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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
亡霊の再来
163/319

震える月

 

 「泣くでない、最後までまだ泣くんじゃない」


 私はそう自分に言い聞かせ、ホテル街から西岡駅に向かって早足で歩く。白き観測者である二川亮ふたがわ りょう、その言質げんちは取れた。衣服に忍ばせていた携帯型録音機も十分に機能していた。ただ、この証拠を警察に渡すのはもう少し先。そうなったら最後、白き救世主であるもう1人「第零の少年」は一生外に出て来ない。タイミングが大事。九割方、二川亮ふたがわ りょうが黒だと第五ゲーム開始時から踏んでいたけど、迂闊に動いて先手を打たれれば私や石竹君、あの事件関係者の命が危なかった。これでいい、私がそのまま痴話喧嘩の延長上で二川君を刺した事にして世間から身を隠すのが一番自然。勝手に私が皆の前から姿を消したら、不振がられて全てが台無しになってしまう。そうなる前に、私は私の掴んでいる情報をある程度あの男に示す必要があった。震える足に鞭打ち、私はひたすら歩く。暗がりでよかった。顔に浴びた血や、私の腕や胸部から流れる血が目立たなくて済む。どこでもいい、どこか遠くへ行かなければ。あと二週間でいい、それまでの間、警察から逃げ回れればそれでいい。刺し傷の痛みが私の意識を保たせてくれる。まだ、倒れる訳にはいか……ない。死ぬにしても森の奥深く。遺体が発見されにくい所に移動しないと。闇夜に白い法衣が舞い、私の前に音もなく現れる。白く浮かぶそれはまるで亡霊のように。まさか、あなた自身が動くとは。


 「白き救世主じゃな」


 黒い喪服を血で紅く染めた私と、闇夜でも白く輝く法衣を纏った少年が薄く微笑んで私の前に現れる。


 「白き観測者の事なら心配するで無い。お主の出番はまだ先じゃ。大人しく……」


 繁華街の光が道路の塀の向こうに広がっている。その寸前で白き救世主が私の眼前に迫る。私の仕込んだ隠しナイフは私が死んでも機能する。残念だったね。


 「大丈夫、君達なら……私が居なくても、きっと前に進める」


 白い法衣の下から少年の右腕が伸び、私を捉える。最後に、君に会いたかったな……緑青君。

 

 2時間以上西岡駅周辺を走り回り、途方にくれ、僕はホテル街をさまよい歩いていた。喉が乾き、声すら張り付きそうになる。こんな事をしても無意味な事は分かっている。もう日嗣姉さんは生徒会長とホテルを出て、家に帰っているのかも知れない。でも、僅かな希望が僕を突き動かす。出来るなら間違いであってほしいと。僕の好きな日嗣姉さんはそんな人では無いと。


 何度も何度も街を行き来していると、けたたましいサイレンの音が鳴り響き、一台の救急車が側を横切る。嫌な予感がして、疲れ切っている足を動かし、その後ろを足を引き吊りながら追いかける。


 その道中、血痕らしきものが転々と連なっている事に気付く。眼を凝らしてみないと分からない程度だが、その飛沫の方向から先ほどの救急車が向かった先とは反対方向に流れているようだった。指で触れてみると生乾きである事から、さほど時間は経過していないようだった。日嗣姉さんの最近の不可解な行動が気になる。そして、留咲アウラさんから聞いた3年の間で流れる不穏な噂。「日嗣尊が男遊びをしている」と。それも複数の男をホテルに連れ込んでいると。それも3年の男子を中心に。ただの根も葉も無い噂だと思っている。けど、アウラさんへ冷たくあたる理由が思いつかない。僕は迷う。救急車を追うか、この血痕を追うか。どちらが日嗣姉さんに繋がっているのだろう。

 「必ず、貴女の元に辿りついてみせます」

 只では転ばない日嗣姉さんの性格を思い出し、血痕の方を追うことに決める。どちらにしろ、救急車が向かった先ならば治療も可能で、死に至る確率は少ないだろう。外に出たのがもし犯人なら野放しに。日嗣姉さんだとしたら、なんとしてでも助けたい。腿の筋肉は悲鳴を上げている。あれだけ街を走り回れば仕方無いか。でも、あの時、夏休みの絶望的な状況に比べればマシだ。もう少しだけ耐えてくれと自身の体に鞭打つ。

