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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
終わりの始まり
233/319

憎しみ、その残滓。

 灰色の街並みがずっとその先、遥か遠くまで続いている。立ち上ったはずの太陽は世界に光を、色彩を、熱を与えることなく漂っている。大気はまるで死んだように肩に重くのしかかり、風は時を運ぶのを忘れたかのように淀みきっている。


 ここは何処だ?


 見慣れた景色であるはずの街並みが、今は別の顔を私に向けている。灰色になった街に白い霞が視界を悪くさせている。


 まるで時が止まったような世界に私は立ち尽くしていた。私?そもそも私とは何を指すのだろうか。それすら曖昧になり、途方も無く彷徨う。


 行く当ても無く歩きながら自身の体を見下ろすと、酷く黒ずみ、まるで私自身の影が私と入れ替わるように活動している様にも見える。


 時間と共に太陽が沈むことも無く、歩けど人の姿は私以外、何処にも見当たらなかった。


 記憶の喪失と共に私自身の輪郭が薄まり、端の方から崩壊の兆しを見せているようだった。時の進みが感じられない空間に於いて、体の崩壊だけが時間の経過を感じさせる唯一の導となっている。


 少しずつ私の崩れていく身体と共に意識から引き剥がされていく心と記憶。


 私は……私は誰だ?


 何も思い出せない。いや……本当に?そうだろうか。

 まだ、まだ、この意識の奥底、奥深い深淵へと沈み込んだ感情が消えるものかと足掻いている。この感情はなんだ?


 お前だけは殺して……やる?


 それは明らかな殺意。

 これは誰に向けられたものだろうか。


 お前だけは……守……る。


 これは誰に向けられたものだろうか。

 色彩の消えた町で淡い太陽の光だけが私だけを照らしている。薄暗いぼやけた霧の様な体でずっと何時間も彷徨っている。私は何を探し、何を求めているのだろうか。


 私は遠くに見える森を目指す事にした。

 そこに行けば何かがわかる様な気がして。、街に流れ込んでくる川沿いに河原を歩いていく。影を纏う様な私の体に疲労という概念は無いらしく何処までも歩いて行ける気がした。


 私はその道中で誰かの泣き声を耳にする。


 この灰色の世界に於いて初めて聴く人の声だった。その声の主を求めて河原を進んで行くと、白い光を湛えた女の子が河原で蹲り、泣き声をあげていた。


 一体、君は誰なのだろうか。

 そんな私の心の声に反応するようにその少女が顔を上げる。


「ぐすっ、ん?人?初めての人?!この変な世界にも私と同じ人間が……ががっ?!」


 覚えの無い少女の顔が驚きで硬直したままになる。


「せ、生徒会長の……二川亮!?こんなとこまで私を追って……って?何か体が変じゃ無いかい?」


 二川亮。


 それが私の名前らしい。

 確かに私の体は黒い靄の様なもので覆われてはいるが、それをいうならこの目の前の少女も変である事に変わり無い。体が白く輝いてその眩しさに目を細めながら彼女を観察する。


「あれ?私の方が変なのかな?」


 何処か懐かしい気がする制服に身を包む彼女の容姿は……多分、私の好みでは無い。心がそう告げている。


「余計な御世話だよ!私もあんたの事は生前から大嫌いだったよ!」


 白く輝く姿の少女が腹を立てて私に抗議する。彼女の方が私の事を知っているらしい。

 私は一体何者だったのだろうか。


「えっ?自分の事が思い出せないの?」


 その女が言葉を発していない私の思考を読むように返事をする。


「女って呼ばないでよ。木田だよ。木田沙彩って名前があるんだからね。記憶は私の方がハッキリしてるみたいだね。君は二川亮って名前で、私達の一個上の先輩で、高校三年生だよ。私は嫌いだけど、容姿端麗で成績優秀、生徒会長であり、剣道部の部長を務める君は所謂人気者のリア充野郎だよ」


