【 幼馴染と隠しナイフ <急> 】
「お前の隠しナイフ、確かに届けたぞ……木田沙彩」
八ツ森出身のアーティスト、SORAの澄み切って伸びやかな声が館内に響き渡り、誰もがその映画の余韻に浸っていた。映像の再生が終わると静寂が館内に訪ずれる。辺りを見渡すと、暗がりの中、誰もが涙を流していた。きっと、みんなも心の何処かに後ろめたさを感じていたのかも知れない。木田と日嗣さんから託された使命をこうして果たす事が出来、安堵の溜息をつく。私の、ただの高校二年生としてやれる事はやったぞ?後は合図があればこの別のファイルを開いて起動させるだけだ。三学期は流石に授業に出ないと留年確定だな。
「やったね!亜記ちゃん!」
「そうだな……木田もこれで報われ……たのかな?」
「うん!きっと観客が泣くほどの出来栄えだって伝えたら喜んで目覚めちゃうよ!でもさ、文化祭終わったら早速報告してあげないとね!でも元気そうにしてる沙彩ちゃん、見れて良かったね……なんだか懐かしくて」
江ノ木も元気な友人の姿を久しぶりに見て目に涙を溜めている。
「あいつなら……きっと目覚める。無理矢理でも目を覚まさせてやる」
「うん、そうだね」
パソコンを操作する為に椅子に腰掛けている私を抱き締める江ノ木カナ。その笑顔はやはりどこか悲しそうだ。私の役目は終わった。だが、一体これがどんな結末を生むかまでは分からない。いくらドキュメント風に描いてハッピーエンド風に終わらせたとしてもあれはただの映像作品である事に変わりは無い。あの二人の狙いは観客を感動させる為のものだったのだろうか?それで一体何が変わると言うのか、その疑問を残したままじっとスクリーンを見つめた状態の杉村蜂蜜の姿が横目に入る。放心状態なので少し、心配になり声をかける。
「杉村……さん?」
私の声にも反応せず、ただじっと画面を見続ける杉村。私達の横に居たゴリラ先輩が号泣しているのがちょっと鬱陶しい。でもまぁ……この上映は成功ってことかな。そこに人垣を掻き分けて佐藤さんのご両親が現れる。二人とも眼が赤く息を荒くして辛そうで心配になる。確かにあの映像を見せられたら……娘に似た女の子の演技だとしてと胸にくるものが亡くなった少女の親ならあるはずだ。
「佐藤深緋……と……浅緋の父です。少し、伺いたいのですが、君達がこの映像を?」
私と江ノ木が顔を見合わせ、私達は少し戸惑い気味に頷く。気を悪くさせてしまったのかも知れない。
「……娘の……あの浅緋役の事を伺いたいのですが……」
私達は向かい合い、難しい顔をして首を横に振る。彼女の事については撮影時も役名を通していたし、星の教会関係者か銀髪の陽守芽依さんの知り合いだとしか聞いていたかった。私の代わりに江ノ木が申し訳なさそうになる答えてくれる。
「コッキーのパパさん、ごめんなさい、それについては私達も知らないんですよね……何度か編集とか段取りで顔を合わせてお話ししたんですが……どこの高校に通ってるとか、名前聞いてもはぐらかされてしまって」
「はぐらかす?」
「はい、ほら、スタッフロールにもそう書いてましたけど、匿名希望って。この辺、日嗣さん役で少し出てた陽守さんて娘が詳しそうなんですけど、いくら聞いても……自分の事を役名の佐藤浅緋だとしか名乗らなくて……」
佐藤の父が何かに耐える様に目頭を強く押さえる。
「そうか……芽依ちゃんが関わってるんだね……」
何か含みを持たせた納得の仕方に私達は首を傾げる。
「娘は……もう一人の娘、深緋は何て言ってましたか?深緋にはここで上映される映画を見続ける様に言われて……」
「コッキー?特には何も?でも撮影で待機してる時とかすごい二人とも仲が良くて、本当の姉妹みたいだなって私達話してたんです……だからもし、浅緋ちゃんが生きてたらこんな感じだったのかなって」
「そう……ですか……」
横に居た佐藤の母親が今にも泣きそうな旦那さんをそっと抱き締める。
「……あなた……」
「分かってる……分かってるよ……間違うものか……」
「コッキーのパパさん?」
「きっと……これを見せたかったんだろうな……娘は」
私達が困惑する中……杉村がぽつりと呟く。
「ありがとう……浅緋さん……」
その声に佐藤の母親が反応する。
「ハニー……」
