ストーカー再び
そして君の物語は今に至る。
2年A組の開け放たれた窓から朝の日差しが差し込む。
あの襲撃事件から4週間近く経過しているが、犯人はまだ特定されていない。授業が始まるまでの間、生徒達は各々の雑談に身を投じ、時間を潰している。真新しい黒板は化学的な臭気を放ち、塗り直された壁は妙に綺麗で違和感を覚える。窓ガラスも曇り1つとして無い新品に全て変えられている。
あの事件の事を話題に出す者はもう誰1人として居なくなっていた。彼らにとってあの事件は関係の無い出来事として消化されているのだ。
仕方ない事だとは思う。僕等はただの高校生。なんの力も無い。何か起きても教師や警察の力を借りる以外の術を知らない。だが……あの事件で彼女は変わってしまった。それを何とも思わないのか?
僕は憤りの目をクラス内に向け、窓側の席とは丁度真反対に座している杉村の方を見る。
あれからというもの、彼女の目に生気は感じられなくなった。
時折何かを囁いているようだが、その声は誰の耳にも届かない。
いや、届いていたとしても無いものとして扱われている。
彼女の周りからは人が居なくなった。
それが例え本人の望んでいた事だとしても、手の平を返したような態度は、人間の浅ましさを嫌でも感じさせた。
その点で言えば、例え何度薙ぎ倒されても彼女を存在する人間として認め、少しでもお近付きになろうと奮闘している「杉村蜂蜜同好会」の面々には正直救われている。
(この同好の会は彼女の転校初日から、秘密裏に存在していたらしい。メンバーは距離を置きながらも熱い視線を彼女に送っていたあの面子だ。僕に掴みかかってきたあの先輩が会長を務めているらしい。そして、その同好会から僕は目の敵にされている。)
僕は手帳にその日も彼女の様子を書き記す。
ここに書く内容がそのままランカスター先生へ提出される訳では無い。
[6月4日、杉村蜂蜜の様子に変化は無し。自らの席に着いたまま微動だにしない。そして時折クラスを見渡すように眺めている。]
転校当初、時折こちらに感じていた視線も今は全く無くなっていた。
彼女にとって恐らく僕もその他大勢の1人なのだろう。
ランカスター先生が、僕に何かを期待しているのは解るがその期待に答えられるかは解らない。今日も1日あの席を動く事は無いだろう。例え移動教室の授業があったとしても、彼女は何故か微動だに席から離れようとしないのだ。
消された体育教師の件もあり、教師も無理矢理連れて行こうとはしない。彼女が素行を咎められないのは、ランカスター先生の他の教師へ理解を求めて貰う為の努力が貢献している事を知るのは一部の人間だけだ。
「石竹くん?イライラしてる?」
そう声をかけてきたのはもう一人の幼馴染、佐藤深緋だ。
なんで解ったのかを聞くと無意識に僕は“額の傷”を掻いていたらしい。
この額の傷がどうやって出来たのか僕は覚えていない。
気付いたらあった。佐藤が僕の心理状態を見抜けたのは、心理部における活動にて“無意識の癖による心理状態の現れ”についてレクチャーがあったからだ。その中で佐藤が僕の癖に気付いたらしい。
「そういえば石竹君ってよく額の傷を無意識に掻いているわ」と。
癖か……佐藤自身の癖は、他人と居る時はそんな素振りは見せないけど、ふと1人で居る所を見かけると、どこか悲しげで思いつめた表情をしている事かな?ん?これ癖じゃないか。時々、口をへの字に曲げているあれかな?
若草は、冗談を言う時に妖しくニヤリと笑う。普段は軽口なのに、真剣な話をする時は、一呼吸必ず間を置く事かな。
ちなみに杉村の癖は……相手の返答を待つ際に、微動だに動かなくなる。一時停止状態をキープするのだ。最も今の彼女はまた別の癖というか危険な性質を持っているが。
学年代表の田宮の癖は相手と話す時に、平常時は相手の目を真っ直ぐ視るのに対し、他人に対して親切な事をしようとするとまともに目が見れなくなる事だ。
癖って、自分じゃ解らない無意識がさせる事らしいから厄介だ。
担任の荒川先生は常に目が死んでいるが面白い事を見つけると目が活き活きする。
ランカスター先生は佐藤とは違う別の意味で掴み所が無い。(まな板)
あ、そういえば佐藤の相手をしなければ。
「佐藤は大丈夫か?あの事件の影響は出て無い?」
その事を聞かれてどこかハッとする佐藤。丸い眼が、更に丸さを増している。動揺を隠しきれない佐藤の挙動から、やはり事件には触れない方がいいみたいだ。違う話題をふろうとした時、横から声をかけられる。と言っても僕に声をかける人物は限られている。若草青磁だ。
最近、仲が良い僕等の事をクラスメイトは石竹緑青の“青”と、若草青磁の“青”からブルーブルーコンビと呼ばれている。氏名に青色と関連がある文字が使われている人達を集めてブルーブルー教でも作ろうかな。そして青い衣服と青い被り物を着用してペンキ片手に、金髪の少女を牢屋に監禁して世界を救う少年達の邪魔を……と、まぁ妄想はその辺にしておいて若草をこれ以上無視は出来ない。
「聞いてるのか?恋愛心理学を利用した年下の女の子を落とす必勝法を考えたんだが、聞いてくれるか?吊り橋効果を利用して……」
「実行に移さないと保証してくれるなら聞いてやってもいいけど?」
「緑青のいじわる!」なんだかいじけてしまう若草。
その後、今日の部活動をどうするか話し合う。
心理部の活動日は部員任せなのである。ちなみにランカカスター先生は僕等の他にも1年や3年の部員を何人か抱えているのだが、僕等はまだ会わせて貰えてない。
いつかは紹介してくれるとの事だが僕等と違って本当に何かしらの心の病を抱えている人達らしいので、ランカスター先生の心理士としての配慮が垣間見えたりする。僕等に対してはユルい態度を崩さない彼女にはまだまだ謎が多い。それにしてもこの部活、やってて意味があるのかな?ほとんど勉強に近いのだけど……。
僕が心理士を目指す人間なら話は別だけどそんな事になる確率は極めて低い。なるなら……マクドナロドの正社員かな?いや、僕は何がしたいんだろう、僕は一体何が出来る人間なのだろうか。
そんな答えの出ない事を考えていると、教室の後ろの扉が開かれて誰かが入って来た。
その黄色いネクタイの人物には見覚えがあった。
「あいつは確か……ストーカー?」
僕の呟きに反応して、扉を開けて入って来た少年を見る佐藤と若草。
「ん?なんだあいつ?」
「黄色いネクタイって事は1年よね?」
最初はクラスのほとんどの人間が気付いていないようだったが彼の進行方向に周りの人間がざわめきだし、次第に全員が注目する。