 ここで諦めれば僕は一生後悔してしまう。感覚を研ぎ澄ましながら、その領域を拡大させつつ、僕は残されたエネルギーをただ走る為だけに費やす。汗が額や背中から吹き出してくるが構わない。


 もし、日嗣姉さんが独自に「八ツ森市連続少女殺害事件」の二人の犯人を追っているのだとしたら肉体関係を結んでいたとされる上級生達だと推測出来る。もし、その中に犯人が居たとして、情報を集めているのだとしたら、犯人に嗅ぎつけられた段階で手を打たれてしまう。今日、目撃された青年の特長が生徒会長の二川先輩に酷似しているが、恐らく彼は犯人では無いはずだ。そういった類の情報が分かれば、アウラさん経由で流れてくるはずだし、日嗣姉さんがアウラさん経由で聞かせてくれた推測の中に「彼」は対象外だと伝えられていた。その行動が犯人に知れて、帰り道に襲われた可能性が高い。もしかしたら二川先輩もその巻き添えを食らい、救急車がホテルの方へと向かって行ったのかも知れない。


 何かが起きている。そんな胸騒ぎを抑えながら、血痕を追う。どうやら駅の方へと続いているようで、繁華街の仄かな光が建ち並ぶ住宅の向こうから漏れ出している。宙を見上げていると、不意に白い物体が眼に飛び込んできた。慌てて視線を前に戻すと、黒い人影の向こうに白い布が亡霊染みて夜風にはためいていた。


 滴る血痕の終着地点。


 日嗣姉さんの体から血が滴り、僕の気配に気付いた日嗣姉さんがこちらを振り返る。その顔は青白く、頬には血がこびりついていた。

 「緑青……君?」

 僕は本能的に日嗣姉さんの目の前に立っている「白い法衣」を纏った人物を敵だと断定する。


 僕は駆けてきた勢いに加速を付けて日嗣姉さんとその法衣の人物に急接近する。その殺意に気付いた日嗣姉さんが慌てて目の前の人物を手で突き飛ばす。それとほぼ同時に僕の拳が交差し、顔面を僅かにそれ、肩口にそれを叩き込む事になる。駆けた勢いを足先で殺しつつ、日嗣姉さんの左肩を抱き寄せて、白い法衣の人物から遠ざける。助走をつけた一撃は軽く相手を吹き飛ばし、近くのコンクリートの塀にその体を叩きつける事に成功する。


 「……殺してやる」


 相手への殺意が自然と口から出る。憎しみという感情を僕はイマイチ分からない。けど、日嗣姉さんに危害を加えようとするなら全身全霊を以て相手を滅ぼしてやる。体を叩きつけられた法衣の人物に一歩にじり寄ろうとすると、反対方向に力が加えられる。僕をこの白い法衣の人物に近づけまいと、肩を抱かれた日嗣姉さんが僕の体を必死に押し返しているのだ。

 「尊姉さん?」

 日嗣姉さんが両手で必死に僕の体を押さえながら青くなった唇を開く。

 「早く行くのじゃ!」

 その言葉は明らかに白い法衣を着た人物に向けて放たれたものだった。

 「尊姉さん、どういう事です?あいつは日嗣姉さんを殺そうと」

 「とにかく!ダメじゃ!今、お主らを対峙させれば全てが水の泡じゃ!」

 僕は一言謝ると、日嗣姉さんをそっと体から引き剥がす。

 「ごめんなさい、僕は奴を許せません。あいつが、目の前に居るあいつが全ての元凶。浅緋あわひを僕に殺させ、貴女のお姉さんが命を犠牲にする状況を作った。そして、天野樹理さんの11年という月日を奪った!何人もの女の子があいつの性で不幸に!」

 「緑青君?お主、記憶が?!」

 「こいつだけは、ここで、殺す!」

 怒りに視界が狭まり、頭に血が上るのが自分でも分かった。この感情は、僕があの時愛情と共に失った感情なのかも知れない。それを、今、ここで解き放つ!


