招かれざる客人
石竹緑青と暗殺者「烏」が遭遇する少し前。
狭い部屋に窮屈そうに置かれた机の上に、黒い特殊部隊の兵装に身を包んだゼノヴィアの紅茶が静かに湯気を立てている。
「場所がこんな所で無ければゼノヴィアが淹れたお茶をもっと楽しめたのにな」
話しかけた紅髪の心理士が黒い拳銃の整備をしながらこちらに眼を向ける。
「そうね。しかもここに殺し屋がやってくる状況は最悪ね」
「全くだ。ハミルトン、そちらはどうだ?」
胸に掛けている小型無線越しに、ホテル屋上で待機している部下に様子を伺う。
「こちらハミルトン。特に異常はありません」
「そうか。定時連絡忘れるなよ」
「もちろんです。隊長はお茶でも飲んでいて下さい」
「あぁ。既にそうさせて貰っている。後で私と交代してやる」
「いいですよ。こんな汚れ役、俺が引き受けます。人間の殺しは元々俺達の専門ですしね」
「そうか。すまない」
無線を切ると銃の整備を終えたゼノヴィアが笑みを浮かべながら水色の瞳でこちらの様子を伺ってくる。
「サリア、無理しないで?相手が現れても私とハミルトンで対応するわ。あなたは石竹君の護衛、もしくは逃走経路の確保だけを考えていて」
私は愛用している銀色のリボルバー「ライノ」を強く握りしめる。
「すまないな。私の力量不足で。特殊部隊の名が聞いて呆れる」
ゼノヴィアが愛用している小型のダガー、スティレットの刃の状態を確かめた後、ホルダーにそれを収納する。
「サリア、貴方も私達の護衛対象になっているの。だから気にしないで?一流の暗殺者に対抗出来るのは正規軍隊に所属していた者ぐらいよ。それにあなたの本来の仕事は人殺しでは無いはず。気にしないで」
「恩にきる」
八ツ森市にのみ存在する特殊部隊「Nephilim」。その目的はこの世界の秩序を守るために創られた組織だ。殺し専門の任務などはなから想定されていない。
私達は主に通常の刑事事件の範疇を超えた案件に関して独自の権限により介入する権利を国家から得ている。大々的に表舞台に立つことは無いが科学的に立証の難しい不可解な事件の解決を専門に任されている。
この世には現代科学で説明しきれない事はまだまだ存在する。
そういった事件以外ではその機動力の高さと法に縛られない特殊権限を行使し、一般市民を軍事力を持って積極的に支援する事を任された自由組織でもある。
今回の案件を担当した経緯は些か個人的なものを占める割合が多いが。
義妹からの電話で、石竹緑青の護衛を直接頼まれた。本来なら知人の護衛など許可される訳は無いが、彼と義妹はあの不可解な事件の被害者であり、裏世界で彼に賭けられた暗殺の報奨金は一千万を超えていた。これは明らかに異常事態である。
そして留置所に拘束されていた義妹の父、杉村誠一が留置されていた刑務所が爆破される。
テロとの関係は薄いだろうが、タイミング的に組織ぐるみの犯行でる可能性が高い。裏世界で暗躍する者達に睨みを聞かせていた傭兵王杉村誠一不在を狙って八ツ森に犯罪の手が伸びるのも時間の問題だ。
もしかしたら、私達は少年を守る為に死ぬかも知れない。
だがそれでも構わないと考えている。
彼は八ツ森の希望でもある。
この身が滅びようとも彼さえ生きていてくれれば。何より石竹緑青が死ねば私の義妹も恐らく悲惨な結末を迎えかねない。義姉として私が彼女にしてやれる事はこれぐらいしかない。
私は白銀の特殊素材のプロテクターで身を包み、腰には最も扱い慣れているグロック17を二丁ぶら下げている。手にしているライノのリボルバーはメインをはるには少し力不足だが、サブウェポンとしては十分過ぎる。元々は銀色のマグナムリボルバーを愛用していたが、相手が一流の暗殺者ともなると反動の大きい強力過ぎる銃は隙を生み、あっという間に相手に倒されてしまうだろう。自然と手が震えてくる。これは死への恐怖では無い。
「ゼノヴィア。もし、私が倒されてあの少年を暗殺者に殺されてしまった場合、義妹はどうなる?」
