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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
はに〜とろっくん。
141/319

霧島大学附属病院 精神科

 天野樹理が入院する霧島大学附属病院に僕等は足を運ぶ。

 12月10日早朝、自宅に電話がかかってくる。

 「ハニーちゃんです!」

 反射的に杉村がリビングの電話を取ってしまう。

 「あ、荒川先生?」

 あ、やばい。学校からだ。少し寝坊して、学校に連絡を入れるのが遅れたのが仇となった。

 「え?なんで私がここに居るのかって?えーっとね、先週から私達同じ屋根の下で暮らしているの」

 ド直球過ぎる。

 「うん。今日はね、ろっくんも私も学校をお休みするの」

 堂々とズル休みを宣言する杉村。

 「うん。ハニーのお父さんの事は多分大丈夫。裁判所の判決まで少し時間もあるし。え?口調が変?ハニーはいつもこんな感じだよ?」

 杉村が退行した事を知るのは現在、僕と若草の2人である。明日登校したらどう説明したものか。同棲の件もあるし。場合によっては一人暮らしのランカスター先生か、荒川先生に預かってもらってもいいのだけど。ただ、今のところ言動以外はしっかりとしているので、自宅で一人暮らしでも問題無さそうだ……そういえば二階部が爆発炎上して業者に修理を依頼しているんだった。屋根をつけるだけの簡単な工事らしいけど。


 「ズル休み?違うよ?今日は元々、私は休むって学校に連絡してた気がするし、ろっくんは私とデートするっていう大事な約束があるの」

 それをズル休みって言うんだけどな。

 「え?大丈夫だよ?明日には登校出来ると思う。今日の昼に天野樹理あまのじゅりちゃんとの面会が終わったら、あとは私とのデートだけだからね」

 もう弁解のしようが無い。

 「え?何?約束は15時からだから、13時30分にはろっくんの家を出ると思う。え?なんで?」

 杉村が困ったような顔をしてこちらに向き直る。

 「電話、切れちゃった」

 「そりゃ、ズル休みだと教師は怒るよ」

 「違うの。荒川先生が、ここで待ってろって。昼頃に車で迎えに来てくれるの」

 ……嘘だろ?なんで荒川先生が?


 八ツ森市の最南部、森に囲まれた霧島大学附属病院は、霧島大学と隣接し、学生、医師と共に、教育、臨床、研究の三つの機能を組み合わせ40年も前から存在する歴史ある医療施設である。あらゆる内科、外科を網羅し、精神科、心療内科、神経科も含む八ツ森市で一番大きな病院だ。

 昼頃、僕の家の前にベージュ色をしたかわいい小型の車が止まり、僕らを乗せて病院まで運んでくれた。夏休みに使用した大型のワゴンはレンタルだったらしい。

 「石竹、耳の方はもう回復したのか?」

 僕は少し聞き取り辛そうにして答える。

 「少しだけ聞こえる様になりました。まだ全快という訳にはいきませんが」

 「そうか、もう無茶はするなよ」

 「……はい」

 僕の予想ではあと3回ぐらい無茶しないといけない気がする。ごめんなさい。杉村は嬉しそうに駐車場をくるくる駆け回っている。最近、杉村がお出かけする時は青いコートに赤い帽子、茶色いトランクケースを持ち歩いている。←中にはお姉さんから譲り受けた銀色のダガーとS&W M500 銀色のマグナム銃、そして赤いパックの牛乳二本が常に常備されている。残念ながらニット帽と丸いサングラスは着用していない。その代わりコートの胸ポケットには、杉村と同じ様な出で立ちの小さな「熊のぬいぐるみ」が顔を覗かせている。どこだかの外国の駅名と同じ名前を持つ熊が杉村はお気に入りらしい。ビートルズも好きだし、さすがは英国美少女。