 私の中に僅かに残る記憶の残滓が振るえ、渇きを訴えてくる。私が満たされた事など一度として無かったのかも知れない。


「よく言うよ、君の高校生活は日陰者の私と比べても順風満帆で満たされていたはずだよ。気付いて無かっただけじゃないのかい?」


 徐々に黒い影に侵食され形を保てなくなっていく私の体。その端から崩壊が始まっていく。


「私は満たされていたのか?」


 私の声に目を丸くして驚く木田と名乗る少女。


「おっ、やっと口で話してくれたね。やっぱりこの方が自然で落ち着くよ。当たり前だよ、君は生徒会として生徒達をまとめ、何か催し物があればよく私達の意見を汲んでくれていた模範的な生徒で、女生徒にはよくモテていたよ」


 こちらの心の声は向こうに届いているが、こちらから相手の声は口を通してでしか聞こえない。彼女と私では何かが違うのだろうか。


「そんな事を言われても私にはさっぱり身に覚えが無いよ。あるのは……」


 この胸の奥に燻り続ける憎しみの炎。

 私は何に対してこの憎しみを抱いていたのだろうか。


「……会長さんは世界を恨んでいたんだね……。あんなに充実していた様に見えても心の中までは見通せないか。今は分かるけど。って、大丈夫?会長の体、黒い靄に包まれて消えかかってるけど」


 私自身が消える事に焦りは特に感じなかった。


「それよりさ、会長は此処がどこだか分かるかい?私達の住んでた街そっくりなんだけど、何となく現実の世界じゃない事だけは分かるんだ。太陽も全然沈まないし、風も匂いも無い。何より他に人だっていないしね。あっ、この世界で女が私一人だからって間違っても襲わな」


「襲わない。それは何故だかハッキリと断言できる」


「そ、そいですか」


「君は私に抱かれたいのかい?」


「死ねっ!!」


「いや、多分、私は死んで、その道程の半ばにいるんだと……思う」


「そ、それは失礼……でも誰に殺されたんだい?もしかして、意図を察した小室亜記に復讐されたんじゃ……それか会長が過去に振った女生徒に刺されたとか?」


 自然と腹部に痛みの記憶が蘇る。それは黒衣を纏う血塗れの少女に刺された記憶。これは?その腹部から全身に拡がる痛みにその場に立っていられなくなる。


(白き観測者よ、これが妾の隠しナイフじゃ。味わえ……)


 その声と共に幾つかの記憶が鮮明に蘇ってくる。この心の奥底で疼く殺意、あの女や北白事件における被害者達へ向けられたものだ。あいつ等さえ居なければ、私は死ぬ事も無かった。


 殺し損ねた天野樹理、行方を晦ました日嗣尊、記憶を取り戻した石竹緑青、そして……そして?


「木田とか言ったな。もう一人の小室……亜記とは誰……だ?」


 脳裏に背の低い、分厚い眼鏡をかけた少女が此方を睨みつける光景が映る。その手前には目の前で光を湛える少女に良く似た人物が虚ろな目で虚空を見つめ続けていた。


「君は……木田沙彩?」


「そうだよ!さっきからそう言ってるじゃないか?って……会長のその記憶は……私?」


「そうみたいだな。背後に居るのが小室……か。そうか……君はまだ……」


 やはりこいつは此処で殺さなければならない。こいつが生き返るような事があっては面倒な事になる。


「またお別れみたいだね、木田沙彩!」


「ちょっ?どうしたんだい急に?!君の体、先刻まで消え去りそうだったのに、どんどん黒い霧で出来が大きく拡がってないかい?」


 私自身の憎しみが形を持ち、強固な身体となり、私の体と混ざり合い、形質を変化させていく。この世界に於いて強い心の意志は形質を持って顕現するらしい。この女はここで殺さなければならない。


