オムライス
友人と幼馴染と夕食。偶には外食もいいもんだ。
ファミレスで軍部と鉢合わせした僕と杉村蜂蜜。そこには親友の若草青磁も居た。軍部の連中は杉村の姿を見ると全員逃げ出してしまった。一緒に食事をとっていた取り残された若草は僕等は席に招き入れる。
「若草お兄ちゃんもポテト食べる?」
僕らが頼んだ食事が若草の席に次々と並べられていく中、フライドポテトを若草に進める杉村蜂蜜。若草の事は紹介無しで名を呼べる事から覚えているらしい。
「ん?あぁ、俺も食事はまだだったから少し貰おうかな」
杉村が嬉しそうに手でポテトを一本掴むと、添えてあるケチャップにそれを漬けて若草の口に持って行く。やや戸惑いつつも、それをそのまま口にする若草。
「おいしい?ね?おいしい?」
「……あ、あぁ」
戸惑いながら僕に視線を送る若草。
「石竹?杉村さ、なんか雰囲気変わった?明るくなったというか幼くなったというか……一皮剥けたというか?なんだろ?」
その答えに口の端をひきつらせながら頷く僕。杉村は記憶を自分で改竄し、退行現象を引き起こしてしまったようなのです。
杉村が戸惑う若草を余所に、ポニーテールの女の子が持ってきたキノコソースオムライスを嬉しそうに迎え入れている。フォークとスプーンを両手にテーブルをカンカンやっている。よほどお腹が空いていたらしい。
「きたーーーーっ!」
緑青色の目をキラキラと輝かせて喜ぶ杉村に微笑みながら手にした皿を杉村の前に並べているバイトの女の子。視線がぐるりと回り、こちらを見つめてくる。
「ろっくんを待つ。ハニーは待てる女なの」
両手にナイフとフォークポジションだが、お皿の前に両手を待機させるている。若草が手でポテトを摘みながら、僕と杉村を交互に眺めている。
「……ハニーちゃん。先に食べてていいよ?」
首を振ってそれを強く否定する杉村。左右に纏めた髪が輝きを伴って揺れ動く。
「ろっくんの事は待ち続ける。何があっても」
重い。なんかその言葉が想像以上の重みを持って僕に突き刺さる。ただ僕の料理を待っているだけなのに。僕が狼狽えていると、杉村に先に食べるよう促す若草。
「杉村、お前のご主人様は、杉村が料理は冷めないうちに食べる事を望んでいるみたいだぞ?」
まるで忠犬の様に僕の指示を待っていた杉村が、若草の言葉に懐柔されてオムライスの外殻を崩し始める。「幼イ子」の扱いは僕以上に上手な様だ。ナイフを切り動かし、本体から切り放したオムライスの肉片をその小さな口に目一杯放り込む杉村。食事用のナイフと言えどその断面は見事に滑らかだった。
「ブファッ!!」
杉村が涙目で口を抑えながら全身をバタバタさせている。若草が驚いて杉村から距離をとる。
「毒でも盛られたか!?」
「毒」という言葉に反応して杉村の鋭い視線が横を通りかかった先ほどの店員さんに突き刺さる。蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなっている。
「お、お客様?何か失礼をしましたか?」
手にお盆を持った店員さんが涙目で謝罪する。ナイフを眼前に構える杉村を取り押さえる僕。
「す、すいません!何でも無いんです!多分、この子猫舌なんで驚いただけです!」
忘れていたけど、杉村は猫舌だった。僕を待つというか、どちらにしろ料理が少し冷めるのを待たないといけない。
その場を逃げるように離れていく店員さんを気の毒に思いながら杉村を席に座らせる。ちなみに席取り的には僕の対面に若草と杉村が並んでいる。本来なら僕の隣に来そうだが、奥の席がソファーだった為、座り心地を優先させたらしい。
「あづいぃ、けど、おいひーっ!」
若草が呆れた様に溜息をついている。
「おい、なんだ?この変わり様は?……学校を休んでる間に一体何があった?」
