ナースコール
白いベッドの上に寝かされた彼女の身体には点滴が繋がれ、心電図が決まった感覚で電子音を鳴らしている。
八ツ森の東に位置する木漏日町。そこにある総合病院の一室にて僕は三日間も眠り続けている天野樹理さんの小さな手を握る。静かな寝息を立て、病院のベッドで眠る女の子は、僕と同じ事件の被害者でもある。
そしてある事件の加害者でもある。
一時的に面会謝絶状態の彼女だったが、その様態が安定したようで一安心だ。
「樹理さん、目を覚まさないとダメですよ?折角、あの鳥籠から出られたんです。樹理さんの人生はこれからなんですからね?」
樹理さんの頬に掛かった髪を左手で優しく掻き分ける。ペティナイフで胸部を刺されたにも関わらず、その表情は安らいでいるように見える。
病室の壁際に僕と樹理さんを見守る様にサリアさんが立っていて、白いワンピースに青いボレロを羽織り、その金色の髪には白い花飾りが咲いていた。僕の服装はベージュの綿パンにYシャツの上に水色のセーターを着ている。何故僕らが病院に訪れているかと言うと、今日のお昼前に出前に扮した暗殺者が直接僕らの泊まる宿泊部屋に訪れた。
場所が割れた以上、再び襲撃される可能性があったので僕らはそこを急いで離れる事になったのだが、丁度荷造りを始める前に「陽守芽依」さんというサリアさんの友人から電話が入り、天野樹理さんの容態をサリアさんに伝えた。僕は最初、電話口に彼女の名前が上がり、信じられなかった。彼女は僕が暗殺者に捕まっている間に、被害者遺族達に囲まれて集団暴行を受けたらしい。彼女自身も荒川先生が人質に取られていた状況下で必死に抵抗し、そして被害者遺族に刺されて昏睡状態になった。
僕は居ても立ってもいられ無くて、サリアさんが用意してくれた車でそのまま病院まで足を運んだ。道中、あの軍服を着た暗殺者の青年に追われる事になるがサリアさんの奮闘で何とかここまで無事辿りつく事が出来た。このタイミングで天野さんが襲われたのは誰かに仕組まれた可能性が高い。
「本当に、姉が申し訳無い事をしたと反省しています」
サリアさんと並ぶように立っていた20代前半と思わしき青年が陳謝と共に深く頭を下げる。彼は栗原友太と名乗り、天野樹理さんを集団暴行へと導いた先導者の栗原友香さんの弟らしい。僕はその声には反応せず、じっと樹理さんの方を見つめる。
「もう少し、僕が姉の様子の異変に気付いていればこんな事には」
僕は樹理さんの手を握る右手に力を込める。
「止められませんよ、弟の貴方でも。お姉さんは全てを捨てる覚悟で天野樹理さんに復讐をしようとした。例え弟の貴方でも止められたかどうか」
栗原友太さんが申し訳なさそうに再び頭を下げる。
「優しい父の事を姉は好きでしたからね。憎しみも僕以上に募らせていたんだと思います。小さかったですし、僕の方は何とか折り合いをつける事は出来ましたが姉はずっと引きずっていましたからね」
「僕も貴方のお姉さんが刺した女の子の事は大好きです。もし、このまま彼女が目を覚まさなかったら……」
僕は樹理さんの頬にやんわりと触れ、振り返ってから栗原友太さんの事を睨みつける。刺したお姉さんにも樹理さんを刺すだけの充分な動機があったが、樹理さんもそうならざるを得ない状況下に置かれていたはずだ。あの事件の記憶を僕が丸々失っている事そのものが、その凄惨さ現している様に。
「サリアさん、樹理さんに暴行を加えた人達の処置は決まりましたか?」
サリアさんが僕の声に少し戸惑いながら答える。
