冥府の防人
私の眼下で光の軍勢と闇の軍勢が渦巻き、ぶつかり合っている。輝く光輪とその羽根が鎧姿から突き出た光の者達……彼等の事をその姿を揶揄して天使と呼ぶ。彼等は闇の者を滅する力を神より授かった。対するのは黒い霧で身体を覆われた様々な形を持つ怪異達。彼等も元々は人間だった……その彼等に私は姿形を与え、光の者に対抗し得るだけの力を与えた。それだけだ。私に誰かを操る力は無い。彼等は彼等の意思でもって……私と、あの事件に関わった少年達を助けてくれようとしている。彼等は謂わばこの世の理から外れてしまった者達。それを殲滅する為の組織からはこう呼ばれている。外道者と。
それは何故か。
「陽ノ國」と我々が呼ぶ物質界たる生者の国。それに隣り合う様に重なり合うもう一つは精神世界。その死者の国を「陰ノ國」と呼んでいる。
何故、彼等は道を外れたとされているのか。
それは裏の世界でもある陰ノ國に記憶は持ち込めないはずだからだ。陽ノ國から陰ノ國に渡るのには死ぬ必要がある。人が死ぬと肉体は物質世界に残され、その魂の器だけが精神世界へと転移し、転生の機会をじっと待っているのだ。魂の器、我々が魂器と呼ぶ彼等は人を模した影法師の姿形をしている死者達だけど、生前の記憶はそこにない。人の重ねた記憶は何処か遠くの世界へと昇華され、黄金の実を実らせる木々に宿り、永久的に保存されるのだと聞いた事がある。死者の世界に本来記憶は持ち込めない。
そこに外道者と呼ばれる彼等に由来がある。
彼等は死者の国にどういう訳か不可能なはずの記憶の一部を魂に刻みつけたまま死んでしまったのだ。
その生前の記憶は、死者達に苦悩と葛藤を与え、そしてその姿すら変えてしまう。陰ノ國は精神世界。その心の在り方、思いの強さが形となって現れてしまう世界。
苦痛が彼等を歪ませ、触れる事の出来ない生前の世界への狂おしい渇望が世界に歪みを与え、悪影響を与えてしまう。死者が生者の持つ狂気と同調した時、生者の身体は乗っ取られ、そして、死者達の持つ、世界に触れる力がその姿形を変えてしまう。それを私達は干渉する為の力、干渉力と呼ぶ。私の兄は……死者による生者への侵食、「影落」と呼ばれる現象の被害者だった。私の紹介は過去の記事一つで事足りる。
◼︎八ツ森・児童変死事件
1994年3月20日夜、陽守幹(11)君とその妹の芽依(6)ちゃんが八ツ森市内東山道付近で変わり果てた姿で発見されました。
兄の幹君の肉体は細切れにされ、まるで破裂したかの様に現場に散乱し、幹君のものと思われる両腕だけが原形を残していました。更にその両腕は妹の芽衣ちゃんの腕をしっかりと掴んだ状態で現場に残されていました。現場の状況から何者かが幹君の体内に爆破物を仕掛けた可能性が高いとの見方がなされていますが、爆発物などの物的証拠は今のところ見つかっておりません。
同じ現場での生存が確認されている妹の芽依さんは両目をくり抜かれ、失明状態にありますが命に別状はありません。翌日の早朝駆けつけた八ツ森警察によって芽依さんは保護されました。この事件の経緯、犯人などは依然不明の状態です。一部の目撃情報から犯行時刻に山から下りてきた長身の男と黒髪の女児が何らかの関連を持つと見て行方を探しています。
私の兄は死者に喰い殺されたのだ。現場に居合わせた幼い私が何故、生き延びる事が出来たのか。それはこの冥府の防人としての力を与えてくれたかつてのこの眼の持ち主、とある女性のお陰だったのだ。
私はそっと自身の紫眼に触れると呟く。
「ケーラさん……ごめんね。貴女のお友達を傷付ける様な真似をして……」
その眼の持ち主は一人で死者の国を任されていた女王様だった。そして彼女は誰よりも優しかった。道を外れたと彼等を心配し、そして大切に守ろうとした。死者の国に記憶を持ち込む事は影落現象の危険性が有る限り、禁忌とされている。けど、それを彼女は掛け替えのない……持込める筈の無い記憶を持つ彼等を、奇跡だとして慈しんでいた。魂に刻まれる程の強烈な記憶。それはきっと素敵な事だと彼女は思ったに違いない。
<八ツ森を囲む霊樹の森は死者と生者を繋ぐ結界でありまた牢獄なのである>
遠い遠い伝承の中に存在する逸話。この世界とは表裏一体、光と影が隣り合わせとなり世界は廻っている。生者の世界と死者の世界。決して交わる事の無い世界。その二つの世界を繋ごうとした人達。神の血を引くとされる彼らは霊樹の森を開拓し、巨大な結界を生み出した。その行為により、世界に歪が生じ、両者の世界の境界線は揺らいで曖昧となった。それが私達の住む街、八ツ森だ。
