石竹緑青へ宛てた恋文
石竹緑青様、この手紙が貴方に渡された時、貴方が無事でいる事を願ってこれを小室亜記さんにお渡ししました。振り返ってみれば短いもので、7月の中旬、貴方とカウンセリング室で出会ってから4ヶ月経ちました。これを受け取る頃には12月も終わろうという時期でしょうか。
この世に運命というものがあるのだとしたら、私達の出会いはまさに必然だったのかも知れません。私が2回も留年してしまったのもきっとその性です。数奇な運命に導かれて私達は集うたのだと感じております。
(中略)
夏休み、キャンプ場での出来事は忘れません。
貴方が私に前を進む勇気をくれました。
貴方が居なければ私はあの忌まわしき事件現場である山小屋に近づく事さえ出来なかったでしょう。
あの事件以来、総白髪となってしまった私の髪が元の黒髪に戻ったのも貴方のおかげ。そして……この話は信じて貰えないかも知れませんが……あの目出し帽の男に刺されて気を失い、病院で昏睡状態になっている間、八ツ森の白い霧の空間で亡き姉と対話する事が出来ました。スピリチュアル過ぎてシャッフルの尊と呼ばれた私でも俄かに信じる事は出来ませんでしたが、姉が私の背を押してくれた。それだけで私はここまで頑張る事が出来ました。この事件の最初の被害者、天野樹理さんも貴方と彼女の活躍が無ければこの先もずっとあの場所に閉じ込められていたと思います。外に出て来た事による危険性を少し危惧してはいますが。
(中略)
山小屋で私を刺した男の目星はついていました。
私と貴方との接点を完全に断つ事でしばらくはその監視網から逃れる事は出来ましたが、私が動けば必ず貴方の方にも被害が及ぶと思います。けど、私は貴方の幼馴染に賭けようと思います。彼女と貴方が居てくれたからあの事件はあそこで止まりました。しかし、その性で貴方と幼馴染二人の人生に歪みが生じてしまいました。次は貴方達の番です。それに伴う痛みは計り知れないと思いますが、どうか私達を信じてその一歩を踏み出して貰えないでしょうか。その事を切に願います。
そして、死を覚悟した際、貴方と口付けを交わしてしまった事、今でも後悔しています。杉村蜂蜜さんには頭を下げる他ありません。
私の推測では貴方に欠けたものが全て元どおりになった時、悍ましい悪夢が貴方を襲う事でしょう。けど痛みだけではありません、その欠片と共に一番大切なものを再び得るはずなのです。けどそれは私の推測の域であり、その結果がどういう結末を呼び寄せるか検討もつきません。それが正しい事なのかも分からず、最悪の場合、貴方を死に追いやるかも知れない事が恐ろしくあります。最愛の人を失う恐怖、それはずっと杉村蜂蜜さんが抱えてきたものです。
今、彼女の中では耐え難い罪悪感と貴方を守らなければならない脅迫観念の中にあり、それが私達を殺そうとした男の策略により精神が現実を直視する事を否定し、一時的に退行現象を起こしているのだと考えられます。そちらの方は私達に任せて下さい。
貴方はただひたすら、あの忌むべき生贄ゲーム事件を始めた少年達への注力に努めて貰える事を願います。
(中略)
そして必ず最後に、行われなかったもう一つの幻の第零ゲーム。
その被験者の少年達、その片割れも姿を現す事と思います。
一人は生徒会長の二川亮。
そしてもう一人はその時にならないと私も分かりません。ただ、その人間は真相を知る関係者を野放しにはしないでしょう。
(中略……)
(2/3)
長いですよ、日嗣姉さん。半分ぐらいほぼ恋文だったし。12月24日、12時過ぎ。僕は幼馴染の杉村蜂蜜と向かい合ってテーブル席に付いている。ここは八ツ森高校文化祭で三年のクラスが合同で設営したカップル喫茶店だ。その名の示す通り、カップル限定でしか入室してサービスを受けられない。僕らの机にも大きなグラスに注がれたオレンジジュースに二本のハート形のストローが挿げられている。
僕は三枚にも及ぶ日嗣姉さんからの手紙を読んで大きな溜息を吐く。対する杉村はニコニコと僕らがカップルとしてここに入れた事を終始喜んでいた。それと言うのも僕的にはこの文化祭は杉村蜂蜜抜きで迎えたかった。日嗣姉さんが二川亮と刺し合った日、文化祭の日に真犯人達と僕等が対峙する舞台が用意されていると。そしてその場に杉村蜂蜜も同席する事が望ましいと。けど、僕はこう考えている。日嗣姉さんは杉村蜂蜜の事を過剰に信用し過ぎている。
「ろっくん!ラブラブでかオムライス一緒に食べようよ!」
僕は頷いて店員さんを呼ぶとそれを注文する。杉村がそわそわした様にオレンジジュースに差されたストローを咥えるか咥えまいかを躊躇してこちらの様子を伺っている。手紙にもう一度目を通している間、待っててくれたらしい。
「……じーっ……」
「えっと、一緒に飲むって事?」
「うん!だって私達はカップルでしょ?」
「まぁ……ここに入った以上は……そうなるか」
「飲もう、飲もう」
