軍部の残光
窓際のゴリラ先輩(細馬将)曰く「死の女神イシュタム」こと天野樹理さんが入院している病院を後にした俺達は個々の家へと帰路につく。イシュタム(Ixtab)というのはマヤ神話において自殺を司る女神で死者の魂を楽園に導く女神らしい。いつも窓際で杉村を眺めていたゴリラみたいな先輩が天野樹理さんを見てそう名付けていた。杉村が失踪してからは崇める対象が居ないので二年A組に杉村蜂蜜の出席確認をとるついでに俺のクラスの美少女達を神格化している神々の遊びに興じている。佐藤深緋は確か「天照大神」で、江ノ木カナは「クサビラ女神」というキノコの神様だとか。田宮はそのまんまで稲穂神だとか。校内にあった何人かの女生徒に対するファンクラブは本人達の失踪により下火になりつつ沈静化状態にある。そんな事はどうでもいいか。
それよりも担任の荒川静夢は病院にしばらく残るらしく、小川ハミルトンも特殊部隊の別メンバーが来るまで待機してするらしい。俺達の心理部の顧問と英語科の担任が特殊部隊隊長の杉村の義姉さんに直々に名指しされるとは世の中分からないもんだ。どう考えてもその辺の警察よりは特殊部隊に所属の方が遙かに戦闘能力は高い。
元々受けている訓練が違うからだ。剣道や柔道、護身術が中心では無く、実戦を交えた兵装使用の訓練はこういう特殊自体の時こそ真価を発揮する。そのエリートに匹敵する暗殺者とは一体どういう人種なのだろうか。
全ての技量が人を殺す実践の為だけに捧げられた化物。そんな訓練をつめる合法的な組織はこの日本には恐らく存在しない。そう考えると一級の殺しスキルを持つ暗殺者と対峙して勝てる気もしないが。
要するに誰が死んでもおかしくない。
ま、俺には関係無いけどな。
「あ?俺々、覚えてるッスか?」
携帯の端末から軍事研究部の生き残りメンバーに次々と電話をかけていく。とは言ってもあとは草部裕太、春咲龍一、島原芭蕉の3人だけだが。俺々詐欺では無いが似たようなものかも知れない。緑青の方は暗殺者に狙われ、専属SPに守られている状態だ。こちらではもう手の付けようが無い。12月24日まであと少しだ。それまでに懸念材料は消しておく。
かけた電話の相手でまともに繋がったのは島原芭蕉一人だった。それも同じ軍部である音谷眩の携帯からかけてやっとコンタクトを取ることができた。どんな男もマドンナにゃ弱いって事か。
その声で朧気な顔の輪郭を思い出す。やや面長な顔にパーマのかかったような癖の強い天然パーマが印象的な先輩だった気がする。垂れ眼気味だが細い目とシュッとした鼻先は繊細そうな印象を受ける芭蕉さんっと。
「(音谷じゃないな、その声、お前あの石竹のクラスメイトか?音谷はどうした?)」
「そのお友達ッス。そんなに警戒しないで下さいよ。この携帯は本人の了承をしっかりと得て先輩達とコンタクトを取るために使わせて頂いてるんですよ。それはそうと俺から流した杉村蜂蜜の情報と、学校側や警察側の動きの情報、役立てて貰えました?」
「(あぁ。何とかおかげで生き延びてはいる。その節は助かったよ。だが、そろそろ限界だ金はまだあるがもう何かに怯えて暮らすのはごめんだ。他の奴らも限界が近い。家に帰りたがっている将来の不安もあるだろうし。俺ら嫌なんだよ!三年で進路もほとんど決まっている。こんなところで将来を無駄にしたくないんだよっ!)」
芭蕉先輩は他の2人とも繋がっているって事か。将来か。それすら失われた奴らが居る。本来歩むべきはずだった未来を歩めなかった奴らが居る。甘い、温い、このくそガキが。お前等の行動が誰に何の影響を及ぼすかも考えられない思考の持ち主ども。お前等は同罪なんだよ。その金を受け取った段階でな。罪は罰によって購われるのだとしたらお前等はまだまだ苦しんでいない。俺やあいつらと比べても。
「先輩、朗報ですよ?あの杉村蜂蜜が姿を消したんすよ」
「(姿を?)」
