希望潰えて
二川亮の長身から振り下ろされた木刀。その一撃が私の肩を掠め、その切っ先が床に叩きつけられる。その衝撃で握っていた木刀が手から離れ生徒会長の二川亮がその場で転倒する。何が起きてるの?掠っただけの肩から痛みがじんわりと痺れを伴って広がっていく。こんな打撃を緑青はまともにくらって意識を保っていられるなんて考えられない。
「くっそ、ふざけるな!石竹緑青っ!」
名前を呼ばれた少年の方を向くと彼が投げ出した足に二川亮が躓いたようだった。
緑青の顔を見ると木刀を打ち込まれた側頭部から血が流れている。木刀は木で出来ているとはいえ、樫で出来たそれは十分な殺傷力を備えている。まともに頭部に一撃食らって普通は意識なんか保ってられないはずなのに。二川亮が膝を着いて緑青を睨みつけながら木刀を拾い上げようとしている。それを防ぐ為に私も必死に短い脚を伸ばして蹴りを与えるがビクともしない。けど、気の所為か圧倒的有利な立場にも関わらず、その表情に余裕は見られなかった。もしかしたらこの状況そのものは彼の想定したものとは違うのかも知れない。緑青は口を切ったのか口の中に溜まった血を床に吐き捨てる。
「ペッ……うわぁ、これ、口の中切れてるな。側頭部も多分やられてる。当たりどころ悪かったら本当に初っ端で殺されるとこだった」
緑青が自分の体の具合を確かめる様に首を振り、両手を後ろ手に拘束されたまま肩を回している。のんびりとした口調だけど、彼は足しか使えない。
「あと数回ぐらいは耐えれそうってとこか。あっ、怪我なかった?深緋?」
手を使わずに足だけを使ってその場に立ち上がる緑青。ジャッ○ー=チェンみたい。なんか雰囲気が変わった気がする?
「お前!状況が分かってるのか!拘束され」
石竹君の姿が揺らいだかと思うとその言葉を遮る様に二川先輩の横っ面に回し蹴りが放たれる。呻き声と共に揺らめく二川先輩。木刀を取り損ねてしまう。
「えっと、分かってますよ。ボクと深緋が拘束されて捕まってる。深緋は柱に拘束され、ボクは両手を拘束されてる。どういう訳か身動きはとれますけどねっ!っと」
切り返した足底が相手の腿にヒットし、床に再び膝をつく二川。その痛みに耐えながら床に転がった木刀を拾う為に再度手を伸ばす。それを許さない緑青。音もなく摺り足で体躯を相手に寄せると、伸ばされた左腕を踏み付け、その腕に引っ張られる形で床に引き倒されてしまう。
「二度は無いですよ、二川パイセン」
踏み付けられた左腕の痛みに耐えながら空いた右手を緑青の足に伸ばそうとして、右腕も踏み付けられる。完全にマウント状態に持ち込まれてしまっている。上から二川を見下ろす緑青の瞳には何の感情も宿っていない気がする。歯を食いしばりながら二川先輩が叫ぶ。
「二度?何のことだ?!」
緑青が呆れた様に溜息をつく。
「日嗣姉さんと山小屋で目出帽の男と遭遇した時ですよ。あの時はサバゲー装備に身を包んでいたんで、得物の使い手だとは気付かなかったですが、二度と剣道の使い手である貴方に渡しません」
夏休み、山小屋で緑青と日嗣さんを襲っった覆面の男は二川先輩だった?確かに杉村さんを心配して森に駆けつけた杉村愛好家のメンバーと剣道部の三人の姿はあった。彼はどの段階でその男が二川だと気付いたのだろうか。
「私だって証拠は無いだろう!?」
「無いですね。でもこの状況下に貴方がこうして現れた事が何よりの証拠です」
「これは嵌められたんだ!あの女さえ居なければ!私の高校生活は脅かされなかった!この状況は日嗣尊の手回しによって仕組まれた事なんだよ!あの狂った女は俺をあの北白事件の共犯者の一人と決めつけて!私は被害者なんだ!分かってくれ!君もあの女の所為で死に掛けた仲間だろ?これはあの女に仕組まれた生贄ゲームなんだ!だから私も生き延びる為に君達を殺さなくちゃいけないんだ」
「……」
緑青の顔に初めて憎しみの感情が現れる。
「お前も俺を刺して行方をくらました狂女に辟易して」
緑青の足が持ち上がり、二川先輩の腹部に添えられる。
「や、やめろ!?そこはァツ?!」
