囚われた接合藻類
雇われ暗殺者「戦車」の前を謎の女子高生2人が通りかかる少し前。
あれから何日経ったんだろう。
痛みと披露でぼやけた頭を振るい、半分しか開かない片目で僕の隣で柱にロープで拘束されている田宮稲穂に声をかける。
「お目覚めね、石竹君。今日は12月18日の午後3時過ぎぐらいよ。まだ生きてる?」
僕は痛みに耐えながら鎖に繋がれた自分の体を見下ろす。ひどいものだった。来ていたYシャツはボロボロに引き裂かれ血に染まり、体のあちこちに素手や棒で殴られた跡がある。左目は腫れて開かないようだ。
「なんとかね」
知らないことは話せない。ヤクザ達は本当に僕が何も知らないと言う判断をしたらしい。僕が生かされているのは僕を餌に何者かが姿を現すのを待っているようだった。人質としての価値があるという事はまだ殺される可能性は無いという事だ。この何もないコンクリートがむき出しになったフロアーに見張りのヤクザが3人。一人はパイプ椅子に腰掛けてマンガを読んでいるスキンヘッドの痩せた男。見張りを交代で行っていて、一つの銃を3人のヤクザが交代で使い回している。ここから離れたスペースではヤクザ二人が向こうの方で木箱の上に座りながら煙草をすって談笑していた。扉に近いのでその脇には侵入者に対して即座に反応出来る様に木刀や鉄パイプ、バットが転がっている。
「そう。なら良かったわ……」
一緒に連れてこられた田宮の衣服の乱れは無く、体を柱にロープで縛られているだけだった。肩の傷にも包帯が巻かれているし。
「田宮もあいつらに変な事されてないよな?」
田宮が顔を赤くしながら僕を叱る。
「当たり前よ!貴方の近くにずっといるんだから、そんな事されて無いのは知ってるでしょ?!」
「いや、でも、ほら……僕が気を失ってる時とか、トイレに連れて行って貰う時とか」
「大丈夫よ。私も捕まった時、体を売り飛ばされるそれなりの覚悟してたんだけど……ね」
見張り役のヤクザが怒った様な顔をしながら田宮の髪を掴んで上げさせる。僕はそいつに吠える。
「おい!やめろっ!」
痩せたスキンヘッドの男が地面に唾を吐く。
「うるせぇ。お前ら、俺達に偏見持ちすぎなんだよ。まぁ、男の方はともかく女は用無しだが帰す訳にもいかねぇ。とっとと始末するか、売り飛ばすか、こっちで利用させて貰おうと思ったんだが……」
男が残念そうに溜息をつく。
「俺達と共闘関係にある暗殺者達に手荒な真似はするなって釘を刺されてな」
その男が指差した先に黒コートの女性がいつの間にか立っていた。先程、外から車の止まる音がしたのは彼女がやってきたからか?後ろから見張りのヤクザ達が声を張り上げて複数の挨拶する声が聞こえてくる。仲間の何人かも到着したらしい。視点を背後のヤクザ達に向けていると、黒いコートの女の手が顎に触れ、顔を上げさせられる。あの軍服にアーミーメットを被る青年の仲間であろう暗殺者の一人だ。
「また傷が増えたか?」
黒コートの女が黒く長い髪を揺らし、近くにいた見張りの男を射抜く様に睨みつける。その丸サングラス下から緑の瞳が不気味に光を放つ。その色合いは何だか懐かしい気がした。
「い、いえ、あっちの奴です。あいつが……」
黒コートの女が右手をそのまま振り抜くと向こうの方で悲鳴が上がり、背後で何やら騒がしくなる。どうやら投げたクナイが僕を痛めつけた男の足に刺さったらしい。
「痛めつけろと言った覚えはない。次は殺すぞ」
スキンヘッドの男が黒コートの女に怯え、姿勢を正す。背後から怒気を含んだ視線を浴びせられているにも関わらず黒コートの女が僕の体の状態を確認していく。
「他に痛めつけられたところは無さそうだな」
「は、はい。おかげさまで。なんで僕らを守ってくれるような事を?僕は謂われは無いですが、あいつらから恨みを買っています。いつ殺されてもおかしく無いのに。それに田宮の事まで庇ってもらっているみたいで」
黒コートの女が少し照れた様に頬を掻く。肌は透ける様に白くて綺麗だった。
「気にしなくていい。君とそこの女の子は期限まで生かすつもりだから。今は生きてもらう。それだけのことだ」
「き、期限って?」