「そう怖い顔をするな。この人は直接関係無いだろ?その事件に関わった連中は無関係な人を人質にとり、暴行も加えている。有罪判決は免れないだろうな」
「その関係者全員の名前と現住所、連絡先って教えて貰えませんか?」
サリアさんの横に並んで立っていた弟さんが顔を青くして冷や汗を掻いている。
「すまんな。それはこちらの権限で入手は可能だが、一人一人に復讐しかねない君にはそれを渡せない。もちろん、そいつらは警察の監視下におかれる。その中の誰かが目の前で眠るお嬢ちゃんに変な真似をしようとしたら、我々Nephilim特殊部隊が全兵力を持って阻止するがな」
僕は頭を振って表情を元に戻すと、微笑みを作りながら訂正する。
「復讐なんてしませんよ。ただ、先導者であるはずの栗原さんのお姉さんに天野樹理さんの情報を流した人物が居るはずです。その人物を特定したいだけです」
「他に共犯者が居るのか?」
「はい。樹理さんが退院したのはついこの間の事です」
「知ってるよ。君と私の愚妹がグルになってこの女の子を無理矢理病院から連れ出したんだろ?」
僕は警察沙汰にはかろうじてなっていない出来事が義姉さんに知れててたじろく。
「安心しろ。警察の情報網に引っかかった訳では無い。個人的にゼノヴィア=ランカスター医師から善意の報告を受けたまでだ」
「よ、良かった」
「……銃刀法違反と迷惑条例に引っかかった部分は目を瞑っておいてやる。だが、今度義妹を怪我させたら許さないからな?」
「肝に銘じます。つまり栗原友香さんに流れた情報は、病院を退院した事と、高校の教員と同棲をしている事。この二点です。これらの情報を知り得るのはうちの八ツ森高校の関係者だけだと言うことです」
サリアさんが厳しい目つきになって、栗原友太さんを睨みつける。
「し、知りませんよ!僕も姉もずっと、天野樹理さんは入院していると思っていましたから。それに八ツ森高校との接点はありませんよ
。小三女児無差別殺傷事件が起きた後は他県で過ごしていましたから」
サリアさんの目つきが元に戻り、再び僕の方を見つめる。
天野樹理さんが襲われたタイミング的には、日嗣尊姉さんが世間的に失踪した次の日、日嗣姉さんが刺したその人物を確かめる為に熊谷病院に訪れて以降の話で、僕に北白直哉の共犯者が生徒会長の「二川亮」であるとこっそり教えてくれた日だ。
天野樹理さんが間接的に命を狙われたのは、恐らくあの事件被害者で生き証人である彼女が自分へと繋がる証言が発せられるのを恐れて口封じの為に殺そうとした。そしてその事を僕が教えられたという事を奴は知らない。
もしくは二人居る共犯者のうちのもう一人が情報を流した可能性が高い。二川亮は樹理さんを殺す前に僕の方を本当は殺したかったはずだ。しかし、ヤクザや暗殺者達の証言から送られた刺客が悉く僕の幼馴染に返り討ちにあっている事から、僕の方を諦めて障害になりそうな人物を消しにかかった可能性が高い。
「お前は誰か心当たりがあるのか?」
サリアさんにそう訪ねられ、僕は返答に躊躇する。
もし二川亮の名前を挙げ、有力な証拠が見つかり重要参考人として警察に連れて行かれた場合、今度こそ完全にもう一人の共犯者は表舞台に出て来なくなる。全ての罪を二川亮に被せた状態で殺される可能性もある。だが、これ以上は野放しに出来ない。僕に近い位置に居た日嗣尊姉さんや、田宮稲穂、天野樹理さんがひどい目に追いやられた。今度は別の僕の身近な人物が危険な目に遭うかも知れないからだ。
「はい。実は……」
強く握られていたはずの右手が引かれ、誰かに口を塞がれる。背中から抱きしめられる様になった為か背中が暖かくてほんのり柔らかい?
