ファミレス
お腹空かない?僕はとりあえずハニーちゃんとファミレスを目指す。
記憶が空っぽのまま事実を突き付けられた(無理矢理聞き出した)性で心が消化不良を起こし、心身とも体調不良を起こす。新たに現出した罪の重さに潰れる前に、杉村が僕に熱を注いでくれたおかげで、身体の警告装置が正常に働き、結果、お腹が空いたのだ。退行現象を引き起こした杉村を連れて家を出る。簡単な着替えを済ませた後、近くのファミレスを目指して並んで歩いている。雨上がりのアスファルトに冷たい風が流れ込んで僕らは身震いする。
「もう少し着込めば良かったね」
「そうだね」
「こうすると暖かいよ?」
灰色のパーカーを羽織った杉村が、弾力に冨んだ部分を僕の腕に圧着させてくる。確かに柔らかい。では無く、暖かい。杉村は上の下着着用を嫌がったのでその柔らかさと体温が直接僕の身体を暖めてくれる。体温の下がりきった僕にはこの身体の温もりは有り難い。多分、杉村自身に他意は無いだろうけどこれは男子高校生には毒だ。
「ハニーちゃん、胸が当たってるよ?」
「ん?私は気にしないよ?うーん、私の胸ってこんなに膨らんでたっけ?もっとぺったんこだったような。邪魔だなぁ。とれないかな?……フニフニ」
二人並んで歩きながら片方の手で自分の胸をいじりだす杉村。
「あ、なんか変な気分に」
「やめなさい」
杉村の額にチョップを放ち、その愚行を止めさせる。
「うぅ、痛いよぉ」
杉村が紅くなったおでこを撫でながらそれでも僕の右腕に絡めた左腕は放そうとしない。利き腕はいつでも使えるようにしておく。それがハニーちゃんが僕を守る為の鉄則だ。そこは変わっていないようだ。
「ハニーちゃんはファミレスで何食べたい?」
「肉」
「ワイルドだねぇ」
「ろっくんは?」
僕は昔、父と母と外食する時に一緒に食べたハンバーグを思い出す。もうその願いは叶わない事は知っている。
「ハンバーグかな」
杉村が何かを思い出したように笑顔を輝かせて両腕を絡めてくる。その、なんていうか、杉村の2つの柔らかい物体で僕の腕が挟まれている。杉村はどうやら着痩せするらしい。というか身体中にナイフを仕込んでいる為、体型が外観では分からない。それでも細い印象を受けるので身体は全体的に引き締まっているようだ。
「前にろっくんのパパとママとハンバーグ食べたね」
「うん」
「私がチーズトマトソースハンバーグで、ろっくんがビーフシチューハンバーグ。ろっくんのパパが和風ハンバーグ大根おろし添え、ろっくんのママがチーズデミグラスソースだったね。私のパパはハンバーグ嫌いだからチキンステーキだったね」
そうだった。確か、一度だけ、僕等親子と杉村親子で食事をした事がある。あの頃はまだ穏やかで幸せだった気がする。父の暴力と母の浮気性は既に表層化していたけど。杉村が退行したのはタイミング的に父親である杉村誠一さんが刑務所に留置された前後だと思うけど、誠一おじさんの話では最後に会った時は正常だった可能性が高い。杉村には僕と公園で遭遇する前、学校に顔を出さなかった数日間の空白がある。
その間に何が起きた?