 「お願い!やめ……て!!」


 日嗣姉さんの悲痛な叫びに振り返ると、紅く染まったその手が僕へと差し伸べられていた。そしてその場に倒れ込む日嗣姉さん。一度頭に上った血が一瞬で引いていく。今、優先すべきは日嗣姉さんの命だ。

 「尊さん!」

 僕の腕に抱かれた日嗣姉さんが弱々しくその手を僕の頬に伸ばす。血が僕の頬を朱く染める。

 「君らしく……無いよ」

 日嗣姉さんを抱く肩に力を込めて叫ぶ。

 「尊さんこそ!貴女らしくないですよ!なんでこんな無茶を!僕には動くなって言ってたじゃないですか!」

 口元が微かに笑う。その眼の焦点は数メートル先にいる白い法衣の人物に向けられたままだった。

 「浅緋ちゃんの事、思い出したの?」

 佐藤深緋こきひの妹、浅緋あわひさんの事を僕が絞殺した事は父親から聞き出した。事実を聞いただけで、記憶自体は戻っていない。

 「まだ、思い出せないんです。けど、父に聞いたんです。7年前に僕が何をしたか……僕が佐藤の妹を」

 僕の口元を指で抑えると、叱るように僕を窘める。

 「君は悪く無いよ。そっか、お父さんから聞いたんだね。辛かったね……。ごめんね、辛い時に傍に居てあげられなくて。それに木田さんや、江ノ木さんが事件に巻き込まれたのは私の性。君が奴らに殺される事だけは避けたかった。私のワガママが生んだ結果な……の」

 日嗣姉さんが初めてカウンセリング室で出会った時の様に僕の頭を優しく撫でてくれる。腕から流れる血に僕の髪が朱に染まる。僕には動くなと言っておきながら、自分は恐らく事件の真犯人を突き止める為に動いていた。そんな気がする。僕らは泣きながらお互いにしがみつく。

 「なんでそこまでして、僕の為に……」

 僕の腕の中、日嗣姉さんの呼吸が弱まっていくのが分かった。

 「良かった。君の腕に抱かれて死ねるなら本望だよ。けど、ダメ。私が世間的に死亡が公表されるのは君の命に関わるの。だから、私の事は行方不明扱いにしてほしい」

 「何言ってるんですか!こんな所で殺させません!」

 地面の砂利を踏む音がしてそちらを振り向くと、体勢を立て直した白い法衣の人物が僕らに背を向けてその場から立ち去ろうとしていた。それを僕はわざと見過ごし、街灯の下に日嗣姉さんの体を寝かせると出血の個所を確認していく。弱々しく頷く日嗣姉さん。吹き出した大量の血が右半身を中心に飛び散った跡がある。これだけの出血量だととっくに失血死している。衣服の下に広がる赤い染は、全裸の時についた相手の返り血なのかも知れない。それより今もまだ日嗣姉さんの血は流れ続けている。早く患部を見つけて止血しないと危ない事に変わりない。日嗣姉さんの体にもどこかに傷は刻まれているはずだ。


 「……少し失礼します」


 杉村に借りている隠しナイフをすねに装着しているホルダーから引き抜き、日嗣姉さんの血で張り付いた衣服を上半身から切り裂いていく。左腕に中程度の切り傷と、左胸上部にナイフが突き立てられた様な斬り傷を発見する。自分のYシャツを切り裂きその患部に巻き付ける。心臓や肺に傷が達していれば話すことすら難しいし、心臓ならほぼ即死。ここまで歩いてこれたという事は止血し、治療さえ施せばまだ僅かに助かる見込みはあるかも知れない。ただ、行方不明扱いにしてほしいとはどういう事だろう。日嗣姉さんの顔色がどんどん悪くなっている。医師に診て貰わなければ失血死しかねない。ここから大きな総合病院は遠い。ここから近い商店街に小さな町医者はあったはずだ。そこまで運べば助かるかも知れない。どちらにしろある程度の止血はここで行わなければいけない。

 日嗣姉さんの体を血の跡を辿っていくと、内腿の方にも血が流れている跡を見つけ、その根元を辿っていく。丁度、それが下腹部にあたるので喪服のスカート部を切り裂かなければいけない。ナイフを滑らせようとする手を、日嗣姉さんに止められる。

 「そっちは、その、多分大丈夫……よ」

 「何言ってるんですか?!下着を僕に見られるのが恥ずかしいのは分かりますが……」

 「違うの」

 蒼白な顔に恥じらいの表情が浮かぶ。僕は一度手を止め、ナイフをホルダーに収納すると、スカート部の下、内腿から滴る血を指でなぞりながら患部を探す。指を動かす度に日嗣姉さんのうわずった声に申し訳なさを感じながら、傷口を探していく。

 「やめ……てって、あっ!」

 その血は腿の付け根より更に奥、いや……この場所は?