「そうッス。だからもう学校に出てきても大丈夫ッスよ?なんせ先輩方は金は受け取ったけど実行犯じゃ無いからな。学校側も多めに見てくれるはずッスよ。嫌でしょ?こんなとこで人生無駄にするのは」
「(いや。失踪する前に音谷からのメールで杉村蜂蜜の他に別の協力者いるって聞いた。まだ油断は出来ない)」
あの女、余計な事を。杉村に捕まえて貰ってて正解だったな。逃がしていたらこちらの動向まで悟られてしまうところだった。
「そうッスか、なら今日の20時丁度に八ツ森高校の裏手で改修工事を行っているフィッシュビルで落ち合いましょうか?情報はそちらも手が出るほどほしいッスよね?きちんと寝泊まり出来るところも用意させてもらいますから安心して大丈夫っすよ」
電話越しの芭蕉先輩が涙ぐませた声を響かせながら礼を言う。こちらこそ、話に乗ってくれてありがとうございます。
「(ありがとう、もう、なんか何してても生きてる感じがしないんだよ。ゲームしてても楽しく無いし、飯食っても味しないし・・・・・・あ、若草君)」
相当参っているようだな。だが生きてるだけましだ。18歳だが学生がそんな逃亡生活を長く送れる訳はない。ま、小さいガキの頃から父親から逃れる為に母親と町を転々と生活していた俺にとっては朝飯前だが。
「(他に銃や武器の類は持っていないかい?モデルガンじゃ心許なくて。噂では杉村蜂蜜は弾道を見切って実弾すら避けるらしい)」
あいつなら実弾を避ける。しかも素人が及び腰で撃つ弾なんかにはまず当たらないだろう。ま、渡さないけど。
「武器はあるッスよ?ボウガンやスタンガン、ハンドガン、きっちりと弾もあるッス。いります?」
「(恩に着る。いずれ礼はさせて貰う)」
「イイッスよ。困ったときはお互い様ッスからね」
何度も何度も電話口で礼を述べる芭蕉先輩の声を聞きながら携帯の通話をOFFにする。肩や首を回して体を解しながら俺は一度自宅のある商店街へと足を運ぶ。大きく息を吐きながら。
「さ、もうすぐだ。もうすぐ全部にカタが尽く。それまでもう一頑張りするとすっか。緑青、お前も精々その日まで死ぬなよ?色々こっちも大変だったんだからなっと」
鞄に忍ばせた拳銃を引き抜くと残弾を確認し、整備不具合が無いかを確認する。詳しい扱い方はもう一人の杉村から教えてもらい、森で練習もしてきた。それなりに使えるはずだ。
相手は一つ年上の先輩三人組とは言え、兵装はこちらが圧倒的有利。物量で押し切れるだろう。大丈夫、うまくやるさ。
2012年12月20日。
約束の20時丁度に俺達三人を呼びつけた人物が姿を現す。八ツ森高校の裏手にある建設工事中のフィッシュビルもこの時間帯ともなれば無人となる。防塵用の垂れ幕をかき分けながら俺達の唯一の協力者である若草青磁が声をあげる。
「あらら?もしかして中に入ってるんすか?まだまだ鉄筋剥き出しで危ないっすよ?」
暗がりの中、月明かりに照らされたその衣服はポンチョを被っているようだった。あの形状は軍用ポンチョで僻地でも使用される。しかも一級品なのが見た目で分かる。そんな代物どこで手に入れたというのか。
軍事研究部のメンバーでもそんなものを持っている奴なんていない。
本物の銃も持っていたようだし、やばい連中ともしかしたら繋がりがあるのかも知れない。噂では商店街の文房具屋で買えるらしいが俺達が真相を確かめる為に店主のおじさんに聞いてもバカにされて相手にしてくれなかった。十階立てビルの一階、広めのコンクリートフロアーに寝かされて置かれている鉄骨に座る俺の姿を見つけた若草青磁がこちらに手を上げる。
「あ、そこに居たんすね。暗くて分かんなかったっすよ」
入口からこの場所へは12Mほどあるので小型の懐中電灯を手に持ちながらこちらに歩いてくる。用意がいい。
「あぁ。なんせ俺達は追われる身だからな。道端で突っ立っている勇気は無いよ。その手にしている鞄の中身は?」
