黒衣の亡霊と深淵の少女
次に現れたのは黒衣の亡霊と……?
2年A組、担任が教室に入って来る前の僅かな時間を見計らって、色々な人物が久しぶりに登校した僕と杉村蜂蜜の周りを囲んでいる。僕はクラスの後ろの空きスペースの所で、田宮に潰された股間を抑えて転がっていた。
例によって例のごとく、東雲と杉村(退行ロリ村)がナイフと木刀で決闘を始め出したのだが、それを止めたのは「日嗣 尊」姉さんだった。日嗣尊姉さんがこうして僕のところにやってくるのは、一度も無かった。直接校内で顔を合わせる事は無かったのに。
いや、僕等はわざと校内やプライベートでも会わない様に口裏を合わせていた。どこかで見ているまだ見ぬ犯人に消す必要があると思われたら最後、木田や江ノ木、鳩羽の様になりかねないからだ。しかも僕等2人は一回山小屋で殺されかけ、リーチがかかっている状態だった。
日嗣姉さんの髪は、夏休み以降、銀色の髪から艶やかな黒い髪色と元に戻り、制服を八ツ森高校指定のものを着用していたが、今日、僕の目の前に現れた日嗣姉さんは、元々着用していた黒い喪服姿に戻っている。黒い帽子にかかる黒のベール越しに僕の事を見つめる日嗣姉さん。綺麗な三白眼が少し振るえている気がした。覚悟を決めた様にその口元を結んでいる。
「女剣士と天使よ、その辺で止めておくのじゃ。これ以上は誤解を招く」
ナイフを両手に持つロリ村と、木刀を握る東雲がその一言に我に返る。
「日嗣ちゃん?」
「お前は確か、2年D組の黒衣の亡霊だな。私達の邪魔をするな、これは神聖な決闘だ!」
東雲が突然フラりと現れた日嗣姉さんに突っかかる。
「一度引け。今の杉村さんは不安定な状況じゃ。いつ、もう一人の彼女が現れて、お主を再び扉に磔にするやも知れん。命の保証はしかねぬぞ?」
東雲が木刀を下段に構え、杉村から少し距離を置く。東雲はしつこく殺人蜂さんに決闘を迫り、鬱陶しがられて一度殺されかけている。僕が止めたけど。
「フン、D組の亡霊さんが私の行動に指図するというのか?君にそんな決定権は無い筈だ。私の邪魔をするというなら……」
日嗣姉さんが溜息をついて、口を開く。
「2年B組、東雲 雀17歳。剣道部 副将、剣道2段。その身を二天一流に置く若き剣豪娘。そんなに闘う相手がほしいのか?剣道部ではもの足りないというのか?」
東雲が日嗣姉さんに向き直り、闘気を放つ。
「剣道の相手はたくさん居る。しかし、私が相手に求めるのは私の本来の流派の型で戦える兵だ。残念ながら剣道部でそこまでの兵は居ない」
「貴女の都合など知った事では無い。一度引きなさい。相手なら彼女が完全に安定してからして貰う事ね。今の彼女は一時的なショック状態に陥って、記憶を改竄し、8歳児の自分にまで退行してしまっているの。貴女は8歳の女の子に決闘に勝って、本気で胸を張って杉村さんに勝てたと言い切れるのかしら?」
東雲が難しい顔をしながら考え込む。
「むむむ、よくは分からないが、今の杉村蜂蜜は弱体化しているという事だな?そんな彼女に勝っても意味は無いと?」
日嗣姉さんが軽く頷く。ん?杉村が退行した事を日嗣姉さんはどこで知ったんだ?退行したのはほんの4日前だぞ?
「ここは剣を一旦収めなさい」
「いや、しかし、私も彼女が登校するのを楽しみにしていたのだ、少しぐらい」
「はぁ……。東雲雀さん、貴女の誕生日は平成7年11月11日。ポッキーの日生まれ。身長170cm体重52kg。モデルの様な体型で身体能力も高く、常に体育の成績はトップクラス。その半面、数学や英語、歴史に弱く、常に赤点ギリギリ。定期に行なわれる剣道の大会では安定した強さを誇り、今年の全国大会優勝に大きく貢献した。その半面、正攻法で貴女の敵は居ないけど、試合相手との駆け引きに弱く、試合ペースを相手に握られてしまった場合、極端に脆くなる。同じ剣道部員の中でも一番手の実力だが、駆け引きという面で優れた才能を持つ、部長の二川君や鳩羽君にはその実、稽古でいつも翻弄されてしまい連敗続き。杉村さんと闘う前に、まずはその窓際にいる2人を剣道で倒してみたらどうかしら?自分の得意分野で相手に勝って満足するのは逃避行動と同じよ。ちなみに、二川君や鳩羽君は品行方正、成績優秀。立派な模範生徒ね。杉村さんのストーカーという点を除いてはね?それに比べ、貴女といったら、ただの木刀娘、剣道馬鹿よね?時々、授業中にも関わらず、杉村さんを見かけては決闘を申し込んだりして、教師に怒られているわよね。まぁ、女性としては非常に魅力的だけど」
「お、おおおぅ?」
東雲が日嗣姉さんの言葉にまくしたてられ圧倒され、脳の反応が追い付いていないようだ。追い払うだけにしては少し言いすぎでは?
