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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
決着の文化祭
218/319

殺人蜂の心

ハニーちゃん……


 文化祭、三年生合同で設営されたカップル喫茶店。

 その休憩室に案内された先、暗室で覆われた部屋に置かれた白いベッド。

 そこに僕の幼馴染、杉村蜂蜜が横になっているのだが、今の彼女は彼女であって彼女では無い。他の人格に比べ、より攻撃性が高い「殺人蜂」さんだった。それでも主人格である「女王蜂」の影響が大きいのか疲れた表情でこちらを優しげに見つめていた。その眼差しはどこか懐かしい気がした。


「……緑青、うちの子が取り乱してごめんなさいね。昼過ぎから佐藤深緋さんと約束してるのよね?私に構わず行って?少し休めばよくなるはずだから」


 確かに約束の時間まであと一時間を切っているが、それよりも僕は杉村の事が心配だった。


「もう少し時間はあるよ。それより、体調はどうなんだ?」


 そっと枕元に近寄り、上体を起こしていた態勢の杉村の両肩に手を置いてそっと寝かしつける。ベッドの枕に頭を埋め、立ち上がっている僕を上目遣いに見つめてくる杉村。若干顔が赤い気がする。熱もあるのかも知れない。そっと指先で額に触れるとひんやりとした体温が指の甲を伝わってくる。熱は無くて良かった。

「熱は無いみたいだな。意識もハッキリしてるみたいだし、良かった。カップル喫茶の店員さんが倒れた杉村を咄嗟に休憩室に案内してくれたんだ……」

「……緑青……」

「何?」

「ちょっとそこを退いてくれるかしら?」

 杉村が再び上体を起こしながら僕の身体を片手で少し位置をずらすと髪を纏めていた簪を二本引き抜くと、垂れた暗幕に囲われた部屋の壁にそれを一本投擲すると何かが割れた様な音がした。そして辺りを窺ってから天井付近に設置されたボックス目掛けてそれを振り抜くと、それが半壊しながら落下して床に落ちる。

「杉村?」

「ハニーって呼んでと言わなかったかしら?」

「ご、ごめん。えっと、ハニーちゃん、器物破損で訴えられちゃうよ?」

 溜息を吐きながらベッドから降りた杉村が投げた簪を回収する。壊れた器物をこちらに見せながら。

「ならこっちは盗撮で訴えようかしら」

「ん?盗撮?なんでこんな休憩室にそんなものが?」

 髪を纏めるのが面倒になったのか、手にした簪をベッド近くの壁に突き立てると目を瞑る。何かを思い出している様だ。もしかしたら女王蜂の記憶かも知れない。

「三年の教室全てを貸し切って行われるカップル喫茶店。規模の割に限られたテーブルスペース。そして仕切られたいくつかの謎の空間。ウチの女王はこっちを貴方と利用したかったみたいね」

「何言ってるんだ?」

 杉村が自分の制服から女王蜂の記憶を頼りにカップル喫茶のメニューを取り出す。

「メニュー表?」

「正確には裏メニュー表よ。カップルの為のね?」

 改めてその部屋を見渡すと個室と言っていいぐらいの密閉空間であれほど大音量で流れていた店内のBGMもここまでは届いていない様だった。とっさにベッドのあるここに案内して貰った訳だけど。

「えっと、此処ってもしかして……カップルの為の?」

 壁際に置かれた机の上にはそれらに関連するグッズもこっそり仕舞われているようだ。引き出しを上げて取り上げたそれに驚いて僕はそれを床に落としてしまう。

「こ、これって!え!?そんな事が生徒会で通るわけ無いだろ!?」

「それは避妊具の様ね。働き蜂の記憶を探ったら該当したわ。あら?この記憶は?働き蜂は私達を差し置いて貴方とホテルへ行ったのかしら?」

 挙動不振になっている僕はそれを否定しつつ、その記憶の光景は働き蜂さんが暗殺者「レイヴン」として僕を匿われたラブホテルへ捉えにきた時の光景。全くもって誤解なのだが。

「緑青……私とはどこまでしたの?働き蜂の記憶、前は全て覗けたんだけど、女王蜂の影響か一部のプロテクトの硬い記憶領域があってブラックボックス化してるのよ。もしかしたらそこに私と貴方が寝た記憶があるかも知れない。出来損ないの癖に生意気ね」

