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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
魔の二週間の始まり
171/319

万が一の勝機


鬼軍曹(さとう) 佐藤深緋(こきひ)の接客訓練が終了し、クタクタに疲れきったメイド達を、佐藤の母親 桃花褐(つきそめ)さんの特製ハンバーグが癒す。


佐藤家のハンバーグは絶品で、どこか懐かしい。

 杉村が特大パフェを平らげたにも関わらず、目の前に出された佐藤家特製ハンバーグをぺろりと完食するが、食べ過ぎて苦しいらしい。椅子に深く腰掛けて僕の方を辛そうに見つめてくる。


 「ろっくん、動けないよぉ」


 苦しそうにしている杉村の膨らんだお腹を触ると、今にも破裂しそうなくらい膨らんでいる。三人前のパフェにハンバーグにコーンスープに大盛りライス。そりゃあそうなる。


 「食べ過ぎだな。家に帰ったら胃薬飲もうな」


 「違うよ、これ、ろっくんとの間に生まれる予定の子供だから」


 「……そんなパフェとハンバーグの材料で出来た子供なんて知りません」


 「ち、違うよ!肉と生クリームが主成分じゃなくて、私の卵とろっくんの精……」


 横に座る若草が咄嗟に杉村の口を塞ぐ。


 「あぶねぇ。食事の席でそんな話はするな」


 周りの心理部員達も気の性か表情が硬まっている。天野樹理さんや荒川先生、佐藤の両親は特に変化を見せないが。


 「助かったよ、青磁」


 「もごもご?(あれ?コウノトリさんはどのタイミングで活躍するんだろ?青ちゃんはなんで口塞ぐの?)」


 錯乱している杉村はとりあえず置いといて、現状報告。文化祭に催すメイド喫茶の開店に向けて心理部員(+α)が接客方法を叩き込まれて疲れていたが、佐藤の母親、見た目も若くお姉さんでも通りそうな長身でスラッとした「佐藤桃花褐さとう つきそめ」さんの栄養満点のハンバーグを食べて元気を取り戻す。

佐藤喫茶の大きなテーブルを囲むように、僕の左側に四方田卑弥呼よもだ ひみこ先輩が座り、僕の右側から順番に杉村と若草が並んでいる。その向かい側に学校の制服に着替えた江ノ木カナ、留咲アウラ、東雲雀しののめ すずめ田宮稲穂たみや いなほが座り、右サイドの席に荒川先生と天野さんが並んで座っている。そして左サイドに、佐藤一家が4席あるうちの3席を埋めている。

空いているその席にも空の皿が置かれていた。桃花褐さんが食後の珈琲を淹れる為に立ち上がるのを目で追っていると、僕に何故かウィンクを飛ばす桃花褐さん。僕がおどおどしていると、隣に座る四方田先輩が、佐藤深緋の横に席を移そうとする。


 「深緋こきひちゃん、横いいかしら?貴女とお近付きになりたい」


お皿がその席に用意されている事に気付いた四方田先輩が佐藤の横に座ろうとしたのだが、それを佐藤は引き留めた。佐藤がうっかりしたような顔をして、やんわりと着席を断る。


 「その、ごめんなさい、四方田先輩がどうという事では無くて、この席は、空けておきたいんですよ。私たち家族のおまじないみたいなもので。私の右側の席は必ず空席にしているんです」


 四方田先輩が残念そうに僕の席の左側に戻ってくる。


 「そう……。石竹君か私を避けてるんじゃなくてよかったわ。それなら仕方ないわね。私はこの没個性君の隣で我慢するとしますか。あ、宜しく、石竹君」


 切り替えは早いらしく、僕にも平等の笑顔で分け隔て無く接してくれている。人見知りせず、分け隔てのない性格は生徒会所以なのだろうか。田宮は分け隔て無く厳しい生徒会員だが。


 「こちらこそ、です」


 「ハハッ、そんな緊張しなくていいよ?私がキツくあたる男子は生徒会員だけだからね」


 「あっ、そうだったんですか?部室に査察で訪れた時、二川先輩や不二家ふじや先輩に強くあたっていたので、男全般が嫌いなのだと」


 四方田先輩が特徴的な八重歯をのぞかせながら、人懐っこい笑顔で手を顔の前で振り、僕の見解を否定する。


 「違う違う。まがいなりにも生徒会だよ?身内に甘くしては示しがつかないからね。それに君の事は有名だし、部費を悪用していた「軍部」を潰す際には色々情報提供してもらったからね」


