表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
最後の生贄ゲーム
270/319

【 第二ゲーム:re 】

 2003年3月19日。


 被験者として選んだのは、川村かわむら 仁美ひとみ(11)と矢口やぐち 智子ともこ(11)だった。この二人を選んだのは仲よさそうにしてるところを森で見かけたからだった。幸せそうな彼女達を見て羨ましかったのかも知れない。誰でも良かった訳じゃない。最初の事件から約一年以上経った。傷も癒え、深淵の少女として世間から注目されていた天野樹理も精神病棟へ隔離されてからは報道される事は少なくなり、人々の関心は別の事件へと向かい始めた。僕とは関係の無いところで何件もの少女誘拐や暴行殺害事件は起きている。その犯人も捕まらないまま。そして僕達も逮捕されていない。本気で手掛かりを探そうとすれば見つかる筈だ。けど、人々はそうはならない。自分とは関係の無いところで悲惨な事件が起きた。それで終わる。報道されている時は言いたい放題で、満足すれば終わり。誰か一人、警察以外で事件の無関係な人間が動いたか?結果は動かなかった。全ての不幸を他人事としている限り、この世から不幸な子供は居なくならない。


 もしこのまま……この八ツ森の人達が何かしらの事件の被害者になれば……僕等にも救いの手は差し伸べられらのだろうか。いや、そんな未来はきっとやってこない。けど、世界に無力な僕達はこんな事でしか世界に抗え無い。


 死んでしまった女の子と生き残った少女に殺された人達には悪いけど……その投げられた一石はやがて大きな波紋となって街を揺らすだろう。まだだ……まだ弱く、小さい……僕達の様に。


 ……天野樹理が手にしていたナイフ。それには僕とあの子と北白直哉さんの血液、指紋は恐らく血で流されてしまっていると思うけど、それが付着している。僕等の所へ警察が来ないかと怯えながら暮らしていたけど、そうはならなかった。ナイフに付着していた血液は色々な人の血が混じっていたからだと思う。


 天野樹理は狂気に飲まれ、里宮翔子は森で行方不明扱いになったままだった。遺族が必死にテレビで訴えかけるも、その二人を結び付ける接点が無いので依然として彼女は見つからなかった。もう死んでいるのだから。それに行方不明者に対する世間の反応は殺害事件以上に冷たい。あの後、北白直哉は山小屋近くに里宮翔子の遺体を埋めた。墓と呼べる様なものは無く、数年経てば誰もその居場所に気付かないだろう。……彼女は死んでしまったんだ。死ねば何も出来ない、何も感じない。痛みや憎しみ、苦しみさえも。それは不幸な事なのだろうか?死ねば死ぬ恐怖に怯える事も無く魂は安らな眠りにつけるのでは無いだろうか?けど、それを選ぶ権利はある。僕等はそれすら奪ってしまったのだから。


 僕等はあの狩人のお兄さんが言うように殺人者だ。


 今になってその重さが僕の肩にのしかかる。僕等が選んだ生贄の少女達……天野樹理は助かった。けど、それは新たな狂気を生み、40人近くの人に怪我を負わせ、8人の命を奪った。


 たった一回の事件が、たった一人の少女の死が、こんなにも世界を変えてしまうなんて考えもしなかった。これが僕ならこうはならなかったと思う。僕は望まれない子であり死んでも誰も気付かない。唯一、悲しんでくれた人はもう居ない。


 世界は悲しみと憎しみの連鎖により不幸は拡大していく。もしそれが全世界を飲み込んだとしたら、不幸な生まれの下で暮らす僕等にとって暮らし易くなるのかな?


