杉村おじさんとの面会
青い傘の行方 そして 八ツ森のルール。それは私の……。
文化祭の打ち合わせをした後、八ツ森警察署へと僕は足を運ぶ。山でおじさんに杉村と一緒に拘束されて以来会うのは久しぶりだ。裁判の判決待ちで勾留中の杉村誠一さんと面会出来るのは1日1人だけだ。その1人に僕が選ばれた。
看守の人が面会室の入口近くにそれぞれ座り、透明な強化プラスチックの壁は僕とおじさんを隔てて仕切る。僕が神妙な面持ちで椅子に座って待っていると、向こう側の部屋の施錠が開く音がしておじさんが顔を出す。表情の無いまま席に着くと、僕に深く頭を下げる。
「無理にお呼び立てして申し訳ない。どうしても君に一言謝っておきたくてね」
なんだろ?山小屋で僕等を拘束したのは北白直哉から僕等を引き離す為。身の安全を考えてくれての行動だ。謝られる必要性は全く無いはずだ。
「山小屋での件は手荒な真似をしてすまなかった」
僕は首を横に振る。
「あれは僕等を心配しての行動ですよね?犯人に接触して、クラスメイトを勝手に助けようとした僕等を引き止める為の」
その言葉に頷くおじさん。
「あぁ。娘の……もう一人の人格が北白を殺す事を恐れてね。後は」
おじさんの目を真っ直ぐ見つめる。
「僕をそいつに会わせたく無かった。そして……あの場でおじさんは北白を殺して自分も死ぬつもりだったんですよね」
驚いた様に目を見開くおじさん。やや色素の薄くなった虹彩が僅かに揺れている。
「娘にも言っていない事だ。あの被害者の女の子に聞いたのかい?」
「はい。彼女がそっと僕にだけ教えてくれました。ハニーちゃんは多分知りません」
頭を下げ感謝の言葉を述べるおじさん。
「あの子にも申し訳無い事をした。治療費や慰謝料は私の方から……」
「今日は何故僕をここに呼んだんですか?」
おじさんが一呼吸置き、両手を膝につけると何かを覚悟した様に口を開く。
「理由はそれだけでは無いのだが、北白がこの世から居なくなれば娘の症状も改善されると考えていた。その原因が森で北白と遭遇し、死の恐怖を与えられた事が発端だと思っていた。だが……」
「ハニーちゃんは以前のままですよね?」
北白直哉の死によって多少なりとも主人格の主導権は回復した様だけど、まだ不安定である事に変わりない。
「3日前の娘の様子は至って普通なんだが、ゼノヴィアが言うには信頼している人間の前では中々別の人格は現れないのだろ?」
「そうですね。恐らく彼女はまだ完全に回復していないように思えます」
「そうか。学校での様子はどうだい?今回は無傷とは言え、心の方が心配でね」
彼女は事件後、一度もクラスに顔は出せていない。連絡は本人から入っているそうなのだけど、何故父親にそんな嘘を?今の彼女は主人格である女王蜂が主導権を握っているはず。学校に顔を出さずに何をやっているのだろう。北白の最後を看取ったのは杉村だ。その時、何かあったのか?
「緑青君?」
おじさんの声で我に返った僕は慌てて返事をする。
「あっ、はい。ハニーちゃんは確かに事件の事を気にしていますが……僕が隣の席に座っているのできっちりと見守っているので安心して下さい」
安心して微笑み、肩の荷を降ろすような深い溜息を吐き尽くすおじさん。
「7年だ。7年もかかってしまったよ」
「ハニーちゃんが八ツ森から居なくなってそれぐらい経ちますね」
「私は今も分からないんだ。どうするのが正しかったのか」
杉村おじさんは7年前、犯人の北白直哉を警察に引き渡したが重度の精神障害が明らかになり、精神病党に移送され、裁判では無罪判決を受けた。おじさんが北白直哉の犯行を知ったのは警察に身柄を引き渡してからだ。おじさんはずっとその事を気にしていたのかも知れない。
「おじさんはもう十分苦しんだと思うし、八ツ森タクシーの運転手として7年間働いてきたのは……そういった犯罪を未然に防ぐ為なんでしょ?」
昼夜問わず市内を巡回している八ツ森の無料タクシーは犯罪抑止に効果的に作用している実績があるのは終始の事実だった。暴行、誘拐、殺人、強盗等の犯罪をおじさんは度々防いできて何回も警察から表彰されている。
おじさんが自嘲気味に口をひきつらせる。
