炒飯の恨み
シティホテルに匿われている僕は、下着姿のブロンド美女と白衣のお姉さんに服を脱がされています。
「うんうん。どこも骨は折れてないし内蔵も大丈夫そうだ。左目の瞼の腫れも明後日には引いてるよ、少年」
聴診器をかけた30代の女医さんにひとまず健康状態はOKだと診断が下される。僕は今、サリアさんと一緒に市内のシティホテルに二人で潜伏している。応急処置はサリアさんにして貰えたが、念のためにという事で僕も特殊部隊お抱えの女医さんに見て貰うことになった。
「よかったな、義弟よ」
「そうですね、義姉さん」
八ツ森の特殊部隊の隊長を務める紺色の下着姿で僕の前に立っている金髪碧眼の女性は幼馴染の杉村蜂蜜の義姉さん、サリア=レヴィアンさんだ。そして丸メガネをかけて髪を後ろに纏めた童女の様に笑う女医さんの名前は「高野美帆」さんで、出所後の生贄ゲームの犯人「北白直哉」を診ていた医師でもある。
女医の高野さんがサリアさんに風呂場に行く様に促す。傷の手当をする為だ。サリアさんが廊下に出て、続いて高野さんも風呂場に向かおうとする。僕はその背中を呼び止める。
「あの、出所後の北白直哉の様子がどうだったかを伺いたいんですが、聞いてもいいですか?」
僕に呼び止められた高野さんが目を丸くして立ち止まる。
「んー……あまり患者の情報は開示出来ないんだけど、そうだね。君には聞く権利があるか」
高野さんももちろん、僕が北白直哉の生贄ゲーム事件4件目の被害者である事を知っているようだ。
「無理言ってすいません」
「出所後、数ヶ月も経たないうちに再犯を犯した北白の事を世間では否定的な意見が大半を閉めている。けど私にはそう見えなかったし、私の診断が間違っていたとも思えない。精神面も体調面もね」
「北白は正常に物事を判断出来る状態になっていたと?」
高野さんが僕の座る椅子近くのベッドの縁に腰掛けて、きっちりと話してくれる体勢をとる。
「少なくとも約10年間医療に携わってきたものの目から診て正常だった。きっちりと自分自身のしでかした事件に対しても罪悪感を感じていたしね。事件被害者遺族の高校生の女の子が彼の元を訪れた時も、彼女に殺される事を良しとしていた。そして何より脈々と八ツ森の歴史の中で受け継がれてきた北白家の系脈を財産の分配という形で終わらせた。相応の覚悟と反省があったはずだよ」
北白の元を訪れたというのは恐らく僕のもう一人の幼馴染、佐藤深緋の事だ。
「何か彼に変わった事はありませんでしたか?」
高野医師が、瞳を巡らせて記憶を辿るように言葉を繋げていく。
「あの被害者遺族のお嬢さんが置いていった北白の弟さんの携帯に……確かその日、着信があったんだよね。早朝だった気がする」
佐藤深緋は、何かしらの経緯で北白の弟の携帯を手に入れてそれを兄である北白直哉に届けに行った。そしてそこに掛かってきた電話。弟に掛かってきたという事は弟と面識のあった人間かも知れない。
「少年、さっき言った事は訂正するよ。確かその電話が掛かってきた後ぐらいから彼の様子は確かに変わったよ。何かに怯えた様に、強い脅迫概念を抱えていた様な気がする」
「その後、彼はどういう行動をとったんですか?」
「しばらくして、私達の前から姿を消した。いやぁ、焦ったよ。Nephilim専属医が裁判所からの指示で北白の様子を見ていたのに、あれは完全に私の失態だった。そして数日後、北白直哉は五件目いや四件目の生贄ゲームを再開した。幸いな事に被験者の女の子と男の子は無事だったみたいだったけどね。サリアさんの義父にあたる八ツ森の傭兵、杉村誠一さんに報復されるという形で彼は生涯の幕を降ろす事になったけど。もう少し違う結末があっても良かったと今では思うよ。君もそう思わないかい?」
同意を求める高野さんに返事をする前に、風呂場からサリアさんの声が聞こえてくる。
「おーいっ!美帆さん!いつまで私を裸にさせておくつもりだ?」
「あぁ、悪い悪い!すぐに行くよ」
医療鞄を片手に高野さんが立ち上がり、僕の方を向く。
「(医者はね、犯罪者だろうが殺人者だろうが、目の前の救える命は全部まるごと救いたいのさ。悪く思わないでほしい、少年よ)」
そう言ってウィンクすると風呂場へと消えていく。
北白が事件を起こす前、北白の弟に電話をかけた人物が居る。そして、誰よりも先に「杉村蜂蜜」の命の危機を察し、杉村誠一さんが働いている八ツ森無料タクシー会社に通報した少年の声。
手懐け、飼っていた猟犬に喰殺された北白直哉の弟。手には猟銃を持っていたとされている。
誰を撃とうとした?