何かにハッと気付いた様に再び僕と杉村を交互に見る。
「まさか……緑青のやや達観した様な表情と、この杉村のはしゃぎ方……まるである一線を超えたカップルの様な雰囲気は!お前達!学校を休んで何してたんだよ?いや何かをしていたのか?!」
口に運んだコーラを吹き出す僕。杉村がすかさず僕の横に駆け寄って紙ナフキンで僕の口回りを拭いてくれる。
「いや、いいって。ハニーちゃん」
「でも、ろっくんのピンチ!」
紙ナフキンがガサガサと僕の口回りを乱暴に傷付けていく。その様をニヤニヤと眺めている若草。
「そうか、そうか。俺が言ったことを実行したんだな。お前が愛せなくても行為でそれを示すことが出来ると……アドバイスした甲斐があったなぁ。そうか、緑青も杉村も大人の階段を一つ登ったか」
先ほどの店員さんが騒がしい僕らに戸惑いながら僕の頼んだビーフシチューのセットを持ってきてくれる。
「いや、違うって。そんなんじゃない」
「大人の階段?ろっくんと私が?」
席に戻り、若草の横で首を傾げる杉村に耳打ちする若草。それにニコリと笑顔になって元気よく頷く。
「うん。お風呂で裸で抱き合ったの」
今度は店員さんがその言葉を聞いて、セットのライスを床に落としてしまう。
「ももも、申し訳、申し訳~~っ!!」
顔を真っ赤にして錯乱するバイトの女の子を宥めながら、必死に誤解を解こうとする。
「いや、その、誤解です。僕らはまだ未成年ですし、そんなふしだらな事は」
他の店員さんも駆けつけて、こちらが原因を作ったのに謝罪された後、箒とちりとりで床に粉々になった皿と食べられなくなったライスが処理されていく。若草と杉村が見合い、言葉を交わす。
「え?でも、本当だもん。ろっくんお風呂場で震えてて、かわいそうで、後ろから抱きしめたもん!」
確かにそうだけど!周囲の人に誤解を与えかねない。
「そ、そうか。緑青の方が杉村に襲われたのか。初めてなら震えるのも仕方無いもんな」
若草が謎のフォローを入れているが、お皿を割ってしまった店員さんの顔が真っ赤になった状態から戻る気配が全く無い。最後にもう一度謝罪した後、そのまま厨房に帰ってしまった。厨房の方で他の店員に泣きつく声が微かに聞こえてくる。
事態収集に10分程時間を要す。若草が、静かにコーヒーを口にして一息つく。
「すごい事になったなぁ……しかもこのタイミングで」
杉村が両手を広げて呆れた様なジェスチャーをとる。いや、他人事じゃないからね?君の問題だから。僕も関係してるけど。
「どうすんの?」
「どうしたらいいんだろ」
色々な事が重なりすぎて自分がどうすればいいのか分からなくなってきた。
「とにかく、再確認だがその①現状、緑青の聴力は8割方回復している」
杉村がオムライスを完食し、再びグランドメニューを開いて何かを頼もうとしている。
「足りない……私を満足させるには肉が必要。もしくは良質なデザート。しかし、ここはろっくんの財布と緊急ミーティングが必要」
ちらりと杉村がこちらの様子を伺ってくる。若草が杉村の挙動を気にせず、現状確認を続ける。
「②杉村は退行し、精神年齢が8歳児のロリ村になった」
杉村がシチューを少しづつ口に運んでいる僕の様子をずっと伺っている。食べ辛い。
「③緑青は先日親父と10年ぶりに顔を合わせた」
テーブルに備えつけられている呼び鈴を押して、店員さんを呼ぶと、杉村に好きなものを頼んでいいと許可を下す。杉村は神妙な面もちで深くお辞儀をするとパンケーキを注文する。
「あ、俺、ケーキ食うわ。軍部の連中から巻き上げた代金、かなり余分目に貰ったから、お前等も好きなの頼んでいいぞ?」
若草の追加注文のチョコレートケーキもそこに入る。僕も若草のお言葉に甘えて「あんみつ」を頼む。
