アオミドロと働き蜂
暗殺者死神ネ。
……一言言いたい。
なんなんだ?こいつらは。
「働き蜂、動けそう?」
僕がそう尋ねると働き蜂さんは自分の体を見下ろす。
「骨は折れてはなさそうだ。猫女にやられた斬り傷と糸目男に受けたダメージが地味に響いて痛む。それに……少しあいつらを見張っていてくれ」
働き蜂さんが腰に回したベルトを外して武具が収納された小さな背嚢を床に下ろすと、血を吸ってすっかり重くなった黒コートを脱ぎ捨てる。そのコートが床に崩れ落ちると共にガチャリと幾つもの金属音が音を立てて転がる。
「これで少しは動きやすくなる」
コートを脱いだ働き蜂さんの衣装は軽装で、肩が開いた黒のラバースーツに胸の真ん中に大きな穴が開き、そこから白い胸元が覗いて何だか色っぽい。その下に白いフリルのついたミニスカートを履き、腿から下を胴着と同じ素材と色のラバーブーツを身につけている。下ろした鞄から両側に珠のついた黒い紐を取り出すと、解かれていた髪を両サイドに分けてツインテールに纏める。ここ数ヶ月ですっかりと髪も伸びていたようだ。髪の色はどうしていたんだろ?
「ん?どうした?アオミドロよ。敵への警戒はどうした?」
「いや、髪伸びたなぁって。前髪も切り揃えられて新鮮だというか。髪色はどうしてたんだ?」
フンッと鼻を鳴らしながらそっぽを向かれてしまう。
「君は髪の長い女性が好きそうだったからな。女王蜂は伸ばしていたそうだ。残念な事に少し癖がある事を嘆いているよ」
「い、いつそんな事言ったけ?」
身支度を整えながらその場に転がっているクナイを糸目男と猫女に投げつけ、警戒を怠らない。
「あの留年占い女といい閉鎖病棟の深淵娘といい、貴様は髪の長い女ばかりを好きになる」
「そ、そんな事ないよ」
「フンッ、勝手に言ってろ。内心女王蜂の嫉妬は凄まじく、お互いの人格にプロテクトがかかっているにも関わらず腹立たしい思いをしたものだ。髪は女王蜂の体故に勝手に染める訳にはいかぬ。洗えばすぐに落ちる染料を使わせて貰っていた。君が暗殺者に狙われている関係で染める時間は無かったが、恐らく染めていたら君はその猫女と糸目男に殺されていたよ」
「あ、ありがとう。その衣装は自分で?すごく可愛いというかなんというか」
「か、可愛いのか?分からない。脳内検索をかけたらこんなイメージしか出てこなかっただけだ。どちらかと言うと女王蜂の趣味らしいな」
「ハハッ、あいつらしい」
「フフッ。胸元が恥ずかしいのであまりコートを脱ぎたくは無いのだが非常事態だ」
「目のやりばに困ります」
「ど、どこを見ているのだ!」
部屋の中央で話し合う僕らに対して、鈍猫は出入り口の確保の為か、すぐそばで待機している。死神と呼ばれている暗殺者のお兄さんは呆れたように立ち尽くしている。
「死神の旦那!隙だらけにゃ、今のうちに」
「いや、そうやってさっき鈍猫はあの少年にやられたネ。これも作戦かも知れない。例え実力差がある相手でも警戒だけは怠らない。それにどういう訳か烏が元気を取り戻したみたいネ。腕は動きそうか?」
「少しぐらいは。手裏剣はもう投げられないにゃ。うぐぐ……早く始末して猫達の下に帰りたいにゃ」
「暗殺者には忍耐も大事ネ。今は我慢」
良かった。さっきの不意打ちが効いたのか向こうも警戒してくれている。今来られたらちょっと対応出来ない。
「アオミドロ、背中を守ってくれるのは嬉しいが、私が隙を作るからここは逃げろ」
「嫌です」
「奴もまた本気では無い。警戒してくれている分、こちらが生きながらえているだけだ」
「幼馴染を置いていけない」
「行け、それが女王蜂の意志と覚悟だ。暗殺者の道を選んだ瞬間から君と同じ道は歩めないと覚悟はしていた。君は普通の生活に戻れ」
退行した杉村と別れたあの夜から、恐らく僕の幼馴染は僕に送られてくるであろう暗殺者を妨害する為に姿を消した。その結果、僕はこうして生きている。それに働き蜂さんが杉村退行の原因を知っているはずだ。それを聞いておかなければいけない。
「あと確かめておきたい事がある」
「ロクショウ、何か武器は居るか?」
「いえ、武器の両手持ちは咄嗟に対応出来なくなるので、右腕に構えたハニーの隠しナイフだけで大丈夫だよ」
下ろした鞄から黒い刃のナイフを二本両腕に構える働き蜂。
「そうか。で、聞きたい事とはなんだ?」
「君が、もとい女王蜂が働き蜂の存在を無いものとした原因に心当たりはある?」
働き蜂が困ったように難しい表情を作る。
「私も詳しくは分からないが……私の持つ記憶を認めたく無いのだろう」
「記憶?」