 「杉村、なんか変じゃないか?いや、もともとあんな感じか」

 「……話すと長くなりますが、とりあえずその事はまた明日話します」

 「そうか。って、おいっ!パディントン娘!そっちは出口だ」

 荒川先生が駐車場を走り回る杉村を召集して病院の窓口に向かう。やはり教師、僕よりも子供の扱いが上手い。八ツ森最大の病院なので駐車場も敷地もやたらと広い。病院自体の建物も横に建立されている大学の二倍以上はある。昔、この光景を見た事がある。その時に一緒に歩いていたのは佐藤一家だった気がする。

 「気分が優れないのか?」

 建物内に入り、受付を済ませた荒川先生が顔を青くさせながら僕を心配する。貴女の方が調子悪そうです。

 「昔、この病院に入院していた事があって……あまり良い記憶が無いんです」

 「そうか。実は私もなんだ。ここに大切な人はいるが、良い記憶は無い」

 なんかもう普通に僕は会話してしまっているが相手の唇を読んでいるという事で。耳栓しててもある程度なら言葉を拾えるしね。大切な人とはどういう事だろう?お医者さんが恋人か、家族?


 約束の15時までは1時間ほどあるので、待合い室に腰をかける。荒川先生が杉村を座らせると、自分は腰を上げて自販機を目指して気だるそうに歩いていく。僕らにジュースを奢ってくれるみたいだ。

 「ほい。杉村はオレンジジュースで良かったか?」

 「うん!みかん大好き!」

 「石竹は緑茶でよかったか?」

 「はい。ありがとうございます」

 僕らにジュースを渡すと、そのまま荒川先生は、缶コーヒーを片手に喫煙スペースまで移動する。

 辺りを見渡すと、看護師さん達が慌ただしく動きまわり、救急車のサイレンが外から聞こえてくる。消毒液の匂いが充満する白塗りの広いフロアーには小さな赤いブラウン管テレビがノイズ混じりに番組を放映している。改築したばかりの様な綺麗なフロアーに不釣り合いなそれは、この病棟の世間への無関心さが現れている様な気がした。待合室でテレビを見上げている人間も誰一人居ない。杉村は近くに置いてある小さな水槽で泳ぐ赤と黒の金魚達をもの珍しそうに目で追いかけている。


 「ろっくん、天野樹理さんとはどういったご関係?」


 その人物の名前を手帳に書いていたのは杉村本人でそれが無ければ僕はここには来なかった。情報もあの事件の最初の被害者という以外にほとんど何も知らない。

 「いや、ほとんど知らないよ。7年前に起きた事件の最初の被害者である事以外は」

 煙草の匂いと共に荒川先生がどっかりと僕の横に座る。

 「私の方が彼女について知っているかもな」

 「荒川先生が?」

 荒川先生と天野樹理に接点があった事に驚く。僕が被害にあったあの事件の被害者という事で有名なのか?僕がそうであるように。僕が実の父親から事件の真相を聞いたという事は伏せておいた方が良さそうだ。大人達に嗅ぎつけられたら子供である僕達は自由に動けなくなる。それこそ犯人の思うつぼかも知れない。それに心配性の荒川先生なら僕を隔離しかねない。

 「私達の世代の人間はリアルタイムで事件が発生していたからな。11年前の11月8日、森で失踪した彼女は北白直哉の生贄ゲームの被験者の1人に選ばれ、そして、もう1人を刺し殺して、血塗れになった状態で下山し、人々の前に姿を再び現したんだ。杉村にはキャンプの時に事件後の彼女の事は話してはいるが、お前には話して無かったな。いや、話すべきでは無いか」

 荒川先生は、僕が事件の被害者である事を考慮して気を使ってくれている。

 「ん?そもそもなんで石竹がその彼女に会おうとしているんだ?杉村には半分脅されて樹理ちゃんの所在を教えたが」

 僕は答えに詰まり、言い淀んでしまう。僕が会うことによって何かが変わる訳でも無い。ましてやずっと入院している心が壊れた女の子とまともに話すら出来るかも怪しい。無意味なのかも知れない。

 「まぁ、なんにせよ、私はキャンプ場で杉村の可能性に賭けたんだよ。私では彼女を救えなかったからな」

 どういう事だ?