「……日嗣さんは私達にこれを見せたかった……?」
「ハニー……貴女……!」
驚いた様に目を見開く佐藤の母親。一体どうしたというのだろうか。杉村に声をかけようとした瞬間、静まり返っていた館内に拍手の音が鳴り響く。涙から一転、熱気を帯びた歓声は映画そのものに対する賞賛の嵐だった。その嵐はなかなか止まず、弾ける手の音がいつまでも鳴り響いていた。けど、日嗣さんの隠しナイフはここからが本番だった。少し遠くで館内の様子を伺っていた留咲アウラと目が合うと、手持ちの携帯を指差し、親指を立てる。準備は整ったようだ。その合図に深く頷き、もう一つの映像ファイルを開く。
「3」
「2」
「1……」
上映が終わったはずのスクリーンに突如現れたカウントに気付き始めた観客達はその拍手を止めて再びスクリーンへと顔を向ける。
「今度は一体何が始まるんだい?」
そう背後から声をかけてきたのは本来、私達を止める立場にある四方田卑弥呼先輩だった。
「げっ、四方田先輩」
呆れたように笑いながら四方田先輩が溜息を吐く。
「もういいよ、ドキュメント風に仕上げてあったあの映像なら私達は文句言わないよ」
「あれ?じゃあなんで木田の作成した本編の映画は却下されたんですか?」
「木田さんが通り魔に襲われた関係でね、中止にしようと言い出したのは生徒会長だけど、中身を確認して却下したのは私達だよ」
「そんな!折角、制作した映画なのに!」
四方田先輩が気まずそうに頬を掻きながらその理由を答える。
「いや、あのさ……内容の四割が行為そのもののシーンは無いとはいえ、ベッドの上で高校生同士がイチャラブしてる……しかも石竹君、日嗣役のアウラさんと杉村さんと二股な展開だったし、最後なんて石竹君頭が爆発するからね」
「あ”っ、そ、それは……」
「アウラさんのシーンは薄着状態でもセクシーすぎる彼女は男子高校生達には毒だよ。そして杉村さんもね」
「そ、そのシーンはえっと……ですね」
江ノ木と私はじっと杉村の方を見る。その視線に気付いた杉村が可愛く舌を出して謝る。
「出演の条件としてろっくんとのイチャラブシーンを増量をお願いしたのは私だったような」
四方田さんが深い溜息を吐きぼやく。
「男女じゃなくて女の子同士の画なら私も猛プッシュしたんだけどね」
「あはは……」
江ノ木が申し訳なさそうに笑う。
「テヘヘ」
杉村も照れ笑いを浮かべている。会場がざわつき、視線をスクリーンに戻すと、窓から差し込む蒼い月明かりと橙色の蝋燭の火に照らされた喪服姿の日嗣尊さんがこちらを見下ろしていた。その黒目がちで綺麗な瞳が館内全員の心をまるで見通しているかの様に静かに微笑んでいる。黙っているとこの人、美人だ。その艶やかな黒い長髪をスッと整えた後、私達を指差す。前置きが終わり、彼女の言葉が本題へと移ったようだ。テーブルクロスが敷かれた丸机に置かれた水晶が占い師を彷彿とさせる。
『さて、先程見て頂いた映画はもちろん、あの忌まわしき北白事件を題材にしたフィクション映画です。この映像を見て気分を悪くなされた方も何人か居ることでしょう。出来るのなら過去の事件としてずっと蓋をしておきたい、そう思っている人間も少なくは無いでしょう』
日嗣さんの顔にカメラが寄っていく。アップになってもその美しさを失わない日嗣さんはさすがと言った感じだ。私なら耐えられない。
『そして、高い確率でその場に私はいません。私は恐らくとある青年を刃物で刺して逃亡したとされていると、そう私自身の占いには出ました。運命とは実に皮肉ですね。そしてそれに抗う術を私達はあまり多く持ち合わせてません』
占いが当たったというよりは、自分の計画を話しているだけに過ぎないのだけど。
『……私やその他の少女が犠牲となった北白事件。現実での結末はこうです。幼かった佐藤浅緋さんと石竹緑青君は森で誘拐され、山小屋に監禁された後、お互いに殺し合いをさせられたのです』
その曇りの無い声が私達の心を間接的に削りにくる。