「あなたのスリーサイズは、最新のもので上からB87W58H88のDカップで……貴女は気付いて無いけど、貴方目当てで剣道部に入部する男子も多いのだとか」
東雲が顔を赤くさせて鳩羽と二川の方を見る。
「ぶ、部長はなぜ私を剣道部に誘ったのだ?」
「そうだね……君が一年の時、校舎裏で1人、木刀の素振りをしている姿を見て素敵だなって思ったからさ」
「え?!素敵?私が猛者だと感じたからではないのか?」
「いや、少し寂しそうだったから誘った。まぁ見込み以上の成長は見せて貰ったけど。強さもスタイルも」
「す、スタイル?!は、鳩羽は私の事をどう見ていたのだ?!」
鳩羽が少し考えるようにして腕を組みながら答える。
「そうですね。姉の様な存在には感じています。確かに一般的観念から見て先輩は綺麗だとは思いますけど。あ、山小屋で僕が江ノ木さんと北白直哉に監禁された時は、僕を探しに剣道部の練習をほっぽり出してまで山に探しに来てくれたんですよね?辿りつけ無かったそうですが嬉しかったです。でも辿りついて、犯人グループに危険な目に合わせられ無くて良かったとも思っています。ありがとうございます、先輩」
童顔な鳩羽の嬉しそうな笑顔に東雲雀が悲鳴を上げながら僕等のクラスから走り去っていく。日嗣尊姉さんが、二川と鳩羽と目を合わせ、親指を立てて「ナイス」の合図を送る。鳩羽と日嗣姉さんは心理部でも話していたし、仲良くなっているのだろう。反転し、黒い喪服のスカートをなびかせてこちらに近付いてくる日嗣姉さん。
「さて邪魔者は消えた。本題に戻るわね?石竹君、杉村さんの事は聞いたわ」
僕に話しかけてくる日嗣姉さん。誰から杉村の事は聞いたんだろ?これって不味くないか?どこかで犯人に僕と日嗣姉さんが接触している事がバレたら次の標的に……。その為にアウラ=留咲さんに仲介役として活躍して貰っていたのに?僕が口を開こうとすると日嗣姉さんが素早く僕の口を手で塞ぐ。確か、キャンプ場でも同じことをされた気がする。
「安心して、石竹君。杉村さんが退行した現在、これ以上軍部に関連する人達が消える事も無いわ」
日嗣姉さんは何を言ってるんだ?