遥か昔、その土地を支配する四方の名を冠する者達は結界の力を強める為、幼い命を森に捧げたという。今、この場に存在する異形の者達はかつてこの森で贄として捧げられた幼い命が姿を変えたものだ。
「彼を山小屋へ……」
サリアさんから放たれた弾丸が瞬間的に私の手に持つ錫杖の周りに作られた干渉障壁により搔き消える。彼女の小さな舌打ちが遠くから聞こえた様な気がした。
黒い泥から這い出た異形の死者達がサリアさんに踏みつけられている彼の元へと流れ込むと、その質量でサリアさんが弾き飛ばされる。サリアさんの光衣は物質界のものでは傷一つつける事叶わないが、霊質の質量を持つ死者達から干渉を受けてしまう。
天使達の剣が輝き、その剣から光が放たれ、目の前の怪物を瓦解させ、何人もの死者達が天使達に蹂躙されていく。……相手は私達を狩る専門家。数で押さない限りは勝てない。サリアさんから放たれた弾丸が彼を持ち上げる大型の死者の身体を四散させていく。サリアさんの干渉する力を込めた弾丸は、肉体を持つ人間に対して物理的な破壊力は生まない。けど、肉体を持たない霊質で身体を構築した彼等への殺傷力は計り知れない。次々と私の友達が形を保てずに掻き消えてしまう。ごめんなさい、私の所為で……。
「貴様達!邪魔をするな!所詮は人の肉体を取り込む前のランクB+の外道者!そいつらが私達に敵うわけない無いだろうが!それぐらい分かっているだろ!」
サリアさんが苦しそうに叫ぶ。彼女はずっと……そうやって自分の心に蓋をして、彼等を討ち滅ぼしてきた。けど、彼女はとても優しい。その一体一体を消滅させる度に罪の意識を感じている。だから、彼等の事を完全に破壊する様な真似はしない。そして、彼等の一部、記憶の断片が少しでもその場に残っているなら、何度でも私はその姿を構築出来る。錫杖を半身を吹き飛ばされた彼等に向け、その魂と記憶の欠片に触れる様に干渉する。
「き、貴様!陽守芽依!余計な真似を!」
彼等の身体を一瞬にして再構築し、死者達の壁を構築していく。完全に掻き消えてしまった彼等に対しては無理だけど……サリアさんの周りに居る彼等は皆んな、私が後で蘇らせられる様にその欠片を残してくれている。私が陰の女王より受け継いだ力は冥府に於ける彼女の破壊の力。そして、この何かを創造する力はサリアさんのお父さんから受け継いだ。その力が巡り巡って娘であるサリアさんを手こずらせているのは何とも皮肉だ。何度、黄泉還らせてもサリアさんは私のお友達を消滅させる素振りは無い。
「光よ……腕へ」
そう呟くと、銃を握っていないサリアさんの左手に光輝く剣が姿を現わす。
「此処で!大人しくしていろ!」
そう叫び、空高く飛翔したサリアさんが地に立つお友達を体をその剣で貫き、大地に貼り付けにする。消滅はしないけど、これで身動きは取れなくなってしまう。これを繰り返されたらどんどん此方側が不利になってしまう。彼が扉の中に入るまでは此処で指揮を取りたかったのだけど仕方ないか。二百現れた私のお友達も、他の天使によりその半数近くまで数を減らしていた。私は錫杖を構えると、戦闘衣へと着替える準備に入る。っと、その前に、お着替えを全国放送されない様に上空を飛ぶ報道ヘリに手でバッテンの合図を何度か送り、捌けるようにお願いする。
うん、何度お願いしても捌けてくれないので、私はサリアさんと同じ要領でヘリ周辺に狙いをつけて自らの魂の力、干渉力を圧縮して放つ。
一瞬の紫色の輝きと共に、光線が一直線、山小屋を囲む黒煙に丸く穴を穿ち、重力の影響を受けながら遥か遠くの山脈まで届く。その数秒後、遅れてその余波が辺りの空気を震わせる。少し、力を圧縮させ過ぎたかも知れない。干渉力は何も精神にのみ干渉するだけでは無い。その加減により、物理的干渉をも可能とする。私は謂わば、歩く兵器。いや、散歩する人間兵器かな?さてと、私の砲撃の余波で操縦不能となったヘリが黒煙の向こう側へと消えていく。遠目でレポーターのお姉さんが驚いた様に指を天に向けて指差している。何だろ?
遥か上空に見覚えのある姿を捉える。黒いコートに段ボール箱を被ったおじさん。私が段ボールおじさんと呼び、慕う、ホームレスのおじさんがその背中から鋼の翼を展開させて空中に留まっていた。
その段ボールおじさんが何かをその手から落とす。
何だろう?