「私達暗殺者は君を12月23日までに殺すように依頼を受けている。そして私達は君に仕向けられた刺客が悉く姿を消す怪奇現象の原因を確かめたいだけなのよ。だから期限ギリギリまでは生きて貰う」
「それを過ぎたら?」
「期限日に私が殺してあげる。最も痛くなく苦しまない方法で」
「あ、ありがとうございます」
ついお礼を言ってしまったが、この人怖い。
「それより……」
黒コートの女が背中の鞄から四角いケースを取り出して僕の前に掲げる。さっきよりも頬が紅く染まっている。
「なんですか?爆弾?」
恐る恐る黒コートの女が蓋を開けると、少し大きめの切りそろえられたサンドイッチが顔を出す。
「これは?」
「手作り……だよ?」
「じゃなくて!このサンドイッチをどうしろと?」
サングラスが少し下にズレてキョトンとした顔で首を傾げる黒コートの女。そしてしばらく思案した後、ケースの中に並んだ茶色いパン生地にレタスと卵が挟まれたサンドイッチを手にする。僕の両手は鎖でつるし上げられているので手は使えない為だ。
「はい。あーんして?」
僕が口を開けると、少し乱暴にそれを僕の中に突っ込んでくる。顔を赤くさせながらも黒コート女性はなんだか幸せそうな顔でこちらの顔をのぞき込んでくる。いや、そうじゃない、そういうことじゃないんだけど。
「どう……かな?」
「モグモグ、おいひぃれす」
黒コートの女が嬉しそうに笑顔になる。なんだろ、どこか既視感めいたものが。
「あの、何処かでお会いしました?」
「えっ?」
黒コートの女が慌ててサングラスを元の位置に戻すと、鞄から今度は水筒を取り出し、紅茶を飲ませてくれる。
「人違いじゃないかな?それに君は八ツ森では有名人だしね。あの杉村誠一の関係者だし」
「そう……かな?」
近くで田宮が咳払いする。
「ちょっと、石竹君?行く先々で女性を陥落させるのやめてくれないかしら?特に私の目の前で目障りよ」
「「ご、ごめんなさい」」
何故か一緒に黒コートの女性と声が重なる。
「なんで手作りのサンドイッチを?」
「あと1人、毒使いの暗殺者が雇われている。食事に仕込まれたら私でも対応出来ない。これは私が丹精込めて愛情を注ぎ込んで作ったものだ。安全性は保証する」
「ど、毒?もぐもぐ」
愛情まで注いでくれなくてもいいのになと思いながら僕は黒コートの奇妙な暗殺者さんにごはんを食べさせて貰っている。
黒コートの女性が差し出すサンドイッチを全て食べ終えた頃、外から銃声が聞こえてきてフロアー内が騒然とする。
ヤクザの一人がビルの窓から下を覗いて「俺のベンツが!!」と叫んだ後、火柱と轟音がビル内に響く。どうやら外に止めていた車が爆発したようだ。フロアー内にいるヤクザ達がそれぞれ木刀や鉄パイプ、銃を構え出す。目の前にいる黒コートの女性だけは動じずに、僕に紅茶を飲ませた後、近くの田宮にコンビニで買ってきたビニールで包まれたおにぎりを剥くと、そのまま口にそれをくわえさせる。田宮が何か文句を言いたげに黒コートの女を睨みつけているが、その暗殺者はそれがまるで当たり前という様に気にもしていない。
「さて、来客者の様ね」
するりと黒コートの女性が背中から小型の銃を引き抜くと二発、僕の両腕を吊していた鎖を正確に撃ち抜く。あの銃の形状はレミントン・モデル95のダブルデリンジャーだ。(上下二連銃身 中折式拳銃41口径 銃身は3インチ)素早くリロード作業を終えた後、背後にそれを仕舞うとクナイを一本コートしたから取り出し、田宮のくくりつけられていたロープを引き裂く。自由になった田宮が床にうずくまる僕の体を抱える。
「黒いコートの暗殺者さん?」
「烏と呼んでくれていい。ここはもうダメ。最悪、場所を移さないといけなくなった」
間もなくしてフロアーの扉がなぎ倒され、鉄パイプを構えていた男が数メートル吹き飛ぶ。何が起きているんだ?近くにいる田宮も僕にしがみつく。突然の出来事に唖然とする僕らをおいて烏さんが「あらっ?」と疑問符を口する。
「突然失礼仕る!道場破りにきましたーっ!」
その声と共に更にもう一人、ヤクザの男が追加で空を舞う。その声の主、木刀を振り抜いたままの姿勢で待機する制服姿の女子高生。田宮が驚いた声をあげる。
「雀!」
