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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
亡霊の再来
164/319

星は流れ堕ちた。

八ツ森市の東に位置する木漏日(こもれび)町に八ツ森高校教師「荒川静夢(あらかわしずむ)」30歳独身は二人暮らし。


同居する相手は、彼氏とかでは無く、愛人の私「天野樹理(あまのじゅり)」だ。使い方は合ってるかどうか分からないけど、私にとって静夢お姉ちゃんは特別な愛する人。市内を出て行った両親の代わりに私をこうして家に置いてくれている。しかも、昔飼っていた愛犬のヨハンまでこうして自宅のマンションで面倒を見続けてくれていたから驚きだ。朝を迎え、半分寝ている私の顔を老犬ヨハンがペロペロしてくる。登校時間らしいわね。


八ツ森高校に通う私は20歳の女子高生。年齢的には立派な大人だけど、十一年間病院に閉じ込められていた私には丁度いい。厳密に言うと21歳に今年なったけど、あまり表沙汰にはしていない。勉強はというと全くついていけてないのも問題だ。最終学歴小学生だから。ともかく静夢お姉ちゃんのおかげで担当する2年A組に席を置く事が特別に許されている。私の最後の義務教育は小学三年生で止まっている。


まだまだ皆と外でおにごっこしてはしゃいだり、かわいいシールとか交換して遊びたいけど、高校二年生にもなると、そんな事をしている女生徒は誰も居なかった。それに携帯電話の進歩が凄まじい。モノクロ液晶だったそれは、フルカラーになり、あろうことか写真まで撮れちゃう。無理矢理静夢お姉ちゃんに持たされた時は困ったけど、使えるようになったらすごく便利そうね。あ、シールと言えばプリクラ交換とかはあるみたい。けどあれすごく高い。静夢お姉ちゃんから貰った一ヶ月分のお小遣い2000円がすぐに消し飛んじゃう。友達は少ないし、一緒に撮る人もいないしね。静夢お姉ちゃんとは一回だけ撮って貰ったけど、二回目は無いらしい。心理部の子達はあんまりプリクラとかは撮らないみたい。少し悲しい。でも仕方ない。それが私の歩んできた人生なんだから。目を瞑ったままヨハンの事を放って置いたら、顔を舐められすぎてさすがに顔中よだれだらけで辛い。


起きる事にするわ。

私は目を瞑ったままヨハンを手探りで抱き抱えると、壁伝いに洗面所へと向かう。勝手知ったるなんとやら。目を瞑ってても大体どこに何があるか分かるぐらいには住み慣れた。まだ3日だけど。蛇口のレバーを上げて適温になるまで待ち、洗顔料をつけて顔を洗う。病院で使用していたものに比べて高価らしく、洗った後はつるすべになってお気に入り。柑橘系のいい匂いもするし。朝陽が窓から差し込み、仄かに部屋は照らされているが、自分の顔を確認する為に灯をつける。


大きな鏡に映る私。


うーん……どう見繕っても小学生にしか見えない。これでも20歳なんだけど、一つ下の日嗣尊や、3つ下の杉村蜂蜜や留咲アウラ達の方が歳上に見える。小さな鼻に、薄い唇、眼だけは大きい性で余計に童顔を強調している。そんな顔に不釣りあいなほど濃く出ている目の下の隈。薄くなってはきているがこれ以上は無くならないかも知れない。まぁいいけど。

あれほど長かった黒髪も、美容院(床屋とは別らしい)でカットされてしまい短くなってしまった。少し落ち着かない。辛うじて顔の横側に少し長めの前髪が顎の下辺りまで伸びて、くるんと癖がついている。……されるがまま、美容師に身を任せていたらこうなった。もっと大人の女の雰囲気を漂わせる髪型が良かったな。