 「事件前、近所に住んでいた犬の散歩が大好きな、かわいい女の子はすっかり壊れてしまって、誰かと会う度にその人間を傷つけてしまうんだ。私もこの通りさ」

 荒川先生が、上着をめくってほっそりとした腰周りに出来た無数の切り傷の痕を外気に晒す。歪な傷口はほとんど消えかかっていたが、相当な痛みを伴ったと思う。傷口の痕からナイフでは無さそうだ。ここまで歪な傷口は出来ない。なんだろ?工具類?もしかしたら文房具かも知れない。僕が何度も傷口の形状を手に触れて確かめていると荒川先生が頬を赤らめて上着を下ろす。

 「もういいよな」

 僕の手が荒川先生のシャツの下に潜り込む。暖かい。慌てて僕はその手を引っ込める。腰に出来た傷はその彼女につけられた?

 「は、はい!ありがとうございました」

 「なんのお礼だよっ!」

 軽く頭をはたかれた。

 「とにかく、十分に注意して面会するんだぞ?私も会いたいが数年間も会っていない。恐らく、私が行ったら彼女も混乱すると思うし、何より、私自身が会うのが怖いんだよ」

 「……忠告感謝します」

 しばらくすると白い看護服を着た看護師さんが僕らの前に現れて丁寧お辞儀する。その目元はどことなく生気が無いようで疲れ切っている。


 「ご案内致します」


 荒川先生は椅子に腰掛けたまま、僕と杉村に「いってこい」と手で合図する。コートを脱いで、腕にかけると僕らは看護士さんの後をついて行く。慌ただしい中央フロアーから離れていくと共に喧噪は形を潜め、時間の流れが穏やかな空間へと移行していく。


 「静かですね」


 看護師さんの方にしばらくの間があって返事してくれる。


 「はい。慌ただしい本館からなるべく離れた位置に精神病棟はありますからね。防音設備も必要以上に施してありますし。騒がしいと患者さんの神経を逆撫でしますから」


 歩みを進める毎に音が消えていく。そんな奇妙な感覚を味わいながら僕らは人の気配が消えていく病棟を目指す。中庭には小さな広場があって8歳ぐらいの小さな女の子二人がバトミントンで自由に遊んでいた。周りを囲む様に設置されたベンチにもお年寄りや病院服を着た患者さんや、車椅子に乗った若い女の子も午後の一時を緩やかに味わっていた。


 「幸せそうですね」


 先頭を歩く看護士師さんが、前を向いたままこちらにすこし顔を傾けたまま答える。


 「そう見えますか?」


 「は、はい。僕の目には少なくともそう見えます」


 中庭で過ごす人達を指差す看護師さん。


 「あそこでバトミントンをしている麻也まやちゃんは両親から性的暴行を受け、近隣住民から児童相談所へ通報が入りここで今療養中です。大人の人ほぼ全員に恐怖感を抱き、まともに話す事も、近づく事さえ出来ません。もう1人の女の子のあかねちゃんは重度の虐待が原因で、発見当初、非常に危ない状態でした。暴力を振るう両親が怖くて逃げ出して町を徘徊していた所を近隣住民の方に保護して頂きました。現在、その両親は裁判所からの処置判決待ちです。外からは見えませんが全身に青い痣が変色して出来ています。本来なら10歳になるはずの彼女の身長と体重は栄養失調と精神的な影響からか、8歳児の平均身長と体重しかありません」