しばらく間の後、紅髪の女が心理士として口を開く。
「彼女の生存、存在理由は石竹君そのものよ。彼が死んでしまった場合、恐らく彼女は自死を選ぶか、もしくは」
「復讐の鬼と化し、それら暗殺に関わった者全てを討ち滅ぼそうとする。一人で犯罪組織に戦いを挑んだ場合の結末は大抵決まっている」
「殺戮を繰り返すうち、心と体が疲弊し、いずれ命を落とす。体は無事でも最愛の者を失った者の心は二度と癒える事は無い。例え復讐が成功したとしても最後にはその空虚感に耐えられずに死を選ぶ」
私は近くに置いていた小型の銀色のダガーをタクティカルベストに収納すると立ち上がる。
「少年を殺させない。そして、義妹の人生も潰させない」
「そうね。守りましょう。彼らの人生を」
そこに無線でハミルトンから連絡が入る。
「今、ホテルの中に配管業者の車が入ってきました。フロントに訪ねたら、どうやら配管の修理が行われるみたいですね」
特殊部隊の持つ警察権限により変わった出来事があれば逐一フロントから連絡が入ってくるように事前説明している。
その連絡が無かったという事は、既に暗殺者が内部にもぐり込み、ホテル関係者を脅しているかなりすましている可能性が高い。
相手の暗殺者は情報によると2~3人。
こちらの兵力も私を含めて、ゼノヴィアとハミルトンの3人。
なんとか対応出来る人数のはずだ。
義妹の情報では明日の12月22日に襲撃が行われるとの事だが、その義妹自身も偽の情報を掴まされている可能性も拭い切れない。
「ゼノヴィア、いつでも出られる様にしておいてくれ。少年の護衛につく」
「分かったわ。私とハミルトンが先行するからサリアは少年の避難経路確保を。聞こえてる?元米軍のハミルトンさん、殺しの時間よ?」
「(あぁ。聞こえている。そちらの階に非常階段から降りている。バックアップは任せろ、紅い悪魔のお嬢さん)」
「よく言うわね、散々裏で要人暗殺を政府の命令で行ってきたくせに。暗殺者には暗殺者、活躍期待しているわよ」
「(それはあまり口に出さないでくれ。君も殺さないといけなくなる)」
「やれればね?」
私は二人のやりとりに何かおぞましいものを感じながら素早く、石竹緑青が一人で籠もっている隣室の壁を叩く。
「少年、今からそちらに向かう。鍵を開けてくれ」
近くで黒い拳銃「FNファイブ・セブンN」小口径高速弾を打ち出す大型ピストルに弾を装填するゼノヴィアが私に注意する。
「このホテル、声が漏れない様に防音完璧なはずよ」
私が困った顔していると、手元で構えていた銀色のリボルバーを指さす。扉を壊す強引なやり方しか残されていないようだ。
私が銃を構えながら、扉のノブに手を掛けた瞬間、けたたましい警報のベルがホテル内に鳴り響き、数秒後、建物内にスピーカー越しに館内放送が流れてくる。
「ご宿泊のお客様にお伝えします。只今、当ホテル五階505号室で火災が発生し、館内に燃え広がっております。直ちにこのホテルからの避難をお願い致します。繰り返します、ご宿泊の……」
505号室。
その部屋番号はまさに隣り。
石竹緑青が泊まっている部屋だ。
火の手など無い。
これは暗殺者から私達への挑発のメッセージだ。
お前等の居場所は分かっているぞという。
館内放送に女性の声が混じり込む。
「ひぇっ!助けて!撃たにゃいで下さ!」
その言葉の途中で銃声に似た破裂音が何度も鳴り響き、反射的に体が硬直する。
「えーっとコホン。聞こえますか?こちらホテル襲撃犯の一人です。火事で焼け死ぬか、ワタシに撃ち殺されるか。選ぶのは貴方達次第ネ?」
フロントに暗殺者が居ると言うことはまだこの五階まで上がってくるのには時間はある。私は急いで扉を開けると5階の全部屋の扉が開け放たれ、全裸の男女が貴重品だけを持って慌てて逃げまどっている。下の階へは小さなエレベーターと外へ繋がる非常階段のみ。狭い通路に一気に人が押し寄せ、通路が断たれる。
この騒ぎに紛れて対象を消すつもりか?