「まだ証拠は掴めて無いけど、行方不明になった軍部の人達、そして山で遺体となって発見された”新田 透”君を殺したのはもう一人の杉村さん。「働き蜂」だったのよ。だからこれ以上被害が増える事は無いわ」
確かに杉村の所有していた「働き蜂」さんの手帳には廃部された軍部の連中の名前が記載され、その横に行方不明になった生徒に印が付けられていた。けど、それだけで、杉村が犯人だとは断定できないはず。確かに杉村が急に退行した理由も分からないけど。日嗣姉さんの手を退けて、口を開く僕。
「そんなの可笑しいですよ!なんで軍部の連中はもう一人の杉村に命を狙われ無いといけないんですか!?」
日嗣姉さんが一瞬、悲しそうに微笑んだ気がした。
「彼らが、君達の教室を荒らした犯人だったからよ。現存している軍部の人達から聞き出したの」
「そんなっ!!」
確かにそれだと軍部の連中が行方不明になっている理由に合点がいく。
「杉村さんが「働き蜂」さんの記憶を失ったのは丁度夏休み。そのタイミングで最初の行方不明者、新田君も姿を消している。必ず証拠は見つけ出して見せる。だから、君はもう殺される心配なんてないの。犯人はもう一人の杉村さんだったんだから。もちろん、彼女が君を殺すなんて考えられないけど。証拠は無いけど、警察は杉村さんを第一容疑者として捜査を裏で進めているの。だから」
横目で杉村が怯えるのが見えた。
「ふざけないで下さい!そんなの絶対何かの間違いですよ!」
日嗣姉さんの手を払いのけて、日嗣姉さんの襟首に掴みかかる僕。
「杉村はそんな奴じゃない!別人格の3人は同じ人間の性質を根源的に共有しています。確かに暴力的だったり、人前で平気でナイフを取り出したり、躊躇無く木田を襲った犯人を刺殺したり、病院で躊躇無く発砲したりするけど、杉村は平気で人の命を奪える異常者じゃない!それは幼馴染の僕が一番知っています!!」
日嗣姉さんが悲しそうに笑い、僕の耳元に口を近付ける。
「(うむ。お主はそれで良い。最後まで天使を信じ、傍に居てやるのじゃ)」
その言葉に戸惑い、日嗣姉さんから顔を離す。
「日嗣姉さん?」
「その名は嫌いだと言うたであろうが。妾の事は「尊お姉ちゃん」と呼ぶように教示したであろう」
「なんでですか?日嗣姉さんは、今、お姉さんの「日嗣 命」さんじゃないんですか?」
「あぁ。それのぉ。杉村さんから命を狙われ無い為のカモフラージュじゃ。犯人が特定された現在、そんな事をしても無意味じゃからの。晴れて私は妹の日嗣尊に戻ったのじゃ」
そんな、どういうことだよ。杉村が犯人?それで警察も動いている?
「それより、大分お主は耳が聞こえる様になったようじゃの。もし、君が聴こえないままだったら、その責任をとって、私が君の面倒を一生見るつもりだったよ。私がその原因を作った訳だしね。けど、良かった。これで思い残す事は無いよ。少し残念だけどね」
なんだ?一体、日嗣姉さんのどの言葉を信じたらいいんだ?分からない。僕と杉村の味方だと思っていた日嗣姉さんが今度は敵に?目の前がクラクラして一歩後ずさる。杉村の方を見るとずっと杉村は俯いたままだった。ダメだ、今度は僕が杉村を守らないと。
「そうそう。二川君には申し訳無い事をしたわね?」
日嗣姉さんが混乱する僕を尻目に、窓際に振り返る。
「私は江ノ木さんと鳩羽君が姿を消した日、アリバイ的に君が北白直哉への手引きをしていたものだとばかり思っていたわ。私の勘違いだったみたいね」
その言葉を聞いて、二川先輩がやれやれと言った顔をする。江ノ木が席から立ちあがって二川先輩を庇う様に日嗣姉さんを睨む。鳩羽も同様に二川先輩を守る様に前に出る。
「止めてよ!日嗣ちゃん!!彼は自暴自棄になってた私が、数人の男に車で連れ去られようとした時に助けてくれたの。その彼を犯人扱いするなんて止めてよ!恩人の1人なんだから」
それに続いて鳩羽も日嗣に反論する。
「そうですよ!先輩は僕の恩人でもあるんです。いくら日嗣さんといえども悪く言わないで下さい」
日嗣姉さんが一度溜息をついて口を開く。周りの生徒達は固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。
「だ・か・ら、こうして謝っているじゃない。許してよ」
何か言いたそうにしている鳩羽と江ノ木を抑えて二川先輩が身を乗り出す。
「疑いが晴れたのならそれでいいよ。元星の教会の女神様」
「ふむ。和解じゃの」
日嗣姉さんが二川先輩の容姿をしばらく見定めた後、こう付け加える。
「お主、今まで気付かなかったが、細身で長身、その面構え、なかなかいい男じゃの。妾の好みじゃ。お詫びに今度で、でで、デートしてやってもよいぞ?」
二川先輩がやんわりと微笑み、一礼するとそれに答える。
「それはそれは。こんな美しいレディに、しかもあの日嗣尊様に御誘いOKの言葉を頂けるとは。では後日に改めて」
鳩羽と江ノ木、周りの人間が困惑する中、教室の前の扉が開かれ、担任の「荒川 静夢」先生が教壇に着く。その横には見慣れない小さなショートカットの女の子が居た。そして何故かその横にはヨボヨボの小さな首輪をつけた犬がリードに繋がれていた。なんだ?その女の子の背丈は随分小さいようで、佐藤 深緋ぐらいの様に見えた。大きく黒目がちな瞳が僕の顔を捉えている様な気がした。なんだろう、転校生なのかな?制服は八ツ森のものを着ている。
荒川先生が教室の後ろで屯している僕等に注意する。
「おい、チャイムは鳴っているぞ?自分達の教室に戻れ、日嗣、二川、鳩羽。石竹は座れ」
僕等は互いに顔を見合わせてそれぞれの帰るべき場所に戻ろうとするが、日嗣姉さんだけは荒川先生の横に立っている黒髪ショートカットの生徒を視線から外さない。いや、外せないのか?