 以前、廃部に査察が入った時に事前に情報を流していた事があり、その時に生徒会である四方田先輩とも少し顔は合わせていた経緯がある。僕と四方田先輩のやりとりに右隣で苦しそうに呻く杉村の視線を感じるが気にしない。


 「それにしても……ん?査察?心理部に査察に行った時の事かい?」


 「はい。ランカスター先生や佐藤の策略で、文化祭の催しスペースを奪っちゃってすいませんでした」


 四方田先輩がいぶかしむように僕の顔を除いてくる。


 「いや、それは別に気にしてないよ。元々、クレープなんて焼いて文化祭を潰すよりは、近くで深緋ちゃんや、樹理たんの給仕姿を見れる方がいいしね、そんな事より先日の生徒会の査察の時に君は居なかったよね?確か資材の搬入だとかそんな理由で」


 「え?」


 四方田先輩が再び席から立ち上がり、周りを見渡している。


 「それより、今日はあの二人は居ないの?」


 「……二人?」


 あ、しまった。先日の査察の時、僕と若草は居ない事になっていた。招待を見破られた田宮の方を向いてもお手上げだというジェスチャーをするだけで全く助けてくれる気配は無い。


 「喉に包帯を巻いた儚げな美女と、ミニスカメイド服の八重歯がキュートな美脚メイドさんは?」


 僕は冷や汗を掻きながら左の側面に座る佐藤の方を見る。今にも吹き出しそうに口を手で押さえる佐藤の姿があった。右の方から殺気を感じるのは多分、若草からのものだ。


 「ちょっと、彼女達は用事があって、今日来れないって連絡があってですね……」


 四方田先輩がため息をついて残念そうに下を向く。


 「そうかい。なら、仕方無いか。彼女達のメイド服姿を私も楽しみにしていると伝えてくれたまえ」


 「ぜ、善処します」


 もう本人には伝わっているけど。珈琲をそれぞれの席に用意している佐藤の母、桃花褐つきそめさんが謎の少女について四方田先輩に尋ねると、携帯を取り出して何かを見せている。


 「深緋ちゃんのお母様。私が探しているのはこの美少女2人の事なんです」


 「へぇ……綺麗な子ね。この辺りでは見かけない……娘ね?あらっ?何処かで頻繁に見かけているような……どこでだったかしら?」


 桃花褐さんが携帯の画面と僕の顔、そして若草の顔を交互に見定めている。いつの間にか写真を撮られていたらしい。


 「この当たりでも見かけない子で、あまり学校に顔を出さない子らしいのですが残念です。心理部員ならまた会えると思ったんですが……」


 僕が誤魔化すようにフォローを入れる。ジト目の桃花褐さんの視線が僕に痛いほど突き刺さる。


 「文化祭には出てくれるそうなので、大丈夫ですよ、また二週間後会えますよ、きっと!」


 「君は案外いい奴だな。杉村さんが惚れるのも分かるよ。ところで私はね、美少女が大好きだ。でも、抱き締めたいタイプの美少女と、眺めていたいタイプの美少女がいる」


 何故か急に語り始めてしまったぞ?桃花褐さんに見せていた携帯を閉じて仕舞うと拳を強く握りしめる。


 「小さくて可愛い、樹理たんや深緋ちゃんは一日中抱き締めていたい」


 目を丸くして戸惑う佐藤に「嫌よ」と普通に拒否する樹理さん。


 「そして前の席に座っている留咲アウラさんは一日中揉んでいたい」


 僕がついついアウラさんの胸元に目線を送ると、それに気付いたアウラさんが顔を赤くして胸元を手で隠してしまう。ランカスター先生より大きな胸はブレザー越しでもそのボリュームに眼がいってしまう。


 「何を揉む気ですかっ!石竹君はこちらを見ないで下さい!」


 頭を掻いて謝罪する僕。視線を戻す際に、佐藤の父親と目が合ってしまい、お互い照れ隠しに咳払いをする。多分、ぺドの若草は一切反応していないのだろう。


 四方田先輩が「何をって、留咲さんの大き過ぎるおっぱい」と答えると「セクハラで生徒会を訴えますよ!」とアウラさんが裁判で戦う姿勢を露わにする。さらに四方田先輩の演説は続く。