 僕が圧倒されているにも関わらず、話を続ける看護師さん。


 「あちらで穏やかに空を見上げているご老人は統合失調症を患う方で、スイッチが一度入ってしまうと被害妄想がどんどんと広がっていき、荒唐無稽な言葉を吐きつつ長時間泣きわめいてしまいます。そのスイッチがどこで入ってしまうのかは私どもでも未だに明らかになっていません。痴呆症の可能性も捨て切れません。最近はほんの少し穏やかな状態が続く時間が長くなっています。車椅子で黄昏ている女の子は、学校のクラスメイトによるいじめが原因で心を閉ざしてしまいました。私達の前では普通の女の子なんですけどね。貴方と同世代ですね。そこでひたすらムーンウォークの練習をしている中年男性は、自分がマイケル=ジャクソンの生まれ変わりだと信じている方です。そう主張するのはいいのですが、年齢も合いませんし、それを実社会で口走り始めたのでこちらで保護しました。それ以外は特に問題なく、解放棟のベッドでご自身の持ち歌をひたすら拝聴する日々を過ごされています。仕事の重圧からくる一過性の逃避行動だと思います。ちなみに未だに彼のムーンウォークは完成に至っていません」

 僕があっけにとられて口を開けていると30代と思わしき看師さんがクスリと微笑む。


 「あ、ごめんなさい。少し、やりすぎてしまいましたか?彼らを見て幸せそうだと宣ったもので、つい」


 その口元は微笑んではいるが、鋭い眼光が僕を突き刺す。そうか。ここに居る人間はそういった人達ばかりなのだ。彼女達は彼等と必死に向かい合い、社会復帰を目指して共に寄り添っているのだ。僕ら第三者が簡単に見た目だけでそれを判断してはいけないのかも知れない。彼らの今があるのはここで働く人達の功績なのだから。杉村がちゃんとついてきているか心配になって振り返るが、居ない。


 「あ、すいません!連れがちょっと行方不明に……」


 看護師さんが無表情のまま指さした先に杉村が居た。鞄と帽子とコートを近くに置いて、完璧なまでのムーンウォークを披露している。


 「ハニーの勝ちね!」


 おいおい。周りで見物していた患者さん達も杉村とマイケルの生まれ変わりである中年男性の傍に集まり、完璧なムーンウォークを披露した杉村にエールを送っている。


 「か、完璧なムーンウォークだ。マイケルの生まれ変わりである私が負けるとは……しかしだな!小娘っ!」


 中年男性の患者さんが手持ちの古いラジカセをベンチの下から持ち出してきてスイッチを押す。


 「ミュージックスタートだっ!」


 ラジカセから軽快な音楽が流れると共に、中年男性の動きが変わる。この曲、どこかで聞いた事ある気がする。たじろく杉村の周りを機敏な動きで呼び止める感じで踊る。空手みたいな動きも交えて。それを合図にぞろぞろと病棟から患者達が這いだしてきてマイケルおじさんの背後に綺麗に並びだす。まるで墓場から蘇ったゾンビの様にって!思いっきり「スリラー」だよね!?


 曲の流れと共にダンスは白熱していき、杉村も見よう見真似で中年男性の横で踊り出す。


 「看護師さん……止めなくていいんですか?他の患者さんに迷惑というか、一緒に踊ってるからいいのか」


 「すりらー♪」


 「って!あんたもかよっ!」


 看護師さんまでそのダンスに加わり、あろう事かセンターで踊り出す。よく聞くと歌まで歌っているし。杉村は日本語だと音痴だが、英語だと上手に歌えるので問題無さそうだ。曲が終わるまでの数分間を僕は圧倒されながら立ち尽くしていた。参加者全員の動きが完璧すぎる。うわっ?!集団でこっちに迫ってきた!尻餅をつく僕。センターに看護士さんを迎えた隊列をそのままにゾンビの様な振り付けでヌルヌル踊る。うおっ!?看護師さん以外全員しゃがんで、1人立ったままからの……くるくる回って、スリッパでつま先立ちを決めての……ダンダンダンッの首がガクンのフィニッシュ!


 いつの間にか僕の左右にバトミントンをしていた女の子二人が並んで拍手を送る。


 「うーん、今日はセンターがマイケルおじさんじゃないから100点だね」


 「うんうん。今日来た金髪のお姉さんの動きも良かったけど、やっぱり八千代ちゃんがセンターの方が一番綺麗にまとまるね」


 あ、あれ?なんか楽しそう?