「④夏休みが明け、木田が通り魔に襲われて、新田が行方不明になった。そして、今、次々と元軍部の連中が姿を消している」
若草が元々テーブルの上に広げていたレポート用紙に事実関係を書き出していく。僕よりも頭が切れる青磁は頼りになる。というより、父から佐藤の妹の件を聞いて頭が上手く働いてくれない。ふと横を見ると杉村が青冷めた顔をして自らの身体を暖めるように抱いている。それに気付いた若草が杉村を心配して具合を確認する。
「大丈夫、青磁お兄ちゃん。なんかちょっと嫌なことを思い出しそうになって……」
木田の事か……と小さく若草が呟く。アニメ研究部の木田は文化祭用の作品を杉村にチェックして貰うために自宅に招き入れ、その後、通り魔に襲われて意識不明の状態が今も続いている。回復の兆候は未だ現れていない。その犯人に関しては、杉村蜂蜜の別人格「殺人蜂」が木田の声を聞きつけて、駆けつけ、犯人の男を刺殺している。学校では切り裂かれた木田のマフラーを常に巻き、時折、殺人蜂さんに身を任せていた事から、相当な精神的ダメージがあったように思える。ただ、先日の北白直哉の死を境に、主人格「女王蜂」の支配力が強まり、殺人蜂さんはしばらく見かけていない。ん?退行を起こしたのは女王蜂と殺人蜂、どちらなのだろう。言動から察するに、女王蜂の方だと思うが、主人格に何かあった場合、以前は当然のごとく表に出ていたが今はそれが無い。
公園で久しぶりに再会した時、すでに杉村は退行状態にあった。この退行現象と記憶の改竄は心に負荷がかかりすぎた為に起きた、自己防衛反応の一種だと思う。タイミング的に杉村おじさんが刑務所に拘留され、新田の遺体が森で発見された報道がテレビで流れ始めた時期と重なる。そして沈黙を貫いている「働き蜂」さんの事も気がかりだ。
「それより、なんで若草は軍部の連中と食事なんかしてたんだ?元々関わり無かっただろ?」
軍部が廃部になる1年前に僕と若草の接点はあまり無かった。当然、軍部との連中もほとんど面識が無かったはずだ。若草が口元に手を当てて、何かを考える仕草をとる。そしておもむろに自分の鞄から、何かの塊をテーブルの上にゴロンと置く。
「これをエサに話を聞いていた」
テーブルに置かれたのは二丁の拳銃。
「SIG P226」と「M9(M92FS)」だ。一目で分かる。どちらも本物の拳銃だ。
「どこでこれを?」
僕の言葉を中断する様に杉村が難しい顔をして置かれた二丁の銃に興味を持つ。
「それ、パパのだ」
杉村おじさんの?
「あぁ。お前と日嗣尊を助ける時に杉村誠一さんから譲り受けた。お守りだってな」
杉村が懐かしそうに2丁の拳銃を手に取ると、本体の状態を確かめながら両手にそれを構える。重厚感のある黒い鉄の塊が杉村の手によく馴染んでいた。そうか、あの時か。僕と日嗣姉さんが山小屋で野犬と謎の男に襲われたとき、二人は心配して周りの反対を押し切って杉村と一緒に駆けつけてくれたのである。その行動が無ければ僕はこの世に居なかった。杉村が銃の状態を確かめている。
「うん。それなりに手入れはされているようね。軽い。弾は……入ってない?これじゃあお守りの意味が無いよ?」
「入れてないんだよ。どこで入手できるか分かんねぇし、軍部の興味を惹かせるには弾薬なんかいらないだろ?」
確かに戦争と兵器に憧れ、偽物を所持している彼らにとって本物は耐え難く魅力的に映ったはずだ。杉村おじさんが元最強の傭兵という幼少時の杉村の発言に少しの信憑性が出てきた。多分、銃保持の許可証なども所持しているだろうが、若草自信は恐らく取得していないのでばれたら捕まる。
「お待たせしました。マロンパンケーキとあんみつお持ちしまっしっ!!ふぇっ!!」
「あ、私のパンケーキ!」
