働き蜂の黄色い手帳
僕と幼馴染は一つ屋根の下?
これは恐らく夢だ。
僅かな光さえ差し込まない闇の中、どこか懐かしい声が聞こえてくる。そこに居るはずも無い人達が血塗れになってゆっくりと僕に近づいてくる気配がする。立ち上がり、駆け出せば十分に逃げおおせるにもかかわらず、僕は体を動かす事が出来ない。罪悪感という重荷が全身にのしかかり、僕を押しつぶそうとしている。
「なんで君だけ生き残ったの?」
わからない。いや、何人もの人に支えられ、助けられて僕はあの生贄ゲームから生還したんだ。生き残ったんじゃない。生き残させられたんだ。
僕の両足を掴み、凄まじい怨念のこもった力で足の骨が軋む。その声の主は行方不明になった軍部の連中だ。新田透を筆頭に、僕を闇の世界に引きづり込もうと躍起になっている。まるで地獄の様な光景。
八ツ森市連続少女殺害事件の被害者と思わしき女の子達も背後から僕の背後に掴みかかる。両目を潰された女の子に、頭にナイフが突き刺さったままの女の子。何人もの死者達が僕を同じ目に遭わせようと血を流しながら重くのしかかる。その中には死んではいないのに木田や鳩羽、江ノ木、日嗣姉さんに似た小さな女の子までいる。恐らく、10歳の時に生贄ゲームの被験者に選ばれた日嗣命さんだろう、あるべきはずの右手首が無い。僕も死ぬはずの人間だったのかも知れない。でも僕は顔も思い出せない小さな女の子の首を絞め、彼女を殺してその生贄ゲームから生還した。
全身に傷を負った小さな女の子達がボロボロの体で僕の体を押しつぶそうとしてくる。10歳前後とは思えないすさまじい力で圧迫され、背骨が軋み、首の骨がその力に押し曲げられていく。苦しくなって必死に息を吸おうとするけど肺が圧迫されてうまく呼吸が出来ない。僕は人殺しだ。報いを受けて当然の人間。もう疲れた。殺してくれ。何人もの犠牲者が団子状になって僕を押しつぶそうとする。これで……いいと思う。いつの間にか僕は夢と現実の境目が分からなくなっていく。
「ダメ」
鈍い銃声が犠牲者達の肉の壁越しに聞こえてくる。何度も、何度も。少しずつ、犠牲者達の体が銃弾により、僕から引き剥がされ、血と肉を辺りにまき散らせていく。撃ち終わった後の薬莢が辺りに散らばる音が止む。銃を放つ人物が弾薬が尽きたのか、銃をその場に捨てた軽い金属音が響く。
「まだ諦めない」
鋭い風切り音と共に肉壁が少しずつ瓦解していき、僕の背中が少しずつ軽くなってくる。少しずつ光りが流れ込んでくる。なぜだろう?外は真っ暗だったはずなのに。
「あ、折れた」
パキンという音と共にその風切り音が止み、肉壁の瓦解が止まる。
「まだまだあるよ?」
再開された硬質的な風切り音と共に僕の体にかかった負荷が軽くなっていく。何度か同じ様な事が繰り返され、誰かが僕の手を掴み、犠牲者達の肉塊から引っ張りだしてくれる。そこには折れた小さなナイフを握りしめた、黄金の光を放つ僕の幼馴染が居た。彼女は僕を助ける為に何人もの犠牲者の返り血を浴び、赤く染まっている。それでもその黄金に輝く髪と、緑青色に強く煌めき、光を放つ瞳からは一片の迷いすら感じられない。
「ろっくん、それは私達2人の罪だよ?」
犠牲者達の体を足下に踏みしだきながらも力強く両足で立つ僕の幼馴染。でもダメだ、僕は何の罪も無い女の子を、顔も思い出せない小さな女の子を殺したんだ。その事実は消せない。僕の手を掴んでいた杉村の手が優しく離されると、僕を抱きしめてくれる。
「あなたが背負い切れないなら、私が全部背負う」
杉村はもしかして、自分の身を犠牲にしてまで僕の事を?
不意に誰かの手が僕の背中に触れる。杉村に抱きしめられながら振り向くと、そこには佐藤深緋に似た小さな女の子が微笑みながら立っていた。全く知らない女の子なのにどこか懐かしい感じがする。自然と涙が頬を伝う。杉村がその女の子をじっと見つめている。
「安心して?ろっくんは私が守るから」
佐藤によく似た女の子は悲しそうに微笑んで、僕の背中から手を放すと、光の粒子に姿を変えながら僕の前から消えていく。僕は慌てて手を伸ばし、彼女の腕を掴もうとする。
待ってくれ!浅緋ちゃんっ!!