いや、誰の指示で誰が杉村蜂蜜を撃った?
もしかしたら、通報した電話の主にとっては想定外の事だったのかも知れない。杉村蜂蜜が本来の狙撃対象では無かったとしたら、あの日、森に入った僕らの事を知る人物だ。もしくは、そう仕向けた人物が居る。
脳裏に夏休みの出来事が沸々と蘇る。
過去の事件現場で証拠を探す僕らの下に流れ込んできた猟犬の群。そして日嗣尊姉さんを背後から差した目出帽の男。
あの極限状態の中、その男は猟犬達を従えていた。
飼い犬に喰い殺された北白の弟。それは本来ならあり得ない。
もし、上位の支配権を持つ何者かの命令なのだとしたら、杉村蜂蜜を撃ち殺そうとした北白の弟を止めようとして猟犬達に命令したのではないのか?
そして本来の標的は、杉村蜂蜜では無く、日嗣尊か僕。もしくはその両方。
あの場で目出帽の男は僕らを始末する為に現れた。
恐らくそれで間違い無い。
前に立てたあの出来事の推測との整合性もとれる。天野樹理さんの証言で、あの生贄ゲームの共犯者は二人。あの夏休みのキャンプ場における事件、もしかしたら関わっているのは一人だけでは無いかも知れない。そして、江ノ木と鳩羽が被験者に選ばれた第五生贄ゲーム。そのどちらにも両者が関係している可能性がある。
一人は天野樹理さんの推測では生徒会長の「二川亮」である可能性が高い。なら、もう一人は誰だ?
これまでの出来事を頭に巡らせ、ソファーに深く腰かけたタイミングで来訪を知らせるベルが鳴る。
「お待ちどう様ネ!西森軒の出前お持ちしました!」
どうやら誰かが出前を頼んでいたようだ。誰だろう?もしかしたら高野さんが出前を頼んでくれたのかも知れない。
西森軒と言えば、西岡商店街の中にある中華料理店で店長の顔も知っている昔ながらの老舗だ。そこからの出前なら信頼出来るか。
「はーい、ちょっと待って下さいね」
椅子から立ち上がり、ドアの覗き穴から外を確かめようとすると何故か真っ暗だった。壊れているらしい。仕方なくキーチェーンを外して扉を開けると、出前用のヘルメットに西森軒の調理服を身にまとったお兄さんが人の良さそうな笑顔で抱えていた鉄の出前箱を掲げる。
「ご注文のありました炒飯二つに豚キムチ、モヤシ炒めをお持ちしたネ。1670円ネ」
「はい。出前ご苦労様です。西森軒さんですね。千……あっ!」
僕は手持ちが無い事に気付いて、サリアさんに声をかける。
「サリアさん!高野さんかな?頼んでた出前が来ましたよ?財布あります?」
慌てて風呂場のドアを開けると裸のサリアさんが腕の射創に対して縫合をされている最中だった。浴場に血が滴り、赤く染まっている。
「っておい!ノックぐらいしろ!財布は私の鞄に入っている。そこから代金は払ってくれ!普段、カードで支払いは済ませているが6千円ぐらいは入っていたはずだ」
「わわっ、す、すいません!」
僕は慌てて顔を引っ込めるとサリアさんの鞄から財布を取り出して二千円を引き抜く。その財布には10歳ぐらいの杉村蜂蜜の写真が挟まっていて、本当は妹思いのお姉さんなんだと感じる。でもなんで昔の蜂蜜の写真なんだろ。
「お兄さん!早く、料理冷めちゃうネ!」
僕は謝りながら財布を仕舞うと、慌てて出前のお兄さんにお金を渡す。
「毎度ありね。これお釣りネ」
お金を渡すと、中国人と思わしき糸目のお兄さんが人懐っこい笑顔で会釈する。見たこと無い顔なので新人さんかな?