『結果、浅緋さんは緑青君に絞殺される形で命を失い、その事件のショックで緑青君の中の彼女の記憶がすっぽりと消失してしまいました。そして私達は選んだのです。その罪を贖罪により軽くする為に一人の少女の生きた記録全てを抹消したのです。確かに映画の中で彼女の口から許しを私達は得ました。が、決してこの悲劇を繰り返してはなりません。当時、私がメディアに顔を出していた時、寄せられた多くの情報の中に浅緋さんからの情報がありました。警察ではその情報を小学生だからという理由で中を検めることを後回しにしました。その情報がもっと早く私の下に回ってきて居ればあの事件の被害者は私で最後になっていたのかも知れません』
一度、日嗣さんが視線を画面から外すとそれに伴ってカメラが離れる。
『まぁ……もう事件を振り返るのは止めましょう。亡くなった人間や失った時間は幾ら後悔しようと戻ってはきませんからね。ただ……』
椅子から立ち上がった日嗣さんは腰に手をあて、右手を再び私達の方へ向ける。それに伴い、カメラも彼女に近づいて、まるで日嗣さんが迫ってきているように見える。
『世間が君達を裁かなかったとしても、それを私達は見過ごさない』
日嗣さんは何を言っているのだろうか。確かに先程の映画の内容で犯人の北白直哉以外に二人の少年が現れたのは気になったけど。それは脚本であって、実際は……いや、けど、もし、木田が通り魔に襲われた件に関してその少年達が関わっているということなのだろうか。
『フッフッフ!この別撮りの幼馴染と隠しナイフ特別篇、確かにフィクションじゃがその内容は私を含む関係者の意見と推測を盛り込み、ハッピーエンドを目指して作られたものじゃ!しかし、まぁ、あの事件の共犯者であるお主達が一番焦っておるじゃろうな。あの事件の真相へと繋がるヒントを私達が公開してしまったからの。目撃者はざっと四百人ぐらいかの?』
ざわつく館内。日嗣さんの話し方がすっかり戻ってしまっている。
『さぁ!覚悟するが良いぞ!全ての始まりにして諸悪の根源たる始まりの少年達よ!その姿を白日の下に晒すが良いっ!!』
その言葉を合図に私は別のプログラムを起動させる。それはとある場所に設置されたカメラとリンクし、その現場を映し出す為のものだ。
「さぁ……ここからが混じりっけのない現実の始まりだよ!そしてこれが日嗣さんの隠しナイフだっ!」
その喧騒に飲まれて私の声を聞き取れた人間は殆ど居ないだろうけど構わない。私のクリックと共に映写機を通して映し出される映像がノイズ混じりにじわりと切り替わる。此処から先は私もどうなるかは聞かされていない。けど、それはきっと私達の望む展開が繰り広げ……。映像が切り替わると共に音声が此方側へも流れ込んで来る。
私達の目の前に現れた画面には暗がりの倉庫で、裸電球が一つぶら下がって居る光景。それは先ほどの映画内にも流れていた山小屋内の風景。
そのカメラの先、壁に血だらけになった見覚えのある少年が壁に寄りかかってじっとしている。あれは?
「会長?」「亮?」
横に画面を眺めていた四方田先輩とゴリラ先輩が言葉を失って驚いた表情をしている。そこにすごい形相で剣道部の東雲と鳩羽が私に掴みかかる。
「どういう事だ!あれはうちの部長、二川先輩では無いのか?!あれも映像なのか?!」
東雲さんが鬼気迫る表情で私の肩を揺らす。
「いや、私には何も分からない。ただ、ここに映る映像は録画じゃなくて確実にリアルタイムで流れて居る映像って事は確かだ」
鳩羽が画面を睨みつけながら叫ぶ。
「なら、場所は何処ですか!すぐに助けに行かないと!この光景はあの生贄ゲーム事件のものですよ……ね……?」
少女の泣き叫ぶ声が画面を通して館内に響き渡る。
『ヤメで!ぞんな事したら引き返せなくなる!お願い!辞めて!全部私が!!』
ズルズルと画面の下から身体を引き攣りながら同じぐらいに血だらけの少年が体を起こして二川亮に近付こうと手を伸ばす。
「辞めろ、緑青!そんな事してなんになる!」
しかし、そこに現れたもう一人の人影が素早く姿を現わすと、右手に握りしめていた黒い銃のグリップでその少年を殴りつけてその場で意識を失わせ、画面の外にフェードアウトする。その倒れた少年に向けて二回発砲すると画面外に沈んだ少年の声が聞こえなくなる。何が起きて居るの?すぐさま事情を知る留咲アウラさんが私の下に駆け寄り、声をあげる。
「若草さん!なんで!?小室さん!こんなのみこっちゃんのシナリオには無かった!」
どういう事だ?