事件の記憶を忘れてしまった僕と違って、杉村は僕に関係する記憶は鮮明に覚えている。それを思い出せないとなると改竄されている可能性が高い。何を覚えていて何を忘れているか、何を改竄したのか、この境界線が大事だ。だけど、今、彼女を無駄に刺激するのはよくないと思う。きっと記憶を改竄せざるを得ない状況に彼女は追い込まれた。このまま彼女が8歳児に退行したままだと、この先、共犯者に僕等が追い込まれた場合の生存率に関わってくるので非常に不味い。早急な解決も、現状維持で放置するのも杉村と僕には死活問題だ。
「ハニーちゃん、僕のママとパパの事なんだけど」
当時は確か僕は父と母の事をそう呼んでた気がする。杉村が僕の両親の事をどう捉えているかが気になる。
「……ろっくんは何も悪くないよ。ハニーが貴方を守るんだから」
父が母を刺し殺した事は事実として受け止めているらしい。僕の腕を掴む杉村の手に力が込められる。恐らく、本気出したら簡単に僕の腕をへし折るぐらいは出来るだろう。程無くファミリーレストランの「ガストン」に到着する。財布の中身を確認しつつ、僕らは玄関ホールを潜る。うん。夕食代ぐらいは入っている。
店内は夕食時という事でそれなりに客の入数は多い様だった。フロアーを担当しているバイトの女の子が、入店してきた僕らに気付いて対応してくれる。
「お客様2名でございますね?喫煙席と禁煙席がございますが……おタバコはお吸いになりま……せんね。禁煙席へご案内致します」
彼女の目には未成年だと映ったらしく、禁煙席へと案内される。4人席へと案内された僕らに高校生ぐらいの茶髪のポニーテールの女の子が笑顔で僕らにグランドメニューを渡してくれる。
「ただいまキノコフェアを行っておりますので、キノコソースハンバーグ、キノコソースオムライスなど是非お試し下さい」
杉村が興味津々な顔で目をキラキラさせ、手渡されたキャンペーン用メニューを眺めている。
「キノコいいなぁ。マロンパンケーキも美味しそう。ろっくん、半分こしよ?」
「そうだね、何にしようかな」
僕はあの時を少しでも再現しようと、ビーフシチューの項目に目をやる。今は楽しかった思い出に少しでも触れていたい。
「ビーフシチューのセットがいいな」
「うー、迷うね。私はキノコソースオムライスにしようかな。日本は美味しいものいっぱいで迷っちゃう。英国の食べ物はなんかどろどろしたものばっかりで……」
しばらく2人で葛藤した後、僕らは各々食べたいメニューを先ほどの茶髪のポニーテールの女の子にオーダーを通していく。ドリンクバーと山盛りポテトもプラスして。これ、二人で食い切れるのかな?
「いっぱい頼んだね。お小遣い大丈夫?」
「うんうん。大丈夫」
杉村の中では僕はお小遣いで食べに来たと思っているらしい。いや、あながち間違ってもいないか。北白家から被害者である僕に高額なお金が口座に振り込まれた。だからお金の心配はあまりしなくてよくなった。大学にも十分いける額はある。それに杉村の家は英国でも資産家なのでそもそもお金自体を心配する必要が無いのだけど。
「ごめんね、ハニー財布を家に忘れちゃって。ハニーが食べた分は家に寄った時に渡すからね」
「いいよ、ここは僕が奢るから」
「太っ腹だね、ろっくん」
杉村がきゃいきゃいしながら僕をドリンクバーに引っ張っる。店内で金髪の女の子が移動するとその黄金の輝きが多くの人の目に留まり、それをしばらく目で追いかけているのが僕の目にも分かる。それに加え、8歳児に退行しているとはいえ、外見上それは判別つかない。17歳の英国美少女の尊顔に男女問わずに何人もの人間がみとれてしまっている。今の杉村は以前の杉村に比べて、表情が柔らかく、明るい印象を受けるので一般受けもよさそうだ。あまり目立ちたくはないのだけれども、金髪英国美少女の横に元気の無いごく平凡な男子高校生が居るのは、端から見てつまらなそうだ。
「ハニーはオレンジジュースね。ろっくんはコーラ?」
そんなにオレンジジュース好きだったっけ?
