八ツ森小3女児無差別殺傷事件
2001年11月8日夕刻頃、八ツ森市内の森で捜索願いが出されていた天野樹理(9)さんが北丘駅周辺まで1人で下山したその足で繁華街の通行人数十人を手にしていたナイフで斬りつける事件が発生しました。保護された少女の衰弱は激しく、また錯乱状態が続いており、警察では詳しい経緯などについて詳しく調査を進めています。
十一年前の2001年11月8日、八ツ森市の北方の森から近いこの北丘駅周辺の繁華街で私の父、栗原友介は一人の少女に刺し殺されました。
私の名前は栗原友香当時11歳です。刺した少女の名前は天野樹理9歳の女の子でした。
市内に3つ程しかない駅周りは、十一年前でもそれなりに充実した店舗が建ち並んでいたように思います。北丘駅周辺もそれに倣う形で、タクシーやバスのターミナル、大型デパートが二件ほど立ち並び、その間を町の花屋さんやパン屋、ケーキ屋さん、個人経営の電気店や、玩具店などがところ狭しと賑わっていた様に思えます。
その日、父の勤める大手の電器メーカー先から一足早く冬のボーナスが出たらしく、木曜日にも関わらず家族皆で近くのデパートでちょっと奮発した夕飯を買いに徒歩で出掛けました。
仲睦まじく並んで歩く栗原家は何不自由無い幸せそうな家庭に人様からは映っていたと思います。私はその日食卓に並ぶ母の作る豪勢な料理を夢想しながら父の手を繋ぎ、笑みを称えていたのだと思います。9歳になる弟がデパートの玩具売場で買って貰った大きな箱を袋から取り出して大事そうに抱えていました。当時流行っていた戦隊ものの超合金ロボというやつかしら?私は特にほしいものなどありませんでしたが、どうしてもと父が言うので小学生用の可愛らしい紺色の冬物コートを買って頂いた記憶があります。私は何より、父に引かれる暖かい右手に幸せを感じていました。11歳ともなると父方に嫌悪感を抱き始めるお友達も現れ始めていましたが、私の父はとても紳士的で素敵な方でしたのでそういう嫌悪感を抱いた覚えはありませんでした。いつもは仕事で遅い父の帰りがその日、早かったのは家族サービスとして会社側から特別に帰宅させて頂いたのだと思います。私の母も買い物鞄片手に私の空いた左腕を繋いでくれました。弟は終始、しっかりと超合金ロボットを抱き抱えたままで呆れてしまった記憶があります。
「友太、よっぽど嬉しいんだな」
父が私達三人の前を少し歩く弟の友太に危険が及ばない様に優しく見守っていました。視線は弟の方を向いていましたが、私と手を繋ぐその左手の暖かさはそのままで緩める事はありませんでした。
「ママは何か欲しいもの無いかい?」
母が遠くを見るように何かを考えています。
「そうね……ママは何もいらないから、友香に何か習い事をさせてあげたいな」
私を優しそうに見つめる母に私は顔を輝かせます。私の頭の中にはピアノやバイオリンなどの演奏が頭に浮かんできます。クラスの女の子は嫌々それらに通わされているようでしたが、私はそれを常々羨ましく思っていました。私は元気よくピアノのお稽古したい!と答えようとすると、遠く、森に面した北側の方から複数の叫び声が聞こえてきました。
緋の夕日が沈み辺りが暗くなってきた時間帯だったと思います。
北丘駅周辺、少し混雑した中、最初に上がった叫び声を皮切りに次々と男女問わずに大小の金切り声が次々と上がっていきます。
一瞬の様で長い長い時間の様に思え、世界が歪んだような錯覚と共に背筋に何か得体の知れない重圧がのし掛かってきました。その正体が分からないまま、森側から阿鼻叫喚と共に人々が逃げまどう様にこちら側に流れ込んできました。
私の父がその手を離すと、その人ごみに弟が飲まれない様に引きよせ、背中を押し寄せる人々に向けました。
何が起きているか全く理解出来ませんでした。
最初は一定方向に逃げていた人達が今度は四方に逃げ惑っています。
彼らが何から逃げているのか分かりませんでした。その震源、狂気の源が一人の少女だと気付いた頃には一度沈んだ夕日が再び浮上したのかと思うぐらいの鮮烈な血の赤が辺りに飛び散っていました。
私達家族は何が起きているか理解出来ないまま立ち尽くしていました。