若草青磁が皮肉の様な笑い声を上げながら無警戒にこちらに近づいてくる。
「芭蕉先輩、警戒しずぎっすよ。ちゃーんと差し入れ持ってきましたから安心して下さい」
「恩に切るよ。本当に」
俺が左手で後方にサインを送りながら若草に一歩近付くと僅かな風切り音と共にその場で若草がひっくり返り仰向けに床に倒れ込む。床はまだ未完成で平べったいベニヤ板が敷き詰められているので転倒によるダメージはなさそうだ。体をピクリとも動かさなくなった若草の元に近付くとその目は閉じられていて完全に気を失っていた。
俺は何度かその体を足先でこずくが全く反応がない。俺は怖くなって振り返ると鉄骨の影に隠れていた狙撃手の春咲が空気銃を片手に飛び出してくる。
「変なとこ狙ったんじゃ無いだろうな?」
暗視ゴーグルをかけた春咲が必死に首を横に振っている。
「きちんと胴体を狙ったさ!」
言い合う俺達を止めに入るもう一人の軍事研究部、草部がゴーグル越しに俺と春咲を宥める。
「待て、二人とも。どちらにしろ気を失ってくれた方が好都合だ」
俺達三人は倒れた若草が手を離した大きめの黒い鞄のファスナーを開けて草部が手持ちのライトでその中身を照らす。光に照らされて金属光沢を持つ物体が鈍く輝く。
その鞄の中にはペットボトルの水の他に、M9の拳銃に弾丸が数十発、小型ボゥガンにその矢が30本以上ぎっしりと詰められていた。約束通り俺達に武器を持ってきてくれたらしい。すまない。もう俺達は誰も信用できないんだ。だがこの装備は使わせて貰う。俺達はいそいそと若草の鞄からボウガン(小型のクロスボウタイプ)とM9の拳銃取り出し空気銃を持つ春咲には矢と弾を持ってもらう。俺は拳銃と予備弾装を5つ自分のベルトに装備する。俺達の服装はサバゲーする時の格好なのでそれらの装備はよく体に馴染んだ。緑の迷彩柄が基調になった俺達の安っぽい装備が本物の武器を手にする事によりよく引き立てられている。相手を殺せるだけの武器を手にする高揚感は自分が強者になった様な錯覚を覚える。
このM9と呼ばれる黒い拳銃はアメリカ軍でも正式採用されている信頼性の高い拳銃でベレッタ92とも呼ばれている。口径は9mm、9×19mmのパラベラム弾を使用。装弾数は15発。予備マガジンが5つもあるので75発+本体の15発で90発も撃てるということだ。銃の側面に設置された安全装置を解除し、銃の上部をスライドし弾が撃てる状態にする。小型のボウガンを受け取った草部も弓を引いて弦を固定すると発射台に短い矢を装填し、近くの壁に試し討ちをする。手に装着するタイプでは無く持ち手が銃の様になっているタイプの様で普段エアガンで遊び慣れている俺達にとっては扱いやすそうだ。
「芭蕉、これすごいぞ?このボウガンがあれば誰に襲われても怖くないな。銃に比べて装填に時間はかかるが威力は申し分無い。コンクリートどころか鉄板も撃ちぬけそうだ」
俺は両手を銃に添えて、柱に撃ち込まれた矢に向かって引金を連続して引く。心地よい衝撃と共に硝煙と空になった薬莢が床に転がる。4発撃った弾は壁に突き刺さった矢を破壊し、鏃だけがその柱に埋まったままになる。すごい。これが本物。偽物の玩具の銃で満足していた俺達が子供の様に思えて恥ずかしくなってくる。
「これがあればもう怖くないな。若草は一体、こんな武器をどこから」
空気銃を手抱え暗視ゴーグルを装着している春咲がM9ベレッタを眺めている俺の横に立つ。
「クロスボゥは狩猟用として海外から取り寄せたんだろ。本物の銃の方の入手だけは謎だ。日本では個々に登録が必要になる。その基準を若草が満たしているとは思えないし、恐らく違法なルートか、誰かから譲り受けたか。警察に見つかれば捕まるぞ?もちろんベレッタを手にしているお前もだが」
空気銃のライフルを慌てて床に倒れている若草に向ける春咲。
「どうした?」
春咲は剥き出しになっている頬から冷汗を流している。