「お!お主はっ!!」
退く日嗣姉さんが僕の体にぶつかり、床にへたり込みそうになる。それを僕は肩を抱えて何とか姿勢を保たせる。すごい動揺ぶりだ。知り合いかな?
教壇に立つ小学生ぐらいの小さなかわいい女の子が軽く微笑み、その名前を呼ぶ。
「あら、貴女は確か敗者さんね」
歯医者?日嗣姉さんが歯医者?
「お主は、第一ゲームの勝者、天野樹理!なんでここに居るのじゃ!?」
日嗣姉さんが、顔を青冷めさせて振るえる。天野樹理?いや、別人だろ。髪も短いし。荒川先生が僕等に静かにするよう注意する。
「まぁ、こんな時期だが、今年で2人目の転入生だ。私の隠し子「天野樹理」ちゃんだ」
おいおい。隠し子って!印象が先日とはまるで違う。あ、でも確かに目の下の隈は健在で、言われてみれば天野さん本人だった。天野さんが荒川先生の紹介に乗っかって自己紹介をする。
「初めまして、皆さん。知っている人は知っていると思うけど、小3女児無差別殺傷事件の加害者兼八ツ森市連続少女殺害事件の被害者、天野樹理です。人々は口々に私の事をこう呼びました」
クラスメイト全員の口から全く同じ単語が重なる。
『深淵の少女!?』
僕はその異名を会うまで知らなかったけど、世間では結構有名人の様だ。有名人といえば日嗣姉さんも有名人らしいが。
「なら話は早いわね。そんな訳だから宜しくね。見た目は小学生だけど、こう見えて20歳だからあなた達よりはお姉さんよ?ちなみにこの子はヨハン」
リードで繋がれた老犬が元気よく挨拶する。
「ワッフ!!」
これから天野さんと老犬ヨハンがクラスメイト?どうなる?2年A組?荒川先生が僕の方を見て宣言する。
「席は後ろのスペースが空いてるから石竹の後ろでいいよな?」
やっぱり。僕の周りにはどうしてこうも個性的すぎる人が集まるのだろう。若草が立ち上がり、歓喜の声を上げる。
「ついに!ついに俺にも春が来たっ!!」
さっき二十歳って言ってたのに年齢はどうでもいいのかよ。この幼児愛者め。天野樹理さんが愛犬に導かれて、空いていた僕の席に腰かける。こいつ、賢いな。
「ここね?ヨハン」
ワッフ!と愛犬が答えると優しく頭を撫でて上げる天野さん。ヨハンがこっちの事を瞑らな瞳で見上げている。
「そこ、僕の席なんですけど?」
犬のヨハンが嬉しそうに僕に前足を預けて尻尾を振り続けている。僕に支えられていた日嗣姉さんが慌てて僕の背中に隠れる。犬嫌いの様だ。
「あらあら、ヨハンも貴方の事が気に行ったみたいね。よかったわね、君」
横に座る杉村が嬉しそうに目を輝かせている。それより貴方もって、他は誰の事だ?
「あら、貴女は昨日の」
「うん。また会えて嬉しい!」
「フフッ、私もよ。金髪のお嬢さん」
どうなる僕の日常。そして返してくれ、僕の席!!
「ひ、日嗣姉さん、そろそろクラスに戻った方が」
「う、うむ。妾はお主と山小屋で犬に襲われて以来、犬は怖いのじゃ」
慌ててクラスから出て行く日嗣姉さん。去り際に二川先輩とアイコンタクトをとると走り去って行く。僕は日嗣姉さんとの距離感を感じ、少し寂しくなってしまった。元々、僕の事など眼中に無かったのかも知れないけど。多分、僕は日嗣姉さんの事を好きだった様な気がする。英国の金髪美少女に愛され続けている身の上としては非常に贅沢だけど、愛情が分からない僕には何とも言え無かった。
この後、新しい机と椅子を1セット、教室に運ばされた。(石竹)