 僕等は僕等のやり方で世界を変える。


 例えどれだけ多くの血が流れたとしても。そうしなければ人は本当の意味で気付かない。どれだけ多くの無力な少年少女達が運命に抗えず虐げられているのかを。


 そしてそれは同時に同じ仲間への隠されたメッセージでもある。


 抗え、そうする事で世界は少し変わる。


 それが生贄ゲームの本質だ。


 北白さんには悪いけど、協力してもらう。彼にとってもこれは世界への宣戦布告なのだから。


 僕が今居る山小屋は1回目の場所とは違う別の山小屋だ。今度は僕が救世主役として此処に居る。既に女の子一人を間接的に殺している僕等は殺人者だ。もう引き返せない事は分かっている。僕の合図を待つ北白直哉に向けて山小屋の壁を二回叩いて始まりの合図を送る。


 「始め!」


 始まりの合図と共に女の子達が息ピッタリに北白直哉に飛びかかるけど、前回の失敗を踏まえて北白さんはより離れた位置で傍観する事に決めたらしい。でも少女達は片腕が引っ張られてまるで連れ戻されるみたいにその場で転倒してしまう。

 「あと、もう少しなのに!」

 「死ね!この豚!」 

 ……今回は仲のいい友達同士を選んだせいか、選ばれた二人の少女はお互いを信頼し合っている。その為か恐怖感はあまり感じられない。そうか……一人では勝てない大人の男の人相手でも……もしかしたら二人で協力すれば何とかなる可能性もあるのかも知れない。その可能性を思い付いた時、僕が抱いていた薄暗い感情とは別のところ、正反対な気持ちが僅かに芽生えるのを感じた。それは小さく、弱々しいものだけど、その可能性を想像した時、心臓が熱くなった気がした。もし、北白直哉という大人の脅威を脆弱な子供が跳ね返し、それを世界が知ったら、僕等恵まれない子供達の希望足り得るのではないだろうか。それは被害者が拡大していく負の連鎖から起きる世界の変革では無く、正の連鎖から始まる革命……それはきっと僕等の意図する部分からは逸脱してしまうと思うのだけど、それもいい気がしてきた。もしかしたら、友達同士である彼女達はそれを成し遂げられるのかも知れない。性格的にも攻撃性を感じるし。口汚く罵られている北白さんの表情が険しい。だいぶ我慢している。

 北白さんが「1分経過」と呆れ気味に腕時計を見ながら宣言する。時間経過に関しては北白さん任せだけど、正確に測る必要は無いとしている。時間に期限が付く事で殺し合いを促す狙いだった。北白さんが子供を殺す為のゲームでは無いから。

 室内で少女2人が気不味そうに見つめ合うのが見えた。僕はそれに少し嫌なものを感じ取った。共闘の為の確認では無く、お互いの挙動を探り合う疑いの眼差しだった。本来ならそれが僕等の望んだ事だけど、映画や漫画の様に生きる為に殺し合うなんて……現実味が無いと思っていたからだ。人が人を殺すのは正常であればあるほど躊躇する。


 2人の少し離れた所に、寂しくナイフが転がっていた。


 丁度それは二人から等しく離れた所にある。それに追い打ちをかける様に北白さんは手に持っている自分のサバイバルナイフを振り回す。怯えた2人が血相を変え、小屋の壁際に避難していく。恐らく切れ味は転がる小さなナイフの比では無い。

 「2分経過、あと1分しかないよ?神様への生贄はどっちかな?」

 怯え、部屋の端へと避難する二人に僕は可能性をあまり感じられなくなっていた。最初のゲームの時は震えながらも里宮翔子は天野樹理を庇う素振りを見せ、天野樹理も相手を助ける為に北白さんへと何度も飛びかかった。等しく怖いはずなのに。気付かなかっただけで、最初のゲームの時も可能性があったのかも知れない。

 北白さんがおもむろに僕が隠れている壁の方を向く。合図が何も無い事に疑問を感じているらしい。多分、三分なんて時間はとっくに過ぎているから。どちらを生贄にするか決めかねているようだった。同じ様な反応しかせず、同じ様に彼の事を罵倒していただけだから。


 どうすれば……。


 鈍い音が北白さんの背後からする。二人の少女達の方からだ。


 長い髪を後ろに纏めている気の強そうな顔をした矢口智子が、少しふっくらした体型で温和そうな川村仁美を叫び声を上げながら殴っていた。

 「今、ナイフを拾おうとしたでしょ!」

 ヒステリックな声が部屋に響き、耳が痛くなりそうだった。嫌な予感は確信へと変わる。このままいけば殺し合いに発展すると。それは本来のゲームとしては正しいはずなのに見放された様な気がした。僕は何を期待していたんだろう。人は本来、他者を搾取しながら生き長らえる存在。これが本当のあるべき姿なのかも知れない。脳裏に僕を殴る父親の姿がフラッシュバックし、とっさに僕は頭を抑える。