両手に木刀を構えた東雲雀が体を回転させて更に男2人を木刀でなぎ倒す。倒れた男たちは苦しみながらその場でもがいている。その半数が東雲雀に一瞬にして片づけられたが、銃を持った残りのヤクザが照準を東雲雀に合わせる。僕の隣で状況を静かに見守っていた暗殺者の烏さんが静かにクナイを投げる体勢に入った瞬間、扉の方向から怒声と共に銃声が続け様に耳を貫く。
「人の話を聞けーっ!!」
間髪無く繰り出される銃弾に銃を手に持つ男達が照準を扉から銃声と共に現れた金髪の女子校生へと向けられて次々と発砲音が響く。その煌めく金髪が尾を引く様に軌跡を描き、東雲を逃がす様に二丁拳銃を絶え間なく発砲し続けている。狙って撃っているというよりはフロアー内の状況を確かめる為の牽制のようだった。
グロック17を交互に連発している二丁拳銃の女子高生の姿は見覚えがあった。八ツ森特殊部隊「Nephilim」の部隊長で、杉村蜂蜜の義姉さんにあたる「サリア=レヴィアン」さんだった。
そしてその碧眼の目が僕と合うとその口元が微笑んだ気がした。
「木刀娘!私は接近戦は苦手だ。残りの鉄パイプを持った奴は任せる。私は銃保持者を狙う」
フロアーを駆け抜ける東雲から「承知した」と声が発せられた瞬間、鉄パイプを握っていた男と木刀を交差させる東雲雀。
「極道……それは仁義を極めた者。私は武を極めんとする武道の極者。極道の修羅と、剣技の修羅。どちらが上か、いざ、勝負!」
他の男を東雲雀に任せたサリアさんの動きは牽制時とは全く違うものになった。銃を向けられ、発砲されているにも関わらず堂々と進行を続け、東雲に叩かれ床で呻いていた男達を目で確認する事無く的確に銃弾を撃ち込んでいく。フロアーの壁面に男達の血飛沫が飛ぶ。サリアさんの腰にしがみついた男が心臓を撃ち抜かれ絶命し、その体を盾代わりにコルトガバメントの銃を持つ男の一人と距離を詰めていく。男を抱える為に手にしていた片方のグロック17をその場に捨てて。
「そこの黒コートの女!その少年達には手をだすなよ!そこで待っていろ、今殺してやる!」
そうか、サリアさんが身を隠さないのは自分を標的にさせる為か。
「ごめんなさい」
僕はそう一言断りを入れると、近くに居た烏さんを突き飛ばし、サリアさんの進行方向からややズレた位置で銃を構える男に向かって脛にベルトで固定していた隠しナイフを投げつける。投げたナイフが男の背中に刺さって銃声が止み、その場に崩れる。
サリアさんともう一人の男が同時に銃の弾切れを起こし、向かい合った二人の時間が止まる。男が顔をひきつらせて口を開く。
「女子高生がカチこみとはな」
「極道の人間も落ちたな。高校生を人質にとるとは」
「こいつが俺達の兄弟を消したからだ」
「それは謝る。それは恐らく、私の愚妹がしでかした」
背中にナイフを投げつけた男が痛みに苦しみながら僕に銃口を向ける。
「あいつらの敵!!」
男の手にしていた銃から銃弾が放たれると同時に、男の頭が四散して弾け飛ぶ。別の男と対峙していたサリアさんの手に握られた銀色のリボルバーから放たれたものだった。いつの間にか突き飛ばしたはずの烏さんが、僕を庇うように前に立っていた。放たれた銃弾は幸いな事にどちらにも当たらなかったが。
「言っているだろ?私の愚妹がお前等の敵だ。だからその姉である私を狙え」
その隙を突いてリロードを終えた男から弾が放たれ、サリアさんの胴体と腕にそれが命中し、赤い血が弾け飛ぶ。僕は必死にサリアさんの名前を呼ぶがその衝撃で体の軸がぶれて片手に握られた銀色のリボルバーを上手く合わせる事が出来ない。男にもサリアさんの銃弾が撃ち込まれていくが銃撃を止めるに至らない。
「くそっ!死ね!女!あ?」
飛び交う銃声の中、くるくると木刀が回転しながら男の頭部に直撃したのだった。それは東雲雀から投げられた木刀だ。気を失い、その場で倒れるヤクザの男。これでこのフロアーに残るのは暗殺者一人。
「くっ、剣は武士の命。それを投げるなどと、武士の恥」
「だがおかげで助かった。無事か少年?」
僕は前に立ってくれている烏さんの身体の横から顔を覗かして首を上下させてそれに答える。
「すいません!僕がよけいな事をしなければ。それに烏さんもありがとうございます」