 「そして杉村さんは眺めていたいタイプの美少女ね。だからいつも廊下で杉村さんをずっと眺めている生徒会長の気持ちは少し分かるのよ。私は首に包帯を巻いた儚げなメイドさんと杉村蜂蜜さんとがイチャコラし合っている姿を眺めていたいんだ」


 歳上の四方田先輩の中性的な疲れた大人っぽい表情でため息をつく。なんか木田の様な美的観点の持ち主だ。彼女もまた杉村の美しさと可愛さに魅了されていた1人だ。その言葉を聞いた杉村が満腹で動けない体にむち打って、左手を僕の腕にのばしてくる。


 「ろっくん、イチャコラしよっ?」


 「イヤ、こらっ」


 僕と杉村のやりとりを一切無視して四方田先輩の話は続く。


 「どちらかじゃダメなんだ。二人が揃った姿を拝みたい。あのやりとりには禁断の愛を感じた。でも、話によると杉村さんは今週末に英国に帰ってしまうそうじゃないか」


 「あっ、生徒会の方々も知ってたんですか?」

  

 「偶然だけど、学校に八ツ森の特殊部隊「Nephilimネフィリム」から軍用ヘリ二台の着陸許可を得る為の電話がかかってきてね。何事かと英語教師の小川先生に問い詰めたら教えてくれたよ。厳戒体制を引いて英国本土からも特殊部隊が派遣されるらしいよ?」 


立ち会うのは杉村の義姉さん、サリア=レヴィアンさんだけでは無いらしい。さすがは政界の令嬢である。英国本土からも上陸してくるとは。それだけ、杉村の人質としての価値はあるのだろう。もしかしたら、これを見越して杉村誠一さんはハニーを化物染みた強さに仕立てあげたのかも知れない。まぁ、その警備体制なら何が起きても問題無いだろう。安心した。これで杉村をもう巻き込まなくて済む。これは、あいつらと僕の問題だからだ。もう杉村は巻き込めない。日嗣姉さんとの約束に背く形になるけど、もう杉村は巻き込めない。僕の右腕を引っ張る杉村が悲しい声で訴えかけてくる。


「ろっくん、私、嫌な予感がするの。だから……」


「だからこそだよ。危険な目に合わせたくないんだ。それに、ハニーちゃんは日本に居ない方がいい。警察に容疑者として捕まる前に一度英国に戻った方がいいと思うんだ」


杉村が怯えながら頭を押さえる。


「もう一人の私が……殺したと思う。だから私は殺人者。捕まって当然なの」


 その言葉に敏感に反応する佐藤の母、桃花褐さん。長くサラサラと流れる髪がその動きとともに左右に揺れる。


 「ハニーちゃん、さっきも言ったけど君は殺人者じゃないわ。物的証拠も見つかって無いのに自分の事をそんな風に言わないで」


 杉村がしょげた顔で下を向いて謝罪する。


 「ごめんなさい。でも、私の知らない誰かの記憶の中に、血まみれになった男の子や女の子の姿があって……多分、今学校で失踪している生徒達の顔だと思うの」


 「それは……」


 桃花褐さんが困った様に言葉を詰まらせる。杉村の中に眠るもう一人の人格について全てを把握している訳では無いからだ。先日、日嗣姉さんは退行した杉村(ロリ村)に対して失踪している軍部の人間は杉村によって殺害されたと他生徒の前で宣言した。

けど、僕に耳打ちした言葉は杉村を信じるように促すものだった。物的証拠とまではいかないが、杉村の黄色い手帳には軍部メンバーリストが有り、行方不明になっている部員との整合性もとれていた。間違いなく杉村は軍部のメンバーを認識していた。遺体は軍部の新田透のものしか発見されていないが、その半数以上がこの3ヶ月以内に消息不明になっている。