「ちょっと待ってくれたまえ!見ての通り、私は死人だよ!何となく分かるんだよ。だって私は通り魔に襲われて、頭を割られたんだ……。だから私達が居るこの場所はあの世とこの世を結ぶその狭間なんじゃないかってね」


 黒く、大きく、肥大化していく私の身体。

 もはや人間とは呼べない形状へと姿を変えていく。


「木田沙彩、此処で確実に死んで貰ウ」


 私の心が憎しみで満たされていく。


「ちょっと待ってって!だから、私は死んだって言ってるでしょうが?!」


 長く太く、大きく形状を変えた拳。

 その手を彼女の身体を叩き潰す為に大きく振り下ろす。


「此処で殺す。決して目覚めさせない!お前は目覚めてはならない危険な存在だ!」


 木田沙彩が半泣きになりながら自身の頭を守るように蹲る。


「もう、頭を割るのだけは止めてく……れ?れれ?」


 下ろしたはずの右手が木田沙彩に振り下ろされる直前でピタリと動きを止める。木田が止めた訳ではなさそうだ。キラリと銀色の粒子が光の差さない世界に眩く煌めく。その輝きは木田から放たれる光とはまた別の不思議な色合いだった。


「此処に居たんですね……監督、随分探したんですよ?」


 誰だお前は?木田が情けない声でその者の名前を叫ぶ。


「ひ、陽守さん?!」


 腕の陰から紫がかった銀色の髪と布を巻いた目元がひょこりとこちらを見上げている。わたしの体はどうやら巨大化しているようだ。


「二川さん……ですね。その憎しみ、ここで断ち切らせて貰います」


 お前は何者だ?


「私ですか?私はしがないただの八ツ森の一般市民ですよ……まぁ……黄泉の番人とか霊樹の森の防人とか呼ばれてはいますけど……ね?」


 スルリと目を隠すように巻かれた布が解けると同時にデニムのワンピース姿だった女が異装な黒いドレス姿へと変わる。


 布の解かれた両目は何処までも澄み切った紫色の瞳をしていた。木田よりは好みのタイプである。


「それはどうも……木田さん、此処は私達に任せて下さい……貴方はまだ生きています。心だけが、この狭間の世界へと迷い込んだ……二川さん、貴方には感謝しています。貴方が此処に来てくれたお陰で私はイレギュラーである貴方を感知し、此処まで飛んでこれた……」


 何を言っているんだ?この女は?


「陽守さん!幾ら何でもそんな馬鹿でかい化物、相手になんか出来ないって!一緒に逃げ……よ!?」


 銀色を髪が揺らぎ、硬質的でありながらどこか生物的な形状のフィンがまるで翼の様に陽森と呼ばれた女の背中に構築される。


 これは現実か?いや?私に現実と呼べる世界などもう無い。私は殺された。なら、一体私は何なのだ?


 陽守と呼ばれた女の翼が展開し、その中から幾つものリボン状の布が垂れ下がる。


「貴方は二川亮だった者の残滓。その記憶の欠片が貴方の魂を黒く染め上げている。今、楽にして差し上げます」


 女の背中から垂れ下がった布がまるで意思を持った様に蠢き、私の肥大化した腕を次々と拘束し、一瞬にして締め上げると私の右手を分断し、粉砕させる。右手を失った痛みが全身を巡り、その衝撃で河原に投げ飛ばされる。


「痛みは錯覚です。だから今直ぐ楽に……」


 私の口から笑い声が溢れる。


「お前か……お前が仕向けたんだろ?佐藤淡緋!」


 陽守と木田が私の背後に立つ少女を驚いた様に見つめる。


「あっ、君は……確か映画でお世話になった……女の子?」


「浅緋さん……」


「えっ?何言ってるの?浅緋さん役の女の子だけど、本人じゃないよね?年齢も丁度16歳ぐらいだし……」


 困惑する二人を他所に佐藤深緋に良く似た女が私の体にそっと手を伸ばすと私の体を覆っていた黒い霧が霧散し、元の姿へと戻る。その女に私自身の心の底に沈んでいた憎しみがまるで吸い込まれていくように。