『ヤメて、ヤメて、ヤメて!緑青!』
緑青と呼ばれた白いローブを目深に被った少年の銃口が壁際で放心状態になっている二川亮に向けられ、その少年の背中越しに白い閃光と共に二川亮の体が三度、飛び跳ねる。腹部、胸部、そして最後の一発が二川亮の右側頭部を破裂させる。辺りを一面に血が飛び散る。少女の悲鳴が力無く響く中、その少年が反転し、カメラへと顔を向ける。白いフードを被ったその少年の顔は私達のよく知る彼のものだった。
『終わりの始まりだよ、みんな』
そう微笑む彼の笑顔はまるで別人の様な冷たい狂気を湛えていた。画面の中の石竹が画面の外に手を伸ばし、画面外に居た佐藤深緋を自分の腕の中に引き寄せ、その口元を左手で塞ぐと、右手に構えた銃口を少女の顳顬へと充てがう。口を塞がれた佐藤が必死に泣きながら私達叫ぶ。
「お父さん!お母さん!ごめんなさい!私!私また二人を悲しませて」
その言葉の途中で拘束を強くされ、口が塞がれてしまう。
『全部思い出したんだ。ねぇ?どんな気持ち?僕をずっと騙し続けてきて僕が感謝するとでも思いましたか?これは僕の復讐です。八ツ森に住む人間全員に与える罰です。その意味を考えてみて下さい』
銃をしまい、暴れる佐藤を両腕で羽交い締めにする石竹。
「見えてますか?安心して下さい、娘さんは大事な人質ですからね。殺しはしませんよ、殺しはね……フフフ」
と軽く佐藤の後頭部に顔をお埋める石竹。その状況にその様子を見守る私達の認識が追いつかない。その光景に佐藤夫妻が短い悲鳴をあげる。
『さぁ、最後の生贄ゲームを始めようか』
白いフードを被った石竹の不気味な笑いが鳴り響く中、その凄惨な光景を目の当たりにした多くの生徒や観客達が気分を悪くし、蹲る。
『そうそう、杉村蜂蜜。いや、僕の幼馴染、ハニー=レヴィアン。最後に忠告しておく。お前は絶対にあの場所へは来るな。絶対にだ。来たらどうなるか分かっているだろうな?』
彼の見たことも無い悍ましい声が私達を震え上がらせる。
『おっと、あまり此処へは長居出来ないか。最後の生贄ゲームは此処とは別の場所で三日後に行なう。因縁深い、お誂え向きの場所でね。ではまたお会いしましょう、八ツ森の皆さん』
佐藤の泣き叫ぶくぐもった声と共にカメラが切られ、ノイズの音だけが館内に響いている。これが、私達が望んだ結末、日嗣尊の残した隠しナイフ?館内の誰もが身動きの取れない中、杉村さん一人が両手にトンファーを構え直す。
「コッキーのパパさん、ママさん、そしてみんな!私、ろっくんの事を追いかけます」
その声に現実に戻された様に反応する佐藤の両親。
「娘を、深緋を助けて……」
それに微笑んで返事をする杉村。
「大丈夫です。ろっくんはきっとこう伝えたかったんだと思います。娘さんはお預かりしますが、傷付ける様な真似は一切しませんってね」
「ハニーちゃん……よくそんな事が」
「幼馴染……ですから」
佐藤の母親が杉村を抱き締めてそっと囁く。
「もう……いいのね」
それに元気に笑顔で答える杉村。
「はい!私は日嗣さん達のお陰で前に進めましたから」
前に?一体何のことだろう。
江ノ木が驚いた様に声を杉村にかける。
「あっ!もしかして杉村さん、元に戻ったの?」
それに照れ臭そうに答える杉村。
「うん、お陰様で。私、恥ずかしい事してたかもだからごめんね?」
「でもどうして?」
「佐藤浅緋ちゃんが微笑んでくれた。それだけで私は赦された気がした。そして私の為を思って閉じて居た記憶領域をあの二人が完全に解放してくれたの。だから、今の私は全ての記憶を共有している完全な杉村蜂蜜なの」
自分の事を本名では無く、この学校に転校してきてから名乗った名前を語る辺り、その意味を正確に認識出来ているようだ。もう彼女はきっと大丈夫だ。私は彼女に託す為に声をかける。
「頼んだよ、君の幼馴染を。クラスメイトとしてお願いするよ」
ニカッと今まで見た事ない快活な笑顔でそれに答えると彼女はごった返し、騒ぎになっている混雑した館内に構う事無く、一筋の黄金の軌跡となって体育館を駆け抜けていく。
「でも、石竹の居場所、分かってるのかな?」
首を傾げる私にアウラが呟く。
「大丈夫です、あの場所は本当の山小屋ではありません。本物そっくりに作られた撮影用のセットですから」
「じゃあ……」
「はい、きっとまだ校内に居ると思います。彼女の脚力ならもしかしたら間に合うかも知れません。記憶が戻り、暴走した石竹さんを」
私は溜息を吐いて辺りを見渡す。本当に君達幼馴染二人は周りを掻き乱すのが上手いよ。あの映像を見る限り、二川と若草は死んだ。彼等が北白と関係のあった少年二人という事だろうか。それとも、封じられて居た記憶そのものが諸悪の根源たる少年だったのだろうか。
そして最後の生贄ゲーム事件が始まりを告げたのだった。




