深淵の王子と姫
なるべく平静を装って授業を受ける僕。それにしても何故、樹理さんは学校をさぼってまで生徒会長のお見舞いに?まさか樹理さんも二川先輩の事が好きなんじゃ……。(いや、日嗣姉さんは僕の事が(/_;))(石竹緑青)
2階にある自分の病室に看護師の女性と戻ってくると、私の寝ていたベッドの横で天野樹理が何故か煙草をふかしていた。タイミング良く入ってきた担当医の男性もその光景を見て唖然としている。
「待ってたわよ」
何の悪びれも無く、手にしていた携帯灰皿に吸い殻を捨てるときちんと制服の胸ポケットにそれを仕舞う。
看護師が注意しようと体を前に出すが、すでに手元にそれは無い為、声を上げる事を止めてしまう。
「これはこれは。天野さんが私に何の用事かな?」
私は顔をひきつらせながら、無理矢理笑顔を作って相手に探りをいれる。こいつは日嗣尊と同じ生贄ゲーム事件の被害者、それも最初の被害者だ。
「ん?ちょっと人違いだったけど、少し聞きたい事があって」
黒く短い髪を軽く揺らしながら、その黒目がちな大きな瞳が私の目を遠くから覗き込んでくるのが分かった。目元にはうっすらと隈が浮かんでいる。容姿やその顔つきは小学生のそれだが、その眼差しは深い深淵の底から見上げられているようで居心地が悪くなる。得体の知れない何かに魂の尾を掴まれている様な感覚だ。恐らくその事に気付ける人間はそう多くは無い。それは大凡、人を殺した事がある人間の放つそれに似ていた。客観的に見れば恐らく私もそちら側の人間に相手からは映っているのかも知れない。
「人違いですか?誰と勘違いを?」
しばらく間の後、私の問いに素直に答える天野樹理。
「緑青が刺されたのかも知れないと思った」
緑青?石竹緑青の名前が何故ここであがるのだ?奴が何か行動を起こしたとでもいうのか?
「なぜ、石竹君と私を勘違いする理由があるんですか?石竹君には私と違って”女性に刺される様な事”はしていないと思いますが」
「ふーん……。そっか、鉢合わせはしなかったようね。良かったわ」
天野樹理が椅子から立ち上がるでも無くそのままの姿勢でただこちらを見つめてくる。思い出した様に看護師が私を元居たベッドに連れ戻すと、手際よく点滴の針を交換し、私の腕に再度装着する。
「勝手に動かないで下さい。腹部と腸の傷は完全に塞がった訳ではありませんし、動ける体では無いんですからね」
「ははっ、ちょっと混乱してしまって」
看護師が身を下げて、私の腹に巻かれた包帯を巻き直していく。
「術後の経過は順調ですね。このまま大人しく一週間は入院していて下さいね」
腹には痛々しい手術の跡に傷口が我が身ながら痛々しい。ふと顔を上げると、天野樹理がカーテンの淵の方からこちらの傷口を無表情で眺めているので不気味だ。
「天野さん?」
「何?」
「あまりじろじろ見られるのは男の私でもあまり気のいいものでもありませんので」
「そう。それなりに貞操観念はあるようね」
「随分棘のある言い方ですね」
「あら。私は結構毒舌よ?公平平等、全員に対してね?」
私が巻き直された包帯の具合を確かめた後、入院服に腕を通す。しばらくは点滴生活だそうだ。医師だけが病室を出て行く後ろ姿を天野樹理が最後までずっと眺めた後、こちらを向く。
そして思い出したようにこちらに向き直ると口を開く。
「ここに荒川先生は来た?」
「いや、さっきまで寝てたからよく分からないんだ」
「そう。なら先に警察に行ってるのね。怒られる前に帰ろうかしら」
「それより何故私と石竹君とを勘違いしたんですか?」
天野樹理が無警戒に私のベッドの淵に腰を降ろす。もちろんだが、こんな子供を襲う気になどならないが。
「昨日ね、尊を含む心理部全員が玄関に集まってて、先に帰った日嗣尊の後を緑青が1人で追いかけて出て行ったのよ19時くらいの事かな?」
昨夜、石竹が日嗣を追いかけて?
