転校生 杉村蜂蜜
離れた魂同士がもう一度近付く。それが本来の居場所であるかのように。同じクラスは羨ましいな。
久しぶりに再会した幼馴染に声をかけようと「ハニーちゃん」と僕が呼びかける前に彼女自身の口から名前が語られた。
「……えっと、皆さんコンニチワ。杉村 蜂蜜です。こんな髪と眼の色だけど、日本語は話せます。だから、そんなに警戒しないで……下さいませ」
ペコリとお辞儀をする杉村蜂蜜。
ん?ハニーじゃないのか?でも蜂蜜って……ハニーの和訳だよな?その僅かな躊躇が声をかけるチャンスを無くしてしまう。 立ち上がる学年代表 田宮 稲穂。 杉村を姓を名乗る彼女の足元を指差し注意する。
「貴女!靴!!それ下履きじゃないの!?」
慌てて顔を田宮に向けた杉村は、驚いた表情で自分の足元に視線を移す。
「靴?シタバキ……?(ゲタ……?)」疑問符が一杯の杉村さん。
「いえ、これは英国に居た時から愛用しているローファー、日本の女子高生もよく履いていると聞いた事が……」生徒全員の足元を見る杉村。「白い……スニーカー?あ、選定を私、間違えましたか?」あたふたする杉村。そこに担任が口を鋏む。
「おいおい、稲穂ちゃん。嫉妬心から文化の違いを盾に、いじめるのは良く無いぞ?」
改めて杉村を見た担任が軽く謝罪する。
「杉村、ごめんごめん。上履きを渡すの忘れてた。後で石竹に持ってこさせるから、足のサイズを教えてね?」
「ハイ!申し訳ござらん!!」
何故か古風な謝り方をする杉村に生徒の笑い声が教室で弾ける。先程までの神秘的な空気が嘘の様だ。いや、台無しかな?
杉村は「……早速失敗した」と小さく呻り、一度教室全体を見渡した後、僕と目が合うと、視線が止まり何故か首を傾げて一時停止したかと思うと、顔を真っ赤にして手元にある鞄に顔を疼くめてしまう。他の生徒につられて珍しく笑う田宮が、目に溜まった涙を拭いながら杉村に挨拶し直す。
「ごめんなさい、あなたに悪気が無かったように、私にも悪気は無かったのよ。生徒会関係の仕事をしている分、変に細かくなってしまってね……お詫びに私の権限の元、気の効かない担任の代りにクラスメイト42人全員に自己紹介させるわ?それと名簿も渡すわね。漢字は読める?」
コクリと頷く杉村。笑いに包まれているクラスの中、僕以外に表情を変えていない者がもう一人居た。隣の席に座る佐藤だ。
「杉村ってまさか、杉村おじさんの娘さん?……あの子がどうして?」と呟いている。
その後僕達は、田宮の指示により自己紹介させられる事になった。担任は、田宮に気が効かないと言われた事に対抗して、自分の席を杉村にゆずる。
「私は 田宮 稲穂 、皆からは……様付けで呼ばれたり、2つ星とか委員長とか言われているわ。貴女は好きに呼んでくれていいけど、様付けだけはやめてよね?一応生徒会に所属して、学年代表もやらせて貰っているの。校則は守ってね?」と釘を刺す田宮。
次に出席番号1番から順番に自己紹介する様にと名指しされる生徒。
ちなみに僕は2番だ。
覚えているのかな?彼女は……僕の事。
僕の自己紹介が始まる前に、近くにやってきた荒川先生に、職員室にある杉村の上履きを取りにいくように指示される。
「何故に僕なんですか?」
担任に渡された紙切れには杉村の靴のサイズが書かれていた。
「ん?お前は自己紹介なんか今更いらないだろ?いいから行ってこい」
手元のメモを広げて、杉村の足のサイズを確認する。「24……」つい口からその数字を言いそうになった瞬間、担任に口を塞がれた。
「靴のサイズも乙女にとってはなるべく伏せて置きたい数字なんだよ、心得なさくらんぼくん」
「関係ないでしょ!」と静かに突っ込みを入れた後、僕はそそくさと教室を出ようとする。扉を開けて出て行く間際、視線を感じてそちらに振り向く。そこには光を湛え、黄金に輝く杉村蜂蜜が居た。
やはり僕の知る友人にそっくりだ。
暫く視線が交差する僕達。
声をかけるか躊躇した瞬間、出席番号3番の男子生徒の紹介が終わり、それに答える形でお辞儀をする杉村。
こちらを見ていたのは気の性だったのかな?それに7年も前の事、もう、彼女にとっては過去の事なのかも知れない。少し寂しくなりながらも、僕は教室を離れる。
彼女の上履きを職員棟の担任の席から見つけ出し、教室に戻る頃には自己紹介の時間は終了しており、1限目の国語の授業が始まっていた。