僕にしてやれる事は全部してやりたいと思う。ずっと彼女は僕の為に、僕が殺されない為だけに生きて来たと言っても過言では無い。二人とも頬を赤く染めながら一つのグラスで中身を飲み干す。カラリと溶けた氷が音を立てたタイミングで大きなオムライスが運ばれ、それを杉村に食べさせてやる。今の杉村蜂蜜は自称8歳のロリ村で、何だか娘が出来た気分にさせられる。本人に言ったら絶対機嫌を悪くするだろうけど。今の杉村蜂蜜は普通では無い。元々普通では無かったが、アニメ研究部の木田沙彩が通り魔に襲われ、二年A組の窓ガラスを割った軍事研究部の部員が次々と失踪、又は殺害されていく中、その自責の念が本人のキャパシティを超え、まず始めに「働き蜂」の存在を自分の認識から外し、その次に自分が軍部の連中を追い詰め死に至らせたという記憶が、一番幸せだった時代にまで退行する現象を起こさせた。そのタイミングは絶妙で、僕が父から北白事件の4件目に巻き込まれた事実を聞き出し、精神的にやられている状態だった。もし、退行する杉村蜂蜜を放っては置けない状況で無ければ僕の方がおかしくなっていたのかも知れない。結果的に、ロリ村さんに助けられた事になる。僕は振り返る。彼女には助けられてばかりで僕は何一つその恩を返せてはいないと。あまつさえ、僕は愛情を認識出来ない癖に、日嗣姉さんに恋をしてしまっていた。恋と愛に違いがあるのだとすれば、それは自己中心的か他者奉仕的であるか。僕は杉村の気持ちを分かっていながら日嗣姉さんに恋をしたのだ。それは赦されてはいけない。例えその人が亡き者となってしまったとしても。
杉村が全てを犠牲に、自分すら犠牲に尽くしてくれた事に僕は報わなければならない。脳裏に血塗れになりながらも僕に口付けし、悲しそうに笑う日嗣姉さんの最後の微笑みが浮かぶ。自然と全身に力が入り、巡る血が沸き立つ感覚に襲われる。僕は許さない。姉さんを死に追いやった二川亮ともう一人の元凶を。
「ろっくん……ごめんね?いいよ?無理しなくて。私はこれで満足だから……」
「杉村……お前……」
夏休み、キャンプ場で杉村の額に口付けした時の事を思い出す。私はこれで充分だと。杉村は知っている。僕が日嗣姉さんに恋をしていた事も。僕だけがそれに気付くのが遅すぎた。死ぬ直前なんて、本当に自分の愚鈍さが嫌になる。杉村の思い、それを無償の愛だというのだろうか。
「たはは。そろそろ行こうか。佐藤ちゃんや青ちゃんも待ってるかも知れないし。ちょっとだけだったけど、ろっくんと二人で回った文化祭、私の宝物だよ?殆どのお店の備品とか設備、私が破壊しちゃったけど。それでも、楽しかった。私ね、今日が過ぎたら英国に帰るからね?」
「杉村?何を言って……」
「私ね、着替える時に日嗣さんから私に宛てられた手紙読んだんだ。私が必要なのは今日まで。その今日が過ぎれば私の役目は終わる。だからね……だから……」
杉村が席から立ち上がり、目に涙を溜めながら、それでも微笑みは崩さない様に必死に口を結んでいる。
「待て、それ以上言うな」
「ダメ、言うよ?子供の私でも分かるもん。どうすればろっくんが幸せになれるかぐらい分かるもん。ろっくんは明日……晴れて私から解放されるの。だからもう私の事は構わず、迎えに行ってあげて?きっと日嗣さんはずっと貴方の事を待ってるし、この先、彼女はろっくんしかきっと好きになれない」
僕と同じ名前の色の宝石の様な瞳から大粒の涙が次々と零れ落ち、それを誤魔化す様に退室しようとする杉村。その震える手を背後から掴み、引き留める。
「ヤメて!離して!ろっくん痛いよっ!」
杉村の抵抗する力に全力で抗いながら杉村に確認をとる。
「お前は!ハニーちゃんは英国に帰ってどうする気だよ!」
「ハニーはね、ママが決めたお金持ちの男の子と結婚してきっと今より幸せになるもん。だから平気だよ?苦しくなんか無いもん」
違う。杉村こそ誰とも結ばれない覚悟で僕の前から姿を消そうとしている。
「この……バカやろう……」
その静かな覚悟と信念が精神年齢8歳の女の子をそう決断させたと思うとやるせなさが込み上げてくる。僕はしっかりとその身体に手を伸ばして強く抱き締める。
「ろっくん、ハニーバカじゃ無いもん、バカじゃ無いから分かるんだもん、私が居るとろっくんどんどん不幸になって、大切な人も死んじゃって、そして……そして?事件に巻き込まれ……た?」
急に杉村の瞳から生気が消え失せ、身体がガクガクと震え始める。辺りに響く杉村の怖がる叫び声。
「嫌っ!嫌っ!ろっくんを返して!殺さないで!誰か!誰か助け……て……?」
突然、杉村の体から力が抜け、慌ててそれを支える。項垂れた身体を起こそうとしてお互いの視線が交差する。気を失っては無かった?いや、彼女は……働き蜂さん?僕に身体を預けたままその緑青色の瞳から優しい眼差しが感じられる。
そこに慌ててフロアーの人間が駆けつけて休憩室に僕等を案内してくれる。意識がハッキリしないのか杉村の虚ろな瞳が暗幕に覆われた部屋に設置された白いベッドの上でこちらを見つめている。
「大丈夫?ハニーちゃん、いや……働き蜂さん?」
やや疲れた表情をしている杉村が少し呆れた様に微笑みながら上体を起こす。
「そんな出来損ないと一緒にしないでくれるかしら?私は殺人蜂よ」
休憩室で僕はもう一人の杉村、殺人蜂さんと向かい合っている。彼女もまた杉村の一部である事には変わりない。けど、もし、彼女の解離性多重人格障害の症状が治った時、彼女達は一体どうなってしまうのだろうか。消えて存在が無くなってしまうのか、それとも全て一つとなって融合してしまうのだろうか。