手を翳し、目に巻かれた布越しに遥か上空より飛来する物体を眺めていると、丸まっていたそれが急に状態を変え、何か、鋭い棒状のものを一本前に突き出す。あれは何だろう?鳥ではなさそうだ。
グングンと速度を上げて降下するそれが私の目に、黒髪を左右に結わえた女の子だと認識した瞬間、その鋭い棒状の物が私の胸を貫き、山小屋の屋根へと貼り付けにする。このまま行けば、その衝撃で山小屋自体が崩れてしまう。
刹那の時間、口から血を吐きながら彼を私の友達にお願いする。
私の声が届いたのか、私の仮面を付けた小さなお友達が天使達の包囲網を摺り抜け、彼を山小屋の開け放たれた扉に向けて投げ入れる。入口には黒鳥が待ち構え、白鼠を受け止める。一安心だ。これで頑丈な結界を張れる。私は上空より飛来した黒髪の少女を受け止めた瞬間、その力を反転させて黒いドーム状結界を展開させる。これでこの場は、此の世から隔離された。それが緩衝効果を生み、上空より飛来した少女の落下の衝撃を相殺する。
私は紅目の彼女の事を知っている。その紅い目と両手に構える短刀の「白蕾」は私が彼女に与えたものだ。彼女の瞳が愉快そうに細められ、その口元が歪む。
「流石ね、サリア隊長のお友達さん」
「フフッ、残念です。お友達ではありません。親友で……」
彼女の身体が一瞬、揺らいだ様に見え、その振り抜いた左手に構えられた銀色に輝く短刀を見つめながら景色は流れていく。
「……す?」
「ごめんなさいね、この短刀と眼には感謝してる。けど、これは任務。死刑囚である私が生き残る為の唯一手段なのよ」
「フフフ、知ってますよ。恨みっこ無しです」
私の身体が力無く、球状の黒いドームの上に沿う様に横たわり、手にしていた錫杖がカラリと音を立てて落ちて行く。私はその光景を静かに見守りながら、数瞬遅れて眼下の大地へと転がった。
球場の黒い結界の上で、ネフィリム十一使徒の中でも最強に近い、彼女の声が遠くから聞こえてくる。
「こちら十一使徒のポゥ=グィズィー。サリア隊長、貴女のお友達の首は落としたけど、先を越された。失敗よ」
私の近くから馴染みのある声が頭上から聞こえてくる。
「こちらサリアだ。……此方でも確認した。引き続き、陽守の身体の方は頼んだぞ?私は頭を回収する」
大きな溜息が聞こえ、その細長くて白い手が優しく私の首を持ち上げる。
「全く……人騒がせなお姫様様だ。結局、少年を山小屋へと逃してしまったよ。それにあんな結界を張られたら……君の干渉力を超える人材を探さない限り、突破は不可能だよ」
私は悪戯っ子の様にテヘヘと微笑むと、慣れっことはいえ、生首が笑う事に抵抗があるのか、サリアさんがその桃色の唇を痙攣らせる。
「……その状態で話せるとはいえ、なるべく話さないでくれ」
「はーい」
「親友の生首を目の前で見るのはあまり気持ちのいいものでは無いからな」
「仕方ないなぁ」
今度は彼女が優しく微笑んだ後、手を挙げ、包囲する天使達を待機させる。これ以上の攻撃は意味を成さないからだ。私も同じ様に私のお友達に呼びかける。
「もういいよ!君達!作戦成功!我々の勝ちなのだ!」
天使達が剣を引き、黒い影を纏った怪異達が元の姿である人型へと戻っていく。その顔にあたる部分には仮面が張り付いている。天使達が大人しく剣を下げるのも、私の友達である彼らに害意は無いと知っているから。
「フフフ……八ツ森の一般市民を舐めないで頂きたい」
「……話すなと言ったろ」
サリアさんがその場で胡座をかいて私をその上にちょこんと乗せてくれる。血で汚れていくのは気にして無いようだ。天上を見上げると上空では段ボール箱を被ったおじさんが、親指を立てて私にグッジョブの合図を送る。その光景をドームの上方から見下ろすポゥが半目になりながら咎める様に私達を交互に見やる。サリアさんが私の銀色の髪を撫でながら溜息を吐く。
「レオボルトよ、お前、どっちの味方だよ」
段ボールおじさんはやれやれといったジェスチャーでそのまま空中に留まって行方を見守っていた。段ボールおじさんには好物のメロンパンを先に渡して買収していて良かった。多分、彼なら私が結界を張る刹那の時間、邪魔をする事だって出来たから。サリアさんが私を咎める様に一言付け加える。
「もう、無茶はするなよ?」
「……」
「都合のいい時だけ生首らしく黙るな」
ごめんね、サリアさん。多分、あと二回ぐらいお仕事の邪魔をする予定だ。テヘヘ。
その山小屋を人間の姿に戻った白スーツ姿にサングラスの天使達がその場でサリアさんみたいに胡座をかいていく。仮面をした私のお友達もその場でフヨフヨと彷徨いながら山小屋のある結界の向こう側を心配そうに見つめていた。
「本当に……困った問題児達だよ……」
私が貴方達に手を貸せるのは今の段階では此処まで。
あとは貴方達次第。頑張ってね。先輩として応援してるから。
少年達よ、運命に抗い、そして、前に進むのだ。
あぁ、サリアさんの太腿、柔らかくて暖かいな。
「声に出てるぞ、全く……」
テヘヘ。
し、死ぬかと思った!