 「そんな!ひどいよ、智子ちゃん!私達親友でしょ?」

 「今は関係無い!この裏切り者」

 「ちが……!」

 一方的に殴りかかる少女と殴られ続ける少女。必死に頭を庇い、痛みに耐えている。殴り慣れて無いのか、殴り続けている矢口智子の拳も、傷ついて血まみれになっていく。それでも殴打は止まらない。ナイフでは刺せないのに殴れるのは、拳で相手は死なないと思っているのだろうか。死ぬよ?簡単に死ぬ。弱い僕等は。ダメだ、助けないと……同じ様に殴られて苦しむ……女の子を……ルールを無視し、その場を離れてしまいそうになる中、殴られていた女の子の声が室内に響き渡る。北白直哉は既に手持ちのナイフを収め、傍観する事に決めた様だった。この状況に何もせず、静かに見ていられるこの人もやはり何かが欠けているのかも知れない。僕とは違う何かが。

 「やめ……てよっ!」

 殴られる事に堪え兼ねた川村仁美が相手の少女を勢いよく突き飛ばし、床に転倒させる。仰向けに倒れた彼女に間髪入れず、立ち上がると、近付くその勢いのまま川村仁美の蹴りが、矢口智子の腹部に減り込む。苦悶の表情を浮かべながら背を向けて丸まり、相手の蹴りを防ごうとするが、それに構わず完全にキレた川村仁美が何度もその背中に蹴りを入れる。殴られた分をそのまま返すかの様に。ただの喧嘩の様にも見えるがそこには明確な殺意が感じられた。鈍い聞き慣れた音が部屋を震わせる。


 「お前は、いつもそうやって、自分の事しか考えない!クソ女!」


 「ご、ごめん、やめて……仁美……ちゃん……殴ってごめんなさっ……いっ!?」


 仲の良さそうに見えた二人の少女が相手の謝罪すら聞き入れず暴行を続ける。その顔は子供とはいえ、悍ましく、口元にも無意識に笑みが浮かんでいた。人が他者を蹂躙する時に生まれる愉悦だろうか。それが人の本能であり、本質なのだろうか。背中の痛みが限界に達した矢口智子は耐えられずに背中を床につけてしまう。そこへすかさず川村仁美は体重の乗せた踏み付けを腹部に行なう。先程までとは別種の内臓へのダメージに嗚咽を漏らし、悶え苦しむ矢口智子。その姿を見た北白直哉も流石に険しい顔をして一歩退く。立場が逆転した川村仁美が高らかに笑い声をあげる。完全に優位に立ったと感じての笑いだろう。殺意というよりは殴られた仕返しに怒りに身を任せて暴力を振るった印象を受ける。お腹を抑えながら彼女が天井を見上げて笑う。その声が突如途絶え、目を丸くし、相手を見下ろす。それに気付いた瞬間、弾けた様に床に尻餅をついて転がる。

 「い、痛い!いだい、いだいいだい!」

 その左腿から突き出たナイフの柄。矢口智子が彼女から逃れるように悶え苦しむ中でその手にしたナイフで相手の左太腿を刺したのだった。殺意というよりは自己防衛の為の様に見えた。深々と刺さったナイフを顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにさせながら、川村仁美はやっとの事で自分の太腿からそれを抜く。悪戦苦闘しながら引き抜かれた腿には赤く大きな穴が出来ていて、そこから次々と血が噴き出し、辺りを緋色に染めていく。泣き叫んでいたはずの川村仁美は意図せず自分の手に小ぶりのナイフが握られている事を自覚すると、何故か笑みを浮かべる。片膝をつき、矢口智子の方を見ると吹っ切れた様に怒りを相手にぶつけている。

