這い寄る馬鹿
君に女の子の知り合いが増えるのは妬いちゃうな。
黄色いネクタイをした後輩の鳩羽君が、扉すぐ近くに座っている杉村蜂蜜に近づく。僕は慌てて立ち上がると彼女の方を何とかする為に動く。
「ストーカーくん!それ以上彼女に近づい……たら、ぐへっ!」
彼女の攻撃を止めさせる為に、彼女の死角から迫るが、こちらが見えていないはずの彼女が、裏拳を顔面にヒットさせる。
僕は1mほどふっとばされたようだった。彼女は顔を此方に向ける事無く目の前に迫る後輩の鳩羽君を睨みつける。右手の袖からトンファーを素早く取り出すと、戦闘態勢に移行する。
「所属と氏名を名乗れ、それ以上近づくと殺す」
慌てて立ち止まる鳩羽君。敵意が無い事をアピールしているのか両手を上げている。その光景に教室に居る誰もが注目していた。佐藤と若草は慌てて僕の体を彼女から遠ざけてくれる。まるで撃たれた兵を戦場から退避させるみたいに。
数メートル先で2人の膠着状態が続く。
「また忘れちゃったんですか?僕は貴女のファン、剣道部所属の1年『鳩羽 竜胆』です!」
幼い顔つきの彼が柔和な笑顔で爽やかに答える。ナイフで軽く足を裂かれたというのにまだ懲りてないらしい。っていうか、あいつが原因で杉村に殴られるの二回目だ。原因は僕のお節介から来ているとはいえ、なんたる巻き添え。
「あれ?先輩は確か、匂いフェチの……?」
彼の言葉を聞いた杉村蜂蜜は、慌てて顔を此方に向ける。匂いフェチで僕だと認識された事がなんかダメージ大きい。流れる鼻血を止める為、佐藤がハンカチで僕の鼻を押さえてくれている、杉村の口から「ろっ……」という単語が発せられた瞬間、彼女の侵入してはいけない領域に鳩羽竜胆が足を踏み入れてしまう。
杉村蜂蜜はその事実を目で確認する事無く鳩羽への攻撃態勢に移り、誰の目にも留まらない速さでトンファーを打ち込む。鳩羽は回避運動すらとれない。
教室に硬質的な打撃音が響く、その音の大きさにクラスメイト全員が注目する。
思わず目を閉じてしまったが少し違和感を感じた。鳩羽に直撃したならもっと鈍い音が響くはずだ。
一陣の風が教室をすり抜けていた。
教室は静寂に包まれ、時が止まったかのように誰も動こうとしない。いや、この張りつめた空気の性で全員が動けないのだ。
時が動き出したのは杉村のトンファーから放たれた一撃が、鳩羽に当る寸前の所で止まっている事を全員が確認出来てからだ。
よく見ると、トンファーが何か棒の様なものに遮られて、鳩羽への打撃を阻んでいた。攻撃を繰り出したはずの杉村自身も何が起きたかを理解出来ずに動揺の色を見せていた。
杉村からの一撃を防いだその棒を辿っていくと、鳩羽の背後から誰かが木刀を突き出していた。鳩羽の背後から伸びる木刀を握っているのは……誰だ?知らない顔である。鳩羽が杉村を確認してから背後を振りかえると、その命の恩人の名前を口にする。
「東雲 雀先輩?」
開いていた教室の扉から音も立てず、誰の目にも留まる事の無い杉村の動きを捉え、ピンポイントでその打撃を木刀で防いだ人物が口を開く。
「うちの部員になんてマネするんだ?剣道の大会に支障がでたら責任をとってくれるのか?転校生のお嬢さん?」
杉村の表情が厳しいものに変わる。
「こいつは敵だ。邪魔をするな」
「敵の敵は……私の敵だ」
鳩羽の目の前でトンファーと木刀が交差する。どちらも凶器だ。
杉村がその一歩を踏み出した瞬間、東雲先輩とよばれた女性は鳩羽を後方に引っ張り安全な場所に退避させると、両手で木刀を握り直す。杉村からいつの間にか撃ち込まれていたトンファーを木刀を斜めにして受け止める。
「所属と氏名を名乗れ?目的は何だ?」
「2年B組、東雲 雀 。剣道部副将。目的は……そうだな、鳩羽に用事があって1年の教室に向かったら、ここに居ると聞いてやってきた。そして、後輩君のピンチのように思えたから助けた」
「そう。貴女は敵?味方?」
聞いといて興味無さそうに答える杉村。
「大きな目で見れば味方。だが、今は敵だ」この子あほだ。この状況下で敵だと答えたら更に攻撃されてしまう。
折角杉村蜂蜜の警戒が先程の目的の答えを通じて和らいだというのに。予想通り、杉村の拳に更なる力が入ったのが分かった。
「敵なら、排除する。誰にも女王蜂は傷つけさせない」
「クイーン?女王?あ、そっか、確か君はイギリスからの転校生だったな。大丈夫だ。あなたの国の女王に敵対するつもりはないよ」
東雲の警戒態勢が解け、木刀を下げる。