 「麻也ちゃん。やっぱりあのマイケルおじさん、偽物かも知れない。だって金髪のお姉さんにムーンウォーク負けてるし、八千代ちゃんにも踊りで負けてるもん。歌はそっくりだけど」


 「そうだね。生まれ変わりじゃなくて、只のマイケル好きなおじさんだね」


 手厳しいようで。八千代ちゃんって看護師さんの名前か?いや、それにしてもすごい連帯感だな。心に病を抱えている人達には見えなかった。昔はここもこんな笑顔に溢れては居なかったはずだ。もっとどんよりとした得体の知れない重い空気が病棟を支配していたはずだ。爽やかな汗を流しながら看護師さんがやりきった顔で近づいて来る。額の汗を拭うために看護帽を取り、髪を解く。流れる黒髪と汗が陽の光を浴びて綺麗に輝く。眩しい。


 「貴方のお連れさん、なかなかやるわね、フフフッ」


 最初の印象と全然違う人だったようだ。荷物を手に持った杉村が後ろから歩いてくる。


 「その、なんていうか……」

 「びっくりさせたかしら?心に障害を持つ人々に見えなかった?」

 「正直なとこ、そう感じました」

 「それはね、ただの君の偏見なのよ。その人に一つ欠点があったからって、他の全てを否定したりは誰にも出来ないはずなのに。私達の戦いはそういった世間との偏見との戦いでもあるの。マイケルおじさんに乗っかる形にはなったけど、その作戦の一つがさっきのスリラーよ」

 僕の両脇に居た二人の小さな女の子が僕を見上げている。


 「私、お兄ちゃん怖くない」


 性的虐待を受けていた麻也ちゃんの大きな瞳が僕の目をのぞき込む。


 「うん。なんだか私達と同じ匂いがする」


 暴力を日常的に受けていた茜ちゃんも遠慮がちに僕を見上げてくる。この子達は恐らく両親の顔色を伺いながら生きてきた。そういう点において一般人よりも、他者の心の機微を察する能力が備わったのかも知れない。間違ってはいない。僕も虐待経験者だからだ。性的なものは無かったが。後ろから杉村がやってきて女の子二人の頭を順番に撫でていく。


 「私、ハニー=レヴィアン、8歳。宜しくね!」


 撫でられた女の子達が互いに顔を見合わせて笑い合う。


 「なーんだっ!大きいけど茜よりも年下さんなのね」


 「麻也とは同い歳だね!」


 すっかり仲良くなってしまう杉村。すごい順応力である。クラスメイトに対してはその順応性は発揮されなかったようだが。コートのポケットに住まわせていた「帽子を被った熊」を取り出すと、年下の女の子、麻也ちゃんにそれをプレゼントする。


 「わぁ、ありがとう!ハニーちゃん!素敵なくまさんね!」

 「パディントンっていうの。宜しくね?」

 「うん。宜しくね!パディさん」

 「茜も何かほしいなぁ」


 それじゃあと、杉村が手にしていた帽子を女の子に被せてあげる。大きめのつばの長い帽子が女の子の頭に乗っかる。サイズは合っていないが似合っている。


 「今日から私達お友達ね!」


 杉村が微笑んで女の子達二人を抱きしめて頬にキスをする。さすが英国人。照れくさそうにはしゃぐ女の子達。


 「あらあら、お連れさんはすっかりお友達ね。貴方の事も気に入ったみたいだし。いつもなら知らない人がこの棟にやってくるとすぐに逃げだしてしまうのよ?……本当に不思議な人達ね」