「久しぶりだね……君」


 ふんっ、二度と会いたくは無かったがな。お前のせいで全部が台無しになった。お前さえ、嗅ぎつけなければ……。


「アハッ、それは全部こっちの台詞よ……」


 あれは仕方なかったんだ。そうしないと私達が……。


「君は違う。君は楽しんでいたよね?壊れていく女の子達を見ながら……ちっぽけな自尊心を満たす為だけに。だから平気で贄を差し出した。だから平気で自己保身の為にその手にかけた……」


 何を企んでいる?

 佐藤浅緋!お前はもう死んでるんだよ!

 貴様に何が出来る!


「そうね……私に出来るのは少しでも貴方の憎しみを記憶の断片から蘇らせてこの世界に繋ぎとめておく事……」


 そんな事をして何に……。


 佐藤浅緋の細い指先が私の体を縦になぞる。


「これは私の肉体が受けた痛みの記憶……」


 なぞられた部分が輝くと同時に想像を絶する痛みと共に私の腹が縦に切り裂かれ、あるはずも無い内臓がその場に崩れ落ちていく。


 ご、ごれは?


「そしてこれは……緑青君から受けた苦しみ」


 その手が私の首を締め付けていく。肺など既になく、呼吸する必要が無いはずの私の気道が酸素を求めて喘ぐ。


「苦しい……よね?私も苦しかったんだよ?大丈夫、まだ貴方は消させない……」


 浅緋の凶行に陽守と木田が叫ぶ。


「ダメです!貴女自身も憎しみに飲み込まれてしまいます!」


「浅緋ちゃん!?本物の浅緋ちゃんなの?でも、それはきっといけない事だと思うよ!?」


 浅緋が俯きながらも私の首を絞める事を止めない。


「私は浅緋だった私が残した憎しみの残滓……そして、彼女達も……」


 浅緋の背後にずらりと生贄ゲーム事件で死んだ被害者と私が殺した人間達が並んでいる。そのどれもが私に対して殺意を抱いていた。


「ごめんね、陽守さん。貴女はこんな事を私にさせる為に力と時間を与えてくれたんじゃない……分かってる。けど!どうしてもこいつだけは!」


 あぁ、これが私のしてきた事に対する報いだったのか……本当に、私の完全に負けだよ。石竹緑青……杉村蜂蜜、そして佐藤深緋、君達の勝ちだ。


 私は首を絞められながら陽守と木田に振り返る。


「木田沙彩、熊谷病院だ」


「へっ?」


「場所は分かるな?」


「でも、似たような世界でもそこにあるなんて分からないじゃないか」


「あるさ、此処はきっと現実世界とあの世の狭間。その病院にお前は昏睡状態で眠っている。小室や江ノ木が変わらずに君の世話をしてくれているはずだよ……」


「会長……あんた……」


「いいから行け!多分、そのうち私は原型すら保てないぐらいに微塵にされる。これ以上、トラウマを植え付けられたくないだろ?行け!木田沙彩!」


「は、はいっ!」


 こちらに申し訳なさそうな視線を送った後、熊谷病院がある方へと駆けていく木田沙彩。これで……良かったんだと思う。それが二川亮であり、あの生贄ゲーム事件を始めた者の今出来る精一杯の贖罪だろう。


 大勢の私によって殺された被害者達の背後に、身体を切り刻まれた北白直哉が椅子にもたれかかっているのが遠くに見える。私達は途切れそうな意識でお互いに視線を交えると溜息を吐いた。


 人生、そう甘くは無いようだな、北白よ。まぁ……お前も十分覚悟しておく事だな……。


 *


 誰も居なかったはずの世界に私だけが眠る病室。私はそこで私自身の半身を見つけ出した。みんな!ただいまっ!

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