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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
深淵を覗く怪物
180/319

ごめんなさい。

――12月17日16時00分。


八ツ森市北丘駅の改札をくぐると、日射しを背後に浴びた見知らぬ女性がこちらを向いて立っている。栗原友香くりはらともかかその他の被害者遺族が待ちかまえているのかと思い、手を翳しながらその人物をしばらく立ち止まって見つめる。


 私の視線に気付いたのか、長髪の女性がこちらにゆっくりと近づいてくる。


 よく見るとその人の髪は銀色で日射しを浴びてキラキラと輝いている。日嗣尊が元々銀色の髪の持ち主だったと聞いていたのでもしやと思い、その名前を口にする。


 「日嗣尊みこと!?あなた生きてっ!!」


 その女性は静かにそして悲しそうに首を横に振った。


 「ごめんなさい。私は日嗣さんではありません。……天野樹理さんですね?」


 か細い声ながら芯の通った声はしっかりとよく耳に響いた。私は彼女みことが生きているかも知れない可能性を私の中からすぐに追い出す。少しでも希望を持ってしまえば私は悲しみで前に進めなくなるから。


 「私が刺した人達の遺族の方?」


 その女の人は悲しげに口元だけを微笑ませて首を振ると、デニムワンピースの衣服の胸ポケットから一枚のタロットカードを取り出す。私はそれに倣って鞄に忍ばせてあった「死」のカードを差し示す。相手が翳したタロットカードは「運命」のカードだった。それより人の事は言えないがコートも着ずにその格好で寒くは無いのかな?風が無い日だからそこまで寒くは無いと思うけど。


 「貴女も日嗣尊みことの友達だったのね」


 銀髪の女性がゆっくりと頷く。目元は伺い知れず、白い布をリボンの様に頭の後ろで結んでいる。手には白杖が握られていて、この人、全盲なのに私の事を呼び止めた。よく見ると白杖と思われたものも、音楽家が使う様な指揮棒タクトだった。この風変わりな女性も、日嗣尊の知り合いだというだけでどこか納得してしまう部分がある。そんな私も日嗣尊からタロットカードを渡された変わり者の一人という訳だけど。


 「悪いけど私急いでるの。貴女に構っている時間は無いのよ」


 彼女の横を通り過ぎようと足を踏み出すがそっと上着の袖を掴まれて足を止められる。


 「どうしても行くのですね」


 「やっぱりあなたも私の被害者?」


 「いいえ、違いますが……貴女はこの先に何が待ちかまえているか分かっているのですか?」


 私はため息を吐くと日嗣尊に貰った「死」のカードを鞄にしまう。


 「尊も皮肉なもんよね、こんなカードを私に渡すなんて。深淵の少女らしいといえばらしいけど」


 私の袖に力が込められるのが分かった。


 「貴女にそのカードを渡した尊さんの理由は別の意味を持っていると思います。死のカードは現状の終焉、そして新しい未来への転換期を現します。ただ、逆位置の「死」のカードは行き止まりを意味します。その逆位置を貴女はあなたの意志で正位置に戻したのでは無いですか?」


 私は閉鎖病棟での生活を思い出す。何も変わらない毎日にある日あの子がそのカードを持って現れた。それが転換期を現すのならそれは実現してしまっている。


 「私の意志だけではどうにもならなかったわよ。尊の後にお節介な子達が現れてね。ナイフとマグナム銃を片手に私を駕籠から解き放ってくれたのよ。全部あの子達のおかげ。だから今度は私が返す番なのよ」


「私は!そうなる事が分かっていながら尊さんを止める事が出来ませんでした。もう貴女まで失いたくないんです」


 「何?私はあんたにそんな感情を抱かれる由縁は無いんだけど?邪魔しないでくれる?大事な人が人質にとられてるのよ」


 布越しに私の目を見つめてくる銀髪の不思議な女性。


 「貴女が警察に通報出来ない理由は察しがつきます。でも踏みとどまって下さい。彼女達は目の前で大事な人をあなたに殺された人達です。行けば必ず貴女の目の前でその人は殺されます。そして激情にかられた貴女は再びあの悲劇を繰り返して……憎悪の連鎖が再び八ツ森を支配します」


