白と黒
呼吸を整えながら切れた息をなるべく正常に戻すように務める。日嗣姉さんを追いかけ、留咲アウラさんと分かれてからどれぐらいの時間が過ぎただろう。家には恐らくまだ帰ってはいない。歩く人々の目撃情報を元に僕は西岡駅周辺を走り回っていた。
西岡駅前通りの忙しない繁華街に訪れた日嗣尊は、休憩広場で足を止めた。そこには八ツ森市を囲む「霊樹」の一本が象徴的に街の中に植えられている。その霊樹にはクリスマスを意識してか、青白く輝く球体が幾つも飾り付けられていた。その青白い光はどこか寂しさを感じさせる。設置されているベンチに黒衣の亡霊は腰を掛け、辺りを見渡した後、溜息と共に深く目を瞑る。学校からこの駅前まで距離はそれなりにある。霊樹が飾られているこの休憩広場に来るのが目的だったのか?その顔に疲れが浮かんでいた。少し背の高いベンチに両足をブラブラとさせる黒衣の亡霊は目を瞑りながら背もたれに体重を完全に預けている。
人の波に逆らわず、さりげなく日嗣尊の横に私も腰を掛ける。背後に高くそびえ立つ霊樹を眺めながら。
「知っておるか?この木の周りに飾られている白い球体の意味を」
私は首を傾げながら返事をする。
「さぁね……クリスマス前だから、雪か何かを現しているんじゃないかな?」
日嗣尊が目を瞑ったまま答える。
「その木は霊樹じゃ。そしてその木を飾る白い球体は、死者の魂を現しておる。遥か昔、八ッ森に住む神の血を引く人間達によって植えられ、その聖なる樹はあの世とこの世を繋ぐ結界を生み出したとされている。この八ッ森を囲む霊樹はこの市にしか存在せぬ。世界中どこを探しても、ここにしか存在しない木じゃ。専門家の間では〝陰陽樹”と呼ばれておるらしいの」
「随分と詳しいんだね」
「私も調べたからの。一度、妾も死者と会えた事があるからの……」
「まさか、夢だろ?」
日嗣尊が長い黒髪を揺らしながらこちらに向き直り、目を開く。
「それはどうかの。君も一度、死にかけてみれば分かるよ。それとも死者と会いたくない理由でもあるのかな?誰かに恨まれているとかね?」
「冗談……だよね?」
表情を変えない彼女の三白眼が私を射抜く。
「それより、遅かったのぉ」
「私の事を待っていたのかい?」
日嗣尊が薄く微笑みながら「そうじゃ」と呟いた。
「デートの約束、今日だっけ?」
視線を私から外さないままに彼女が囁く。
「近いうちにお主から声をかけられる様な気がしての」
距離を詰めて日嗣尊が私の横に座り直す。私の方が身長は高いので日嗣とは違い、両足は地面に着いている。私は彼女の視線に居心地が悪くなり、前方の人通りを眺める。
「それは君の占いの結果かい?」
日嗣尊はそれに首を振る。
「私が自分の未来を占う事は今後も無いよ」
「君の占いが高い確率で当たる事は噂で知っているよ。自分の未来に興味が無いのかい?」
「私に未来などいらぬ」
「どういう事だい?」
それには答えず、立ち上がった日嗣尊がこちらの前に立ち、私に向き直る。
「さて、陽は落ちておるし、約束の日よりちと早いがデートとしゃれこむぞ」
私は微笑む顔を作りながら日嗣尊の差し出された手をとって立ち上がる。
「食事でもするかい?」
と声をかけると日嗣が猫目がちな瞳を巡らせながらそれに答える。
「食欲は今無い。ただ、少し君と歩きたいな。生徒会会長、二川亮君」
「仰せのままに」
私は日嗣尊に先導される様に、腕を絡ませられながら歩きだした。彼女の温もりが私に浸食してくるようで虫酸が走ったがそれが顔に出ないように我慢する。何を考えているのだ?お前が本当に好きな相手は石竹緑青だろ?私が杉村蜂蜜を気に入っている事も彼女は知っているはずだ。
歩き出した私と日嗣尊は道沿いの商店沿いにゆっくりと会話を続けながら歩き出す。喪服を着た女を横に連れている異様な光景だが、彼女の目を引く美貌がそれすらねじ伏せ、見る者を納得させている。端からみればただの若いカップルにしか見えない事が唯一の救いだろう。
「文化祭の件、お主には感謝しておる」
「あぁ、君達心理部員にはやられたよ。まさか私達の催しスペースを奪われるとは思ってもみなかった」
「フフッ、妾達を舐めるでない。一筋縄でいくような面子では無いからの」
「楽しみにしているよ。君達の開くメイド喫茶とそのコスプレを」
「そうね。でも多分、私は出られないと思うけど」
「何故だい?君の紅いドレス姿も素敵だったのに」
「多分、私はその頃には姿を消しているはずだから」