二川先輩の苦痛に満ちた叫び声が山小屋に反響する。そこまで強く踏み付けた様には見えなかったのに。
「ここですよね?日嗣姉さんが刺した場所」
緑青は知って居た?失踪した日、日嗣さんが二川亮にした事を。
「グッ、な、何故それを?」
緑青の瞳に一際色濃い復讐の炎が宿った様な気がする。
「日嗣さんは僕に貴方は無関係だと釘を刺す様に何度も繰り返し、留咲アウラさんを通して僕に伝えていました。最期に会ったあの日の夜も何も先輩の事は話しませんでした。憎い相手ではあると言ってましたが」
「失踪する前に君と会っていたのか……待て?なら誰に聞いた?」
踏みつける足にさらに力が加えられ、二川亮が更に叫び声を上げる。
「貴方が数日前に殺す様に仕向けた天野樹理さんの口からです」
「あいつが?何故知っている?」
「あの事件被害者で唯一、当時の状況を正確に把握しているからこそ彼女は共犯者である貴方に辿り着けた。天野樹理さんは北白直哉から逃げる時、共犯者の腹部を刺して逃げた。その時の古い傷跡が貴方にもあったとこっそり教えてくれました」
「あの女!石竹君!君は間違っている。そいつも事件の被害にあって狂った女の一人だ。そんな奴の戯言を信じるのか!冷静に考えてもみろ、相手は九歳で殺傷事件を引き起こした深淵の少女だぞ?そんな異常な奴の戯言を信じるのか?!それに傷跡なんかで……いや……」
二川亮が急に黙り、何かを思い出すように呟く。
「あの女が煙草を吸いながらしてきた大量の質問……その中で私は何かボロを吐いたのかも知れないな……その女は今も生き延びて病院で入院している……やはり、やはり……」
「ここで、お前を殺す」
腹を踏み付ける緑青、その痛みに床で足掻き苦しむ。緑青の初めて感じる殺意に私の身体が硬直し、冷汗を流す。これは、これはダメな展開かも知れない。この状況を日嗣さんが作り出したとしたら二川も被害者。何か意図があるはずだ。殺すだけなら、日嗣さんはあの夜出来たはず。それをせず生かした意味は緑青にトドメを刺させる為じゃない。
「待って!緑青!ダメ!私もそいつは殺したいけど、日嗣さんの意図はきっと別にある。多分、日嗣さんは君がそこまで剣道部部長である二川と戦える事を想定してなかった、だから……」
緑青が二川の腹に体重を乗せていく。その叫び声が部屋中に響きわたる。塞がってるとはいえ、手術を終えて二週間程度ならまだ内臓も傷口も癒えきれてない。その痛みは相当だろう。腹部への刺し傷はそのまま致命傷へと至る。死に値する傷を受けた体、そう簡単に癒えはしない。緑青が涙を流しながら私の方に振り向く。
「ごめんな、深緋……僕はやっぱり……杉村に危険な橋は渡ってほしくないんだ」
「どういうこと?この事態と杉村さんになんの関係が?これは私達の問題でしょ?」
緑青の哀しい微笑みが私に向けられる。
「日嗣姉さんがこの状況を作り出したのは分かってる。文化祭の日、特別な舞台を用意し、日嗣姉さん達があの北白事件の犯人と対峙する状況を作り出してくれると。そしてきっと日嗣姉さんは……僕を守らせる為に杉村を当てがう手筈だ。けど、それを僕は阻止しなくちゃいけない」
「この状況下、プロの暗殺者を迎え撃つ事が出来る杉村さんが怪我を負った二川に負けるなんてありえないわ。心配しなくても……」
緑青が再び二川を睨みつける。
「あいつも……ハニーも日嗣姉さんや天野さんと一緒で、この事件に巻き込まれた被害者なんだよ」
二川が脂汗を掻きながら蒼白な顔で反論する。
「被害者?彼女は直接監禁された訳ではないだ……」
「黙れ!!お前が教室を荒らすように軍部の連中に指示した後、黒板に文字を残したのは分かっている!それは杉村の罪悪感、そして……僕の命も狙われていると警告する為の本人達にしか分からないメッセージだったんだろ?「天使様、何故私を浄化して下さらなかったのですか?」杉村蜂蜜と名乗った彼女の事をあの段階で当時十歳のハニー=レヴィアンと断定し、北白直哉に天使と呼ばれていた杉村に……」
二川の目が困惑の表情を浮かべる。