 「やりやがったな!」

 ナイフを取られた矢口智子が血とナイフを見て腰を抜かし、膝を着き、怯える様に胸の前で手を組みながら弁論する。

 「そっちが、私を蹴るからでしょ!」

 ナイフが、一閃、空を裂く。それは一瞬の出来事だった。矢口智子の顔から血が吹き出した。鼻筋を真一文字にナイフで切り裂かれた彼女の鼻からは血がどんどん流れ、二人の血が床で混ざり合っていく。鼻で息が出来ずに逆流した血を口からも吐き出す矢口智子。その出血は相手と同様になかなかその勢いは止まらない。苦しそうに喘ぐ矢口智子。


 項垂れ、戦意を喪失した彼女に川村仁美が安心し、警戒を解く。その太腿からは出血が止まっていない。その傷は太腿の動脈まで達している。今、命の危険にあるのは彼女の方だがそれにまるで気付いていない。怒りが痛みすら忘れさせている。その怒りは本来向けるべき相手が別に居る事も。出血によりだらりと腕を垂らした川村仁美の隙を突く様に矢口智子は身体ごと彼女に体当たりをする。腿からの出血がひどい川村仁美はそれに耐えられず、床に倒れる。相手のナイフを持つ手に、余剰分の鎖を素早く巻き付ける。


 倒れた時に打ち付けた背中により、苦しそうに呼吸する川村仁美が右手に巻きつけられた鎖を見て首を傾げる。もう、彼女には相手を刺す気持ちが無くなっていたのかも知れない。右腕には手枷が嵌められ、元々鎖に繋がれている。


 戸惑う川村仁美を他所に矢口智子が相手の手枷部分を左足で抑えながら右膝を大きく上げると、そのハーフパンツから伸びる白い脚に紅い血が滴り、線を作る。


 そして、勢いよくその足で手ごと床を踏み抜いた。その衝撃が床を揺らし、鎖が押し付けられた生身の右手は鉄に挟まれ、少女の柔らかい右手の皮膚を容易に傷付けた。その痛みに謝りながら泣き声をあげる。脚をジタバタさせる度に腿から血は吹き出し、その痛みに脚が引きつっている。


 何とか相手の足を退けようと捥がくけど、失血により力が入らないのかビクともしない。何度も振り降ろされる足は相手の右手をズタズタにしながら指の骨を砕いていく。メキメキと何かが折れていく音を伴いながら。


 既に抵抗する事を放棄した川村仁美が放心状態で天井を見上げている。


 抵抗の意思が無い事を確認すると、絡めた血塗れの鎖を解き、そのナイフを奪い取った。


 矢口智子の笑い声が、小屋に響く。


 そして、川村仁美の穴が開いて無い反対側の太股にナイフを何度も突き刺す。


 「これで動けない……だひょう」


 脚の痛みに反応すら見せなくなった川村仁美は静かに横たわっているだけだった。彼女を見下ろしながら笑う矢口智子から流れる鼻血が、相手の少女に音も無く降り注ぐ。勝利を確信した少女は笑いながら砕けていない相手の左手の平にナイフを突き立て、床に磔にする。


 「私の勝ひ!」


 血を……既に川村仁美は流し過ぎている。怪我はどれも酷い。血塗れの海の中に沈む彼女の蒼い顔を見て何かを察した矢口智子の笑い声は止まり、その表情は一転し、憐れみの色を濃くする。死なせてやるという最後の慈悲だろうか。その両手が川村仁美の首を締めあげていく。もう抵抗も出来ない程に弱まっていた彼女はそれを静かに受け入れた。先程までの喧騒は失せ、僅かに苦しむ少女の喘ぐ声、その泣き声と首の骨が軋む音が静かに聞こえてくる。


 勝負はついた……これが本来の僕等が望んだはずの生贄ゲームだったはずなのに素直に喜べないでいた。僕等のやっている事は一体……。ゲームが終わりを告げ、北白直哉が彼女達に近付く。あと数歩という所でその場に留まる北白直哉。何かあったのだろうか?