杉村の興味の対象がパンケーキに向かうと同時に、その銃口も店員さんに向けられる。
「ひぃぃぃぃっ!!撃たないで!」
両手に掲げられた料理を落とす前に僕と若草がそれをキャッチする。
「あ、ごめん。銃口向けちゃった。でも、安全装置かけてるし……」
杉村が砲身をスライドさせ、マガジンを切り離すと弾丸が込められていない事をアピールする。
「玩具!玩具です!ごめんなさいぃ!!コラッ!ダメでしょ!ハニーちゃん!」
平誤りする僕と若草に料理を渡して厨房に避難していくバイトの女の子。重ね重ねごめんなさい。僕に怒られてしょんぼりとする杉村が、床に落とした空のマガジンを装填して元の状態に戻す。
「ごめんなさい。青磁お兄ちゃん、これ返すね」
「ん?いいのか?俺はもう軍部との接触に成功したし、ここから先はと特に必要無いからな。杉村おじさんかお前に返そうと思ってたんだよ。弾は西岡商店街の文房具屋で買えるって聞いたけど、あそこには60を過ぎた婆さんと爺さんしか居ない」
杉村が首を傾げてから、首を大きく横にふる。両サイドに結んだ黄金の髪がそれに合わせて優しい蜂蜜色の粒子を辺りに放つ。
「パパの言ってる事は本当だよ?私も最近そこでマグナム弾と特注ナイフ、特性トンファーを注文したもん。あれ?トンファーってなんで砕けたんだっけ?マグナムの弾もナイフもいつの間にか減ってたし」
「……いや、だから、文房具店には爺と婆しか居ないって」
「合ってるよ!私達の間ではコードネーム、ヤマアラシとハリネズミって呼んでるあの二人でしょ?」
「……え?」
「だから「筆箱から弾薬まで」の梅村文具店でしょ?!」
子供の頃から変なキャッチコピーだと思ってたけど、まさか本当に弾薬まで扱っているとは。そういえば、昔、杉村もあの文具店に出入りしてた気がする。軽装で入った杉村が重装備で出てきた事もしばしば合ったので、恐らく杉村が言っている事は真実だろう。若草が助けを求める様に僕に視線を送る。それに頷く僕。
「杉村が言うなら、間違いなくそこで買えるはずだ」
「パパの名前を出せば更に割り引いてくれるよ?その銃に合う口径の弾なら品揃えの中にあったから大丈夫」
「いや、いいよ。これは杉村に返すよ」
2丁の銃を恐る恐る返そうとする若草の手を押さえて、それを引き留める。
「片方は僕が預かる。けど、もう一つは青磁に持っていてほしいんだ。弾は後日、こちらで用意するから」
「正気か?緑青?」
真剣な顔で頷く。
「この先、軍部の連中が全滅して、下手をしたらその次に狙われるのは僕かも知れない。僕が狙われた場合は杉村と協力して何とか撃退出来ると思ってたけど……」
「確かにロリ村の状態ではどこまで犯人に通用するか分からないよな」
「それにこれまでの傾向からして……次に狙われる危険性があるのは僕と杉村の身近に居る人間だと思う。杉村は退行してしまったとは言え、当時から黄金銃と異名で呼ばれる程の強さを発揮していた。だから、もし、誰かに襲われても負けはしないと思う。僕もある程度なら反撃出来る。だからもしもの時は躊躇い無くそれを使ってほしい」
若草が渋い顔をしながら、それを了承する。
「お前はどっちを使う?」
「好きな方を選んでいいよ」
「俺には違いが分からないから、お前が選ばなかった方を使わせてもらう」
「なら、僕は「SIG P226」の方を預かるよ」
お互いに黒い銃を手にしてそれぞれ仕舞う。僕は手ぶらなので背中とズボンの間に挟む。
「交渉成立だね」
杉村が嬉しそうにパンケーキを切り分けてから、上品に口に運んでいる。この頃から英才教育は受けていたので様になっている。テーブルで銃は構えちゃったけど。若草が咳払いをして話を元に戻す。
「そういや、さっきのお前の質問に答えるの忘れてたな。担任の荒川静夢の依頼なんだよ」