「ちょっと前に目覚めてました。てへぺろ(^ч^)」
「モゴゴッ?!」
ベッドに倒れ込んだ僕の頭をそっと抱き抱える様に上体を起こした天野樹理さんが目を覚ましていた。その場に居た全員が身動きすらとれずに驚いて体を硬直させる。
「大体の事情は把握しているわ。そこの男性は私を刺した栗原友香さんの弟、友太さん。そっちの金髪のモデルの様な女性は杉村蜂蜜のお姉さんって認識で合ってるわよね?」
サリアさんがあっけにとられながら、やっとの思いで頷く。
「そ、そうだ。似ていないのによく分かったな」
「何となくね。女の勘とあなた達のやりとりを聞いていて分かるわ」
「とにかく、ナースコールを……ひぇっ?!」
栗原友太さんが医者を呼ぼうとして樹里さんがそれを止める。
「呼ぶ時は私が呼ぶわ。勝手な事しないでくれる?」
「はっ、はい!」
樹理さんが発する独特のオーラに完全にペースに飲み込まれている二人。僕はその懐かしい顔に、心から嬉しくなって繋がれた右腕に優しく力を込める。それに気付いた樹理さんが顔を赤くさせながら僕の方を見る為に顔をこちらに下げる。窮屈な膝枕をされている体勢に近い。そしてそっと僕の口を塞ぐ手を除けると、その小さな手で僕の額の傷跡をなぞる様に撫でてくれる。
「私を呼んでくれてありがとう」
僕は病院に着いてからずっと樹理さんの手を握り、そしてその名前を何度も呼び続けていた。もしかしたらそれが届いたのかも知れない。見上げた樹理さんの小さな顔はどこか晴れやかで……あれ?
「樹理さん?」
「何かしら?撫でられるのはお嫌い?」
「いえ、その……すっかり憑き物が落ちたというか……なんだろ?何か足り無い?」
樹理さんの小さな顔をマジマジと見上げる。小顔ながら整った顔立ちに前はサイドが少し長めの黒髪ショートカット。大きな瞳は深淵色に深く輝いている。あ、睡眠障害により目の下に深く現れていた隈が消えているんだ。
「樹理さん、目の下の隈がすっかり消えてて普通の可愛い女の子になってますよ!」
樹理さんが僕の額を撫でていた手を離し、自分の顔を触って確認する。そして何か思い当たる節があるのか優しげに微笑みをこぼす。
「フフッ、あの子のお陰かも知れ無いわね。でも残念ね、私の個性が一つ消えてしまったわ。もう、深淵系少女は名乗れ無いわね」
「充分素敵ですよ。でも、樹理さんが目覚めてくれて、本当に嬉しいです!出ないと、僕は人殺しになってました」
近くで栗原弟さんが怯えて尻餅をつく音が聞こえてくる。
「ホントにいけない子ね。そんな子にはお仕置きが必要ネ」
天野樹理さんがクスクスと微笑みながら見上げた僕の顔の上から体を折り曲げて僕に口付けをする。この前された時とは違い、ずっと長い口付けだった。その小さな唇の感触が僕の唇を通して全身に広がっていくようだった。静かに顔を離すと、僕の瞳を優しく覗き込む
「眠り姫はね、王子様の口付けによって目覚めるのよ。ね?翔子お姉ちゃん」
童女の様な笑顔でそう言われたら萌え死んでしまいそうです。翔子お姉ちゃんって誰だっけ?何処かで聞いたな様な名前だけど心臓が音を立ててドキドキしていてそれどころでは無い。
「あ、あの、あの、えぇっと」
「大丈夫よ。私も君の事大好きだから」
どうやら僕と栗原友太さんとのやりとりらへんから目覚めていたらしい。意地の悪いというか、何とも樹理さんらしい。僕の顔は恐らく茹で上がっているぐらい真っ赤になっていると思う。
「これ、杉村に殺されるんじゃ?」
口に手を当てて考えを巡らせるしぐさを踏まえながら樹里さんが提案する。すっかり短くなった髪が首の動きに合わせてふわりと揺れる。
「大丈夫よ。英国では挨拶のキスよ。ね?お姉さん?」
「ほう、初耳だな。英国では口同士でそんなに長い時間唇を重ねるのは恋人以外聞いた事が無いな。な?将来の義弟よ」