「ブホッ!いや、寝てないから!正確には同棲してるから別の意味で一緒に寝てる事にはなるんだけど」

「キスはした?」

「ブヘッ!?」

「私はまだ処女よね?確かめた方がいいかしら?」

「グハッ!確かめなくていいから!僕が手を出して記憶は無いからっ!」

 クッ、殺人蜂さんッパネェっス。言葉選びに躊躇が無い。

「指一本、ハニーさんには触れてないです。あっ、指は触れてるか。抱き締められたり抱き締めたりしたし。あと頑張ってデコチューはしたな。うん」

「フへッ?!」

 今度は杉村から変な声が聞こえてくる。攻められるのは弱いらしい。何言ってんだ僕は。

「殺人蜂さん?」

 僕以上に動揺して顔を赤くした杉村が恥ずかしそうにシーツに包まって、蚕の様になっていく。

「バカっ!何恥ずかしい事言ってんのよ!」

「いや、殺人蜂さんの方が……」

「黙りなさい!あとハニーって呼んで!」

「ハイッ!ハニーちゃん」

「違う。ハニーなのっ!日本語分かる?ハニーだけ。ちゃんなんか付けないの!」

 殺人蜂さんは相変わらず強気なレディだ。それにしても施設を出た北白直哉が第五ゲームを行なった時、一緒に山小屋で過ごした殺人蜂さんはもっと落ち着いていた様な気がするが、今は僕以上に動揺している。あっ、そういえば……。

「ハニー、今何歳だっけ?」

 少しの逡巡の後、ゆっくりと年齢を答える杉村。そういえば、殺人蜂さんも主人格の影響で10歳まで退行してしまっていた事を思い出す。

「自覚している年齢は10歳だけど、働き蜂の肉体年齢は17歳って認識できる。そして彼女の記憶領域も98%覗けるわ。女王蜂のは除いてもお花畑だけど。だから精神年齢10歳でも子供の作り方ぐらい分かってるわ」

「……そ、そうですか」

 女王蜂との落差が激しすぎて少し圧倒されてしまう。そう考えると働き蜂さんの方が話し易い。(退行現象を起こして無いので当たり前だが)それにしても、何故働き蜂だけが退行化を免れたのか。その理由について、こうやって殺人蜂さんと話していると僕の中の確信と不安が少しずつ大きくなっていく。彼女は最終的にどうなってしまうのだろうか。そして今、話している彼女はどうなってしまうのだろうか。ベッドで丸くなる杉村が癖のついた髪を解く様に手で梳きながら首を傾げてこちらを見つめてくる。

「どうしたの?抱いてくれるの?身体はほぼ大人みたいだし、生理も来て無いし大丈夫よ?君になら……」

「抱きま……」

「妊娠させられてもいい」

「ファッ!?」

「むしろ、女王蜂は既成事実を作りたがっているわ」

「それ多分、コウノトリさん頼みのやつだから……」

「……私、そんなに魅力無いの?こんな変な髪と眼の色だから?君と国籍が違うから!?」

「違う……」

「何が違うって言うのよ!」

 少しずつ殺人蜂さんが今まで溜めて我慢してきたものを吐露いていく様にその声が荒々しく室内に響き渡る。

「君の髪と瞳の色は6歳の時、紫陽花公園で会った時からすごく綺麗だと思ってた」

「なっ、今更、そんなとって付けた様に……」

「分かるだろ?幼馴染だったら、今のが嘘かどうか。君は僕が耳の聞こえないフリをしている時も僕に敢えて合わせてくれた。僕が日嗣姉さんを好きになったと気付く前に君はとっくに気付いてた。それでも僕を守り続けてくれた」

「……関係無いわよ。貴方が誰のものになろうと私は貴方の……」

「幼馴染……だね」

 顔を赤くさせながら逸らしていた杉村の瞳が驚いた様にこちらの目を覗き込む。

「そうよ!それに私は決めたのよ!あの時……」

「僕の母が父に刺された時、雨の中、血塗れの僕をハニーは抱き締めてくれた。そして君はこう言ったんだ……」

「……ろっくんは何も悪く無い。大丈夫だから、私があなたを守るから……って言ったわ」

 杉村の緑青色の瞳から静かに涙が零れ落ちてシーツを濡らしていく。

「今日までずっと僕を守ってくれて有難う、ハニーにはずっと助けられてばっかりだ。この恩も返しきれそうに無い、だから君にはこれから起きる騒動には巻き込まれてほしく無いんだ」

 杉村の熱が込められた眼差しが僕に向けられる。

「馬鹿じゃないの?!今日でしょ!今日こそ私の力が要るわ!その為に私はここまで強くなったのよ!貴方を二度とあんな目に遭わせない為に!でも、それでも私はその約束すら守れて無いのよ?!北白事件の時もキャンプ場で事も」

「知ってる。お淑やかだった君が杉村誠一さんから本格的に技を学び出したのもその時期からだったね。でも僕は今、こうして生きてる。もう充分だよ。でも君は今日、その場に居てはいけない。日嗣姉さんは天才的な推理力と記憶力を持つけど、君の事を百%知ってる訳じゃない。でも僕は君の脆さも知ってる」