 看護師さんが乱れた髪を束ねて、看護帽を被り直す。


 「ろっくん。来てよかったね。お友達が増えたよ」

 「そうだな。けど、それが目的じゃないからね」

 「うん……天野さんに会うために私達は来た」


 近くに立っていた女の子二人が怯えて僕にしがみつく。


 「ダメ!お兄ちゃん、行っちゃダメ!」

 「樹理ちゃんに近づいちゃダメなの!」


 豹変する二人の女の子に驚きながら看護師さんの方を見る。


 「看護師さん?これは一体?」


 看護師さんが自分の胸につけているネームプレートを手に掴んで強調させる。


 「精神科病棟担当の岩井いわい八千代やちよです。ろっくんさん。この中庭で自由に過ごしている彼らはあくまで解放病棟の患者さんです。天野樹理さんは、この先の隔離された閉鎖病棟の患者さんです。面会にも許可が要る。この点に於いて彼ら、彼女らと同じ感覚で接する事はおすすめしません」


 天野樹理……10年以上も閉鎖病棟で過ごしていた彼女は一体どんな人物なのだろうか。息を飲む僕の腕に抱きつく杉村。


 「大丈夫だよ。その為のハニーちゃんなんだから!」


 看護師の岩井さんが首を傾げて杉村の方を見る。


 「その為の?」

 「うん。私はろっくんのボディガードなの」

 「ろっくんさんの方がボディガードでは無くて?」


 首を傾げるのも無理は無いか。僕1人でも良かったのだが、今回杉村を連れてきた理由にもしもの事が起きた場合の抑止力として連れてきた意味合いも少なからずある。それよりさっきから、僕の事をろっくんさんと呼んでくるのが気になる。


 「こう見えて僕の幼馴染のハニー=レヴィアンは強いんですよ。八ツ森の特殊部隊の人と渡り合うぐらいに。ちなみに僕の名前はろっくんでは無く石竹いしたけ、石竹緑青です」


 「それが本当の話ならすごいですね。しかし、石竹……どこかで……」

 看護師の岩井さんが何かを思い出した様に僕の額に手を伸ばす。

 「その傷跡……まさか、7年前のあの子?」

 「僕の事……知ってるんですか?」


 岩井さんがそのまま優しく僕の頬に手を添える。


 「看護学生だった頃にね……精神科の臨床研修として君と話した事もあったのよ……その時、君は事件のショックでほとんど感情の起伏を見せなかったけど、大きくなったね。こんなかわいい彼女さんまで連れてきて、嬉しいわ」


 岩井さんが再会を喜んで涙ながらに僕をきつく抱きしめてくれる。患者さんにはとことん優しい御方の様だ。背後の杉村の視線が痛い。


 「あ!事件の事言っちゃった、どうしましょう」


 岩井さんが慌てて顔を離すと狼狽して困った顔をする。

 「いいんです。つい最近、7年前に何が起きたかは聞かされました。だから、もう、僕に隠す必要は無いです」

 「そう……。ごめんなさいね。君の事を一般の人だと思って少しいじわるしてしまって。君も天野樹理ちゃんと同じ辛い体験をしたのに……」

 「いいんです。僕は今も事件当時の事はぽっかりと忘れていますし、その僕に合わせてくれた八ツ森市の人達のおかげで今の僕は成り立っていますから。だから……」

 看護師の岩井八千代さんが、そびえ立つ隔離閉鎖病棟を見上げる。

 「お願い……緑青君。事件当時から止まってしまったあの娘の時計の針を、進めてあげてほしいの。北白直哉の呪縛から彼女を救って?10年以上この病院で働く人達も戦い続けてきたけど、誰1人、心を開いてくれる人は居なかった……」

 僕の手をしっかりと握りしめてくれる岩井さん。彼女の熱を受け取った僕の心から不安や恐怖が退いていく。

 「彼女が居るのは閉鎖病棟の更に奥、保護室に匿われています。そこに今から案内します。保護室の患者さんに直接面接する事は出来ませんが、保護室越しで会話をする事は許可されています。もちろん、珍しい事ですが、天野さん自身の許可も得られているはずです」

 僕の手を引っ張って歩き出す岩井さん。ツンデレお姉さんだった様だ。

杉村も女の子達と手を振って別れを済ませると、頬を膨らませながら僕に続く。八ツ森市連続少女殺害事件がこの町の人々に落とした影は暗く重い。けど、そんなものに負けたくない。それがここに住む人達の総意なのかも知れない。


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