僕が眉をひそめていると、この場の空気を変える為に四方田先輩が口を開く。


 「杉村さん、考えても分からない事を悩むよりさ、成り行きでこうなってしまったけど、文化祭に心理部が開くメイド喫茶、成功させようじゃないか」


 杉村が悲しみの表情のまま四方田先輩を見る。


 「でも、私、今週の日曜日には英国に強制送還されちゃうよ?文化祭の日、私は居ないの」


 四方田先輩が呆れるように溜息を吐きながら杉村の方を見つめながら、僕の左肩に手を置く。


 「君の愛はそんなもんかい?儚げ美女とのイチャコラもいいが、君はこの男を愛しているのだろ?」


 杉村が顔を紅くさせながら何度も頷く。


 「君はこの男の子に会いたくて、わざわざ英国から来日してきたのだろ?」


 「うん。ろっくんにどうしても会いたくて」


 「そんな彼と何も無いまま英国に帰るのは嫌だろ?」


 杉村が更に強く頷く。


 「せめてチューしてから帰りたい」


 四方田先輩が首を振る。僕は杉村と四方田先輩との間を交互に首を振っている。


 「バカッ、全部奪ってしまえ。移動用ヘリにもう一人ぐらい乗るスペースはあるだろ?本当にこの男の事を愛しているなら、拘束してでも連れ帰るか、意地でも日本に残る事だ。特殊部隊に、正規の英国軍?上等じゃないか。君の愛が試されているんだよ……」


「愛が試されて……いる。私の愛は……地獄よりも深く、天国よりも高い……」


 なんか物騒だな。杉村がしばらく考え、何かを決した様に四方田先輩の方を真っ直ぐ見つめる。


 「私、英国は嫌い。日本が好き。ろっくんもパパも、皆も居る日本にずっと居たいっ!」


 四方田先輩が僕の肩を叩いて「そういう事だよ」と僕を諭す。


 「ろっくん、私ね、日本に、この八ツ森に居たいの。私達が歩めなかった7年間、もう一度ろっくんと一緒に歩みたい、私ね……まだまだ」


 僕は杉村の言葉を遮る様に杉村の意見を否定する。


 「ダメだ。帰れ」

 

 「でも」


 「もう決まった事なんだ。それを今更変えるつもりは無い。それに、必ず全てにカタがついたら……ぶへっ!?」


 僕の言葉の途中で杉村の拳が僕の胸部に炸裂して後方の客席を巻き込みながら数メートル吹っ飛ぶ僕。


 「ろっくんのいじわるさんっ!」


 多少加減されているとはいえ、久々に喰らった杉村の拳は想像を絶する威力を有している。これなら、もし、犯人や悪い奴と遭遇しても対処可能なのかも知れない。杉村が僕を殴った自分自身の拳を信じられないように見つめ、涙を流しながら喫茶店から飛び出していく。寂しげに来客を告げる店内のベルが鳴り響く。突然の出来事に身動きの取れない面々を見て、桃花褐つきそめさんが立ち上がる。


 「コッキー、追いかけてあげて?」


 「いいけど、この場合、石竹君自身が……」

 「いいから行きなさい」


 桃花褐つきそめさんの真剣な眼差しに折れた佐藤が杉村を追いかけようと立ち上がろうとするが、それを止めさせる為に若草が代わりに立ち上がる。此方に目配せした後「俺が行く。気が強いとはいえ、紛いなりにも女子に夜道を一人で歩かせるのは危険だしな」僕が頭を下げると、ヒラヒラと片手を上げてそのまま退店する。倒れた椅子と机に埋まる僕を桃花褐さんが目の前にやってきてそこから引っ張りあげてくれる。


 「ホント、君達は不器用ね」


 「そう、ですね」


 口の端から血を流す僕の顔を見て微笑みながら溜息をつかれてしまう。


 「お互い大事に思ってる癖に、思いすぎてうまくいかないのよ」


 「そう、かも知れませんね」


 「君達は最終的にどうなりたいの?」


 僕は締めつけられる心を誤魔化す様に無理矢理微笑む。


 「僕等は前に進みたいだけです」


 桃花褐さんが僕の頭を撫でながら耳元で囁く。


 「緑青君、皆が帰ったあとでちょっと残ってくれるかしら?」


 色々と説教をされる事を覚悟でそれを了承する。


 「分かりました。僕だけでいいですか?杉村は此処に戻ってくるか分からないので」


 「いいわよ。儚げなメイドさん」


 あっ、完全にバレていたようだ。桃花褐さんが僕の手を引いて、席に着かせてくれる。


 「と、とにかく文化祭を成功させて、君達の素敵な青春の思い出の1ページになる事を私は何より願っているよ。みんな、私も尽力するから頑張ろうね?」


 四方田先輩がこの重い空気を変える為か、机を囲む面々に、エールを送ってくれる。それに思い思いに頷くメンバー達。彼女が生徒会副会長を務められる理由が少し分かったような気がした。