「いや、気のせいか。今、若草が動いた様な気がして」
これだけの武器を流せる石竹緑青のクラスメイト。タダモノではない。俺達は怖くなってこの男を囲むと、仰向けになった若草をひっくり返して両手を後ろ手に縛ろうとする。白い法衣の様なポンチョを着込む若草の背中がめくれ、背中に這わされたベルトが目に飛び込んでくる。何か武装していたのか?とにかく目を覚ます前に両手を封じておくことにこした事は無い。法衣の布に隠れている手を探ると、その左手に小型の四角いリモコンの様なものが握られていた。
「なんだこれ?」
春咲が手持ちの空気銃を床に置いて暗視ゴーグル越しに若草の手を拘束しようと困惑している。手に握られたそれがくるりと回転したかと思うとその先端が春咲の手に触れ、そこから青い火花が飛び散る。短い悲鳴後、春咲が体を硬直させ、若草に覆い被さる様に気を失う。
「あと二人」
若草がゆっくりと春咲を人質にとりながら立ち上がる。
慌てて一歩下がるとM9ベレッタを若草に対して構え直す。背後で怯えながら草部も矢を装填する音が聞こえてくる。
「武器を取り、構えたな?これでハンデは無しだ」
若草が電話で聞いた軽い口調とはまるで違う声色で囁く。
「これで外して頭を撃ち抜いても文句無しだ」
若草の背中を這うように回されたベルトを思い出す。まさか、若草も銃を手にしている?それよりこうなる事態を想定していたのか?
草部と俺が若草に狙いを定めるが、暗闇の中、人質として春咲が盾にされている為、どちらにしろ撃つことは出来ない。暗視ゴーグルを付けていた肝心の春咲が真っ先にやられたのが状況を悪くしている。
工事現場の外郭に垂らされた防塵幕が夜風にはためき、鉄筋の主柱のみが巡らされた工事中の建造物の隙間から月明かりが俺達を照らし出す。セーフティを解除する音が若草の手元から聞こえてくる。
法衣の布の隙間から黒い大型の銃が鈍い輝きを放つ。
あれは誰が見ても分かる。
大型のマグナム弾を自動で撃ち出す事が出来る自動拳銃。デザートイーグルだ。近距離でなら大型の獣ですら一発で仕留められる。
当たれば間違いなくその箇所が吹き飛ぶ。
「この銃といい、そんな物騒なものをどこで手に入れた?」
若草が口元を歪めながら、春咲をその場に投げ捨て、床に置かれていた自分の鞄からガスマスクを顔に装着し、白いフードを目深に被る。そしてマスク越しのくぐもった声でそれに答えてくれる。
「筆箱から弾薬までの梅村文具店でだ」
俺は手を振るわせながら反論する。
「嘘だ!そういう噂は俺達がガキの頃からあったが、いくら店主に言っても売ってくれなかったぞ?!なんでお前だけ!」
「俺は商店街の子だからな。ま、実際に購入したのは杉村蜂蜜だがな。俺はそれを譲り受けた。このデザートイーグルは夏休み、杉村蜂蜜が使用していたものだ」
草部が動揺を隠しきれずに叫ぶ。
「まさか!お前!杉村蜂蜜とグルになって!」
若草がおぞましい声で笑い声を上げる。
「半分正解だよ。俺はもう一人の杉村蜂蜜とお前等をずっと追っていた」
その銃口を下方に向け、狙いを定めると床に突っ伏して気をうしなっている春咲に向けてそれを発砲する。デザートイーグルのスライドから大きな鈍い発砲音と共に強い閃光が辺りを一瞬照らし出す。三発撃ち終わると、今度はその銃口をこちらに向けてくる。お前はそうやって、俺達の仲間を杉村蜂蜜とグルになって殺したというのか。
防塵幕のはためきが治まると共に再び建物内は闇に包まれる。それを機に若草が音もなく姿を消す。俺達はじっとしていられずに階段がある方向を目指して駆け出す。建設途中とはいえ、ある程度の形は造られていて段を使えば上の階へと登る事が出来る。
俺と草部は互いに若草が追って来れない様に弾と矢を放ち、急いで階段へと駆け上がる。工事現場なのでその足下に注意は払わないといけないが。