「店長に宜しく言っといて下さい」
「ハーイ。これ、受け取るネ」
まだ暖かい炒飯と豚キムチ、モヤシ炒めを受け取りながら容器の返却の説明を受ける。
「食べ終わったら部屋の外に容器は置いといてほしいね。あとでまた取りに来るネ」
僕は返事をしながら良い匂いのする料理に食欲がそそられる。
「美味しそうですね!」
「もちろんね、ワタシが命を賭けて作った料理は天下一品ネ!君はなかなか見所がある少年ね。名前は何?」
「え、あ、石竹緑青です」
「いい名前ね。西森軒を今後ともご贔屓にネ」
僕は会釈すると笑顔でその人の良さそうなお兄さんを見送る。誘われた空腹から、机の上に並べた料理を食べたくなってしまう。
「サリアさん、先に食べてていいですか?」
浴室の方からサリアさんの声が聞こえてくる。
「あぁ。いいぞー。先に食べていろ」
ホクホクと湯気を立てる炒飯に添えられた白い蓮華を差し込むとパラパラと盛られた米粒の山が崩れて匂いが広がる。オーソドックスな炒飯だが、調理の仕方が絶妙なのだろう。一口食べると口の中に香りが広がり、何とも言えない充足感に浸る。
「あぁ、美味い」
ハフハフと蓮華を進めて行くと、突然、浴室の扉が開かれてお腹から血を流したままのサリアさんが現れる。すごい形相で僕の首根っこを掴んで中吊りにされる。そしてそのまま浴室に連れ込まれ、鳩尾を思いっきり殴られる。せき込む僕は呻いてお腹を押さえる。
「ご、ごめんなさい!大丈夫です!サリアさんの分は食べてませんから!!許して下さい!」
恐るべし、食べ物の恨み。悪態をつきながら高野さんと目を見合わせてお互いに頷く。
「出せ!」
えっ?そしてそのまま僕を便器の所に屈ませると、もう一発腹を殴られる。呻く僕に容赦ない手を加えるお姉さん。義姉さんの食物の拘りは凄まじい事を僕は学んだ。
「くっ、君は結構頑丈だな。手首を痛めた。仕方無いか。すまない、許せ」
そういうとそっと伸びた手が僕の口の中に入って、喉の奥に遠慮なく突っ込まれる。たまらずに僕は先ほど食べたばかりの炒飯を丸々戻してしまう。ごめんなさい、中華料理屋のお兄さん。食べ物を無駄にしてしまいました!
「よし、吐いたな」
「み、みればゃ、分かるでしょ?」
「美帆さん」
「とりあえず、大量に水を飲ませて」
「ぐぼぼぼっ!!」
浴槽のシャワーヘッドが僕の口に突っ込まれて次々に胃の中に流し込まれていく。何?何なの?お前にくれてやる炒飯は無いって事なの?
抵抗空しく、注がれた水をそのまま逆流させてトイレにそれを吐き出す。
「高野さん、銃を」
「ほい。ベレッタM92Fでいいかしら?」
「充分だ」
黒い拳銃を受け取ったサリアさんが下着姿のまま銃を構え、浴室の扉を足で勢いよくこじ開けると、外を警戒しながら飛び出す。
「な、何?一体、僕が何したって?」
高野さんが浴室を出ようとした僕を引き留め、片手に医療用メスを構える。
「ひえぇ!」
もう何なのこの人達!
「静かに!」
慌てて口を塞ぐ僕。この人に対しても炒飯の恨みを買ってしまったらしい。部屋の扉を開ける音がして、サリアさんが白いスーツ姿の男達を引きずってこっちまで運んでくる。
「やられたよ。多分、もう一度奴は来る。これは恐らく宣戦布告だ」
「サリアさん!一体どうしたんですか!?扉の前で待機していた部下の人達がなんで気を失って?」
「倒されたのさ。恐らく出前に扮した奴に二人とも。多分、手馴れだ。打撲痕から素手か、モップの柄の様な棒でやられている。殺されては無いからそのうち目は覚ますだろう。お前は無事か?」
「いや、サリアさんに殴られて吐いてるんですよ?無事な訳が」
「元気そうだな。なら、問題ない。もしかしたら本当に様子見で毒は盛られて無かったのかも知れないな。私達の警護力を確かめに来たのだろう。そして、意図も簡単に君に近づける実力差があると悟られた」
「あの細目のお兄さんが、暗殺者?」
サリアさんが胸の谷間に納めていたベレッタを高野さんに返すと、すぐに部屋の扉に鍵をかける。
「見た目に騙されるな。暗殺者というのはそういう人の心理の裏をかこうとする生物だ」
僕はその時ほど命の危険性を感じた事は無い。特殊部隊Nephilimの人達でも叶わない相手に僕はどう対処したらいいのだろうか。
そこに室内に置かれていたサリアさんの携帯電話の着信が鳴る。
サリアさんが腹から血を滴らせながら電話をとる。
その相手は陽守芽衣さんという方からだった。
電話口でもよく透る綺麗な声がスピーカーから漏れている。
きっと美人さんに間違い無い。はぁ、お腹空いたというか、お腹痛い。
(石竹緑青)