 こんなオカルト女に付き合っていられない。その手を無理に解く。


 「あいつらがやろうとしてる事なんて大概察しがつくわよ。そうさせない為に行くのよ。今度は私が!そんな運命斬り拓いてやるわ」


 手を弾かれたにも関わらず、不思議な色が揺らめく銀髪女性が私の事を抱き締め、耳元で囁く。


 「(このホームにも被害者遺族の方達が監視の目を光らせています。まだ貴女には気付いていませんが、駅を出て目的地に近づいていけばそれも時間の問題です。私の友人に天ノ宮サリアという警察関係者がいます。どうか私に連絡を取らせて下さい。私の友人も何人か手助けしてくれるはずです。必ずこの事態を上手く納めることが)」


 私よりも背の高い銀髪女性を突き飛ばす。


 「貴女は余計な真似をしないでくれる?違うのよ、それじゃあ憎しみは止まらない。私は、私は荒川静夢を助けるし、それにあの人達の事も救いたいの!」


 「あなた自身が死んでしまったとしてもですか?」


 私はこの手のお人好しを知っている。私を檻の中から解き放ってくれたあの子達みたいで呆れてしまう。けど、こういう子達が居るから私もまだこの世界に希望が持てる。北白直哉とその協力者の子供達。あの子達ならそんな奴らに負けたりなんかしない。


 「人を殺した私だけが、安穏と前に進むなんて出来ない」


 銀髪の女性が眉を潜めながら声を張り上げる。


 「バカッ!貴女もあの北白事件の被害者なんですよ!一方的な加害者面しないでっ!」


 「……し、知ってるわよ。だからこそ出来ることもあるの。あのさ、お姉さん、いや?お嬢さんかな?あなた何歳?幼く見えるけどこう見えて私21歳だから」


 「わ、私は……一応17歳です、そ、そんな事より」

 

 そっとヨハンの入ったトートバッグをその女の子に引き渡す。

 

 「ちょっと預かっといてくれる?私の大事なものが中に入ってるから」


 銀髪の女性が「ぬいぐるみ?」と首を傾げながらそれを受け取る。そういえば日嗣尊は死者の言葉を代弁出来る銀髪の霊能力者が友達に居ると話していたのを思い出す。


 「尊が言ってたわ。死者と話をする事が出来るお友達がいるって。貴女がその子ね?」


 「犬?えっ?はい、恐らく私の事だと思います」


 「死者は……尊はなんて言ってるの?」


 白いリボンを目に巻いた少女が難しい顔をして困り顔になる。目の動きが分からなくても感情が読みとれる事から本来は感情表現豊かな女の子みたいだ。


 「私は死者の声しか聞けません。生きている方は直接お会いしてお話しして頂いた方が早いですよ?」


 「それって、どういう……」


 口に笑みを称えながら私に言葉を付け加える。


 「八ツ森を囲む霊樹は結界であり、又牢獄なのである。樹理さん、安心して下さい。世界は表裏一体、目に見えなくても彼らはちゃんとそこに居るんです。だから寂しくなんか無いんですよ」


 そんな荒唐無稽な話に呆れる私はクスクスと笑いながら彼女にお礼を言う。


 「ありがと。ずっとピリピリしてたけど、あなたのその変なお伽噺話のおかげで少し気が和らいだわ。あなたは私の事を知ってるみたいだけど、私は知らない」


 やや紫がかった銀髪の少女が可愛く口に手を当てる。


 「私ったら、うっかりしていました。私の名前は「陽守芽依ひもり めい」です。この八ツ森と黄泉の秩序を守る防人、運命のカードを持つ者です」


 「そ、そう。すごいのね。私は天野樹理。深淵の少女と呼ばれた者よ」


 「それだけですか?私に貴女はとても聡明で他人を思いやれる優しくて犬の散歩が大好きな女の子に見えます」


 「すごい具体的ね。占い師にでもなれるんじゃないかしら?」


 「フフッ、考えておきます」


 私は目の見えない彼女に一礼すると、反転して駅の出口に向かって大きな声を張り上げる。足を力強く一歩前に繰り出し、歩幅を大きく力強く地面を踏みつけながら。


 「私が天野樹理よっ!!11年前40人をナイフで斬りつけ、8人殺した多重殺人者!人は私の事を「深淵の少女」と呼ぶ!さぁっ!!私に殺されたくなかったら出てきなさい!私に恨みを持つ人間!この怪物バケモノが相手よ!」