非常扉が開かれ、外の光と共に白色の特殊装備に身を包んだハミルトンが姿を現す。
「隊長!今の放送は?!」
「恐らく、暗殺者達の仕業だ!気を付けろ!仕掛けてくるぞ!!」
ハミルトンが素早く非常扉を閉じて鍵を閉めると、こちらに駆け寄ってくる。私の背後を守る様に黒い特殊装備に身を包んだゼノヴィアが背中を合わせる。
「ハミルトンは非常階段を警戒して。私はエレベーターへの通路を警戒する。サリアは早く石竹君の部屋へ!」
私は通路を二人に任せると、505号室のドアノブを打ち抜き、中に突入する。刹那、窓側から鋭い刃物が私の顔めがけて飛びかかる。
慌てて足を滑らせる様に頭を下げると、それらは次々と扉に突き刺さっていく。
その部屋に少年の代わりに立っていたのは灰色の衣を纏い、猫耳が飛び出したマスクを被った暗殺者「鈍猫」姿だった。
二人の声が奇妙に重なる。
「「少年を何処にやった(にゃ!!)」」
窓ガラスは割られ、外の光を遮断していた戸が開け放たれていた。あの館内放送の後か、その直後、窓側から進入されたらしい。
しかし、少年の姿はどこにも無い。
銀色のリボルバーを風変わりな灰色のてるてる坊主の様な暗殺者に向ける。
「もう一度聞く、少年をどうした?」
しばらく間の後、その隠れた口元がモゴモゴと動く。
「お前らこそ、少年をどこにやったにゃ?!」
私に向けられた銃を警戒しながら距離をとる鈍猫。
この騒ぎに乗じて少年が自ら逃げ出してくれているのだとしたらまだ希望は持てる。ここでこいつは殺す。絶対に追わせない!
引き金を引くと同時に、鈍猫がベッドの奥に体を滑り込ませるとベッドを持ち上げて壁を作る。私は銃弾をベッドにめり込ませながら近づいていく。銃が放たれる度に閃光が繰り返し部屋を包み、弾切れと共に素早くリロードし、相手に隙を与えない。瓦解し、形を崩していくベッドを蹴り倒すとそこに相手の姿は無かった。元来た窓から姿を消したらしい。
素早く窓から顔を出した瞬間、数部屋先で外壁を伝う鈍猫を発見し、そいつに向かって更に追撃をかける。こちらに気付いた暗殺者が慌てて近くの部屋に潜り込んでいくのが見える。館内を自由に動かれては鋏撃ちにされる可能性が高い。こちらはそれなりの装備を調えている為、部屋から部屋を飛び移る芸当は出来ない。
背後で銃声が鳴り響く。
「サリア!本命のお出ましよ!配管業者の格好してるけど、両肩の刺青から暗殺者「死神」だと判断。会敵、応戦するわよ」
ゼノヴィアとハミルトンが発砲しながらこの部屋の扉前で待機している。このフロアーに圧し掛かる得体の知れない威圧感。あまりにも冷たすぎるその殺気は静かに私達の身を凍えさせるには十分だ。
姿を見なくても分かる。
これは死が纏う冥府の冷気だ。
私は思い出した様に少年に持たせてある携帯に連絡を入れるが誰かと通話中の様で電話に出る気配が無い。自分自身を振るい立たせる様に頬を平手で打ち付けると、敢えて無線越しに二人に呼びかける。
「部屋に少年は不在。生存している可能性は高い。だが、ここで奴らを始末し、少年の安全を確保する。心してかかれ。背後は気にするな。思いっきり暴れろ。ハミルトン、ゼノヴィア。あとの責任は私が取る」
「(Yes.Sir)」
「(あら、いいのね?本気でいくわよ?)」
「そして、もう一人仲間が逃げた。不意打ちには十分気を付けられたし」
短い返事の後、ゼノヴィアがハミルトンに援護を促す。
私は別動で少年を捜しつつ、もう一人の暗殺者の所在を追う事にする。
痛感を遮断していて分からなかったが、棒状の手裏剣が私の左太股に突き刺さっていた。もう一人もただ者では無いということか。防護プロテクターの隙間をきっちり狙ってくるあたりが小憎たらしい。
火力が違いすぎるにゃ!勝てる訳無いにゃ!!(鈍猫)
潜入陽動は朝飯前ネ。さぁ、天使と悪魔、米軍の暗殺者のお手並み拝見ネ(死神)