 僕らに良い高校生の思い出を作らせてあげようと必死なのだ。でも、僕らが迎える文化祭はそうはならない。


泥臭く、血にまみれた最悪の結末になるだろう。心配そうにこちらを見ている佐藤深緋の視線を感じてそちらを向く。深緋の隣はいつも空席だ。それは深緋の右隣にはいつも彼女の妹「佐藤浅緋さとう あわひ」が座っていたんだと思う。僕と深緋の間にはいつも彼女が座っていたのだろう。食事の席で僕と佐藤の席は無意識に一つ分空けられている理由が長年分からず、佐藤浅緋の事を忘れてしまった僕は深緋に嫌われてしまったのだと勘違いしていた時期があった。

その誤解の発端もこの無意識の習慣からきていたのだ。事件の真相を父から聞いた今の僕ならその理由も分かる。


深緋の隣の空席は、本来座るはずだった人物の為に常に空けられている。その席は僕が殺した女の子が座るべき場所だ。佐藤一家は恐らく、7年経った今も、当時の痛みを忘れていない。


 僕と杉村の事に対しては沈黙を貫いていた佐藤の父が僕の容態を心配して声をかけてくれる。


 「緑青君、口が切れて血が出ているけど、大丈夫かい?それに久しぶりに顔を合わすのもあるかも知れないが、少し雰囲気が変わったというか、気分が優れない様にみえるけど?」


 四方田先輩が、僕の血に気付いて素早く手持ちのハンカチを当ててくれる。そんなこと自然にされたら惚れてしまいます。返さなくていいよと前置きし、それを口の端にあてたまま佐藤の父親に返答する。


「宏治おじさん、大丈夫です。少し睡眠不足なぐらいです」


日嗣姉さんの件で睡眠をとれていないのもあるが、父から告げられた真実、佐藤の妹を殺したという事実が僕の罪悪感を締め付けている。そんな顔色の悪い僕を気遣ってか深緋がフォローしてくれる。


 「仕方ないわよ、父さん。日嗣さんが行方不明で、緑青は心配で仕方ないのよ。父さんも私が行方不明になったら心配でしょ?」


 娘の言葉を受けて佐藤の父、佐藤宏治さとう こうじさんが手にしていた金色のスプーンを食器の皿に落としてしまう。深緋の方を叱るように見るが、視線がこちらを向き、何かを言いあぐねてその言葉を飲み込む。7年前から中学生の頃まで、佐藤一家にお世話になっていた時、佐藤には緑青と名前で呼ばれていた。佐藤深緋こきひが宏治さんや桃花褐つきそめさんに僕の事を話す時は自然と名前で呼ばれるのでなんだか懐かしい感覚になる。学校では絶対に緑青とは言われない。深緋が目を丸くして硬まっていると、宏治さんが片手で目頭を押さえ、ため息ながらに深緋に注意する。


 「そういう事を言うのは例えであっても止めてほしいな、深緋」


 佐藤が息を飲み、空席になった隣を見つめながら謝る。


 「……ごめんなさい」


「いや、いいんだ。こちらこそ取り乱してすまない」


 しばらく宏治さんが、口に蓄えられた髭を片手でさすりながら、優しい顔に戻って僕の方を見る。


 「今は日嗣さんの娘さんが心配だね。日嗣さんのところは只でさえあの北白事件で1人失っているんだ……」


 自分の娘を事件で2人とも失った遺族の悲しみは計り知れない。向かい側に座る留咲アウラさんが耐えきれずに涙を流す。接客の練習をしている間も彼女はずっと元気が無かった。僕かそれ以上に。そんな留咲さんを見て心配そうに四方田先輩がオロオロしている。


 「私、私があの時、追いかけていれば……。石竹さんに任せっきりにしないできちんと私も追いかけていればっ!私、ひどい事を言ったままお別れして、それで、それで私、みこっちゃんにひどい事を!」


 昨夜、日嗣姉さんを追いかける道中に、留咲アウラさんと遭遇し、行き先を教えて貰った。恐らく日嗣姉さんがアウラさんを突き放したのは意図的で、彼女を危険な目に合わせない為、そして何より自分が居なくなったあと、彼女の悲しみを和らげる為にわざと嫌われようとしたのだろう。