むむむ。


身体の方にもスポットをあてる。寝間着越しのシルエットを手でなぞっても痩せっぽちの身体は果てしなく頼りない感じがした。小学生と比べれば、丸い胸もお尻も少し大きいぐらいだけど、比較対象がまず大前提として間違っている。まぁ、深緋(こきひ)よりは少し胸はあるかな?あ、まだ下着つけてなかった。今度、ブラジャーというものをお姉ちゃんと一緒に観に行くんだけど、なんだか気恥ずかし。背格好的にまだまだ成長の余地はありそうだけど、多分、そんなにこの先変わらない気がする。溜息をつきながらも、精神病棟で過ごした日々を顧みると今が十分幸せだと感じる事が出来る。


これも全部、あの優しげな眼差しをしている男の子が私を鳥籠の中から解き放ってくれたから。


昨日、私は彼を学校の玄関から送り出した。


第三ゲームの勝者でありながら、敗者という特殊な境遇の女の子、日嗣尊という一つ歳下の女の子を追いかけさせる為に。


緑青(ろくしょう)は鈍いから、自分自身の気持ちにすら恐らく気付いていなかった。母親との死別、第四ゲームを経て、愛を認識出来なくなってしまっているのは分かる。けど、認識出来ないだけで、彼の好意は(みこと)に向けられている。そんな気がする。ただのいらぬお節介だったかも知れないけどね。あの後、きちんと気持ちを伝えられたかしら?


2人の気持ちが成就する姿を想像して、少し胸の奥がチクリと痛む。私が彼の事まで手に入れようとするのは欲張りだと思う。私は9歳にして世界を震撼させた多重殺人者、40人もの人に傷を負わせ、8人殺した。年齢的に無罪判決を受けたとはいえ、実際に被害にあった人達にとって私はただの殺人鬼。人並みの幸せなど私は求めてはいけない。私に殺された人はその人生すら失ってしまったのだから。ま、生きている限りは精一杯生きようと思う。彼のおかげで私は前に進む事が出来た。せめて、彼に笑われない生き方をしないと。登校時間まではまだ時間があるけど、妙に静かだ。いつも私より先に起きて、朝食を用意してくれている静夢お姉ちゃんの気配がしない。

静姉(しずねぇ)?」

呼びかけながら洗面所を出てもその姿は見当たらない。先に出掛けたのかな?いつも朝食をとっているキッチンにある二人掛けの小さなテーブルの上に、おにぎりと書き置きが残されていた。


「樹理ちゃんへ。うちの生徒が刺されて入院したらしい。警察と病院に寄ってから学校へは顔を出す。何かあったら携帯に電話をくれ。表に八ツ森タクシーを待機させてあるから、準備が整ったら声をかけるといい。静夢」


私は得体の知れない何か、嫌な予感がして身を震わせた。君は……無事よね?静夢お姉ちゃんのオニギリを頬張りながら、ヨハンの餌を用意するとすぐに八ツ森の制服に着替えていく。生徒が刺された。誰だろう。もし、私と静夢お姉ちゃんが知っている人物ならその人の名前を書くはずだ。少なくとも緑青や蜂蜜、深緋や尊達では無いはずだ。ただ嫌な予感がする。制服のリボンをブラウスに通し、結び目を止めると、ブレザーを羽織る。あっ、きちんとスポブラは着けたわよ?寒さには強いので防寒具は黒タイツ以外に特に着用しない。冬を病棟で過ごす場合は、節約の為、暖房はほとんどつけていなかった。そのお陰か、寒さに耐性が出来たようだ。その日の授業内容の教科書とノートを鞄に詰め込むと鍵と携帯を持って玄関まで出る。ローファーを靴箱から引っ張り出しながら声をあげる。

 「ヨハン!おいでっ!」

 ヨハンは老犬なのに早食い。着替えている間に必ず食事は済ませている。かけ声と共にヨハンが私のすぐ傍で待機する。回りを見渡して玄関に掛けられているボストンバッグを手にするとその口を大きく開く。

 「入りなさい」

 何の抵抗もせず、私の命令に忠実に従い、くるりと茶色い小さな体を丸めて鞄の中に収まる。私は鞄と一緒にヨハン入りのトートバッグを肩にかけると玄関を出て、マンションの出口まで駆け足で降りる。