母が私を守るように私の体を背後から抱きしめます。
「友介さんっ!一体何が起きてるの?」
父が弟を抱きしめながら目を細めて必死に辺りの状況を確認しようとしています。
「血だ、血が飛んでる」
父の顔から汗が滲み出します。父は感じ取れないみたいでしたが、私は敏感にそれを感じ取っていました。暗く薄暗い狂気が、深淵から這いだしてきた様な感覚に体が凍てつきます。丁度、私の視線からは見えていました。人々の間を縫う様に長い黒髪を揺らしながら、黒い風の様な少女が人々を切り裂いている姿が。私が父に叫びます。もうその黒い風は数メートル先まで迫っていたからです。
男の人の大きな叫び声と共に人垣がかき分けられ、青い制服を着た警察官が銃を片手に私の背後から現れました。しきりに手元の無線で現状を報告しています。私はこれで助かると思いました。
「こちら八ツ森支部、分かりません!何者かが数十分に渡り刃物を振るい続けているようなのですが、夜闇に紛れて姿が見当たりません!もう何十人もの被害者が出てる状態です!発砲の許可をお願いしますっ!」
私が警察の人に叫びます。
「早く!早くその女の子を撃って!!出ないとパパが殺されちゃう!!」
その私の言葉に警官が振り向き、そして父が抱いていた弟をこちらに突き飛ばしました。父の顔は青ざめていましたが、何か覚悟を決めていたそんな表情でした。弟が父に突き飛ばされ転倒します。警察の人が人波から弟を庇おうと駆け寄ります。そんな中、私と父の視線が交差しました。
目で私に話しかけてきます。
母と弟を頼んだぞと。
父が弟に駆け寄る警察の姿を確認すると、自ら前に人波に逆らって踏み出しました。
近くで一際大きな叫び声が聞こえました。それは私と母の叫び声です。父はその深淵から吹き出した黒い風、闇を纏った怪物が父を刺したからです。父は私達を庇う様に、その小さな怪物を力強く抱き締めたまま動かなくなりました。
八ツ森小3女児無差別殺傷事件、その40人目の被害者、8人目の死亡者は私の父「栗原友介」でした。
その後、父に抱き止められた女の子は警察の人に拘束されました。
恐ろしい声で深淵の悪魔は「私は生贄じゃない!」とずっと囁いていました。その声が私の耳からずっと離れません。
そして今、2012年12月17日16時9分。
ここ北丘駅の当時の現場にその事件の被害者遺族の一部、38人が深淵の怪物「天野樹理」を取り囲んでいました。
貴女にとってもこの現場は地獄でしょうが、私達にとってもそれは同じです。
「さぁ、地獄で語らいましょうか。天野樹理さん。深淵を覗き、怪物となった私達と」
私の声を合図に天野樹理を囲む被害者遺族達は互いに手にした武器になりそうなもの、木の棒や鉄パイプ、農機具、カッターやナイフを手に掲げ、当時とほとんど変わらない姿の悪魔の様な少女に詰め寄ります。その人垣と、荒川教員の首に包丁を突きつける私を不振がって通行人が止めに入ってきますが、私が無言で睨みつけるとその場から逃げていきました。大丈夫、大事になる前に殺してしまえばいいだけの話です。
そして彼女の目の前で最も大事にしている人間を殺す。
それが私の復讐です。
ぐったりとする荒川教員に包丁を突きつけながら囁きます。
「さぁ、宴の始まりです。11年前から見続けている悪夢からお互い目を醒ましましょう」
口を布で塞がれている彼女が私を睨みつけてきますが、あまりに暴れるので先ほど少し、男の方々に痛みつけて貰いました。これでほとんど動けないはずです。殴られた顔に青痣が浮かび、鼻からは血を流した跡が痛々しく残っています。
「悪魔に味方するから痛い目に合うのです。もうすぐ、もうすぐその痛みから解放して差し上げますからね」
彼女の目に私はどう映っているのでしょうか。私もまた彼女にとっては怪物に見えているのかも知れませんね。
あぁ、私を悪夢から救い出してくれた救世主様。
私は貴方に感謝致します。
今日という素晴らしい日、正義の鉄槌を下す機会をお与え下さった救い主様に!
「私は、生贄じゃない……生きる資格を得たの。私を殺さないで!」(天野樹理(当時9歳))