 私の声が雑多の中フロアーに響き、先ほどの銀髪の女性が叫ぶ声を背後に聞きながらこちらを睨みつけにじり寄ってくる中年男性が二人現れる。


 「天野樹理だな?大事な人を殺されたくなかったら大人しくついて来い」


 「そう言ってるでしょ?私は逃げも隠れもしない」


 その男に連れられて私が駅を出るとあの日、私が森から降りてきた時の風景が目の前に広がる。それは私が無関係な通行人を斬りつけた犯行現場の光景だ。ここから目立つ大きなデパートが2件に、並ぶバスやタクシー。遠くの噴水が設置された憩い広場。そこに荒川静夢しずねぇが茶髪の紺色のコートを羽織る女性に腕を捕まれているようだった。ここからの距離はまだ六十M以上ある。すぐには駆け寄れない。


 ごめんね、静夢お姉ちゃん。

 もう少し我慢しててね。

 <栗原友香くりはらともか


 数十M先に男二人に連れられて天野樹理がその姿を現しました。その姿はまさしく悪魔の様でした。

 11年経った今も、髪の長さ以外に主立った変化が無く、その当時の禍々しい姿を晒していました。私は鞄に忍ばせていたペティナイフを荒川静夢の胸元に突きつけながた合図の声を上げます。


 「さぁ、地獄で語らいましょうか!天野樹理さん!深淵を覗き、怪物となった私達と!」


 私の声を合図に今回協力を得る事が出来た38人の遺族がそれぞれの手に棒や鉄パイプ、農機具にカッター、ナイフを掲げます。天野樹理をここまで運んできた中年男性、自分の娘と息子を失った遺族の方達が一端、天野樹理から距離を置くと、仲間の殿方から折りたたみ式のナイフを手渡されます。


 少女一人に対して38人はやりすぎでしょうか?


 私はそうは思いません。うち20人程は天野樹理が間違っても逃げない為に円陣を組むように配置させて頂きました。それにすぐ終わっては面白くありませんからね。外側の円を作る人達にはナイフを。その円の内側に待機している人達には殺傷力の低い角材や鉄パイプを意図的に持たせています。じわじわと弱ったところで私はこの左手で拘束している女性の心臓をペティナイフで突き刺してその血を浴びながら絶望して貰おうと思います。そして後ろに控えているナイフを持った殿方達、とりわけ樹理さんに恨みを抱く人達から全身を刺してもらうのです。そして最後の止めはもちろんこの私が!


 紅く燃える夕日が森の中に消える様に沈んでいきます。その鮮烈な色は私が昔見たあの光景を思い起こします。太陽と入れ替わる様に駅前の繁華街に等間隔に並んだ街頭がチカチカと灯りを灯し始めます。街頭に照らされた噴水広場がまるで一つの舞台の様にライトアップされていきます。


 私は大声で天野樹理に呼びかけます。


 「樹理さん!あなたの大切な人はここに居ますよ!?」


 先程まで下を向いていた樹理さんが夕日を背後に浴びながらゆっくりとその目を見開きます。38人の男に囲まれて萎縮する気配も見受けられませんでした。全身が翳りを帯びながらもその目は遠くからでも分かるほどに薄暗く不気味に鈍い光を放っていました。深淵色の瞳とでも言うのでしょうか。脳裏に11年前の彼女の姿が蘇ります。「私は生贄じゃない」という悪魔の囁きとともに。樹理さんが当時よりも少し大人びた声色で私に返事をします。


 「栗原友香さん、会えて光栄だわ」


 私も彼女の独特のペースに巻き込まれない様に荒川静夢のボロボロになった姿を見せつけてやります。


 「樹理さん、お久しぶりね。多分、11年ぶりかしら?」


 「そうね、11年と38日ぶりかしら?随分とお老けになられて一瞬だれか分からなかったわ?」


 「あらあら、あなたこそ子供ガキのままで時間が止まってしまったのかしら?小学校にでも通い直されてはいかがでしょうか?」


 天野樹理さんがクスクスと悪魔の様に笑い声のボリュームを上げていきます。


 「何がそんなにおかしいのかしら?あなたの大切な人が人質ですのよ?」


 私が荒川先生の体を前に突き出し、軽く肩口をペティナイフで裂くとシトシトとその紅い血が流れ落ちていきます。それでも樹理さんはその舐めた態度を崩す事はありませんでした。