 自動扉が開くと、近くに黄緑色のタクシーが止まっていて、軽くクラクションを鳴らされる。私がその車まで近づいて行くと、タクシーの運転手がにこやかに腕を上げる。

 「荒川さん家の子かい?話は聞いてるよ、乗んなさい。行き先は学校までだね?」

 私はその言葉に首を振る。

 「運転手さん、昨日の夜から明け方にかけて、八ツ森高校の生徒が誰かに刺されたらしいの。何か知らない?」

 「そういや、仲間うちで噂になってたな。昨夜、男子高校生が女生徒に刺されたってな。しかも現場は嬢ちゃんにはまだ早いホテルだって噂だ。警察も既に動き出しているらしいな」

 後部座席の扉が開き、招き入れられると運転手の顔写真と名前が書かれたプレートが運転席の背中に張り付けられていた。「川岸かわぎし 実利さねとし」とそこには書かれていた。

 「その男子生徒が入院している病院に車を走らせてほしいのだけど」

 「おや?荒川さんからは八ツ森高校へお送りするように言われてたけど、いいのかい?お嬢ちゃん」

 私は考えを巡らせる。登校したら最後、身動きがとれなくなる。刺された八ツ森の生徒が誰かが気になった。妙な胸騒ぎがしたからだ。

 「いいの。この辺、夜でも患者を受け入れる大きな病院があるならそこだと思うんだけど」

 定年を迎えているであろう中年男性は眼を細め、思い当たる節があるのかタクシーに設置されているナビゲーターを操作し、いくつかの病院をマッピンングした後、携帯電話に耳をあてる。

 「おぉ、岸やんだ。おめぇ知ってるか?昨夜、高校生が恋人に刺されて病院に搬送された事件なんだけどよぉ……」

 何度かの相づちのあと、電話を切ると後ろを振り返るとこちらを見つめてくる。

 「君のクラスメイトが誰かかい?」

 私は首を横に振る。

 「分からないから、確かめたいの」

 「そうかい……ちょっと待ってな。八ツ森タクシーは八ツ森を夜間に巡回しとるし、何人かはその件で警察に顔を出しとるそうなんだよ」

 「分かりそう?」

 「正確には分からんが、この街を何年も走っとるもんなら、大怪我をした時どの病院に搬送されるかの目処は大体分かるんだよ」

 「何件か回ってもいいわ。連れて行ってくれる?」

 真剣な眼差しで運転手さんにお願いすると苦い顔をしながらも了承された。

 「いいのかい?おじちゃんは君の様に可愛いお嬢さんが誰かに怒られるような真似はしたくないんだけどね」

 「構わないわ。そんな事より、優先すべき事があるの」

 運転手のおじさんが薄く笑うとそのまま前を向いて車が急発進する。

 「いいね、その顔。友達思いのお嬢ちゃんの為だったら、一緒に荒川さんに怒られてあげるよ」

 私は微笑みながら短くお礼を言う。まだ交通量の少ない道路を黄緑のタクシーが唸りをあげ、まるで流星の様に街を横断していく。緑青が尊に気持ちを伝えようとしたタイミングで事件が起きた。これは多分、偶然じゃない。きっと何か繋がりがある気がする。私の中、心の奥底に眠る深淵の闇が私にそう囁きかけてきているようだった。


 <隠者>


 日嗣姉さんとの約束を守る為にも僕は次の日、何事も無かったかのように登校しなければならない。涙を堪え、奥歯を食いしばりながら平静を装う。2年A組の教室の扉を開くと、いつも通りの光景が教室に広がっていた。昨日、起きた事がまるで夢のようにでも思えてくる。夢であればどれほど良かった事か。廊下側、最後尾に位置する自分の席を目指す。平常心を保つのが精一杯で、クラスメイトがかけてくれる声にすら対応出来ないぐらいに。

 前の席に座る佐藤と若草が登校した僕の事を席から見上げる。その表情はいつも通りだ。その後ろに眼をやると、杉村が何故か泣きはらした顔で僕の前の席で着席していた。隣に座るはずの天野樹理さんはまだ登校していないようだ。声が上擦らないように慎重にいつも通りに声をだす。