消えゆく彼女の残像をいつまでも見つめながらふと感じる。思い出せないんじゃない、僕は彼女の事を思い出したく無いだけなのか?
*
悪夢にうなされた様な感覚のまま、僕は自室で目を覚ます。脳が覚醒していくと共に、先ほど夢であった出来事の輪郭と現実との境界線が曖昧になり、それはまるで無かった事の様に頭の中からすぐに消えていってしまいそうになる。頭がはっきりとしないまま、僕は重い体を起こす。
机の上に置かれた目覚まし時計を、朝の陽射しを頼りに確認すると、朝9時を過ぎていた。そしてその横に写真が数枚立てかけられている。
一枚は杉村と家族の写真。もう一枚は杉村誠一さんと僕の家族、そして佐藤一家が共に写っている。
これは僕の両親が健在で、佐藤さんの喫茶店に顔を出した時に撮られた写真の様だ。僕の家族と佐藤の家族。そしてそれを繋ぎ合わせる様に真ん中で微笑んでいる杉村誠一さんが居た。こちらの写真に杉村蜂蜜が居ないのは、佐藤一家とは当時、まだ交流が無かったからだと思う。僕と杉村はそれよりも前に雨の公園で友達にはなっていたけど。
この写真は、爆発で吹き飛ばされてしまった杉村誠一さんの部屋から間一髪で持ち出してきたものだ。確か、昨日の夜、それを僕に見せてくれた。小さい頃の僕と佐藤深緋が写る写真の中に、僕の腕をそっと掴んで微笑んでいる女の子が、僕が顔も名前を思い出せなかった佐藤浅緋。北白直哉の生贄ゲームで僕が殺した女の子だ。
「ハニーちゃん、ありがとな。顔だけでも思い出せてよかったよ……」
「へへっ、礼には及ばないよ」
「……」
「……どうなされた?ろっくんよ?」
「ここ、僕の部屋だけど?」
「……ハニー、寝相が悪いから」
体が重いと思ったら、杉村が僕の布団の中に潜り込んでいた。悪夢を見たのもこいつが僕にしがみついていたからじゃね?助けてくれたのは杉村だけど。数日前、どういう訳か8歳児に精神が退行してしまった杉村を仕方なく同棲という形で自分の家に保護している訳だが、部屋は別々にしていたはずだ。健全な高校生である僕らは、一つのベッドを共有する様な淫らな事はしていなかったはずだ。昨日は荷物の搬入とかで疲れ切ってそのまま寝てしまったが。布団の中から僕の下半身にしがみついて暗闇からこちらの様子を伺っている杉村蜂蜜。僕はため息をつきながら挨拶する。
「おはよう、ハニー」
「オハヨー、ダーリン!」
「そっちの意味でのハニーじゃねえよっ!」
僕は勢いよく上布団をまくりあげる。尚も僕の腰から離れようとしない杉村。
「死んでも放さない!」
「いや、離せよっ!」
必死に杉村の顔を両手を使って下半身から離そうとするが、びくともしない。杉村が殺人蜂さんなら確実に僕の貞操は奪われていたかも知れない。僕が必死に体をジタバタさせているのを、楽しんでいる杉村。
「フフフッ、ろっくん魘されてたよ?元気そうで良かった!」
寝起きなので杉村の髪は纏められず、長い黄金の髪が背中で揺らめいている。帽子を被ったくまさん柄のパジャマを着ているのはいいが、またもや胸部補正下着は着けていないのか、その胸の弾力と柔らかさが僕の腿を暴力的に暖めている。下の方の下着は付けているので安心……って、外観からそれが分かるって事はズボン履いてない!