「部活内で揉め事ですか?」
「緑青は、彼は誰より日嗣尊の幸せを望んでいた。そして、尊もまた石竹緑青の幸せを望んでいた」
二人がお互いを想い合っていたのは明らかだった。夏休みのあの山小屋での件でもそれが十分伺い知れた。
「緑青は、生徒会長さんと尊が結ばれる事を応援していたの」
それは恐らく、日嗣尊が石竹を含む他の生徒の前で私の容姿が好みである事を宣言したからだろう。それすら、私に至る為の前準備だったというのに。
「私と日嗣さんが?それは光栄ですが、私の目から見ても彼女は石竹君の事を好いていた様に思えましたが」
私が顔を伏せた瞬間、天野樹理が顔を寄せ、その深淵の様な暗く深い瞳で私の目を覗き込んで来る。それに驚いた私は状態を後方に反らして距離をとろうとするが、腹部に痛みを感じ、患部を庇うように押さえる。
「それを知ってて抱いたの?」
横で包帯を巻き終わった看護師の顔が強ばる。天野樹理は私の真意を何より確かめたくてここにまで顔を出したのかも知れない。その言葉に否応にも無く鼓動が早くなる。相手は20分の間にその手で40人も刺した狂気の女だ。警戒は怠らない。
「……その言葉を強く否定は出来ませんが、そうお願いしたのは日嗣尊さんの方ですよ。寧ろ私は彼女の気分によって刺された被害者なんですから」
その言葉を聞いた天野樹理は疑うような眼差しを解き、普段の表情に戻る。
「そう。半分信じてあげる」
抱くように言われたのは真実だが、彼女の気分によって刺されたのでは無い。彼女の半分信じるという評価はある意味当たっている。日嗣尊は周到な用意の下、私をナイフで刺したのだ。気分で刺された訳では無い。
「君は彼女の事をどうしたいの?」
見つけだし、殺してやりたいよ。石竹緑青の目の前で八つ裂きにしてやりたいぐらいだ。それだけの事をあの女は私にしでかした。
「何もしませんよ。只、行方が分かったら罪を償うために警察に出頭して頂ければ……」
天野樹理が興味なさげに立ち上がると、お構いなく病室の窓を開けて一本の煙草を取り出すと、火を点け始める。
「ねぇ。君の目から見て私は犯罪者に見える?」
「さぁ。少なくとも凶悪な犯罪者には見えません。二十歳にも見えませんし」
天野樹理が煙草の煙をゆっくりと外に吐き出すと、その紫煙と共に煙草の匂いが辺りに広がった。看護師が天野樹理を止めようと立ち上がるのを、その天野樹理自身が制止させる。その黒い瞳の圧力からまるで逃れられないように身動きがとれなくなる看護師。天野樹理は煙草の煙を揺らしながら私の魂をのぞき込む様にじっと私を見つめる。
「じゃあ質問を変えるわ。私は君の目から見て、あの生贄ゲーム事件の被害者に見える?それとも32人に怪我を負わせ、8人を刺し殺した小3女児無差別殺傷事件の加害者に見える?」
彼女はこの事件の中でも異質な立ち位置にある。
被害者であり、加害者でもある。悲劇が狂気を生み、狂気が更なる悲劇を巻き起こした。それはあいつが描いた筋書き通りの結末だったのかも知れない。連なっていく憎しみの連鎖。
北白事件の被害者は本人の死亡と、多額の賠償金により一応の解決は見込まれた。しかし、今、目の前にいる幼い容貌の彼女に殺された被害者達の心境はどうなのだろうか。第三者ならひどい目に合って錯乱していた可愛そうな少女として区切りをつけられるだろうが、亡くなった者の遺族にとってはそんな事は関係ない。相手が9歳だろうと憎むべき殺人犯なのだ。法は彼女を裁いたが、無罪判決とし、彼女の身を守ったのだ。北白もまた精神鑑定により無罪を言い渡されている。法とは弱者を守るためのものであるはずだ。弱者である彼女たちは守られた。だが、そんな事は殺された遺族には関係無い。
「私の目に貴女は事件被害者に見えます」
矢続けに天野樹理が質問を続ける。
「緑青は?」
「被害者です」
「北白直哉は?」
「加害者です」
「私が殺した里宮翔子さんは?」
「被害者です」
「川村仁美さんと矢口智子さんは?」
「被害者です」
「日嗣命さんは?」
「被害者です」
「佐藤浅緋さんは?」
「被害者です」
「鳩羽竜胆と江ノ木カナは?」
「被害者です」
「木田沙彩は?」
「被害者です」
「なんの?」
「北白事件の……」