 悲しみにくれる留咲さんに声をかける天野樹理さん。


 「アウラ、あのね、私思うの」


 「樹理たん?」


 アウラさんが顔を上げて天野さんの方を見る。

 「君にひどい事を言ったり言わせたりしたのは多分、こうなる事を予見しての事だったと思うの」


 アウラさんが首を傾げ、波打つ長い黒髪が肩に垂れ、青い瞳が上方を向いて揺らぐ。ここ最近の日嗣姉さんとのやりとりを思い出しているのだろう。


 「ここ数週間、ずっと一緒に帰ってくれませんでした。私や石竹君、杉村さんと一緒にアニメ研究部の撮影に付きっきりなのもありましたが、それが終わってからも私と距離を置くようになったのかも知れません。知らない間に変な噂も上級生の間で流れていましたし……」


 「変な噂?」


 天野さんが愛らしく小首を傾げる。すっかり短くなった髪がそれに合わせて軽く揺れる。


 「はい。この場で具体的な事は言えませんが」

 「何?言わないと分からないわ。答えなさい」

 「その、えぇと」


 確かにこの食事の場では言い辛い。虚偽とはいえ、日嗣姉さんは上級生の男子達を誑かし、ホテルに連れ込んでいたなど。


 「彼女が突然自らを死んだ姉と名乗り始めた狂女だとは聞いた事はあるけど、他の噂も何かあるの?」


 アウラさんが顔を真っ赤にして、両手に指先を体の前でモジモジしている。なんだか可愛い。佐藤も内情を若草から聞いている為、顔が赤い。ため息をつきながら若草がアウラさんの代わりに答える前に、状況が進展しない事に苛立ちを覚えた田宮が代わりに答えてくれる。


 「天野さん、留咲さんが差している噂は日嗣さんが、上級生の複数の男子と肉体関係にあった噂です。なぜかは分かりませんが、上級生の男子、それも杉村愛好会のメンバーばかりをターゲットにしていたらしいの。男を漁りたければ、自らの権力が及ぶ「星の教会」の従者の方を選ぶのが自然だと思うんですけどね。杉村さんを愛好する男子に嫉妬していたとも思えませんし、そこは謎です。もしかしたら、ただの悪い噂かも知れません」


 潔癖性な佐藤が、口に含んだ珈琲を吹き出してしまう。樹理さんが顔色一つ変えずに会話を続ける。


 「あの刺された生徒会長も、蜂蜜を崇める「杉村愛好会」のメンバーなのね?」


 それに珈琲を啜りながら答える学年代表の田宮。


 「はい。そうですね。私は二川先輩の方から日嗣さんを誘った様に思います。彼は美少女となると見境ありませんから。四方田先輩の様に」


「あんな男と一緒にしないでくれたまえ。分別は弁えているつもりだ」と四方田先輩がカップに注がれた珈琲に口をつけながら弁明する。東雲も反論する様に制服のポケットから何かのカードを出す。


 「あまり部長を悪く言うな。あ、そうだ。これが杉村愛好会の会員カードだ。ある日、二年A組の窓際で杉村を見つめている細馬という男が話し掛けてきて、作って貰った。タダで」


 田宮が含み笑いを湛えながらジトリと東雲の方を見る。


 「すず(東雲雀)は杉村さんの事、お気に入りだもんね。杉村さんが夏休みに猟銃で撃たれた時も、危険を顧みずに森に入ってたしね」


 東雲が顔を真っ赤にして否定する。


 「ち、違う!私は、私と対等に渡り合える猛者を探し求めているだけだ。強ければだれでもいい!杉村蜂蜜で無くてもいいもんっ」


 東雲雀、二年にして剣道部副将。大会では何度も八ツ森高校を優勝に導いた実力者だ。剣道部部長とどちらが強いのだろうか。彼女よりも二川亮ふたがわ りょうの剣力が勝るのなら、勝ち目は無いかも知れない。日嗣姉さんは、僕にこう言った。二週間後の文化祭当日、北白事件に荷担した二人の少年のうちの1人と僕とが顔を合わせる機会を作ったと。樹理さんの推測が正しく、その片方の荷担者が、生徒会長で剣道部部長の二川亮なのだとしたら……僕は生徒会長と正面から対決しなければならない。勝てるのか?