 「その血は、その、つまり、初めてのあれじゃ。だから気にするでないバカモノ」

 「あ、ごめんなさい。変なところを触ってしまって……」

 僕は慌てて手を引っこめると体全体を見渡し、これ以上の出血箇所が無い事を確認するとそのまま日嗣姉さんを前に抱きかかえる。背負うと胸部の筋肉と左腕の筋肉が引っ張られて止血の邪魔になるからだ。丁度、お姫様抱っこ?の様な姿勢で僕は歩きだす。商店街へはここからすぐのところにある。今、先程の白い法衣の人物に襲われたら一溜りも無いだろうけど。照れくさそうに顔を伏せる日嗣姉さんが上目使いでこちらを見上げてくる。

 「君には背負われてばかりだね」

 「そうですね。今回はお姫様だっこですが」

 口元をムニムニさせて何かを言いあぐねている日嗣姉さん。血塗れの黒衣の亡霊さんを腕に抱えた記憶喪失の僕は商店街目指して歩いている。夏休み、日嗣姉さんとカウンセリング室で会った時の事を思い出す。ベッドの上でタロット占いを教えて貰ったり、ババ抜きをした。そして、星の教会の教祖様として正式に僕の事も占って貰った。「隠者」のカード。自らが光を発しようとすればするほど周りの闇は一層濃くなるだろう。その通りかも知れない。僕が動こうとしたから日嗣姉さんはこんなボロボロに。

 「全部、僕の為なんですか?」

 僕に抱かれ、心地よさそうに揺られながら日嗣姉さんは眼を瞑っている。首が起きている事から気を失ってはなさそうだ。

 「うん。半分……ね」

 「無茶しないで下さい。僕なんかの為に」

 「なんかじゃないよ。君は私にとって特別な人」

 学校の玄関で天野樹理さんに言われた言葉を思い出す。

 「それ、天野樹理さんにも言われました。僕は樹理さんや尊さんが前に進む為の勇気を与えてくれたって」

 日嗣姉さんが眼を開き、深く頷く。

 「君とはもう会えないと思ってた。なんでこんな時間にこんな所に居たの?」

 「樹理さんが日嗣姉さんを追いかける様に促されたからです」

 「そっか。樹理たんに感謝しないとね。緑青君、君に謝っておかないといけない事があるの」

 「なんですか?」

 「文化祭の日まであと2週間ほど」

 「はい、そうですね」

「君はもしかしたら命を狙われるかも知れない」

 「へっ?」

 「でも君なら大丈夫。傍に杉村さんが居る限り貴方が殺される心配は無い。何故なら犯人は杉村さんを殺す選択肢だけは無いから」

 「そんな!尚更、僕の近くに彼女を置いておくことなんて出来ないですよ!僕の性でまた人が傷つくなんて」

 「彼女も大切なパズルのピースの一つなの」

 「けど、杉村は今週の日曜日、英国に帰る手配をしています」

 「そんなの取り消せばいい。いい?良く聞いてね?この二週間、必ず生き延びて、そして文化祭の日、君は監禁される」

 「はい?」

 「私がそう手配した」

 「尊さん?」

 「君がお父さんに事件の事を聞いてて良かった。その方がショックは少ないもの。その日、天使によって中断された第四生贄ゲームは再開される」

 日嗣姉さんは何を考えているんだ?それじゃまるで敵に塩を送るようなもの。

 「待って下さい!北白直哉は死にました。誰に監禁されるって言うんですか?それに浅緋あわひならもうこの世にはいません!」

 日嗣姉さんが意を決した様に口を開く。

 「北白直哉の事件に加担した片方の少年が君達の前に現れる」

 「そんな事したら、その犯人は自分が当時の関係者だって名乗る様なものじゃないですか、なんでそんな事をわざわざ」

 「君をこの二週間のうちに殺せなかった場合、そうするしかなくなるからよ。そして、それを犯人にも告げている。だから、君にとってこの二週間はとても大事」

 脳裏に夕日が鮮烈に挿し込む山小屋の光景がフラッシュバックする。そこには腹を切り裂かれた浅緋と白いフードを被った少年が僕の前に立っていた。眼球が揺らぎ、鼓動が激しくなり、油汗が額の傷跡から滲み出る。