 「あれ?樹理さんは?」

 その言葉に反応する様に杉村が顔を上げ、普段通りに言葉を返してくれる。

 「樹理たんはまだだよ?」

 「そっか……」

 短く返事をしてそのまま席につくと、持っていた鞄を机の横にかける。その中身は昨日のままで、今日の分の昼ご飯も用意していない。食べる食欲も無いけど。日嗣姉さんの出血を止める為に切り裂いた衣服だけはどうしようも無いので、明け方、運良く、八ツ森タクシーの人を捕まえられたので、一度自宅に帰っていた。その時間には杉村はもう学校に登校したあとだったが。日嗣姉さんが刺された事は誰も話していなかった。僕への対応が普通だという事は、その事実はまだ公にされていないはずだ。耐えろ、今はまだ耐えろ。

 昨日から一睡も出来なかった重い瞼を閉じると、そのまま机の上に突っ伏せる。

 前の席から杉村と佐藤、若草の話す声が聞こえてくる。

 「(杉村さん?どうしたの?眼が真っ赤だけど?)」

 「う、うん。ちょっとね。めばちこ?」

 「(えっ?病院行かないと!)」

 「(アホか、察してやれよ)」

 横から若草が佐藤を指摘する。小さな声で囁きあう声が聞こえてくる。

 「(緑青は、日嗣尊を選んで駆けだしたんだ。それはあいつが日嗣の事を好きだって事だろ?泣きたくなる日もあるだろ?)」

 「(えっ……でも、そんな、日嗣さんが杉村さんをさしのけて、石竹君との交際をOKするとは思えないけど)」

 佐藤の言っている事は当たっている。僕は日嗣姉さんに杉村を差し置いて告白しようとしたのを止められた。日嗣姉さんの口からは僕への気持ちは聞いたけど。日嗣姉さんがその白い顔を朱くしながら僕と口付けを交わす光景が蘇る。僕の目から涙が溢れ出す。顔は今、上げられない。

 「(だが、日嗣も満更じゃないだろ?)」

 「(そうだけど、彼女はそんな人じゃないわよ)」

 杉村がわざとらしいあくびを出した声がして「私も眠いなぁ。授業始まるまで寝ちゃおうかなぁ」と宣言して机に額をぶつけた様な音がする。さすが幼馴染。涙の誤魔化し方さえ似ている。そんな僕ら二人に構わず、佐藤と若草が会話を続ける。

 「お前さ、あの噂知らないわけ?」

 「噂?なんの?」

 「日嗣が、3年の間でどう囁かれているか知らないのかよ」

 「えっ?テスト期にだけその姿を現す、銀髪の黒衣の亡霊……」

 「それ古いよ。今、3年の間に流れている噂は、日嗣尊が毎夜、上級生をホテル街に誘い込んでるって噂だよ。2年の間ではほとんど噂されてないが、3年の間では結構出回ってる噂だぜ?」