「あれ?」

 同じ疑問を思った矢口智子が右脇腹を見下ろして戸惑っている。彼女の身体に川村仁美の左手が触れていた。


 川村仁美は自分の手の甲から突きでたナイフの刃先で矢口智子の脇腹を刺してた。その口の端から血が流れる。


 彼女は首を絞められる苦しみに耐えながら密かに床に突き立てられたナイフを引き抜いていたのだ。死の間際に立たされながらも生きようと必死に足掻いていたのだ。相手を殺す為に。それは怒りでは無い。確固とした殺意を持っていた。


 その刃先と共に左手をゆっくりと蛇口の様に捻ると、矢口智子の脇腹から血がどんどんと溢れ、その口から逆流してきた血を吐き出す。ナイフを動かす激痛に耐えられず、脇腹に穴を開けられた彼女が体を勢いよく離す。


 「うごご、ごおぉ……!」


 言葉にならない声で床を転げまわる矢口智子。


 両足からの出血がひどく、上手く歩けなくなった川村仁美が這いずる様に相手に近付いていく。矢口智子は鼻と口と脇腹から絶えず洪水の様に血を垂れ流している。内臓もやられているのかも知れない。まだゲームは終わってなどいなかった。

 蹲る矢口智子に優しく声をかける川村仁美。

「……な……に?」

 その優しい声に振り向く彼女の左目目掛けて左手が突き出されると、更なる激痛が矢口智子を襲う。手の甲から突き出たナイフの刃先がその左目を刺し貫いていた。


 つんざくような叫び声が小屋内に響き渡り、窓ガラスが震える。そのナイフの刃先が抜かれると共に血で紅く染まった白い宝石の様な眼球が血塗れの床に溢れ落ちる。


 もう片方の目にも川村仁美はさも当たり前の様に同じことをする。その表情からは何も読み取れず機械的な動作だった。


 恐らく、もう彼女は二度と世界を見る事は叶わないだろう。その激痛に悲鳴をあげながらも手探りで伸ばした矢口智子の両手がしっかりと川村仁美のナイフが刺さった左手を掴む。


 痛くてすぐにでも眼球からナイフを引き抜きたい筈だ。それはきっと本能的な判断だと思う。視力を失った段階で相手のナイフの所在が分からなくなれば、次に刺されるのは心臓だから。それを防ぐ為に矢口智子は耐え難い苦痛に抗い、彼女の手を掴み、引き留める。


 眼窩に埋まるナイフが沈むと同時に止め処なく血は流れ落ちていく。


 もう流せる血など一滴も無い筈なのに命の鼓動は血を身体に巡らせようとする。


 一分一秒でも消え去りそうな魂を現世に繋ぎ止めておくが為に。


 両目を失った矢口智子は何かを確信するように口元を大きく歪めて笑みを作ると、先程までの悲鳴とは別種の魂の叫びとも言える咆哮を上げながらナイフの柄をがっしりと掴むと、それを自らの眼球、少女の掌から血塗れになった銀色の刀身を引き抜く。


 その痛みに仰け反る川村仁美。


 だが、矢口智子の左手はそれを許さない。川村仁美は両太腿からの出血が酷く、ナイフが相手の手に渡り、怯えて逃げようとするが、勢い良く左手を下に引っ張られた川村仁美がバランスを崩し、矢口智子の方へと寄り掛かかる。その瞬間、額と額がぶつかり、痛そうに呻く。

「ごめんね……仁美……」

 その言葉に正気を取り戻す川村仁美。しかし、矢口智子はナイフの持ち方を器用に変え、内側に来るように逆手で持つ。その刃は音も無くするりと川村仁美の側頭部からその内部への侵入を許す。顔が引き攣り、身体を痙攣させながら自らに突き立てられたナイフを確認しようとその目が動く。頭から溢れ出す血を滴らせながら、川村仁美は目を一度瞑ると、顔中を血塗れにした矢口智子に微笑みかける。その笑みを感じ取ったのか矢口智子も薄っすらと笑みを浮かべていた。

「私……もご……め……智ちゃ……」

 川村仁美はそのまま矢口智子に寄りかかるように息を引き取った。

 北白直哉は一度、僕の居る方を見た後、矢口智子の背後から近付き、拍手を送る。


 勝利を確信した両目を失った少女が高らかに笑い声をあげる。


 それは殺し合い、生き残った者が得た雄叫びにも近かった。


「おめで……」


 一瞬の出来事だった。


 矢口智子はするりと、川村仁美の頭からナイフを引き抜くと、その勢いのまま北白直哉に寄り掛かかる様に身体をぶつけると逆手に持ったナイフが北白直哉の腹部にそれが突き立てられる。それを押し込む様にナイフの柄には逆の左手が添えられていた。渾身の一撃。