「そうだね、まずはコーラにしようかな」
ご機嫌でグラスにジュースを勢いよくなみなみついでしまう杉村を制止していると、近くから女性の小さな悲鳴が聞こえてくる。
「す、杉村蜂蜜っ!?」
持っていたグラスを落とさない様に尻餅をついた女性はどこかで見た顔だった。
「あれ?音谷 眩先輩?」
僕と杉村と遭遇して尻餅をついたのは、去年廃部になった「軍部」の先輩だった。
「あれ?石竹っち?」
音谷先輩はよく目立つ黄色いスカーフがトレードマークで、プライベートの今もそれを身につけている。爽やかなショートカットが今も眩しいぐらいによく似合う。眩だけに。軍部の中でもアイドル的な存在で、捕虜的立ち位置の僕にも気兼ねなく話しかけてくれていた軍部における数少ない良識人である。僕が先輩の両手に強く握られていたグラスを持つと、お礼を言って立ち上がる。
「奇遇だね。石竹っち」
「そうですね。先輩こそどうしたんですか?サバゲー用の衣装を着るのは部活動の時だけだったような気がしますけど?」
音谷先輩が杉村と間隔を空けながら僕に耳打ちしてくれる。
「軍部の緊急ミーティング」
「何かあったんですか?」
「先日、今度は笹原と森川、浜田の3人が消えたのよ」
「消えた……んですか?」
「あいつらも恐らく新田と同じ様に、そこに居る女にやられたに違いないって軍部の連中は話し合ってる」
僕は両手にコーラとオレンジジュースを手にした杉村の顔を音谷先輩と交互に見る。杉村がその場に居ながらじっと音谷先輩の方を見ている。
「ろっくんのお友達?」
「部活の先輩。音谷 眩先輩だよ」
「綺麗な人だね」
杉村の殺気が僕らを押しつぶす様にのしかかり、ズンズンと僕と音谷先輩の間に割り込んでくる。再び音谷先輩が僕の手から離れて尻から崩れていく。
「ひゅっ!ゆ、許してっ!」
倒れた音谷先輩を離れた席から発見した同じ軍部の先輩達が彼女を床から引っ張りあげようとする。柱の影で僕らにはまだ気付いていない様だった。音谷先輩と仲のいい女性部員、群青色の瞳と茶色がかった髪をドイツ人と日本人を親に持つ「如月エイラ」さんと波打つ黒髪が印象的な「黒谷 景子」さんだ。
黒谷さんは目に出来た隈が印象的な人で、毎日夜遅くまでFPSゲームをプレイしている人だ。昔、人数が一人足りなくなったという理由で彼女たち女性部員3人と度々朝までガンシューティングゲームに付き合わされた記憶がある。もちろん、彼女達の部屋では無く、軍部が市内にいくつか拠点としている秘密の集会所での話だ。ゲーム中、僕は現実と同じように衛生兵ポジションだった。僕が選ばれた理由は、他の部員よりも男としての危険性は低いと判断されての事らしい。
「杉村 蜂蜜!?なんでここに!」
如月先輩と黒谷先輩の悲鳴にも近い声が店内に響き渡る。それを聞きつけた他の軍部員が奥の席から沸いて出てくる。複数の足音が聞こえてきて杉村との距離を空けつつ、そのまま店外へ向かって僕の横を次々と走り去っていく。まさに阿鼻叫喚の騒ぎである。10人ぐらい見知った軍部の人間が居たが、地味な僕の事には気付いていない様だった。音谷先輩を支えようとしていた女性部員二人が音谷先輩の手を離してそれに続くように逃げ出していく。
「皆、杉村を怖がっているんですか?」
いや、それは正常な反応か。杉村は転校当日から今日まで近付く生徒のほとんどを保健室送りにしてきた。怖がられても無理は無い。音谷先輩が怯えながらも僕の手を取り立ち上がる。杉村が逃げていく軍部の面々に気をとられているうちに僕の事を引っ張って、耳元で何かを囁く。
「石竹っちも杉村さんには気をつけて?新田君が山で行方不明になった前日に、金髪の女の子と繁華街で歩いているところを目撃されていたらしいの。他の居なくなった部員に関してもそうらしいわ」
僕は驚いて杉村の方を見る。杉村が新田の失踪に関わっている?