 僕は奥歯を噛みしめる。その噂を流した連中に怒りを感じ、若草にも掴みかかりそうになるが、僕はその激情を噛み殺す。

 「ホテル貝?とれたて市場?」

 「漁港に連れ込むなんて聞いた事ねぇよ。ホテルにだよ。ホテルに男を連れ込んでやる事だけやって、男を捨てるんだとさ」

 「や、やる事?!」

 潔癖性な佐藤の戸惑う声が聞こえてくる。慌てふためく佐藤の顔は見なくても想像出来る。僕も多分あたふたするけど。

 「まっ、ただの噂だよ。噂。コミュ障のあいつがそんなにポンポンと男を誘える訳ないしな。大凡、あいつに振られた男子があること無いこと噂してるだけだろう」

 若草への怒りが急速に引いていく。なんだかんだで若草は日嗣姉さんの事もしっかりと見ていてくれているようだ。言い方にトゲはあるが。

 「なぁ、緑青があの後、日嗣に会えたか知ってるか?」

 「知らない。道中で留咲さんと出会って、日嗣さんの後を追ったとは聞いたけど、その後はどうなったか聞いていない」

 「そうか」

 「なんだが元気無いし、玉砕されたんじゃ無いかしら?杉村さんという本妻もいるし」

 「(私、本妻っ!)」という杉村の嬉しそうな籠もった声が近くから聞こえてきた気がした。しばらく間を置いた後、若草が口を開く。

 「珍しいな。いつもならあの変わり者どもが廊下側で杉村の事を眺めているはずなんだが、今日に限って誰もいないな」

 「そうね。今日は静かで良かったわ。それより、天野さんも来てないけど?今日、佐藤喫茶店に遊びにきてくれる約束してたんだけどなぁ」

 授業を開始するチャイムが鳴り響き、教室の前の扉が開かれる音がする。担任の荒川先生がやって来たらしい。いつもなら、少し遅れてやってくるのだが、今日は時間ぴったりだ。それと共に、多少教室内がざわめきだす。

「(おい、あれ……)」

「(あぁ。八ツ森高校の死せる美女、吸血女ドラキュリーナさんだ)」

 吸血女?教室に入ってきたのは荒川先生じゃないのか?なんでランカスター先生が?

 「はーい。皆さん席に着いて下さいね」

 生徒達が状況に戸惑い、ざわめいている。

 「今朝は荒川先生の変わりを私が務めさせて頂きます」

 教室が歓喜の声に包まれるが、次の言葉に教室内は一変する。

 「荒川先生は、警察と病院に顔を出してから出勤されます」

 一部の生徒が警察という言葉に反応して質問する。

 「荒川先生、もしくは天野さんが事故か何かにあったんですか?」

 未だ教室に顔を出していない天野さんに自然と注目が集まる。

 「いえ、私が警察から聞いている話に彼女は無関係です。荒川教員も無関係ですが、学校関係者の代表の1人として警察に出向いています」

 ランカスター先生が事務的に質問内容に答えていく。生徒の1人が、声を震わせながら発言する。

 「私、ご近所さんの噂を耳にしたんですけど、昨日の夜、繁華街で起きた事件と関わりがあるんですか?」

 ランカスター先生はその答えの変わりに頷いた様な声をあげる。女子生徒の1人がそのまま質問を続ける。


 「その噂の内容なんですが、うちの高校の生徒、しかも生徒会長が女生徒の1人にナイフで刺されたらしいんです。ナイフで刺した女生徒はそのまま街から姿を消したらしいんですが……喪服を着ていた女性らしく、あのD組の日嗣尊ひつぎ みことさんなんじゃないかって噂されてるんです!」


 教室が一気にざわめき、半分パニック状態になる。会長に対する同情や、刺した日嗣姉さんへの罵倒が入り交じっている。ランカスター先生が必死に騒ぎを止めようとするが、一向に止まる気配が無い。教員からその説明が他のクラスでも同時されているのか学校全体がざわついている様に感じた。

 そんな喧噪を無視する様に佐藤が僕の肩を揺り動かして、顔を無理矢理上げさせられる。

 「石竹君っ!日嗣さんの事何か知って……!?」

 眼を真っ赤にさせた僕の顔を見て言葉につまる佐藤。丸く大きな目が一瞬、強ばるが、いつもは見せない優しい眼差しで、僕の眼をのぞき込むと、微笑みながら頭を撫でてくれた。

 「辛いなら、辛いって言いなさい。幼馴染でしょ?バカっ」

 そしてそのまま優しく僕の顔を抱きしめてくれる。僕は、声を殺して佐藤の体に顔を埋めて涙を流し続けた。佐藤は多分、僕が好きな人が違う男性と肉体関係を結んでいた事実に悲しんでいるのだと勘違いしているのだろうけど、こうして僕の気持ちを受け止めてくれるもう1人の幼馴染に感謝する。その光景を見てかは知らないけど、教室が徐々に静けさを取り戻していく。ランカスター先生が教壇で話を続ける。

 「特に、生徒会長の二川君や、日嗣さんと関わりの深い人達には辛い事実だけど、午後から警察の人が来て何人かの生徒に事情聴取が行われるわ。けど何も怖くないから心配しないでほしいの。君達が知っている事をありのまま話してくれたらそれでいいから……」