「荒川先生の?」
「……あぁ」
若草が気不味そうに杉村の方を見て、何かを渋っている。こちらに顔を寄せるように合図すると僕の耳に囁きかける。
「(行方不明になって、山で遺体となって発見された新田だが、繁華街で金髪の女の子と歩いていた目撃情報があるんだよ)」
「それって!」
僕は驚いて若草と一緒に杉村の方を見る。目を合わせた杉村は微笑み、僕にパンケーキを一口分、ねじ込んでくる。
「……モグモグ」
若草が更に続ける。
「(担任の荒川は、杉村の中にある別の人格が新田や他の行方不明になった軍部の連中との関わりを懸念している。だから元軍部でもある「石竹」の事を心配して俺にお前を見守るように頼まれた)」
荒川先生がそんな気を回していたなんて知らなかった。いや、それも恐らく、父さんが言っていた事と関わりがあると思うけど。
「でも、杉村が僕を襲うことはまず無いよ。それに八ツ森に金髪の女の子なんて山ほどいるよ」
僕はあえて杉村に聞こえるように声を大にして若草に伝える。杉村は自分の左右に垂れている髪を見て「私も金髪!」と嬉しそうにはしゃいでいる。
「……そうだよな。まぁそれもそうか」
「私、ろっくんのボディガードだから、襲わない!今度こそ守るの!」
「今度こそ」それが父に殺されそうになった事を指すのか「幻の4件目」の事を指すのか分からないけど、守りきれなかった点に於いて恐らく後者だろう。杉村は悪くないのに。杉村はその時から、罪の意識を抱いて生きてきたのかも知れない。僕の忘れてしまっていた分まで。若草が何かに考えを巡らせて、今度は耳打ちせずに僕らに話を聞かせてくれる。
「軍部の連中の話だと、杉村蜂蜜を見かけたらとにかく逃げる様に打ち合わせがされてるみたいなんだよ」
「ハニー、怖くないよ?逃げなくて大丈夫なのに。ろっくんにいじわるする人は許さないけど!ぷんぷん!」
手をぶんぶん振り回して仮想敵に威嚇するロリ村。あんまり怖くないけど、多分、敵対したら病院送りになりそうだ。
「行方不明になった軍部の奴らは新田以外「杉村に襲われている」とメールや電話で仲間に連絡があったらしい。そしてその連絡を最後に行方知れずになっている」
「青磁?それって杉村が「働き蜂」さんの事を思い出せなくなったのと何か関係してると思うか?」
杉村は「働き蜂」と聞いてもピンと来ないのか、残りのパンケーキを咀嚼する事に夢中だ。
「わからん。ただ、俺達は河原で、猟銃に撃たれた杉村を発見した時、間違いなく「働き蜂」が表に出てきていた。俺の事はソーセージと呼んでいたし、佐藤の事はロリポップと呼んでいたからな。だから杉村が思い出せないだけで「働き蜂」自体は杉村の中で消滅してないと思う」
軍部の連中の顔を知らなかった杉村。そして夏休みが始まってすぐの頃、補習を受ける為に僕と登校した時、それなりに友好度がある新田の名前を僕は杉村に教えた。生徒会の田宮になら軍部の名簿を渡して貰えるとも。新田が実際に行方不明になったのはその数日後で、タイミング的には合致する。しかし、証拠はどこにも無い。
今のロリ村は軍部の連中を覚えていない。
しかし、若草の話では軍部の連中は最後に杉村蜂蜜に追われていると言っていた。確か「女王蜂」と「働き蜂」と「殺人蜂」は根本的な情報を共有するが、お互いに干渉出来ない部分が存在する。もしくは意図的に作り出す事が出来るらしい。
支配力で言うと「女王蜂」>「殺人蜂」>「働き蜂」だと思っていたが……主人格であるはずの女王蜂が支配下に置いている働き蜂の記憶を覗けないというのはおかしい気もする。確か両方ともの情報を把握していたのは他なら無い「殺人蜂」さんの方だった。
もしかしたら「殺人蜂」>「女王蜂」>「働き蜂」なのか?