 「私がここに出向いたのは逆に貴女達をこの場におびき寄せる為よ」


 「はっ?何をバカな」


 「当たり前でしょ?こんなに騒いでしまえばすぐに警察が駆けつけて貴女達は無実の人間を集団リンチしようとした罪で裁かれる。あ、もちろん、その女に暴力を振るい、包丁で人を傷つけた傷害罪で貴女は刑務所行きね」


 「法律がお前を認めても私達は認めない」


 「ありがとう。私もあなた達を認めない」


 「死ね!天野樹理!」


 「誰が死ぬもんですか。さっさとその女を殺しなさいよ。そして今度は貴女が長い時間を鳥籠で過ごすのよ」


 私に流れる全身の血が沸き立ち、腸が煮え返ります。私は価値の無くなった荒川静夢を後方に投げ飛ばすとペティナイフを掲げて人垣を分け、直接天野樹理本人に近づいていきます。

 天野樹理が笑い声をあげながらその口元を歪めました。そのおぞましい笑みにこの刃を一刻でも早く突き立てたくて仕方ありませんでした。


 「なんで、なんでこんな奴の為に父が死ななきゃならなかったのよ!お前さえ居なければ!お前さえ!!」


 私が近づくにつれ、天野樹理の顔から笑みが消えていきます。まさか、これは陽動?私は咄嗟に振り返り、荒川静夢が逃げない様に叫びます。


 「誰か!荒川静夢を捕まえて!」


 天野樹理を囲む38人の大人達が一斉に後ろに振り返りますが既に遅く、一番外側に陣取る遺族から荒川静夢の姿が見えないとの報告があがります。私は歯を食いしばりながら天野樹理を睨みつけます。


 「よくも私を騙し……て?」


 私の体を得体の知れない何か、とてつもなく大きく広い圧力を感じて身動きがとれなくなってしまいます。


 しきりに天野樹理が鼻をヒクヒクと動かし、辺りの臭いを嗅いでいます。


 「約40人。あの時よりも規模は小さいわね。この円陣、私を逃がさない為に用意したものでしょうけど、外側に配置された人達から鉄の匂いがする。刃物を所有するのは栗原友香と円の外側に配置された人だけみたいね」


 こちらの情報を看破していく彼女に私は私の想定の範囲を超えた存在に恐怖感を抱いてしまいます。この目の前の少女は到底私達が理解できる存在ですら無かったのです。私は怯え、足が竦み、体は自然と彼女から遠ざかろうとします。


 「逃げないでよ。私はこれから合法的に貴女達を、一人残らず、抹殺出来るお楽しみ会の始まりなんだから。静姉しずねぇが逃げ出して警察が駆けつけるまで長くて15分。当時は飲まず食わずで下山した足で40人切りつけた。今の私なら15分で38人を殺しきれる。今度はヘマせず、きっちりと殺しきってあ・げ・る」


 天野樹理の淡い緑のワンピースのスカートがふわりと揺らぎ、その下から腿に固定されたナイフが一瞬にしてその小さな手に握られていました。黄銅色のグリップに刃渡り13cmほどの黒い刃のナイフが鈍い光を放っています。街灯に照らされたその刃にはRAT–5と刻印されているように見えました。


 「最初っから、そのつもりだったのね」


 天野樹理が掲げたナイフを下げ、両腕を力無くだらりとたらします。大きく息を吸い込むと頭を地面に向かって垂らしました。


 「これが私の隠しナイフよ。そしてこれが私の闘い方。街灯を潰して」


 静かに天野樹理がそう呟くと憩いの噴水広場をライトアップしていた街灯が次々に音を立てて割れていきます。その場に集まっていた38人の遺族が怯え、混乱していきます。あぁ、これではまるで、あの場面を再現しているようなもの!この光景を脳裏に焼き付けている私達の体が自然と強ばるのを感じました。