彼女はその日一日中、担任の席で授業を受ける事になったので、教壇を横切るのにはさすがに罪悪感を覚える。僕が彼女に上履きを渡す事が出来たのは1限目の後の休み時間だった。
それでも、やはり障害が付きまとった。
噂を聞きつけた他のクラスメイト達がこぞって2年A組に押し寄せ、彼女を質問攻めにした。彼女は瞬く間に校内のアイドル的存在となった。
彼女の少し世間ズレした所も、同性からの嫉妬心を緩和させるのに役立っている。というよりも、彼女のその天使の様な容姿があまりにも規格外過ぎて嫉妬心すら湧いて来ないのだろう。
僕はまるで芸能人に群がるファンを掻き分けるような感覚で人集りの中を進み、上履きを杉村に手渡す。
「杉村……さん!これ、担任から渡す様に言われてた……あぁっ」
僕は揉みくちゃにされながら人垣の外に押し戻される。下手すりゃ怪我をしていた所だ。多くの喧噪の中、彼女は微かな声で僕の名前を呼び、お礼を言った気がした。
「なにニヤニヤしてるの?」と群がるファンに殺されそうになった僕を引っ張り出してくれた佐藤が声をかける。
若草も俺は興味範囲外だが、確かに美しい存在ではあるな。と珍しく肯定している。
「ニヤニヤなんかしていない」僕の心の中はもやもやで一杯だった。彼女がどこか遠い存在になってしまった様に思えたからだ。
でもまぁ、これから時間はいくらでもある。彼女のファンが落ち着くまで我慢だ。
幼馴染のあいつかどうか確かめるのはそれからでも遅くないか。別人ってことは無いだろうけど、僕みたいな冴えないくんは、昔遊んでた位で何様のつもり?とか思われたら……多分一生立ち直れない。
脳裏の幼い彼女が黄色いレインコートを着て、その太陽の様な笑顔を僕に向けてくれる。
さよなら、僕の太陽。
暗い顔をする僕を心配して慰めるように肩をポンポンと佐藤と若草に叩かれる。
数日後、休校日を挟んで全体朝礼が体育館にて行われた。正式に彼女の事が全校生徒の知る所となる。そして、時を同じくして紹介された新しい教師が校長先生によって紹介される。杉村に続き、どうやらまた外国人のようだ。
「日本の皆さん、ハジメマシテー!ゼノヴィア=ランカスターでーす!彼女と同じ英国から来ました。ここへは、スクールカウンセラーとして新しく配属される事となりましたー。27歳独身です!」
英国人なのに米国人の様なノリで生徒に挨拶する白衣の美女。彼女は杉村が静かに輝く月だとしたら、激しく燃え盛る太陽の様だ。
その炎のように燃える赤髪に、青い眼、白衣の下に来ている黒いカットソーから無駄に主張しすぎている胸元が青春真っ只中の男子生徒には毒だ。
しかし、それにしても彼女から溢れる太陽の様な雰囲気とは対照的に、その肌の色は杉村のそれよりも白くまるで死人の様だ。特徴的な八重歯はどこか吸血鬼の様でもある。そういう意味では彼女もまた月側の人間、夜の住人なのかも知れない。
杉村はというとその隣で腰を抜かした様に驚いた顔をしている。ん?知り合い?
それより、僕は眠い。
昨日、少し夜更かしをしてゲームをしすぎた。ゲームもいいけど、新しく入る部活決めとかないとなぁ。
叔父さんとの約束で今の生活の保障は20歳までだから大学に入れる保証は無い。就職の時、部活動に専念していましたっていうのは大きなプラスポイントだし、軍部が生徒会に潰されて帰宅部のままというのもなんだか印象を悪くする。いや、そもそも軍部に入っててもプラスにはならなかったか。
この時はまだ気付くはずも無かった。この高校に訪れた新しい住人達が僕の運命を左右させる事など。
程なくして生徒全員にスクールカウンセラーからの軽い心理分析のテストが出題され、後日、なぜか僕と佐藤と若草の仲良し3人組みが目を付けられて無理矢理「深層心理研究部(仮)」に入部させられる事になるのだが。
相変わらず、転校生杉村蜂蜜は人気者で、声はかけ辛いままだ 。時々目は合うのだが……合ったら合ったですぐ目を逸らされてしまう。
今は、とりあえず、彼女自身も新しい生活に慣れるのに大変だからそっとしておこう。あ、そうだ。今度、杉村おじさんを見かけたら、話を聞いてみよう。それがもしかしたら手っとり早いかも知れない。
それにこうして高校生活を送っていれば話かけるチャンスは幾らでもある。そう信じて疑わなかった。
この時のこの軽い考えが間違っていた事に僕は後々後悔する羽目になるとも知らずに。
杉村が僕のクラスにやって来て更に10日程経った日、最初の事件は僕のクラスで起きた。