「女王蜂のもう一つの人格が、表層に現れ始めたのは丁度夏休みに新田透という少年を尋問してからだ」
「軍事研究部最初の被害者、新田君。彼の事を君が殺したの?」
「いや、私の記憶には無い。あるのは2人目以降の記憶だ。二年A組襲撃事件時に残されたメッセージは君の安否に関わる脅迫性が込められていた。だから私は女王蜂からの干渉を遮断した上で聞き込みを開始したのだが・・・・・・」
「弾みで殺してしまった?」
「いや、私の不手際で連中に反撃を喰らい、気を失う事があった。目を覚ますと大抵の場合、血まみれになった彼らの姿が血溜まりの上に転がっていた。実行したのは下手をするとあの獰猛な殺人蜂なのかも知れないが」
もし殺人蜂が殺していたとしたら……いや、確かに獰猛な面を彼女は持っているが自ら殺しを犯す様な面は無かったはずだ。気になるのは働き蜂さんの記憶にかけられたプロテクトを主人格である女王蜂が見れなかったという点が気になる。殺人蜂さんは働き蜂さんの事は把握していたし。
「軍部全員ですか?」
いまや僕を除く軍事研究部員の消息が不明になっている。
「いや、話を聞こうとしていつの間にか姿を消していたケースもある。それと何人かはあのソーセージと協力して捕縛したはずだ」
「ソーセージ?若草と?」
「あぁ。奴と軍部の連中に繋がりがあったようなのでそこを利用させて貰った。とはいえ、最初からソーセージは彼らを騙すつもりだったみたいだがな」
どういう事だ?僕が北白直哉の共犯者の監視の目を警戒して動けなかった時期に若草が動いていたのか?その件に日嗣姉さんが関わっていたとも思えない。独自で動いていたのか、それとも、動かざるを得ない状況に追い込まれていたのか。
「八ツ森市連続少女殺害事件、北白直哉の共犯者の2人の目星は立ちましたか?」
働き蜂さんが少し照れくさそうに答える。
「惜しいところまではきているはずなのだが、女王蜂の混乱が激しく、結局分からず終いだよ。私は私の覗ける領域内でしか推測を立てられないからな。アホな訳では無いぞ?多分」
「ハハッ、ですよね」
「ん?それより、貴様はいつ北白直哉の共犯者が少年でしかも二人居ると気付いたのだ?」
僕は秋頃に訪れた閉鎖病棟に閉じこめられた天野樹理さんの姿と、月夜の晩、僕に背負われる日嗣尊さんの重みを思い出す。
「僕と同じ被害者の女の子達に教えて貰ったんです」
しばらく考えを巡らせた後、ピンときたのか軽く頷く。その視線は已然として距離をとる暗殺者二人に向けられたままだ。
「そうか」
「あっ、働き蜂……僕に出された暗殺依頼はそのうち消える?」
それに代わりに答える暗殺者死神。
「12月23日、明日までだ。その日を過ぎれば君への暗殺依頼は消え、報酬額の一千万も無しになる」
僕は暗殺者死神と向かい合う。
「明日を乗り切れば僕らは助かるんですね」
糸目の暗殺者死神が細い目を開いて鋭い眼差しをこちらに向ける。
「君に明日は来ないよ。烏もここで始末する。出来なければ組織に報告して掃除対象になる。それだけだ」
右手に構えたナイフの切っ先を下に向けて敵意の無いアピールをする。
「見逃して貰えませんか?」
「無理ネ。君が私を殺せば別だが」
「ですよね……。こっちとしては二人とも見逃して貰えれば命を奪うような真似はしません」
「随分と大口を叩く奴だな」
目の端で死神の姿が揺らぎ、こちらに素早く間合いを詰め、鋭い突きが僕の喉元を狙う。寸前で上半身を逸らせ避けるが、多角的な打撃により、手にしていたナイフを落としてしまう。すぐさま手を切り返して顔の前で構え、防御態勢を取る。
「ほうっ……。ワタシの攻撃を受けるとはネ。武術の経験者ネ?」
「特に無いです。あると言えば幼少期に杉村おじさんとこの女の子と一緒に遊んでたぐらいです」
「こちらの動きを見切っているネ?」
「いや、見切れてはいません。ただ見て予測しているだけです」
「……予測?それならこれはどうネ?」
死神の打撃を手元の動きにより予測するが、こちらの回避運動を越えてその一撃が僕のこめかみに炸裂する。
「グッ、一撃が重い。掠っただけなのに」
「これでも狙った所には当たらないか」
横で身支度を整えていた働き蜂さんが素早く机の上にあったお手製のカレー鍋を蹴り飛ばしてそれをぶちまける。それを難なく避けた死神が僕との距離を開ける。
「やめろ、1人で戦おうとするな」
体勢を立て直した死神の構えは功夫の様で突きだした拳がピタリと動かない。外観から見て恐らく無手の状態。黒いタンクトップに砂漠迷彩柄のニッカポッカに皮のゲードルを巻いている。こちらがボロボロなのに対して死神はほぼ無傷だ。いや、本当にそうか?