 所々で戸惑いの声が聞こえ、私の名を呼ぶ声がします。


 「構いません!誰でもいい!その悪魔を、深淵の怪物を殺してしまいなさい!!」


 私の声に我に返った男達が腕に力を込め直し、頭を垂れる天野樹理に狙いを定めます。


 最後の街灯が破裂する間際、天野樹理の口から声が漏れてきます。


 「ホンモノの怪物を見せてあげる」


 天野樹理を中心に一層深く濃い暗闇が拡がった様な錯覚を覚えました。私達をまるで飲み込む様に広がった闇と共に天野樹理、いや、深淵の怪物は私達の間をするりと音もなくすり抜けていきます。大柄な男達ばかりを集めた性でしょうか、闇に紛れて動く彼女を捕らえきれずに振り回した角材が空を掻き、被害者遺族の同士討ちに近い現象を巻き起こしています。最初の悲鳴が聞こえて来たのは中心地から一番外側に居る人達からです。男の短い悲鳴のあとに苦しみに喘ぐ男の呻きが遠くから聞こえてきます。その数は次第に数を増し波紋の様に広がっていきます。悲鳴の聞こえた方に皆が駆けつけようとすると、離れた違う場所で次の悲鳴が上がります。


 自分の居場所を特定されない為に次々と標的を変えて動く深淵の少女はとても手に負えるものではありませんでした。得体の知れない怪物に心が蝕まれていく中、近くで男の声が上がります。


 「居たぞ!そこだ!」


 外側に配置した人間をすっかりと狩り尽くしたの天野樹理が、まるで狩りを楽しむかの様に私の近くの男を斬りつけて再びその姿を闇に紛れさせます。近くで腕と足を傷つけられた男から飛び散った血が私の衣服を紅く染めます。このままでは終わりれません。私は腰を抜かしていましたが、私達を庇って天野樹理に立ち向かった父の事を思い浮かべながら腰をあげます。


 「皆さん、何の為の十一年間だったんですか?あなた達の憎しみはナイフを振り回す小さな女の子に怯え、竦むだけに重ねた年月だったのですか?違うでしょ?あの女に一矢報いるために全てを捨ててこの場に集まり頂いたのでしょ?!」


 私の檄に我に返っていく男達。そう、それでいいんです。


 数M先でナイフを構えていた男性の刃が空を切ると小さな悲鳴が上がります。偶然とはいえ、闇を縫うように駆ける少女の体を引っ掻いたようでした。


 噴水広場の石畳に血痕が線を引き、天野樹理が男の足に引っかかって転がります。私が急いで駆けよると想像以上に深手を負っていました。それに大分息も上がっているようで、ナイフを持つ手が震えているように思えます。群がる男の一人が大型の懐中電灯を天野樹理に向けると眩しそうに怪物が目を細めます。私はすぐさま男から懐中電灯をとりあげると周りの状況を確認します。


 「今動ける者は手にしている物を掲げて下さい!」


 驚いた事に38人居た人員の半数近くが減らされていました。それも掲げた手には角材や鉄パイプばかりでナイフ等の刃物保持者は2人しかいません。鉄の匂いが分かると言ったのはハッタリでは無かったという事でしょうか。長い角材を持った男が天野樹理を小突く様に地面に突き倒します。満身創痍なのか大した抵抗もせずに地面に転がります。


 ナイフを持った男が天野樹理に向かってナイフを下ろしますが、寸前で自分の手にしたナイフで応戦します。驚いた事に天野樹理のナイフが簡単に相手の男のナイフを切断し、その勢いを利用して、その体を回転させながら相手の腿を斬りつけます。そして再び動き出した彼女は最後のナイフ保持者に叫びながら飛びかかり、手の甲を切りつけてナイフを奪い取ります。


 「よく斬れるナイフをお持ちのようですが、肝心のあなたの方が先にダメになってしまいそうですね」


 天野樹理を再びライトで照らすと、衣服は所々破れて裂け、タイツにも穴が空いています。そしてその衣服は返り血で真っ赤に染め上げられていました。


 「もう楽に殺されたらどうですか?最初の勢いはどうしたんです。もうそろそろ15分ぐらい経ったように思いますけどね?」


 彼女には私の声が届いていないほど疲労しているのか、ゼェゼェと荒い息づかいが止まる事はありませんでした。そしてしきりに何かを呟いています。それは大事な人の名前でしょうか。ブツブツと繰り返し何かを呟いています。


 鉄パイプを持った男が天野樹理さんに殴りかかろうとすると、どこからかナイフが飛んできてそれを邪魔しました。そのナイフは狙い澄ましたように手の甲を貫いていました。やはり別に仲間が居るのかも知れません。