「森で猟犬に食べられた新田透君は誰に殺された?」
「事故、もしくは別人格の杉村蜂蜜さんに殺された可能性があります」
「今、居なくなっている軍部に所属していた部員達は誰に消されているの?」
「だから、もう1人の杉村蜂蜜さんでは?」
「何故、消されていると思うの?」
「二年A組の教室で日嗣尊さんが宣言していたのを聞いていたと思いますが、それも杉村蜂蜜さんの」
「何故?消されているの?」
「分かりません」
「教室に残された「天使様、何故私を浄化して下さらなかったのですか?」というメッセージの意味は分かる?」
「それは彼女があの事件に妙な形で関わってしまったからでしょう。いたずらですよ」
「なら、杉村蜂蜜は一体何?」
脳裏に夕日を背後に浴びた幼い頃の杉村蜂蜜の姿が蘇る。彼女は直接的な北白事件の被害者でも加害者でも無い。只、幼馴染である石竹緑青を助けたいが為にその事件現場に介入したに過ぎない。そして彼女は壊れた。
「北白事件の二次被害者といったところでしょうか。被害者でも無い、加害者でも無い」
「別人格とはいえ、軍部の人達を殺している疑いがかけられているのに?」
「そ、それは、まだ未遂ですからね」
「教室にメッセージを残したのが、軍部の連中だったとして、彼女が彼らを殺してまで得られるものは何?」
「いたずらへの報復、もしくは石竹緑青の身の安全を確実なものにする為の行きすぎた手段なのかも知れません」
「最後にもう一度聞くわ。杉村蜂蜜は被害者?加害者?」
「……そのどちらでもありません」
「そう。分かったわ」
天野樹理が大人しく煙草を携帯灰皿に仕舞うと、ペコリと頭を下げる。
「看護師さんごめんなさい」
急に謝られた看護師があたふたする。
「私、日嗣尊みたいに頭は良く無いから、こうでもして頭をハッキリさせないとすぐ頭がこんがらがってしまって」
一体、これらの質問がなんの意味を持つものだったのだろうか。
「生徒会長さんもごめんなさいね」
急にしおらしくなった天野樹理に戸惑いつつ会釈する。
「いいですよ、気にしないでください」
ペタペタとスリッパの音を響かせて病室を出ようとする天野樹理。
無表情のまま手を挙げて私にさよならの合図を送る。
「怪我が治ったらまた学校で会いましょう」
「はい。恐らく文化祭ぐらいまでは入院生活でしょうが」
「その怪我の具合じゃそうなりそうね。多分、後で荒川先生もここに顔出すかもだけど、私の事は秘密にしといてね?」
「わかりました。荒川先生、怖いですもんね」
「……優しいわよ。十分すぎるほどにね。だからこそ、心配はかけたくないの」
「心配?」
私の疑問に答える事無く、病室の扉に手をかける天野樹理。制服のスカートと、サイドが長めの黒髪が軽く揺れる。その背中を見守る私に振り返り、思い出したように聞く。
「そうそう。君の事を聞き忘れていたわ。貴方は被害者、それとも加害者?」
昨夜の日嗣尊の姿と、突然私達の前に現れた北白直哉の姿が脳裏に映り込む。
「……被害者です」
天野樹理が妖しく微笑み、その存在を起点に暗い深淵の闇が拡がったような錯覚を覚えてしまう。これが、深淵の少女と呼ばれた多重殺人者の威圧感か。
「君は私と同じ側に居る人間よ」
その威圧感に気圧され、発しようとした言葉を飲み込んでしまう。その言葉はどちらを差すのだ?私は、もしかしたらとんでもない深淵の怪物達を相手にしてしまっているのかも知れない。日嗣尊に、天野樹理。そして……石竹緑青。この3人は私には到底理解出来ない認識外の存在なのかも知れない。人は未知に恐怖するという。その得体の知れなさが私の魂を凍えさる。次にバケモノに喰い荒らされるのはこの私自身かも知れない。
深淵を覗いた彼女達は、とうの昔に怪物に成り果ててしまっていたのかも知れない。
私が相手をしているのは一体何なのだ?
天野樹理さんはね、石竹っちの事が心配だったんだよ。多分君が日嗣さんに刺されたと思って居ても立ってもいられなくて。えっ?刺される様な事はしないって?あはは、冗談だよ、冗談。あっ?えっ?あわわわ!そんなに泣かないでよ(>_<)!嘘だってば!あれ?杉村さんまでなんで泣いてるの!?ごめーんってば(/_;)(江ノ木カナ)