本人は気付いてないが、杉村が時々口にする女王蜂は別のものを指していると思う。
その隙をついて杉村は躊躇無く東雲の顔面に向かって攻撃を繰り出す。卑怯な気がしたが、この東雲さんは東雲さんで悪い気がする。あくまで戦場での話になるが。
大きな音を立てた打撃音は鳩羽の体から発せられた。杉村の攻撃に反応して鳩羽が間に体を挟んできたのだ。
「おまえ!何を馬鹿な事を!」
「いえ、いいんです。これは僕の問題ですか……ら……」
鳩羽が苦しそうにその場に膝を崩す。
「……気にしないで下さい、これは僕が好きでやっている事ですから」
と遺言を残し、倒れる後輩ストーカーの鳩羽竜胆君。全くもって後輩君の言う通り、自分が悪いだけなのだが、事情を知らない東雲は憤り、怒りを露わにする。
対する杉村は冷静だ。ワンステップバックして、背中に隠し持っていたトンファーをもう1本取り出し、今度は左手にも装着する。
クラスメイトは何時の間にか教室の隅の方まで退避していた。
逃げ遅れたのは、僕等3人組だけである。
こんな時に学年代表の田宮稲穂は、荒川先生の用事で職員棟に居る。鳩羽が倒れた今、止める人間は僕以外居ない。鼻血は止まった。よし!僕は介抱してくれている佐藤の安全を確認した後、立ち上がる。
すぐさま僕を止めに入る佐藤、若草も僕の肩を掴んで制止する。いつもは僕に杉村探しの旅に出掛けるように促す2人も危険を敏感に感じ取っている。でも止めなければ、東雲さんの命が危ない。剣道部とはいえ一般の女子が特殊訓練を受けた化け物染みた杉村蜂蜜に敵うはずも無い。木刀を一転して下段に構える東雲。
「許さない。お前の行いは武士道にあるまじき愚行だ」
2本のトンファーを両腕に構える本気の杉村蜂蜜。
「武士道?そんな精神論、戦場じゃなんの役にも立たない。死にたくなければそんなもの早く捨てるべきだ」
固唾を飲んで見守る観衆。これまでは一方的に杉村が他者を叩きのめす場面しか目撃して来なかった。しかし、これはどういう事だ?
いつの間にか放たれた杉村の初撃は、きっちりと東雲の木刀により受け止められ、往なされ、反対側からの一撃が杉村から放たれようとしたのを敏感に感じ取った東雲はそのまま間合いを無くし、全身で体当たりする。身長差で言うと東雲の方が杉村をゆうに越している為、体格差でパワー負けした杉村は近くの机に激しく叩きつけられる。
この東雲雀という子、只者ではない。
その辺の男より、下手したら杉村蜂蜜より上かも知れない!初手は自らが優位に立ったとはいえ、微動だに表情を緩めない東雲。
そして武士道を貫く為か、尻餅をついている杉村に一切追撃しようとしない。まさに武人である。
するりと音も無く無動作で東雲に襲いかかる杉村は交差するように棍を振り抜き、互いに上段と下段を狙った打撃を放つ。
上段からの攻撃を木刀で防ぐが、下段からの攻撃を受けきれず、足をすくわれてしまう。体格差のある相手を攻めるにはまず足から潰す。杉村は最初から足を狙っていたのだ。そこから杉村の猛攻は止まらず、姿勢を低くした状態から次々と棍を打ち込んでいく。
対する東雲は、姿勢を崩したまま打撃を避け、それ以上踏み込まれないように木刀の切っ先で相手を牽制している。このままでは東雲の方が危ない、そう判断した僕は止める為に中断を促す。
「やめろ、杉村!それ以上は……!」
勢いよく距離を詰めて呼びかけた僕に僅かながらに反応する杉村、しかしその勢いは止まらなかった。だが、相手はその僅かな隙も見逃さなかった。低い姿勢から体のバネを十分に利用して僅かに出来た杉村の隙を、木刀の切っ先が捉える。
再び教室内の時間が止まった。
木刀の切っ先は、杉村の鼻先僅かな所で静止していた。それは完全なる決着を意味していた。「それ以上近付くなら、そのかわいい鼻先を潰す事になるぞ」何かを呟く杉村。
「……女王蜂の顔に傷は付けられない。そちらの要望、了解した」
互いの間合いを離すと、それぞれの得物を収める両者。杉村は、倒れた自分の席を元に戻すと何事も無かったかのように席に着いた。対する東雲はどこか嬉しそうな顔をして気を失っている鳩羽をお姫様抱っこする。教室から出る寸前で一度杉村の方に向き直ると、一言付け加えた。
「そこにいる鼻血君の呼びかけが無ければ、私はお前にやられていた。その強さ、認めよう。まだこの学校にも猛者がいたのだな。いずれ決着は付けよう」
フフフッ、と笑いながら2年A組を後にする東雲雀。それに対して特に反応を示さない杉村。僕は一言呟いた。
「また変な奴が1人増えた」
その子の名前は「東雲 雀」。