「下を履け!」
杉村が自分の体を見下ろし、確認すると、さして問題でも無さそうに再び僕に抱きついてくる。
「特に問題無し」
「問題有りすぎだろ!やめれーーっ!!」
「ろっくん、どうしたの?そんなに私の事が嫌いに……?」
記憶の改竄が起こり、精神は8歳でも肉体は17歳。色々とマズいのです。そんな中、僕の部屋の扉が予告も無く開け広げられる。
「朝から騒がしいわねぇ。なんだか、部屋の内装がミリタリーマニアの部屋みたいにガラッと変わってたけど……ど?」
あ、そういえば、今週は用事の関係で日曜日に家政婦さんが来る事になっていた事を思い出した。僕の身の回りの世話を週一でこなしてくれる同学年の高給取り、つまりは2年A組の学年代表、二つ星とか委員長とかのニックネームを付けられているクラスメイト「田宮 稲穂」が目を見開いて突っ立って居た。
「……」
「……」
「……あ、田宮お姉ちゃんだ!」
思わぬクラスメイトとの邂逅に目を輝かせ、杉村が立ち上がる。下半身が下着姿のままで田宮に近づく。薄水色の下着と白い肌が上着のすぐ下から覗いて、朝陽に輝いている。田宮が青ざめた顔で、放心状態になる。
僕も慌てて立ち上がるが、先刻の杉村とのやりとりで寝間気用のジャージがずれ落ち、ズボンを下ろしている格好になってしまう。
「あ?!(石竹)」
「あっ!←歓喜(杉村)」
「あぁ……。←察し(田宮)」
田宮が両手に下げていた買物袋をその場に落とすと、杉村を肩から突き飛ばす。その衝撃で僕と杉村はベッドに倒れ込んでしまう。青冷めていた田宮の額に血管が浮き出て、顔を真っ赤にしている。
「石竹君、学校休んで心配になって顔を出してみればそういう事だったのね。最近、杉村さんの姿も見ないと思ったら……そういう事してたんだ」
田宮は体を翻し、廊下を乱暴にズンズンと歩き、玄関に向かう。僕の家の合鍵が宙を舞い、扉の近くに落下する。
「朝からお盛んね!!」
そして玄関の扉を壊れるかと思うぐらいに思いっきり力任せに閉め、僕の家政婦さんはどこかに消えてしまった。
「田宮に完全に誤解されたな。お前の性で」
「へへへ」
「誉めてないから。まぁ、とにかく、朝ご飯にしようか」
田宮には月曜日にきっちりと説明しなければ……学校では犯人の目を欺く為に耳が聞こえない振りをしているので、謝罪の手紙でも書くか?お金も添えて。
「わーい!ハニーが作るね!」
台所にドタバタと走っていく杉村。その道中には杉村の履いていたパジャマの下が脱ぎ散らかされていた。
「はぁ……月曜日に着ていく制服は持ってるのかな?ほとんど武器とかばっかり人の家に搬送していたよな」
軽快でリズミカルな音が台所から聞こえてくる。
台所に向かうと、田宮が買ってきてくれた食材の中から、野菜を選んでサラダを作ってくれているところだった。
「ろっくんは和風ドレッシング派だよね?」
「うん。ハニーちゃんはシーザー派だっけ?」
「賽は投げられた」
「???」
「プルータス!お前もか!」
「あぁ、カエサルね」
杉村が少し頬を赤らめながら「うん」と小さく呟いた。
「あ、そういえば、学校の制服ってきちんと持ってきた?」
「忘れた!教科書も無い!」
あれだけの兵装を人の家に持ち込んどいて高校生活に必要なものを忘れるとは。
「あ、でも、金曜日に着てきたやつがあるから……」
そういえば、雨にうたれながら着ていた制服が1セットあったような。確か、リビングの壁に立てかけて乾かしていた様な。
台所から一旦離れてリビングを覗くと、奥の壁の方にハンガーにかかったままのブレザーとスカートが並んでいた。横には黒タイツもそのままかけられている。黒タイツって普通に洗濯してよかったのかな?
「ハニーちゃん、着てきたやつがあった……?」
杉村の部屋に移そうとして、その重みに違和感を感じる。ブレザーの胸ポケットに手帳がそのまま入っていたようだ。雨にうたれていたので、ダメになっているかも知れない。手を入れて手帳を取り出す。八ツ森高校の生徒手帳は雨に濡れず無事だったようだ。そういえば、小さい子供用レインコートを羽織っていたもんな。
「ん?もう一つある?」
ブレザーの上着ポケットに黄色い手帳が重なる様に入っていた。女の子らしいかわいい色の手帳は、杉村のプライベート用だろう。上着と一緒にそれを手に持って台所まで足を運ぶ。
「ハニーちゃん?制服のポケットに手帳が入れっぱなしだったぞ?」
目玉焼きと分厚いベーコンを焼いている杉村が振り返り、首を傾げる。
「そっちの黄色い手帳は知らないよ?私のじゃない」
「え?でもお前の制服から出てきたぞ?」
杉村が特に気に留める事も無く朝ご飯の準備を再開する。
台所の椅子の背もたれにとりあえず杉村の制服をかけると、生徒手帳の方を机に置いて、黄色い方の中身をペラペラとめくる。そこには杉村の予定と思わしきスケジュールが、4月下旬ぐらいから書き連ねられていた。
「どう見てもお前の手帳だ……と思うけど?」
8月4日の欄に<新田 透>の名前が記載され、×印がされていた。
この日、確か新田は繁華街で金髪の女の子と歩いているところを目撃されたのを最後に姿を消している。そしてページをめくっていくと、所々に元軍部の連中の名前が記されており、×印が横に付けられていた。
こいつらは現在、行方不明になっている生徒達だ。手帳をめくっていくと最後のページ、手帳の裏表紙の隙間に一枚のプリントが挟まれていた。
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【 軍部 名簿リスト 】
1年 計0人 廃部の為
2年 計8人
☆× 新田 透 = 死亡
石竹 緑青←アオミドロ❤
斉藤 肇
☆ 畠 正一
☆ 亀山 冬太
☆ 速見 惇
☆ 田中 圭一
田中 慎一郎
3年 計13人
☆× 宍戸 友華
☆ 如月 エイラ(きさらぎ えいら)
☆ 黒谷 景子
音谷 眩
☆ 草部 裕太3年B組
☆× 浜田 知也3年C組
☆ 春咲 龍一3年B組
☆× 森川 賢 (もりかわ けん)3年C組
☆× 笹原 暁3年D組
☆× 山本 信篤3年D組
☆× 中島 竜之介3年A組
☆× 旭 祐介 (あさひ ゆうすけ)3年D組
島原 芭蕉 (しまはら ばしょう)3年D組
☆=実行犯?