「天使とは比喩表現では無かったのか……?北白直哉がそう呼んでいた?あの文字は軍部の連中が怪文書を残し、カルト事件と思わせる為にしたラクガキでは……」
その言葉がでまかせで無い事に緑青も気付いたようで、戸惑いが緑青にも伝染する。
「どういう事だ?二川先輩じゃないって事ですか?あの文字は軍部が書いたものじゃないのは間違い無いはず……なら誰が……」
緑青から発せられていた殺意が徐々に薄れていく。その感覚が別の脅威を警戒する為に警戒心へと回されていくように。そこに電話の着信が小屋内に鳴り響く。山の中でも電波は届くらしい。緑青と二川が視線を交わし、着信を知らせるメロディだけが暫く流れ続けている。緑青が逡巡した後、短くそれに「出ろ。但し、ボク達にも聴こえる様にスピーカーモードで話せ」と答えると、踏付けていた腹への踏みつけを解く。
「そうさせて貰うよ……」
空いてる右手でワイシャツの胸ポケットから携帯を取り出して応答する二川。電話口から女性の声が聞こえてくる。
「おっ?やっと繋がったね。副会長の四方田卑弥呼だ。全く今何処にいるんだい?問題発生だよ」
二川が慎重にそれに答える。
「どうした?何かあったのか?」
「どうもこうも……シネマジャックだよ。体育館で小室亜記ちゃんと江ノ木カナちゃんが勝手に何かの映像を体育館で流そうとしてたんだけど……」
二川が目を見開き、慌てた様に彼女に食いつく。
「一体どうなった?!そこ映像は?!」
「何を焦っているのかは知らないけど、何の申請もなく許可もされていない映像を公の場で流す事はいくら美少女達でも見過ごす訳にはいかないよ。直ぐに駆けつけた大勢の教員や、生徒会が総勢で彼女達を止めたよ。いやぁ……君の友達、細馬将君には助けられたよ。私が騒ぎを聞き付けて駆け付けた頃には、小室さんと江ノ木さんが彼に捕まっていてね。いやぁ……手こずったよ。二年D組、あの青いローブを着た星の教会のメンバーや、留咲アウラちゃんも先導するもんだから大騒ぎになって、兎に角大変だった」
「星の教会員が……?そうか、そういう事か!それが真の狙いだったんだな!日嗣尊!クククッ、そうか、それは残念だったな……細馬にはお礼を言わないとな」
「会長?どうした?まぁ、彼のゴリラみたいなパワーも偶には役に立つという事だね」
「それより文化祭はどうなった?」
「フッ、大丈夫だよ。未然にシネマジャックは防げたから中止にはならなかった」
「そうか……一安心だな……」
形勢逆転と言った表情で口元を歪ませる二川。そんな……小室亜記によるシネマジャックが失敗?それは日嗣さんの仕掛けた作戦が失敗に終わった事を示していた。私の口から落胆の声が零れ落ちる。
「そんな……なんの為の……半年間だったの……もう無理、何もかも失敗よ……」
「ん?電話口から聴こえるその声……二年A組の佐藤深緋ちゃんだね?!二川!まさか……深緋ちゃんにまで手を出してるんじゃないだろうね?許さないよ?!見つけ出して私が佐藤さんを奪いにいくぞ?!」
二川の乾いた笑い声が響く。
「アハハッ、大丈夫だよ。ちょっと心理部の喫茶店再開について話し合っていてね。石竹君とも同席してるよ」
二川の声にもう焦りは無かったこの勝負、シネマジャックが失敗した段階で詰んだも同然、私達は失敗したのだ。
「じゃあ切るよ?私は小室さん達に話を聞かないといけないから……なんだか通り魔に襲われた木田さんが関係してるとか言っていたから気になってね……」
「待て、四方田、まさか説得に応じてその映像を流す様な事はしないよな?」
「アハハ、まさか、腐っても生徒会。そんな勝手を許してしまったら今後の文化祭に悪影響を与える。させないよ」
「助かる……」
「ただ……」
「ただ……?どうした?!」
「いや、考え過ぎかも知れないけど、騒ぎを起こした癖に……肝心の映像のデータを彼女達は持ってなかったんだ。念入りに衣服を調べたけど、下着の中にも隠して無かったんだよ……虚偽にしては大掛かりだったから奇妙に思ってね……グフフ。役得だったけどね……」
今度はみるみると二川亮の顔が青冷めていく。
「なん……だと?」




