では無いわ」
「みなまで言わないで!」
蜜蜂の困ったような怒った顔が再び赤くなる。もしかしたら、江ノ木さんに指摘されるまで本当に自覚が無かったのかも知れない。でも、それは正確には違う。中二病の発現は謂わば持たざる者の虚構。憧れが形になったものだから。彼女は全て本物。ナイフと拳銃を使うのは目の前の敵を、幼馴染の男の子に害を与える者から守る為の手段に過ぎないからだ。
「尊……じゃ無くて、星の贄……再開して……」
江ノ木さんに指摘されてから、星の贄という単語すら言い辛そうに目を逸らして照れ隠しをする蜜蜂。私の中の殺人蜂のイメージが少し柔らかくなる。元を正せば彼女達は同一人物……冷酷なだけでは無いのかも知れない。あれ?なんだろ?今、僅かに口元を緩めた様な気がする。何かあったのだろうか?
「星の贄!私から問題出してもいいのよ?」
振り返り、東雲さんの様子を見ると、項垂れていた彼女は不思議そうに私達を眺め、困惑していた。脱線してすいません。でも……恐らく、蜜蜂と私が張り詰めた神経が江ノ木さんの介入によってやんわりと解れた気がする。彼女は精神的に限界を迎えそうな私の事を察してくれたのだろうか?それとも半ば超感覚的な何かを感じ取っての行動なのかも知れない。東雲さんの状態も少し緩和はしたけど、まだ彼女は戦えない。さぁ、私の最後の質問をしましょうか。
「次の……私からの最後の質問……もう一人の共犯者の少年、救世主に殺意はあった?」
【設問24:救世主に殺意はあった?】
(八ツ森側(星:日嗣尊)→隠者側(月:杉村蜂蜜(殺人蜂)))
私が作製した映像では残虐な二人の少年が、世界に憎しみを広げる為に北白直哉を操り、少女達を殺し合わる筋書きだった。その映像を見る限り、二人の幼い異常者が狡猾に大人を操り、事件を起こしたとしている。視聴者はきっとこう思っているだろう、悪魔の生まれ変わりの様な子供が起こした犯行と……って、あれ?蜜蜂がなんの淀みも無く答える。
「えっ?そんな事?観測者は傾向から言って北白事件そのものや、殺人を楽しんでいた気はするけど……救世主からはそれを、殺意をあまり感じられなかった……だから、北白事件に対する捉え方が救世主も北白直哉と同じで、目的の為の手段……やむを得ない選択であり、殺す事、殺意とは別物よ……」
あっ!蜜蜂は寝てて……映像見てなかった!そもそも事件の本質を見抜いてる限り、間違えようが無かった!
「せ、正解……」
「但し……それはあくまで事件と少女に対してよ。私は感じるの……救世主が私の緑青に抱いた感情だけは、本物の殺意なんじゃないかって……」
それが……救世主が犯した過ち……綻びであり、北白直哉による生贄ゲームを中断させる切っ掛けを作った……。
「ぐっ、完璧な答えね……グゥの根も出ないわ……貴女の勝ちよ……」
私は項垂れる仕草を交え、大きく溜息を吐く。そしてカメラに目線を送り、こう付け加えた。
「皆さん、私が製作した映像の中で受けた印象を一つ訂正させて下さい……私は、共犯者の少年二人を邪悪な悪魔の申し子として描きました。製作期間における私の少年達のイメージがそうだったからです。しかし、彼等とこうして意見を交わす中で、気付かされた点があります……其処に在ったのは本当に憎しみだけだったのか?という事です。良ければ皆さんも一緒に考えては見ませんか?この北白事件は異質で異常な私達の理解を超えた人ならざる者が起こした全く次元の違う事件だったのかどうかを……どうか……」
そしてもう一つ、改めて設問22の隠しルールについても語らなければならないわね……映像を見ていれば誰でも気付く作りにはしているのだけど。
隠者「……出にくいな……」