「そうすると、殺人蜂さんが主人格?」
「ん?どうした緑青?急に何を言い出すんだ?」
「いや、今までずっと「女王蜂」が本来の杉村だと思っていたんだ。けど、もしかしたら「殺人蜂」が本来の彼女の姿かも知れない」
「……だとしたら、なんでこんな状態になってしまっても殺人蜂は出てこないんだ?木田が襲われた前後では時々、凶悪なあいつが現れていただろ?働き蜂さんの代わりに」
江ノ木と鳩羽を助ける為に僕は殺人蜂さんにお願いして森に入った。そこでのやりとりを思い出す。
「殺人蜂さんは、この額の傷が出来た理由を知っていた。そして僕がそれを教えて貰おうとしてもそれを拒否した。殺人蜂さんの話では、働き蜂さんの事は出来損ない扱いしていた。だから、殺人蜂さんよりも後に生まれた可能性が高い」
若草が考えを巡らせて、仮説を唱える。
「生まれるタイミングとしては「2年A組襲撃事件」以降だな。確かその辺りから軍隊の様な口調で近付く男子を保健室送りにしてたもんな」
確かにその辺りから働き蜂さんが現れた気がする。
なら殺人蜂さんが生まれたのはそれよりもっと前、この僕の額の傷が出来た時……僕の記憶喪失が明らかになる前に杉村は療養の為、英国に戻っていた。
「青磁、僕は色々な人を不幸に陥れている元凶かも知れない」
「いや、お前は悪くないよ。悪いのはお前の額に傷を負わせた北白直哉とその共犯者……って、なんでお前はその事を知ってるんだよ?!」
「父さんに、聞いたんだ。事件の事」
若草が一呼吸間を於いて僕に恐る恐る確認をとる。
「佐藤、浅緋の事、思い出したのか?」
名前と顔を思い出せない小さな女の子の温もりを、背中に感じながら首を横に振る。
「事実を教えられただけで、僕はその女の子の記憶は失ったままなんだ」
「そうか。その事を聞いてお前自身は大丈夫なのか?」
「平気だと言ったら嘘になる。自分が憎くて仕方ない。来週からどんな顔して佐藤と顔を合わせたらいいか分からない。7年だぞ!?あいつは7年間も殺人犯の隣に居たんだ」
「ばかやろうっ!!」
僕が頼んだ「あんみつ」を持ってきた店員さんの悲鳴と若草の叫びが重なる。若草の握りしめられた拳が僕の頬を打ち抜く。
「ろっくん。こいつ殺す?」
僕が殴られた衝撃で、床に転がったと同時に杉村が料理用ナイフで若草の頸動脈に刃が突き当てられていた。杉村ならそれで十分殺せる。
「いや、いい。僕が悪いんだ。青磁は悪くない」
「ろっくんに危害を加える奴は誰であろうと私が消す」
静かにフロア全体に放たれた殺気に全員が息を飲む。若草を除いて。
「うんうん。今の杉村でも十分、緑青のお守り役にはなるな」
「あれ?青磁お兄ちゃん、私を試したの?」
若草がヘラヘラと笑うと杉村は警戒心を解いて、何事も無かったように着席する。
「悪い、緑青。ついでに杉村の有用性を試しておいた」
「お前、死ぬぞ?今のが「殺人蜂」さんなら殺されていた」
「つまり、今の退行した杉村は「殺人蜂」では無いという事だ」
「青磁……なんでそこまでして僕の事を?」
「ダチが命の危険に晒されてるのに、そのままにはしておけないだろ?」
若草の動く理由は単純明快だった。それは杉村も同じだ。日嗣姉さんに言われて、これ以上誰も巻き込みたく無いが為に動けない自分が情けなくなってくる。
「僕はどうしたらいい?」
若草がこっちにやってきて僕の腕を引っ張り上げてくれる。
「お前がしたいようにすればいい。お前が動いて誰かが傷つくのはお前の性じゃねぇ。全部、どこからか高見の見物決め込んでる卑怯者の性だ。そいつをひきずり落として叩きのめせば済む話だろ?」
「僕がしたい事……犯人に繋がる一手……」
近くからさめざめと泣き声が聞こえてくる。
「もういやぁ~……うぅ、帰って下さいぃ!」
近くにあんみつを頭から被ったバイトの女の子が泣いていた。重ね重ねすいません。とりあえず僕は土下座して謝った。
「ろっくん、何この女?なんで頭なんか下げてるの?」
杉村が即座に反応して、フォークを女の子の眼前に構える。若草が溜息をついて、手にしていた一万円札を女の子に放りなげると、杉村と僕を抱えてファミレスから慌てて退店する。しばらくこのお店は利用出来ないな。既に陽は落ち、道沿いの街頭が歩道を照らし始めていた。
「ろっくん、青ちゃん。今度はステーキを食べに来ようね」
僕と若草は声を揃えて反目する。
「「二度と来ない!」」