軍部の一部の人間が、あの2年A組襲撃事件の実行犯だと言う事は「新田透」から聞き出すことが出来た。しかし、そこからの進展が全くない。彼らはあくまで教室の窓ガラスを破壊したに過ぎない。教室の黒板に赤いスプレーで「天使様、なぜ私を浄化して下さらなかったのですか?」というメッセージを残した人物が分からないままだ。恐らく、この人物こそが女王蜂の過去を知り、事件の真相を知る木白直哉の共犯者だろう。早く見つけなければアオミドロと女王蜂に身の危険が……。
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これは一体どういう事だ?
杉村が事件の犯人を追っていたのは知っていたが、新田が消えた段階で既におおよその犯人の目星はついていた?なぜ杉村は警察に相談をしなかったんだ?僕にも話してくれなかったし。
「ハニーちゃん?」
「準備出来たよ?ダーリン!」
出来てたての朝ご飯が食卓に並んでいる。僕はゆっくりと着席し、杉村に確認をとる。
「ハニーちゃんが殺したの?」
杉村の伸ばした箸が空中でピタリと止まる。
「……ろっくん?どうしたの?怖い顔して」
「あいつらを……軍部の連中を殺したのかって聞いてるんだよ!」
僕は杉村の襟首を掴み、言い寄る。箸を床に落とした杉村が目を伏せ、力無く答える。
「わから……無いの」
先ほどのメモを思い出す。リストの中に僕の名前もあって、その横にアオミドロと書かれていた。そして、リストの下に書かれたメモには僕と女王蜂に危険が迫っているとも書かれていた。あれを書いたのは「働き蜂」さんなのか?
夏休み、荒川先生に連れられてキャンプ場に出かけた時、既に杉村は「働き蜂」さんの記憶を一切失っていた。今もそうだ。働き蜂さんが体験した一部の記憶を除いて、その存在を杉村は認識出来ない。
もしかしたら、杉村はもう一人の人格「働き蜂」を忘れてしまったんじゃ無い。「働き蜂」自身が女王を巻き込まない為に、自らの存在を悟られない様にプロテクトをかけているのかも知れない。いつだったか「働き蜂」さんは心理部の僕らにこう答えていた。杉村のプロテクトがかかっている記憶については覗く事が出来ない。その逆を働き蜂さんは行なったのか?
「手荒な事をしてごめん、疑ってごめんね?」
手を緩めて、ハニーちゃんを離す。ハニーちゃんは僕に嫌われたと思ってハラハラと涙を流す。
「嫌われちゃった?」
泣き出す杉村の頭を撫でながら、席につく。もう一度、黄色い手帳を開いて今後のスケジュールを確認する。そこにはちょうど来週の月曜日、12月10日15時00分、天野樹理との面会と書かれていた。
この名前は知っている。確か、夏休みに木田沙彩と一緒に図書室で目撃している。「八森市連続少女殺害事件」その最初の被害者で生き残った女の子だ。杉村は彼女と接触しようとしていた。恐らく、事件の手がかりを探る為に。改めて「働き蜂」さんの手帳を確認すると、下の方に面会する場所が書かれていた。八ツ森市の最南端に位置する、森に囲まれた病棟「霧島大学附属病院」だ。
ここは僕も知っている。
病院のベッドで目覚めた僕に佐藤深緋が僕の事を「人殺し」と言ったあの場所だ。額に出来た傷跡が何かを訴えかける様に疼いている。あの事件で生き残ったのは「僕」と「日嗣尊」姉さんと、ここに名前が書かれている「天野樹理」その三人だ。何か重要な話をもしかしたら聞けるかも知れない。
「ハニーちゃん、月曜日なんだけど、学校をサボってデートしようか?」
第一ゲームが行なわれたのは丁度10年前。20歳の彼女は事件からずっとその病院で過ごしていた事になる……。