二階にはフロアーを仕切るパネルや鋼材などが積み上げられていて、隠れる遮蔽物はいくらでもあるが相手は暗視ゴーグルを着用している見つかるのは時間の問題だ。マグナムの弾が春咲の体に撃ち込まれていく姿を思い出し、体が再び震えだす。この手元にある銃を手にした時の高揚感はとっくに消え失せていた。強力な武器は更なる強力な武器には全く歯が立たない。二階へ上がるには階段口を利用する他はない。姿を現した瞬間、全ての銃弾を撃ち込めばマグナムと暗視ゴーグルを着用した相手でも倒せるはずだ。息を必死に顰めながら遮蔽物から身を乗り出して俺と草部はその照準を絞る。
時折、風に揺れる防塵幕の合間、舗装前の外壁から差し込む月明かりが俺達を照らしている。殺された仲間達はこんな恐怖を味わいながら死んでいったかと思うと無念がこみ上げてくる。一階から登ってくるであろう白い法衣を着た若草に叫ぶ。
「俺達軍事研究部員はただ教室を荒らしただけだ!しかも俺達に至っては実行犯じゃないだろ!?守秘義務を交わしただけだ!俺達は巻き沿いを食った被害……者?」
叫ぶ俺の視界の端でクロスボウガンを構えていた草部の背後から白い法衣が揺らめき、その口を片手で塞いだかと思うと青白いスパークが火花を散らす。草部もやられてしまった。どこから奴は現れた?まさか?後ろを振り向くと外壁に沿うように足場となる鉄骨が組み立てられている。あいつ、外から二階に登ってきたのか?迂闊だった。
「あと一人。本当にあと一人だ。長かったな。俺とお前達の戦いもようやく終わる」
若草がその姿を隠しながら一人になった俺に語りかけてくる。
「絶対に許さないぞ。俺達の仲間を殺したお前を。警察につきだしてやる」
「お前、本当に分かってないな」
近くの柱に背中をつけながら手元のベレッタを構え直す。どこから現れてもすぐに引き金を引ける様に。
「何がだ!お前達は俺達の日常を奪った!お前に分かるか?追われながら生活する者の苦しみが!」
離れた所から若草の声が響いてくる。
「俺と母さんはずっと暴力親父から逃げて生活の場を転々としてきた。そうだな、小学校高学年ぐらいからだから6年ぐらいになるか」
「若草?」
そんな事は初耳だった。彼の言動や立ち居振る舞いからはそういった類の影は全く感じられなかった。それが動機に繋がっているのか?
「お前等はな……教室を破壊しただけだ。だがな、同時にお前等に襲撃を指示した奴に付け入る隙を造った。お前等が大人達に、警察に事件の事を言わなかった性で他に何が起きたと思う?」
俺達は大金と引き替えに2年A教室を破壊した。それ以外に何を壊したというのだろうか。分からない。あの赤文字で書かれた文章については俺達にも心当たりが無い。
「無自覚の悪意だ。お前等は杉村蜂蜜の日常、そしてやっと再会した幼馴染同士の始まるはずだった失われた7年間を奪ったんだよ」
「俺達が?」
「そうだ!」
その声と共に後頭部に衝撃が走る。目の前に星が走りながらも銃を構えようとすると銃ごと手を蹴飛ばされ、その痛みに耐えきれずに銃を手放してしまう。若草の手元の銃が弾け、俺の足から血が吹き出していく。撃ち抜かれた訳では無かったが皮膚を掠めた弾丸は戦意を喪失させるには十分すぎるほどだった。痛みに涙と涎を垂らしながら床を転げ回る俺を若草が足で踏みつける。その照準は俺の脳天に合わされているようだ。
「あのメッセージの意味をお前等はまだ分かっていない」
痛みで霞む意識の中、黒板に書かれた文字を思い出す。犯行当時には無く後から誰かによって書き加えられたものだった。それは俺らが契約した人物が残したであろうメッセージ。
「天使様、何故、私を浄化して下さらなかったのですか?」
若草が頷きながらその銃の引き金を引く。近くの床に弾が跳弾する音が聞こえて反射的に顔を背ける。
「あれはお前等に犯行を指示した人物が杉村蜂蜜に間接的に宛てた言葉だ」
「な、何故!?そんな事を?!」