 視線を元に戻すと天野樹理の姿が忽然と消え、再び私達はその姿を見失ってしまいます。


 「あなたのどこにそんな体力が残っているというんですか!?もう終わりにしましょう、あなたはどっちみち助かりません!もう意識も朦朧として倒れる寸前じゃないですか」


 私の声は空に消え、再び男達から悲鳴があがります。


 次々と男達の体から血が吹き出し、その場に倒れていきます。残り5人となった私達はお互いの背中を守る様に背中合わせに集まろうとしますがその途中で2人が投げナイフと天野樹理によるナイフの斬りつけにより、犠牲になります。


 もうこちらには3人しか残っていませんがこの人数になってしまえば、もう人混みの中に紛れて姿を消す戦法は使えません。


 私は私達の目の前に深淵の底から怪物が這いだしてくるのを待ちかまえます。


 「……さい」


 もう立っているのが不思議なぐらいボロボロになった天野樹理が私達の前に音も無く現れます。


 私の後ろから二人の男が前に出てきて天野樹理を捕まえようと掴みかかりますが、意図も簡単に避けられ、一瞬のうちにナイフで斬りふせられる男二人。


 私と、栗原友香と、深淵の少女天野樹理がナイフと包丁を片手に向き合っています。


 「……藤……夫さん……ご」


 意味不明な言葉の羅列、もう彼女は壊れてしまったのでしょうか。


 私は手にしていたぺティナイフを手に彼女に近付こうとするとどこからか獣の唸り声と共に、茶色い塊が私の喉元に喰らいついてきました。息苦しさを感じながらニチニチと食まれる音に寒気を催し、その物体をぺティナイフ柄で打ち付けると地面にどさりと崩れ落ちて動かなくなりました。小さな犬の様でした。私の首の小さな噛み傷からポタポタと血が流れ落ちていきます。


 目の前に天野樹理が正気を取り戻した様にその犬の名前を口にします。


 「ヨハン、あなたまで私に付き合う事無かったのに……」


 その愛おしげに見つめる眼差しがかつての大好きだった父を思い起こさせ、不快感を覚えました。


 「やっと……あなただけになったわね」


 全身傷だらけなはずの彼女は足を引き吊りながらこちらに向かって来ます。


 「天野樹理!お前は狂ってる!そうまでして私達を殺したいのか!」


 私は相手と刺し違える覚悟で眼を瞑りながらぺティナイフを天野樹理の体に向かって突き立てます。人を初めて刺した感触が生々しく刃を伝って手元に纏わりつく感覚がありました。

 恐る恐る眼を見開くと、私の突き出したナイフが天野樹理の胸部に突き立てられていました。深淵の少女の口元から一筋の血が流れていきます。私の体は不思議と無傷でした。犬に噛まれた箇所以外はですけど。


 「あのね、ずっと貴女のお父さんに伝えたかった事があるの」


 少女の様な声色に驚いた私は、その罪悪感から反射的にナイフを握る手を離しそうになりますが、刺されている天野樹理自身が引きとめます。右手に固く握られていた黒い刃のナイフを自分の腿に固定されたホルダーに収納します。そして深淵色の瞳から次々と光輝く涙の粒を溢れさせています。私が刺したのは怪物などでは無く、只の少女である事をその涙を見て再認識させられました。


 「私が最後に刺し殺した人。栗原友介さん。貴女はその娘。だから最後に貴女に止められてこの悪夢は終わるの」


 「な、何をおっしゃっているの?」


 「あの日、君のお父さんは私を助けてくれたの」


「助け?何を言ってるの?あなたが私の父を刺したんじゃない!」


「あの時、近くに警官が駆け寄って来てたでしょ?」


天野樹理の細い胸周りと小さな唇から赤い血が滴り落ちてきます。それに全く構うこと無く深淵の少女は語り続けてきます。


「友介さんが私を止めてくれたの。刺されるのが分かってて身を挺して私を止めてくれた。……被害があなた達に及ぶのを恐れていたのもあるけど……何より夕闇の中、私が小さな子供だと認識される前に銃で撃たれるのを防いでくれたの。この場所で死ぬはずだった私の運命を……貴女のお父さんが変えてくれたの。だから、私の命を終わらせるのも貴女の役目」


確かにあの時、駆けつけた警官に私は発砲を促した。恐らくその声を私の父が聞いて……彼女を助ける決意をしたんだと思う。私の……私の性なの?私が彼女を殺してと願ったから……。あの時覚悟を決めた父の顔を思い出す。