「私が脆い?何言ってるの?一流の暗殺者も退けた私よ?!」

「物理的にはね。けど、君は本当はすごく繊細で傷付き易い。そして誰よりも罪悪感を抱えてしまう女の子なんだ。だから君は壊れた」

「五月蝿い!貴方に私の事が分かるなら私の愛を少しでも返して見せてよ!そんな事も出来ない貴方に私の事なんて」

「分かるよ、ずっと見てたから」

 僕は小さなメモを胸ポケットから取り出して杉村に渡す。それは杉村が転校し、多重人格を患ってからの経過を記したメモだった。最初は心理部の課題としてランカスター先生から出されていたけど、その義務はとっくに無くなっている。それでも僕は彼女を見続けた。

「これは……私の毎日の記録?しかも日付、今日のまであるじゃない!これじゃあまるで……」

「ストーカーだね」

「……」

「流石に気持ち悪かった?」

「馬鹿……貴方だって充分、誰より責任感が強くて馬鹿みたいに傷付き易くて……そして……そして誰よりも……」

 杉村が怒った様に僕の襟首を掴み上げて床に僕を引き倒し、馬乗りになる。

「人の為に血を流せる優しい人……誰より深い愛情を与えてくれる癖にそれを認識出来ずに受け止められない壊れた男の子……」

「ごめんね、こんな僕でごめん。いつも君をそうやって泣かせてしまう」

「馬鹿……これは嬉し泣きよ……」

「杉村?」

「こんな観察日記みたいな真似事、愛情が無きゃ出来ないよ」

 馬乗りになっていた杉村の体が崩れる様に僕の胸に体を預ける。

「緑青、ごめんね?さっき言ったのは嘘。緑青からはいっぱい愛情返して貰えてるの知ってる。君が認識出来ないだけ」

 僕は床に引き倒された状態のまま彼女の髪を撫でる。それを心地好さそうに目を瞑って受け入れる杉村。

「全てに決着が着いたら、僕等も前に進めるのかな?」

「えぇ。きっと。その為に頑張ってきたんだもの私達」

「死ぬかも知れない」

「死ぬ時は一緒よ」

「幼馴染だから?」

「えぇ。幼馴染はね、神のさだめに従って健やかな時も、病む時も、豊かな時も、乏しい時も、愛し、敬い、慰め、助け、その命の限り、固く節操を守ることを誓うのよ 」

「そうだね、誓いま……って、それ結婚の時の夫婦のやつだから!危ねぇ!」

「テヘッ、バレちゃった?」

 僕等は顔を見合わせながら笑い合う。あんな事件が無ければ僕等は少しだけ普通の生活を送って恋人同士になれていたのだろうか。僕は人を愛せる人間のなれていたのだろうか。杉村が今度は小悪魔的に微笑みながら僕に顔を寄せてくる。そのニヤニヤした顔は悪戯っ子の様だ。

「幼馴染の誓いのキスよ、うにゅー」

 そう言って冗談っぽく唇を突き出す杉村。

「あぁ、近いって、杉村、本当にくっつくって!」

「私は別に構わないわよ」

「ダメだって、ハニーのは初めてのキスになるんだから……だから」

 杉村の小さな桃色の唇が近付くにつれて身体中に悪寒が走り、額に脂汗が滲みでてくるのが分かる。チカチカと目の前が白く瞬き、暗転しそうになる。この感覚だ。この感覚があるから僕は杉村を愛せない。多分、愛しているからこそ愛せないんだと思う。

「こんなに可愛い幼馴染の求愛中に、前の女の話しなんてしないで……緑青?」

 僕の変化した容態に気付いた杉村が目を開き、上体を逸らして僕を無言で見下ろしている。

「……ハニー?どうし……た?」

「ごめん、少し手荒な真似するわね」

 杉村が腕を振り下ろし、僕の額と首をガッチリとロックする。その腕力に僕の力ではビクともしなかった。これが本気の杉村の力らしい。どうやっても解けそうに無い。

「日嗣さんからの手紙に書かれていたの。幼馴染の彼女のキスが記憶の鍵を握るって。もし、これで事件の記憶が戻れば……先手を打てるかも知れない」

 そういう杉村の顔は真っ赤で何故か鼻息が荒い。

「いや、それ、ハニーがキスしたいだけじゃ……むぐぐ」

「うん。ごめん、どっちにしろもう我慢出来ない!チュウしちゃう!」

 10歳の精神年齢では本能を抑えきれなかったみたいで、力無い僕の叫び声が塞がれる様に僕の唇は英国美少女の幼馴染に奪われてしまった。チカチカとフラッシュが視界に瞬く中、僕の視界に鮮烈に差し込む朱色の夕陽が視界を覆う。それはあの山小屋での記憶の断片だった。狂気がまるで形を持った様に蠢くその気配を感じながら僕の唇から伝わってくる感触はその光景に似つかわしく無いぐらいに甘く切なく、そして涙の味がした。


……ろっくん……

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