「恐らく杉村蜂蜜の状態を確認する為だろう。あいつはただ幼馴染に会いに英国から日本にやってきただけだ。だが、あいつはあの言葉がきっかけで当時の恐怖を思い出した」
「北白事件か?あの事件の4件目で確か犯人に森で追いかけられたんだろ?」
「あいつはあの事件で自分の死を覚悟すると共に、自分の最愛の者が殺されるかも知れない恐怖を味わった。あいつにとってはそれが何よりも耐え難い恐怖だからな」
俺は頭の中が急速に回転する。なら俺達は杉村蜂蜜の最愛の人物を殺すという脅迫に関与した事になる。だから俺達は杉村蜂蜜に命を狙われた。いや、俺達の雇い主の情報を得ようとあいつは俺達に近付いて来た。襲撃実行犯の中で最初に殺されたのは2年の新田透。変わり果てた姿で森で発見された新田。俺達は新田と同じ目に合うの恐れて姿を眩ました。杉村蜂蜜の目的はなんだ?俺達を殺す事?いや、違う。俺達に指示を出した人物を特定する為に近付いて来ただけだ。最愛の人物を守る為に。ただそれだけの為にだ。何かが頭の中で繋がり俺は銃弾が掠った腿の怪我に構うことなく立ち上がるとデザートイーグルを構える若草に掴みかかる。
「杉村蜂蜜の目的はそのメッセージを残した人物を特定する為なのか?」
若草が悲しそうに一言「そうだ」と呟いた。俺達はとんでもない過ちを犯していたのかも知れない。
「俺達はただ一心に幼馴染の身を案じて情報を集めようとする杉村蜂蜜に口を閉ざし、逃げ回った結果がこれだというのか?」
「あぁ。その騒ぎの傍らで、お前等の雇い主はほくそ笑みながら邪魔者を消していった。軍部の連中に加え、アニメ研究部の木田や、日嗣尊、江ノ木、天野樹理さんまで巻き込んでいった。そして今、俺の友達は暗殺者に命を狙われて市内を逃げ回っている」
俺達は金ほしさにその行為がどういう被害を及ぼすかも考えぬまま、言われるままにそれを実行した。その罪悪感がはっきりとした罪の意識をもたらし、全身に力が抜けていく。
「俺達に指示を出した奴、黒板にメッセージを書き残した人物は一体?」
若草が溜息をついて一言謝った様な気がした。
「それは知らない方がいい。勘付いた事を悟られれば最後、殺されるぞ?」
銃底が俺の側頭部を打ち抜くと同時に意識を失った。何が一体水面下で蠢いているのだろうか。そして出来るなら杉村蜂蜜の日常を壊した事を本人に謝りたい。もう手遅れだろうけど。俺の日常も彼等の日常も等しく破壊し尽くされた。一体誰だったんだろう。そんな途方もない憎しみと破壊を望む悪魔の正体は。その悪魔に恐らく俺達では辿り着く事が出来ないのだろうな。だがもしかしたら彼奴らなら……。
<審判>
3人の重い体を引き吊りながら工事中の建物の外に出る。さすがに一人で三人の男を運ぶのは骨が折れる。脇腹に痛みを感じて見下ろすと草部の放った矢が衣服を貫通している。杉村蜂蜜に譲ってもらった防弾チョッキを着込んでいなかったら致命傷になっていただろう。その矢を抜くと、ポタポタと血が垂れ流れていく。武装した三人相手にここまでやれたからよしとするか。
携帯電話を取り出して俺は八ツ森無料タクシーの運転手に電話をかける。
「あっ、遅くにすんません。川岸さん、ちょっとタクシー回してほしいんッスけど。場所は八ツ森高校の裏手にあるフィッシュビル前に……。え?声が変?ちょっと風邪気味でマスクしてるんすよ」
空を切り裂く発砲音と共に手にしていた携帯が空中で散壊する。
「おっと、手を挙げるッス」
目の前に黒い銃を片手に現れたそいつは灰色の軍服姿でアーミーメットを頭からすっぽりと被っていた。
こちらに武装はスタンガンとデザートイーグル。予備マガジン一倉と本体に3発装填されている。
「そのガスマスク、暗視ゴーグルも兼ねているッスね。撃ち合いになったらこっちが少し不利ッスね。けど、俺はそんなもの無くてもあんたの脳天を撃ち抜けるぜ?」
皮肉な事に相手が構える銃も同じ色のデザートイーグルだった。