 ランカスター先生の話の途中で男性教員の声がそれを遮る。僕の名前が呼ばれて、佐藤の胸から顔を上げるとそこに教頭先生が真面目な顔でこちらを見ていた。

 「石竹緑青いしたけ ろくしょう君、君に伺いたい事があるのだけど、君が昨晩、どこに居たかを教えてくれるかい?警察に寄せられた一般市民の情報から、君が日嗣さんを抱えてあるく姿が目撃されたと……」

 ダメだ。今、僕と日嗣姉さんがあの夜、接触していた事を公にされる事だけは避けなければならない。どうする?

 近くで椅子を引く音がして、そちらを見ると、杉村蜂蜜が立ち上がっていた。

 「ろっくん、じゃなくて石竹君は同棲していて、昨晩はずっと私と一緒に居ました!」

 杉村の発言に言葉を詰まらせる教頭先生。一部の生徒が小さな声で囁きあっている。

 「そ、そうかい。それは個人的な事をお伺いして失礼。まぁ、見間違いだろうね。とにかく、午後から警察の人が学校を訪れるから何か思いあたる節があったら何でも話してくれたまえ、それでは失礼するよ」

 この教頭先生は、杉村の処遇を決める教員会議で僕と杉村に味方してくれた人だ。僕らの数少ない理解者でもある。だからか、それ以上踏み込んで聞かれる事は無かった。いや、泣きはらしてボロボロな僕ら二人の顔を見て、これ以上刺激するのは良くないとふんだのだろう。あくまで生徒目線で味方してくれる教頭先生に感謝しつつ、目の前で僕の背中に手を置く佐藤に礼を言う。

 「ありがとう、少し楽になったよ」

 佐藤が少し照れながら僕の肩をポンポンと叩く。

 「いいわよ。石竹君は結構抱え込んじゃうタイプだし、少しは私を頼りなさい」

 「うん。あ、悪い、涙で制服汚しちゃったな」

 ポケットからハンカチを取り出すと、僕の涙で濡れた部分を必死にふき取ろうとする。

 「えぁっ?!」

 ハンカチじゃなかなか水分を吸収しきれない。鼻水とかは流してないし、汚くはないだろうけど、このままでは佐藤が風を引いてしまう。

 「石竹君?」

 「ん?なんだ?」

 「ど、どこ拭いてるの?」

 「え?制服」

 「そ、そこ、何も無いけど、一応胸だから」

 「……あっ」

 「……」

 「……ごめん、気付かなかった」

 言われてみればほんのり柔らかいような。

 そのあと、佐藤の逆鱗に触れ、普通に殴られて頬が赤く腫れ上がりました。それにしても、杉村はどうしてあんな嘘を?でもその一言にアリバイは一時的に成立して助けられた。午後、生徒の半数以上が警察による事情聴取が行われる。その中に、白き救世主が居た場合、僕と日嗣姉さんの事をどう話すのだろうか。恐らく、それを話した時点で自分自身が昨晩関わって居た事を自白した事になる。そうなったら最後、僕か杉村に嗅ぎつけられる。だがそんなヘマはしないはずだ。恐らく白き救世主も口を塞ぐ。そうするしか選択肢は無いはずだ。日嗣姉さんの言いつけを僕は守る。彼女はあくまであの夜、この街を離れ逃亡し、行方不明になったのだ。それで、それでいい。あとは僕が文化祭に至るこの2週間を生き延びれば、もう1人の犯人がその姿を僕らの前に晒す。


それが、それこそが「日嗣姉さんの残した隠しナイフ」だ。



……嬢ちゃん……?

八ツ森タクシーはペット持ち込み原則ダメなんだけど……ねぇ。


へ?


天野樹理?荒川さん家の子じゃないのかい?そういや確かに……結婚したって噂は聞いた事無かったな。それより、どこかで聞いた名前……あっ!


い、いいよ。

ペット全然OK!


おじさんの車に当たって良かったねぇ。

それにしても大人しい犬だねぇ。


え?猟犬?


……。

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