「東雲さん、いや、東雲師匠」


急に僕に話しかけられた東雲が戸惑いながら僕に顔を向ける。なぜだか顔が赤い。


「東雲さんと二川先輩では、どちらが強いんですか?」


東雲が腕を組み、眼を瞑って考える。


「うむむ……私は杉村蜂蜜とほぼ互角で戦えると思っているが、ほんの少しだけ、杉村の方が勝っていると思っている。部長と比べた場合、総合的な強さなら私の方が格段に上なはずだ」


「もし、僕が二川先輩と戦った場合、勝つ見込みはある?」


「無い」


何の躊躇も無く、その質問を切り捨てられる。やはりそうか。東雲はおバカさんだが、こと戦いに於いては一級品の強さを誇る。その見立てだけは僕なんかよりも正しい。


「私達は、その一振りの為に日夜鍛錬を積んでいる。それを鑑みても普通の文化部の男子高校生が剣道部員に勝てる見込みなど、万が一、億が一にも無い」


「そっか、分かったよ……」


 夏休み、山小屋で目出帽を被った男と対峙した。


 その男も剣道の様な構えをした。そして、その相手に殺されそうになった。バールを持った男に手も足も出なかった。もし、その男が二川亮なのだとしたら、勝機は無いに等しいだろう。


「だが、あくまで普通の文化部の男子高校生を想定した場合だ」


東雲が制服のポケットからヘアピンを出してかかる前髪を留め、鋭い戦士の眼差しが僕を射抜く。


「東雲……さん?」


「君は自分の事を普通と思っているか?」


僕は自分の掌を見つめ、確かめる様に強く握り締める。


「普通……じゃないな」


「そうだ。百が一に、もしかしたら勝てるかも知れない。ただ、剣道という枠組みでは絶対に戦うな?」


「肝に銘じるよ……。あのさ、杉村に遠く及ばないけど、後日、僕と手合わせして貰えないか?」


「いいだろう。その気概、しかと受け取った。何時でも相手してやる。今でもいいぞ?」


東雲が足元に置いていたらしい竹刀袋を手にする。そもそも杉村との決闘を目的にここへは集まった。近くに座る佐藤が目を丸くしてこちらに目をやる。


「緑青、本気?あなたじゃ絶対に東雲さんに勝てないわよ?この学校で杉村さんと対等に渡り合えるただ一人の人物なのに。それになんでまた……よりによって剣道部部長と……」


その真意を知る樹理さんが、僕にだけ分かる様に僅かに微笑みながら呟く。


「(だからこそよ……)」


佐藤が続けて僕に言葉を投げかける。


「復讐なんて止めなさいよ?いくら日嗣さんが行方を眩ます原因を作ったのが二川さんとはいえ……それに、彼は今、怪我で療養中なんだし」


ん?本当に僕は万が一にも勝てないのか?今、彼は病院で……僕はある事に気付いて立ち上がり、樹理さんの方を改めて見つめる。


 「樹里さん」


 その深淵の双眸が僕をとらえる。


 「全部、僕の為だったんですか?」


 その言葉の意味が分からない樹理さん意外のメンバーが首を傾げている。僕の言葉の意味を理解した上で樹理さんが優しい表情で頷く。


 「貴方の方が彼女の事をよく知っているでしょ?私が彼女と顔を合わせたのは病棟を含めてほんの数回よ?多分、彼女の事は誰よりも君が知っている。君の中にその答えはあるはずよ」


 そうか、そうだったんだ。


 なら、この勝負、勝機がゼロな訳では無いはずだ。タイムリミットは二週間後の文化祭。それまで奴らは色々な手で僕の命を狙ってくるはずだ。本人は恐らく病院で入院しているから、送られてくるのは恐らく刺客、もしくはもう1人の共犯者か。下を向いて固まる僕を心配そうに四方田先輩がのぞき込む。


 「大丈夫かい?色々あったからね、疲れているようだし、今日は早めに帰って寝るんだよ?」


 「ありがとう、ございます」


 絶対に、絶対に生き残ってやる。そして、僕は……。

「ところで緑青君……うちの娘にそろそろ乗り換えないかい?ちょっと小さいけど、同じ幼馴染じゃないか」(佐藤宏治)


「ちょっ!父さん!?」(佐藤深緋)


「何言ってるの?私のものだから」(天野樹理さん)


「モテモテだねぇ、ろっくん。ところで、どうでもいいけど、私も居るからね?」(江ノ木カナ)

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