「そんなんじゃないよ。私はただ、北白が病院を出て来たらすぐにでも始末するつもりだった。ヤツは事件被害者とその家族、そして八ツ森全体を恐怖に陥れた。その罪は重い」
抑揚の無い言葉だったけど、そこには強い決意の様なものが感じられた。
「娘は……ハニーは日本で知り合った君と一緒に中学に上がり、同じ高校に通い、この八ツ森で静かに暮らせる事を誰よりも楽しみにしていたんだよ。英国では家柄の性であまり自由が効かなくてね。未だに抜け切れていない階級社会。娘には好きな方を選ばせたかったんだ。でも、そんな細やかな願いさえも……あの男に全て台無しにされた」
おじさんの放たれた殺気を僕は肌に感じながらそれを静かに受け止める。面会室の看守がその殺気にたじろき、ホルダーに装着されている警棒に手を伸ばしているのが見えた。
「そして何より、君と佐藤さんの……」
そこで我に返った杉村おじさんが言葉を中断させる。ここから僕が本題に入る番だ。
「おじさん……七年前の事、教えて貰えませんか?」
おじさんが息を飲むのがハッキリと分かった。
「緑青君……まさか」
僕は首を横に振る。
「僕は犯人の北白直哉には会った事はありませんでした。けど、葬儀場でハニーちゃんと北白直哉の顔を見た時、ハッキリと僕の頭の中に生前のあいつの顔がフラッシュバックしたんです。混乱して僕は……ハニーちゃんの首を締めて、危うく殺してしまいそうになったんです」
杉村おじさんの顔から血の気が無くなり、僕の瞳を心配そうに覗く。更に僕は続ける。
「北白直哉の名義で弁護士の方から多額の資金が僕に譲渡されました。それが何を指すのか僕でも分かります。7年前、何があったのか……ハニーちゃんが僕の前から突然居なくなった事と、この額に出来た傷の理由を知りたいんです。でないと僕の周りの人間に被害が……」
杉村おじさんが僕の言葉を遮る様に言葉を重ねる。
「覚悟はあるかい?これまで君が平穏無事に過ごせてきた日常を壊してでも手に入れる価値がそこに……」
今度は僕がその言葉に声を重ねる。
「父が母を刺し殺してから今日まで……僕に平穏な日常なんて元々ありませんでした」
痴情の縺れの末に殺し合った夫婦の息子。世間は限りなく僕に冷たかった。そんな僕を彼女は優しく暖めてくれた。そして今も僕を何かの脅威から守ろうとしてくれている。彼女が動く理由はたった一点。僕だ。恐らく事態は彼女1人では抱えきれない状態にまで発展してしまっている。だから、僕は見えない敵に差し込める一手、先手を打てる切り札が必要だ。その為には悠長な事は言ってられない。恐らく、山小屋で日嗣姉さんを襲った男は近い内に動きだすはず。
「娘はね……君に貰った黄色いレインコートを英国に居る間、片時も離さなかったんだ。何よりも強い御守りだと言って。偏執病を患って錯乱する精神の中、君の事だけは忘れなかった」
僕はあの日、黄色いレインコートと青い傘を交換した。けど、その大事な傘は……母が父に刺された日を境に見当たらなくなった。本当に色々失った日だった。おじさんが一呼吸間を置いて口を開く。
「娘が君と交換した青い傘の行方を私は知っている」
僕の思考を読むように放たれた言葉に僕は目を見開く。
「これは八ツ森のルールでね。私の口からは君に七年前のある一部の出来事については語れないんだ。けど、今のその傘の持ち主なら……その資格を有しているんだよ」
八ツ森のルール。
以前、担任の荒川先生がそれを匂わせる様な事を言っていた。その事と関係が?
母の血に塗れた僕の失くした青い傘。あの時、僕は青い傘を差して玄関を出た。そこに腹を刺された母が立ち尽くしていて……父が一緒に外食をしようと微笑んだ。
息を引き取った母を家の玄関にそっと横たえる僕。
僕は何か大切なものを失くしてしまった様な気がして雨の中、傘も差さずに幼馴染の待つ紫陽花公園に歩き出した。
青い傘、その今の持ち主に心当たりがあるとすれば……事件現場に舞い戻って警察に捕まった実の父親だ。
「君の大切にしていた青い傘の持ち主なら……君に真実を話してくれるだろう」
僕は目の前が白くなっていくのを感じなからその人物の名を口にする。
「石竹 白緑……僕の父ですね」
門は叩かれた。