「何を言って……るんだい?」
「多分、私は命を狙われている。恐らく、私は12月24日に開かれる文化祭までに殺される」
なら何故、生徒達の前で自分が本来の日嗣尊であると宣言したのだ?そのまま大人しくしていればいいものを。殺す手間を考えてくれると助かる。それに下手したらお前は今日死ぬ事になるとも知らずによく言う。
「もうすぐじゃないか。えらく物騒な話だね。誰に命を狙われているんだい?まさか杉村さんとでも言うんじゃないだろうね?」
日嗣尊が軽く笑い、首を横に振る。
「彼女は〝理由無く”人を殺す様な精神異常者じゃないわ。例え狩猟を嗜む英国貴族の血が彼女に流れていようともね。フェアプレイが彼らの常識だし」
学校で杉村蜂蜜を犯人にしたてあげたお前がいう言葉では無いだろうに。
「なら、誰に……?」
日嗣尊が歩きながら私の顔をじっと覗き込んでくる。
「君か……もう1人の……なんてね。江ノ木さんと鳩羽君が北白直哉に監禁された時は疑ってごめんなさい。一番にそれを君に伝えたかったの」
日嗣尊が私に軽い謝罪を込める。
「いいさ、誰にも間違いはあるよ」
もう一人の?今の含みのある言い方はなんだ?こいつ、まさか……。
「ホントにね。そういう推理とか得意だったんだけどね。歳かな?」
「君ならほしい情報はすぐに手に入るだろ?星の教会の教祖様なら」
「なんでもって訳じゃないわ。それにあの教会は既に私が解散させてある。誰も協力なんてしてくれないわよ」
そこが分からない。何故、あの危機的タイミングで急に組織を解散させたのだ?それもあんなメールを流した数時間後に。だが、いくら組織を日嗣の一言で解散させたとはいえ、まだ会員同士の繋がりはあるはずだ。日嗣の一言ですぐにでも組織は復活出来るはずだ。
「そんな事ないさ。あの日嗣尊のお願いなら、大抵願いは聞き入れてくれるはずだよ」
「私はただの登校拒否の引きこもり。私に利害関係無く協力してくれるそんな人いないわ」
日嗣尊が自分をあざ笑う様に溜息をつく。
「よく言うよ、君は9年前、一躍時の人となった。10歳という若さで」
「本当、嫌な思い出よ。マスコミに残ってる映像資料、全て破棄してほしいぐらい」
「なんでだい?」
「あの時、世間は事件では無く、私を取り立てた。その性で事件へ寄せられた有力情報の中に不必要な情報が入り乱れてしまった。あれは私が最初に起こした過ち。今見れば分かる。その中に寄せられた情報には第二生贄ゲームに対する核心的な情報も幾つかあった。私は、それを全て捌ききれなかった。当時の私が心底憎い。その性で第四生贄ゲームを行なう隙を北白直哉に作らせてしまった!時期的に私が表舞台にさえ立た無ければ、荒川教員が天野樹理さんの発言を元に警察への再捜査を依頼し、犯人がもっと早く掴まっていたはずなのに!」
私の腕を掴む指に力が込められる。10歳という年齢で難解な事件を解決に導ける少女がどこに居るというのか。それに第四生贄ゲームが開始される直前で、第二生贄ゲームの被害者は特定されていた。水面下で荒川静夢は動いてはいたが、再捜査に大した人員は警察からは割かれてはいなかった。お前が動いたからこそ、私達はその尻拭いをさせられている。
「君の性じゃないさ。君は悪くないよ」
「ならっ!誰の性っていうの?!」
「北白直哉と世間さ。世間が事件をお祭り扱いし、君を担ぎ上げた。自分達の認識が間違っていた事も訂正すらせずにね。それに北白直哉、あの事件の犯人は死んだだろ?杉村蜂蜜の父親に報復されて」
「それはそうじゃが……」
日嗣尊が歩きながら下を向き、ある少女の名を口にする。
「天野樹理さん。最初の事件被害者。けど、彼女は私が声を世間に上げるまで深淵の少女として、最年少の殺人犯として取り立たされていた。年齢的に有罪として裁かれてはいないえど、世間はそう彼女を見なかった」
「悲しいね。でも、元気そうで良かったよ」
「11年よ。彼女は11年、病院に閉じこめられていた」
「そうだね。けど良かったじゃないか、ああして外に出てこられた。荒川教員と深い関係にあったとは知らなかったけどね」
「出て来れたのは彼のおかげよ。彼が居なければ彼女は今でも牢獄の中よ」
「彼?荒川教員が連れだしたんじゃないのか?」
日嗣尊が何故かそこでにやりと微笑んだ。
「フフフッ、やっぱり知らないのね。さすがに二日前の情報だと掴みきれていないようね。彼女を絶望の淵から救い出したのは石竹君と杉村さんよ」
どういう事だ?彼らが何を?