 「いい?私達の目的を見失わないでね?」

 「目的?犯人を見つけ出し、罪を償わせる事じゃ?」

 「それが目的なら、とうの昔にそうしている」

 「違うんですか?」

 「私や樹理たんは君のお陰で前に進む事が出来た……」

 日嗣姉さんの手が優しく僕の額にある傷跡に触れる。この傷は北白直哉につけられたもの。今の僕を通して昔の僕に愛情を注ぎ込んでくれている様な気がする。

 「次は「君達」の番だよ」

 「君……達?」

 「あと、ごめんね?私、山小屋で犯人の1人に襲われた時、死ぬものだと思って君に」

 僕は腕の中で涙を流しながら震える日嗣姉さんが愛おしくなってその言葉を遮るように自分の唇を重ねた。しばらく戸惑いを見せた日嗣姉さんは怪我をしていない右腕を僕の首に回し、しばらくそのままの状態で僕は立ち止まった。彼女との口づけは血の味がした。けどそれは温かくて優しい。お互いに見つめ合いながら顔を離す。

 「これでお相子です」

 「馬鹿っ、これでは天使に合わす顔が無いわ」

 「大丈夫です。尊さんの分まで土下座して許して貰いますから」

 僕は弱まって行く日嗣姉さんの体力を忘れようとする為に、無理に笑い顔を作った。

 「緑青君、君に伝え損ねたけど、私の幸せは「君の幸せ」だよ」

 「……奇遇ですね。僕も誰より尊さんの幸せを願っています」

 「うん。それは学校の玄関で聞いたよ。本当は内心嬉しかったんだよ?」

 僕は再び歩き出す。もうすぐ、もうすぐ商店街まで辿りつく。そこで治療さえして貰えれば。

 「不器用ですね、僕等」

 「そうだね、どこまでも不器用だね。私達」

 「日嗣姉さん、僕の気持ち聞いて貰えますか?」

 日嗣姉さんが少し体を起こすと僕の視界を塞ぐように再び唇を重ねてくる。その度に甘い痺れが唇から全身に広がっていくような感覚になる。

 「ダメ。その言葉は彼女の為にとっておいてあげて?君が全てを思い出した時、私なんかとは比べ物にならない程の感情がハニーちゃんに向けられるはずだから」

 「でも、今の僕の気持も本物です」

 「知ってるよ、私も君の事が死ぬほど大好き」

 その言葉が僕の心から体内に広がり、優しい痺れとなって全身に巡る様な感覚になる。

 「ホント、不器用ですね。僕等」

 「二度も言わないの。あーあっ、死にたくないなぁ」

 そのまま日嗣姉さんは僕の首にしがみつく。血の匂いに紛れて百合の様な花の匂いが濃くなり、広がっていく。

 「そんなにしがみ付かないで下さい。重いですってば。それにそんな縁起でもないこと言わないで下さいよ」

 僕は日嗣姉さんの髪がくすぐったくなって笑い声を上げてしまう。

 「もうすぐですからね、もうすぐ……商店街に」

 日嗣姉さんから滴る血が僕の衣服を紅く染めていく。

 「大丈夫ですよ、商店街の人達は皆優しいです。きっと事情を説明すれば」

 訳も分からないまま僕の眼から涙がこぼれ落ちていく。

 「ほら、目を覚まして下さいよ。重くて落としてしまいそうです」

 あと二週間、僕は何としても生き伸び無ければならない。相手は金で人を雇い、刺客を送って来るような人物だ。

 「もうすぐ、もうすぐ……ですから……ね」

 帰り道、放置されていた「ろっくん」の鞄と上着を拾うとそのまま家に帰り着きました。その夜、ろっくんは帰って来ませんでした。


 どこか遠くでろっくんが泣き叫んでいるような気がして、私もなんだか悲しくなり、涙がとめどなく流れてしまいます。


 今日の満月の輝きは、どこか寂しそうに震えているようでした。

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