「いや、いいさ。こっちも暗殺者と一般人を気にしすぎて上手く立ち回れなかった。プロ失格だな。さて、暗殺者さん、どうする?あとはお前一人だ」
サリアさんが胴体と腕から血を流しながら手にした銀色の銃、ライノと呼ばれるRhino50DS(Chiappa社製)を田宮の側にいる烏さんに向け直す。
「どうするも何も……お手上げね」
烏さんが降参の合図として両手を掲げたその手の隙間から球状のモノが落下し、中から煙が吹き出してあっという間にフロアー全体に煙が充満する。それに乗じて近くの窓ガラスが割れる音がする。物音がした方向にサリアさんが銃弾を打ち込むがその手応えは無かったようだ。
その代わり、扉近くで東雲の声が聞こえてくる。
「むっ?何奴?」
東雲が気配を感じて木刀を振り回し、それが誰かに当たったようだ。
「痛っ!」
どうやら烏さんは扉から逃げようとした様だ。ここビルの三階だしね。
「いたいっ!」
今度は東雲の声が聞こえ、階段を誰かが足早に降りていく音がする。近くからは弾切れを起こしたサリアさんの銃から空の薬莢が排出され、床に金属が転がる音が聞こえてくる。
「木刀娘?命に別状は無いか?」
「うむ。でこピンされただけだ」
「そ、そうか。君といると本当に調子が狂うよ、全く」
呆れ気味にサリアさんがライノの撃鉄を起こすと続けざまにビルの窓に向かって6発それを打ち込む。肌寒い外気と入れ替わる様に高濃度の煙が外に排出されていく。全ての煙が排出されるとサリアさんが携帯で警察に連絡をとっていた。
「こちら、ネフィリム部隊長のサリアだ。あー……天ノ宮サリアと言った方が通じるかな?うむ。そうだ。そちらからエデン第3ビルに人を寄越してほしいんだ。うむ。後始末はよろしく頼む。大丈夫だ。人質だった少年達の命に別状は無い。多少痛めつけられてはいるがな。現場はそのままにしておくが、私は被害者の少年の安否を考えこちらで預からせてもらう」
サリアさんが携帯を仕舞うと溜息をつきながらこちらにやってくる。
「石竹緑青だったな?愚妹からの依頼だ。お前の警護に付かせてもらう」
「はい。えっ、はい?」
「お前の安全性が確認されるまで、私はお前の専属SPだ。貴様を24時間体勢で守る警護人。好きに使ってくれていい」
「え?」
「ん?」
状況が上手く飲み込めない。ハニーの義姉さんが専属SP?
「いや、えっとよく意味が分かりません」
「お前の身の安全は私が保証すると言っている。二度言わすな、恥ずかしいだろう」
返り血を浴びたサリアさんの顔にその血の色とは別の赤みが頬に差す。
「特殊部隊の人が僕を警護?」
「不服か?」
「いえ、むしろ大歓迎です。まさに天から使わされた救いの神、天使様です!」
「馬鹿か。行くぞ!お前は命を狙われている身だろ?もたもたするな」
「はい!あ、ちょっと待ってください。ハニーから借りてるナイフを回収させてください」
僕が男の背中に刺さったナイフを回収している間、サリアさんも床に落としていたグロック17の銃を二丁、腰のベルトに戻す。
「えと、学校は?」
「死にたければ学校へ行け」
「でも、今からどこへ?」
サリアさんが切れ長な目を丸くさせながら明後日の方向を向いて何かに考えを巡らせている。
「そうだな。お前の家でもいいが、必ずそうだとも言えないが、多分木曽組の連中やレコレッタには割れている可能性がある。失踪した愚妹の家でも文句は言われないだろうが……杉村誠一の関係で刺客を送り込まれる可能性もあるか」
田宮が横で東雲との無事な再会を喜び、抱きしめ合っている。よかった。
「少年、ホテルへ行くぞ?」
横で田宮稲穂が吹き出して、僕を罵倒してくる。
「石竹君!あまつさえ杉村さんのお姉さんにまで!」
昼下がりの午後、僕は幼馴染の義姉さんとホテルに行く事になっしまった。これ、暗殺者じゃなくて杉村蜂蜜に殺されるんじゃないかな?
どうした?
何をそんなに戸惑っている?
安心しろ必要な物資は部下に届けさせる。
(サリア=レヴィアン)
……義姉さん?
撃たれた箇所の治療は?
腕はともかく胴体は不味いんじゃ。
(石竹緑青)
あぁ、大丈夫だ。
後で医者をホテルに呼ぶし、私はこれぐらいじゃ死なんよ。痛覚は遮断させているし。
(サリア)
さすが……ハニーのお姉さん。
(石竹)