「石竹君と杉村さんが彼女と面会し、ちょっと強引に病院から救いだしたのよ。彼が居たから彼女も前に進めた。そして私もね」
あの男が一体、どんな手を使ったんだ?いや、杉村蜂蜜も一緒だという事はほとんどが恐らく彼女の功績だろう。
「彼はすごいよ。貴方になんか負けない」
本能的に頭の中に警告が鳴り響く。何かが私の知らないところで起きている?そしてそれはきっと私にとって良くない事だ。
「私に負けない?彼と争うつもりは無いが君を奪い合ったら負けるに決まっているだろ?彼が居たから君は過去の呪縛から解放されたのだから」
「……そうね。彼が居たから私は前に進めた。本当に馬鹿な子。あんなにボロボロになるまで私を守ってくれた」
なぜこの女は私をデートに誘ったのだ?お前が本当にしたい相手は石竹だろ?
「そうだね。君を助ける為とは言え、あんな自爆当然な無茶な真似は普通出来ない」
「うん。だから彼には幸せになってほしい。私が望む幸せは……彼の幸せでもあるもの」
「一つ聞いていいかい?君が好きなのは石竹緑青のはずだ。何故私なんだい?」
日嗣尊が顔を紅くしながら、目を大きく見開いている。
「な、何を言っておる?」
「いや、君が好きなのは彼の事で、私では無いはずだろ?」
「ろ、緑青君には天使がおるじゃろ!彼女と結ばれるのが本来のあるべき姿じゃ。私はその幸せを壊したくないのじゃ。それは不幸な結末、BadENDじゃ!」
私は首を横に振る。
「私の目から見て、石竹君は君に恋をしている様に見えるのだが?」
日嗣尊が姉の命を名乗りだした頃、彼の表情が目に見えて寂しそうにしているのが傍から見ても丸分かりだった。
「……彼は、愛情を認識出来ないの」
「彼が?記憶を失っているだけでは無いのか?」
愛情が分からない?記憶だけでは無いのか。それはすごい壊れ方をしているな。
「恋と愛は違う」
「そうだね。私があの天使を思う気持ちも恋だ」
「そうなの。だから、私の事を万が一にでも好きになってくれていたとしてもそれは恋。愛情は多分、杉村さん1人にずっと向けられているはず。そして天使はずっと彼の傍らで愛情を注ぎ続けてきた。石竹君からは絶対に愛情は返って来ないと知りながらも。そんな彼らの邪魔を私はしたくない」
「私達二人がつけいる隙は無いようだね」
「そうね。そういう意味では私達、似た者同士なのかもね……」
日嗣尊の体重が私にかかり、体を寄せてくる。
「今日ね、一番大切だった友達にひどい事言ったんだ……」
恐らく留咲アウラの事だろう。
「謝れば許してくれるはずさ」
日嗣尊は大きく首を振る。目元には涙を湛えている。
「いいの。それでいいのだ」
私が日嗣の方を向いて首を傾げると、予告無くその唇が私に重ねられる。
「日嗣……さん?」
「人生で二番目に辛い日ぐらい、君に慰めてもらっても罰は当たらないよね?」
そうか。こいつは自分の寂しさや辛さを紛らわせる為に、何人もの男にその体を委ねているのか。私の認識が間違っていたよ。十分に君は壊れ、狂っている。そして、だからこそ……。
「今の君は……美しいよ。天使以上に」
日嗣尊が軽くお礼を呟くと、路上でそのまま体に絡みついてくる。
「ね?抱いて?」
辺りを見渡すといつの間にか人々の喧噪は消え失せ、八ツ森のホテル街へと足を踏み入れていた。
「おかしいな、この辺りなんだけど、なっ」
もう三回目ぐらいだろうか。
大きな霊樹が植えられた休憩所の前を通り過ぎるのは。僕はあらん限りの声で会いたい人の名前を叫び続ける。今を逃せば、僕は一生後悔してしまうような気がした。