手持ちのハンドバッグから取り出した銀色のリボルバー(サイノ)のハンマーがカチリと音を立てて引かれる。その照準は僕の口に向けられていた。幼馴染に殺される前に、義姉さんに殺されるみたいです。天野樹理さんがマイペースにナースコールのボタンを押すと小さなブザーがなって遠くのフロアーから慌ただしい音が聞こえてくる。
「イテテッ、急に刺された箇所が痛み出したわ。あっ、蜂蜜のお姉さん」
「サリアだ」
「緑青、怪我してるみたいだけど、私が眠っている間に何かあったの?」
サリアさんが観念して銀色の銃を納めると、溜息ながらに事情を説明する。
「土曜日、学校帰りに暗殺者とヤクザに捕まった」
「そう……私が緑青と初めてキスした日ね。そんな事があったのね」
サリアさんが再び銃を引き抜こうとするのを樹理さんが制止する。
「妹さんに伝えといてくれるかしら?幼馴染と恋人は別の意味だって」
「アハハッ!もう一遍眠るか?眠り姫?」
「妹すら躾られないお姉ちゃんは銃で人を脅すしか出来ないようね」
何この修羅場?この毒舌のラリーに僕と栗原弟は萎縮するだけしか出来ない。病室の扉が開かれて数名の医者と看護師が慌ただしく入ってくると、僕ら部外者を外に追い出そうとする。それに従い、僕らが退室しようとすのを樹理さんが僕だけを掴まえて引き留め耳打ちする。医者達の行動すら遮って。
「(緑青?これだけは約束して?)」
「(樹理さん?)」
「(あの子の……日嗣尊の意志を無駄にしないで)」
僕はあの夜、日嗣尊姉さんに言われた事を思い出す。文化祭までの二週間を生き抜くこと。そして僕と犯人には特設舞台が用意されていると。白い法衣の人物が僕と日嗣姉さんの前に現れた時「まだその時では無い」と言った。もしここで、僕が勝手に警察の力を借りて犯人の一人を捕まえてしまえば、もう一人は永遠と表舞台には現れなくなる。そして犯人を捕まえる事が本当の僕らの目的では無いことを。
「(ありがとうございます。もう少しで目的を忘れるところでした)」
「(ごめんね。我が儘言って。大丈夫よ、君は死なない。必ず生きてその日を迎える。だって君には最強の幼馴染が付いている)」
僕は元気無くそれに答える。
「(杉村が姿を消したままなんです)」
樹理さんが母性溢れる微笑で僕を正面から抱きしめてくれる。
「(私が被害者遺族に囲まれた時ね、蜂蜜の姿を見かけた様な気がしたの。多分、彼女は彼女の出来るギリギリの範囲で私を助けてくれた。荒川静夢を逃がしてくれたり、私のサポートまでしてくれた。蜂蜜の行動基準、貴方なら誰よりも判っているはずでしょ?)」
僕は目を見開いてその結論に達する。
「(僕……ですか?)」
するりと僕の腕から樹理さんが離れると同時に病室を看護師に追い出されてしまう。別れ間際に樹理さんと僕の視線が交錯する。杉村、お前はもしかして今も尚、誰も見ていないところで僕の為に血を流し続けてくれているのか?
黄泉還りの私は多分ふりょく値40万ぐらいいくんじゃないかしら?(天野)
……ふ、巫力値?!(石竹)
あ、深淵から這い上がる力、つまり浮力値ね。(天野)
オーバーソウルっ!ヨハンッ!(天野)
ってやっぱり巫力じゃないかよ!(石竹)
ワッフ……(ヨハン)
ちなみにヨハンとかいう茶色い犬は死んでないからな?私の友人が君との約束を果たす為に預からせてもらっている。(サリア)
さすがヨハン……悪魔と契約した者の名前を冠するだけはあるわ。よかった……あの銀髪の子、約束を守ってくれていたのね。(天野)
よしよし、ヨーハーン。いい子ね。あれ?さっき出したご飯もう食べちゃったの?その調子なら怪我もすぐ治りそうだね(^ ^)私、ちょっとだけ疲れちゃったから少し眠るね?(陽守芽依)