「働き蜂さん、暗殺者死神の情報を教えてほしい」
「ん?何を今更。肩に髑髏と毒という漢字の入墨をしている男で、依頼はほぼ100%こなす。そして現場には全く痕跡を残さない事で噂だけが先行し、死神という二つ名がいつの間に付いていた。本人は自分の事をシュー=ガイツァーと名乗っていたが本名かどうかは疑わしい。毒使いのエキスパートだ」
その間にも繰り出される相手の拳を必死に捌きながら、時々一撃を貰い、軽くよろめく。
「し、使用武器は?」
「旧式のリボルバーに、大型の鉈。毒の塗られたククリナイフ。それぐらいだな」
「なんで今は使って無いんですか?」
「それもそうだな。って、本人に聞け」
死神の背中に切りかかる働き蜂さんの気配を察して距離を取る死神。決して対象者1人の懐に入り込みすぎない戦い方は一対多の戦いに慣れていそうだ。
「答えてくれると思いますか?」
死神が近くにあった机を蹴り飛ばして粉砕すると、その足をへし折り、武器として構える。
「他の武器は、君の警護人達にまんまと絡み取られたよ。1人銀髪の魔女の様な女も姿を現すしネ」
答えてくれた。そっか。サリアさん達が武器を奪い取ってくれたおかげでこうして対等に戦えているのか。感謝しなければならない。銀髪の魔女は誰かは分からないけど。気の性か死神の右腕の動きも左手の動きに比べて鈍い気もする。背後で鈍猫が怒りを込めて声を荒げる。
「私達暗殺者は体が資本にゃ!武器などなくともお前等なんかけちょんけちょんにゃ!」
確かに目の前に迫る死神の武力ならそれも可能だと思える。
「そっちは本来の力を出し切っていないように思います」
「だから何ネ?」
死神が机からもぎ取った長い脚の先端を床にコンコンと叩きつけて強度を確かめている。あの重い一撃にリーチが加わったら厄介だ。ただ、棒相手の戦いなら教室で何度も見てきた。そして防衛を主に置いた働き蜂さんの状態では自身の体、つまり攻撃と同時に女王蜂の体を守る意識が強いばかりに反応に遅れが生じる。だとしたら……。破壊された机の近くに僕が用意していた包みを拾いあげる。
「その包みがどうした?」
「幼馴染へのプレゼントです。鈍猫さん、横島屋への道、教えてくれてありがとうございます」
鈍猫が律儀に会釈してくれる。この暗殺者達はどうも憎めない。
「どういたしましてにゃ」
「働き蜂、君に掛かっているブレーキを解き放ってくれないかな?」
「ブレーキ?しかし、奴らは退行していて冷静な判断がつかないはずだ。無茶して相手に殺されれば元も子も無い。そういう隙を突いてくるのが暗殺者だ」
僕は包みから出したそれを高く放り上げる。
「大丈夫だよ。僕の幼馴染は、なんてったって最強だからね」
僕の放り投げた黄色いレインコートが宙に舞い、広がる。
その鮮烈な色が僕らの目を釘付けにする。
「ハニー!17歳誕生日、おめでとうっ!!」
12月22日。
そう、今日この日が僕の幼馴染の誕生日だった。
働き蜂さんが小さく囁く。
「フッ、そんな事言われて……女王蜂が黙っていられる訳が無いだろ?もはや私ですらブレーキは掛けられないよ。女王蜂よ、痛覚は引き受ける。だから、私の大切な幼馴染の命、預けたぞ?」
働き蜂が優しく目を閉じると気を失った様に全身の力が抜けて両腕に構えた黒刃のナイフを床に落とす。その隙を突いて動こうとした死神の行動を読んで僕がその邪魔する。大丈夫、君には僕が着いているから。君が僕に着いてくれていた様に。
とんだ誕生日だな、アオミドロよ。
(働き蜂)
あとは生まれた日に死なない事よう頑張りましょう。
(アオミドロ)
笑えない冗談だ。
(働き蜂)