「石竹っちも元軍部なら気をつけてね。君は多分大丈夫だと思うけど、私達軍部の一部の人間は間接的に杉村さんに恨みを買われてしまっているから」
恨みを?何の事だ?
「それは……あ、これ以上は言えないんだったわ」
慌てて口を手で塞ぐ音谷先輩。キュートだ。杉村の僕に対する視線が刺々しいものとなって僕を捉える。他の軍部の連中は全員逃げ出したものだと思っていたが、暢気な声が音谷先輩の背中にかけられる。
「ちょっ、これ、俺が全部金払うの?後で請求するぞぉ……ととと?」
軍部に紛れて、同じ心理部員であり、親友でペドの若草青磁がそこに居た。
「「なんで?」」
二人の男子高校生の声が重なり、互いに存在への疑問を問いただす。
音谷先輩が思いだした様に財布をポーチから取り出すと、1万円を若草に渡す。ちらりと見えた財布のお札入れには僕の財布の中身の6倍ぐらいの額が入っていそうな膨らみがあった。サバゲーも結構お金がかかるので、軍部の平均所得の水準は結構高い。僕も低くは無いほうだし。
「ごめんね。これで足りると思うから……あと、情報ありがとう。これ、私の電話番号。何かあったらまた教えてほしいな」
少し頬を紅くしている音谷先輩とは対照的に若草が面倒臭そうにメモを受け取り、短く返事する。さすがぺドだ。15歳以下は愛せないらしい。
「他の部員にも、俺に連絡先回す様に言っといてくれる?」
それに素直に頷いて、僕に軽く別れの挨拶を済ませた後、サバゲーで敵対する人間と距離をとる要領で杉村と間隔をとりつつ、店を出る。その背中をずっと見つめ続ける杉村と、バツが悪そうに頭を欠く若草。僕はとりあえず音谷先輩が置いていったドリンクをシンクに流し、コップを洗い場に戻す。杉村がオレンジジュースとコーラを注いだグラスを両手にしたまま若草の方に気付くと、挨拶する。
「あ、若草お兄ちゃんだ」
お兄ちゃん扱いする杉村に特に違和感を抱く事無く、手をヒラヒラさせて挨拶する若草。杉村からの呼び名は色々あるので特に気にしていないようだった。若草が明後日の方向を向いたまま、言葉を口にする。
「そうか、今日休んだのは杉村とデートする為だったのか?デスニーランドでも行ったか?」
僕は大きく首を振って否定する。
「違う違う。今日は、刑務所にいる父さんの所に行って……杉村とはその帰り道に……」
いつの間にかこちらを向いていた若草が僕の目を見て次の言葉を繋げる。
「お前、やっぱり耳が聞こえてるよな?唇が読めるのは知っているが、今の言葉はわざと口を読ませないようにした」
「……」
色々あって、学校でも無いし、聞こえないフリをするのを完全に忘れてた。こんなんじゃ犯人を出し抜けないぞ。
「え?何か言った?」
僕は白々しく、片手を耳に添える。それにリンクする様に杉村も僕のジェスチャーを真似する。
「え、聞こえないよぉ?」
……杉村が僕を庇うように合わせてくれるが、余計に不信感を若草に持たれてしまっている。そもそも杉村は僕の聴力がほとんど回復している事に気付いていた?公園で遭遇してから今まで、普通に話してたけど、杉村も今思い出したのか?若草が溜息をついて自分と軍部が座っていた席に僕らを案内する。気をつけないとな。相手が若草でよかった。音谷先輩とも普通に話してしまったし、僕の警戒心はゆるゆるである。まぁ、杉村の存在に怯えきっていたし、喧噪の中に僕の事を気に留める人間は居ないだろう。茶髪ポニーテールのバイトの店員さんが、僕らが頼んだフライドポテトを所在無さげに、手にしたまま右往左往している。僕は苦笑いすると、席を変更をする旨をそのバイトの女の子に伝えた。若草と軍部の連中に強い繋がりがあるとは思えないけど、何かが僕と知らないところで動いているのは確かだった。