「い、痛い……」

 その痛みに戸惑いながら北白直哉が呻く。川村仁美は更にナイフの柄を捻ると、北白直哉の腹と口から大量の血が吹き出ていく。

 「ざまぁみろ!……どうだ!痛いだ……ろ……」

 矢口智子の体が急に硬直し、ナイフすら持てなくなったのか、だらりと両腕を力無く垂らすと、二人と北白直哉の血の海の中に身体を沈める。

「……仲直……り……したかった……ね?」

 最後にその震えた手は血の海の中を手探りで掻き分け、同じ様に横たわる少女体に触れると安心した様にそのまま動かなくなった。何も見えない暗闇の世界できっと彼女は求めたのだ。


 一番仲の良かった川村仁美の事を。


 それが暗黒の世界で最後に見出せた光だったのかも知れない。


 彼女はとうの昔に事切れていた。


 それを生き長らえさせたのは、この状況を作り出した北白直哉に一矢報いるが為だけに命を繋いだのかも知れない。


 最後の命を燃やして起こしたそれは奇跡と呼ぶに相応しい。自覚の無い涙が僕の頬を伝っていく。それは人が本来持つ強さなのかも知れない。それを感じたのは僕だけでは無く、北白直哉もまた、血を吐きながらも矢口智子の遺体に近付くと、その手枷を外す。


 鍵は前回、僕等が危険な目にあったが為に彼がその時は保有していた。そして丁寧に、彼女の怪我した所に包帯を巻き出す。自分の手当てには目もくれずに。


 僕が生贄ゲーム終了の合図となる壁を三回叩くと、北白直哉は安心した様に気を失った。自らも血の海に沈む為であるかの様に。


 その後、僕は狩人と名乗る北白直哉の弟さんを慌てて呼び、応急処置を施す。


 その途中で目覚めた彼はお腹を抑えながらも、用意していた小さな棺桶にミイラの様に包帯をぐるぐる巻きにされた矢口智子を丁寧に寝かせて埋葬する様に狩人さんにお願いする。


「別料金だからな……」


 とどこか優しく囁くと、連れてきていた猟犬達に合図を出す。その命令と共に三匹の犬が生贄ゲームに敗れた川村仁美の身体に噛み付き、少しずつ肉を刮ぎ落としていく。


 その光景を僕は涙を流しながらもう一人の白い監視者と共に眺めていた。その光景を脳裏に焼き付ける為に。違うのは二人の反応だ。僕は涙を流し続け、彼はずっとその光景を食い入る様に無表情に見つめ続けていた。


 衣服は剥がれ、みるみると肌色の表皮の下から赤い血肉が露出する。ふっくらとした頬も今はこ削がれて見る影もない。けど、その表情だけは最後まで穏やかに見えた……天国ではきっと仲直りしていると思う。そんな気がした。


 再び深い怪我を負った北白さんの傷が癒えるまで、僕等は誰も誘拐させなかった。


 年の違う二人の少女ではダメだった。


 親友同士でもダメだった……それなら血の繋がりを持った姉妹ならどうだろうか。


 双子なら、何か変えられるかも知れない。


 目的とは正反対の淡い期待を抱きながら僕は白い法衣を彼へと託した。


 次は双子の姉妹を被験者として選ぶ条件を付けて。


 第三ゲームが行われたのはそれから約半年後の出来事だった。


 その結果、僕の予想を超えて世界は動き、生贄ゲームは北白直哉の逮捕を以って終幕する事となる。一時的にだけど。


 そしてその終焉した日は皮肉にも第四ゲームが行われた後だった……。


 夕陽を背中に浴び、燃える様な輝きを湛えた黄金の少女が僕等の前に現れた。


 天使は舞い降り、禊は行われた。


 最後の生贄となった少女を供物として。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