観念して手を挙げながらガスマスクを外し、懐のデザートイーグルを地面に投げ捨てる。
「命拾いしたっすね。暗殺モードの俺なら迷わず君を撃っているッス。今は傭兵。無益な殺生はしないッスよ」
俺の捨てた銃に首を傾げて視線を逸らせる軍服の男。
「その銃、俺と型が同じっすね。もしかして」
「ん?その銃はクラスメイトから譲り受けた。元々はその娘の父親の持ち物だけど」
「……この銃、この八ツ森の傭兵、杉村誠一さんに譲り受けたものッス」
「あ。多分、この銃も元の持ち主はその人だぜ?それよりなんであんたはここに現れた?」
青年がヘルメットを脱ぐと短い金髪が夜風になびく。
「フフン。商店街のバイトの可愛い子ちゃんに頼まれたッス」
「商店街の?まさか?」
「知り合いッスか?如月エィラさんッス。いやぁ、仲間思いのいい子ッスね。君の近くで気を失っている3人を守ってほしいって。あ!もしかしてもう殺しちゃったッスか!?そんなの格好付かないっス。徹夜でゲームするんじゃ無かった」
俺は溜息をついて肩をがくりと落とす。
「あの女、余計な真似を」
ん?何か忘れている様な。
金髪の男が俺の元に近付く気配がする。
俺は自分自身の脆弱さを知っているつもりだ。だからどんな時にも保険かけておく。俺の戦いに第三者が介入した場合、そこに正義は無いと事前に打ち合わせをしていた。入口近くで待機しているであろう人物が動き出す前に誤解を解く必要がある。
「ちょっと待て!多分、俺達の目的は」
建物の影から胴着姿の少女が姿を現し、その金髪男の手にしていた銃を上空に弾き飛ばす。即座にそれに反応した男が懐のサバイバルナイフに手を伸ばしながら体を捻り、即座に間合いを離す。
「あ、君は!」
「お、お前は!」
「あの時のサムライガール!」
「あの時の軍人!!」
どうやら知り合いだったみたいだが……俺の目の前で剣道着姿の東雲雀と、謎の軍服男が目で追いきれない速度で斬り結び合っている。どう収拾を付けたものか。ここへ来る前、別の奴が俺の邪魔をしに来た時の対策として事前に部活終わりの東雲に用心棒を依頼していた。さすがに同じ学校の生徒である軍部の連中との戦いに介入は難色を示したが、俺を別の誰かが殺しに来た場合は自らの剣を抜くと言ってくれた。実力については杉村に匹敵し、銃を持つヤクザにもひるまなかったらしいので信用している。俺は呆れながら到着したタクシーの中に、少年3人を放り込むと運転手に目的地を告げる。
「川岸さん、西岡商店街お願いします」
「……あいよ。それよりあの子達はほっといていいのかい?青ちゃん?木刀とナイフで戦っているみたいだけど?」
「バカはほっといていいッスよ。好きでやってるだけッスから。それより緑青はまだ生きてる?」
安全確認後、タクシーを発進させた川岸さんが溜息をつきながら答えてくれる。
「緑青君が殺されたっていう情報はこっちには回ってきてないね。早く彼の日常が戻ってくればいいけど。こんな時に誠一さんは何をやっているんだろうね。あの刑務所の爆破事件の後、消息は不明。遺体は見つかっていないけど息子同然の彼が命を狙われているんだ。生きているなら出てきてもおかしく無いんだけどね」
「あぁ。そうだな。他に杉村蜂蜜の目撃情報は?」
「親子とも目撃情報は無し。もしかしたら市内に居ないのかも知れないね」
杉村蜂蜜が石竹緑青の危機に傍に居ない訳がない。しかし、それでも姿を現さないという事はそれ以上の驚異が緑青と離れたところであるのかも知れない。まさか、お前が殺されたなんて事は無いよな?杉村蜂蜜?
「あれ?青ちゃん、血が出て無い?」(川岸さん)
「……マーカー弾ッスよ」(若草)
「その子達も大丈夫かい?」(川岸さん)
「ちょっと飲み過ぎたみたいっすね。ホント、困ったもんですよ」(若草)
「おじさんも君等ぐらいの時はハメを外したなぁ。あ、娘の詩織には内緒で」(川岸)
「俺達の事も内密にお願いッス」(若草)