「私ね、年下で少し頼りないけど……優しい男の子の事、好きになれたんだ。病院を出て1週間ぐらいだったけど……家族も帰りを待っててくれたし……あなたのお父さんにありがとうを伝えたくて」


「なら、最初からそう言いなさいよ!私!刺しちゃったじゃない!なんで、そんな!」


「そうでもしないと、人は刺せないよ。でないと貴女は今度は罪悪感に一生苛まれる事になる。そして……栗原友香さん、ごめんな……さい。大丈夫、警察は……呼んで無いよ……逃げ……」


そこで彼女は事切れた様に膝をついてゆっくりと、近くに倒れている茶色い毛並みの犬と寄り添う様に倒れ込みました。


「そんな……私に殺される為だけに……この人数の人を刺し殺して……」


辺りを見渡すと呻き声を上げていた被害者遺族達が傷口を抑えながらこちらに歩いてきます。


「そのお嬢ちゃんは、自分が傷つきながらも致命傷になる箇所は外してくれていたみたいだ……すごく痛いがね」


倒れている人達に駆け寄ると全員が苦しそうにしているものの、息をしていない人間は一人も居ませんでした。


「そんな、嘘よ……偶然死ななかっただけで……」


立ち上がってきた遺族の一人が私に声をかけてくる。


「その子、意識が朦朧としながらも最後まで何かを呟いていたろ?」


私にナイフで刺される前の断片的な言葉を思い出す。


「あれ、全部、彼女が斬りつけた40人もの名前を繰り返し呟きながら……只管謝罪してたんだよ。ごめんなさい、ごめんなさい……って」


「じゃあ、私がした事って!何だったの!?反省していた無罪判決が下された普通の女の子をよってたかって虐めたって事!?」


私が自暴自棄に泣き叫ぶと、後ろから私を叱り付ける声がした。


「そうだよ。お前らは罪の無い女の子を集団で暴行した。悪質な犯罪集団だ」


そこには顔に青痣作った私が人質にとった女性……荒川静夢教員がそこにいました。


遠くで響くサイレンの音と共に慌ただしく救急隊員が担架に天野樹理を乗せると、酸素マスクを彼女にはめます。


「私の妹……娘みたいな子だ。絶対に殺さないでくれ」


荒川教員の言葉に救急隊員が力強く頷き、そして近くで動かなくなっていた茶色い毛並みの犬をそっと抱き抱えると、そのままどこかに歩いていきます。


「待って!教えてほしいの!私達はどうしたら良かったの?家族を殺された私達の無念は一体誰がはらしてくれるの!?」


荒川教員は片手に犬を抱きかかえたまま、タバコを1本取り出して火をつけました。


「知るか。法がお前らを裁いてくれるよ。そうだ……もし、樹理ちゃんが死んだら、私が今度はお前の家族を誘拐するから覚悟しておけよ」


冗談とも本気ともつかない言葉はタバコの煙と共に風に掻き消えていきます。もしかしたら、あの深淵の少女は…….自らが起こしたこの憎しみの連鎖を自分で断ち切りたかったのかも知れません。間も無く警察が到着して、この場にいる38人全員が警察に連行されます。警察に連絡したのは荒川教員で、あの子は本気で私達を逃すつもりだったのかも知れません。不可解な事と言えば……天野樹理の掛け声と共に弾けた街灯と一瞬の隙をついたとはいえ、その場から完全に姿を消す事が出来た荒川教員逃亡だ……誰かが彼女を影から助けていたのだろうか。


貴女は貴女の意志でもって運命を切り開いたのです。大丈夫、きっとあなたは助かりますよ。


それより、気になるのは……あの人の存在ですね。天野さん一人なら体力切れを起こした中盤で殺されてしまう運命にありました。


月のカードを持つ者……貴女は一体?


あっ!サリアさん!

やっと電話が繋がった!!


もう!どれだけ連絡したと思って!!


え?


ある少年の居所を探してるですって?


大丈夫ですよ、きっとそのうち親切な方が善意で教えて下さいますよ。


安心して下さい、隠者の彼はまだ生きてますよ?義妹の居場所……も?えっ?!サリアさん妹さんがいらしたんですか?!


私にもサリアお姉ちゃん!

って呼ばせて下さいよ〜。

あ、切られちゃった。


(陽守芽依)


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