後遺症
事件は明け再び日常が始まる。少女に僅かな歪みを残して。
江ノ木と鳩羽が監禁されて数日後、警察への状況説明を含めた調査協力を終え、江ノ木がいつもの笑顔で教室に入ってくる。僕は直接犯人と現場に関わって居なかったので警察での聴取は終え、二日前から学校には出席している。
「おっはよー。みんな」
その元気の良い挨拶に教室に居る生徒全員が体を硬直させる。それもそうだ。1週間犯人に監禁されて一歩間違えれば死んでいた。そんな死線をくぐり抜けた高校生が普通に登校してくるとは思っていなかったのだ。
何人かの仲のいい女友達が江ノ木に近づき、身の心配をする。
「大丈夫だよ。ちょっと右手に風穴が空いちゃったけど、食欲あるしね。わりかし元気だよ?」
江ノ木が大丈夫だとアピールする為に包帯の巻かれた右手をヒラヒラさせている。しばらくは使い物にならなそうだった。前の席に座る佐藤が心配そうにこちらに振り返る。そして耳の聞こえない僕の為に紙に用件を素早く書き出してくれる。
〆「杉村さんの奇行を止めに教室を出た「フリ」をしてそのまま勝手に森に入った石竹君には怒りたいとこだけど、江ノ木さんの事件後の精神的ケアは大丈夫なの?」
それに僕も江ノ木に聞こえない様に書き文字で返す。
〆「ランカスター先生には僕らにもしばらく彼女の事を見守っていてほしいって」
それに「もちろんよ」と真剣な顔で頷く佐藤。誰かの気配を感じて横を向くと少しやつれ、目の下にうっすらと隈ができた江ノ木が笑顔でこちらに顔を向けていた。
「おはよう。石竹君にコッキー(佐藤深緋)。若草君」
それに挨拶を返す僕ら。
「杉村さんはまだ?」
僕は困った顔をしてそれに答える。簡単な単語なら唇で読めるし、何より彼女が杉村にお礼を言いたがってそわそわしているのは誰が見ても分かる。
「杉村のお父さんの件もあるし、北白直哉の最後を看取ったのは彼女だからもうしばらく学校には来れない」
江ノ木が落胆の表情をしてうなだれる。
「それは残念だね。お礼を言いたかったのに」
天然系美少女の江ノ木が儚げにほほえんで、今度は僕の前髪に触れて額にある傷を確かめる。なんだ?
「怖かったんだね君も」
そして軽く僕のおでこにキスを浴びせる。いきなりの行動に僕はなんの防御態勢もとることは出来なかった。本当に彼女の行動は読めない。前の席にいる若草も佐藤も驚いた表情をしている。
「石竹君もありがとう。警察でね、間接的に聞いたの。杉村さんとそのパパさんを動かしたのは君だって」
僕は首を振って、メモ書きを江ノ木に渡す。
〆「おじさんが来たのは杉村があの場所に居たからで、監禁されている山小屋を推測して当てたのは杉村の方。僕は結局納屋小屋でじっとしていただけだから。それに君を助けたのは他の誰でもない、鳩羽と北白だろ?」
杉村おじさんに至っては、二人の行方不明が警察で発表される前から八ツ森の北白の私有地を探っていたらしい。僕らが向かわずとも助かっていたかも知れない。それより、気になるのが江ノ木自身を山小屋から助けたのが犯人の北白直哉自身だという事だ。
「なんでだろうね。私を拉致監禁してその本人が私を助ける為に山を下りようとした。元々悪い人には思えなかったし、あの3人組に頼まれたのかな?」
江ノ木の話している3人組とは、同じタイミングで行方不明者として報道された20代の男達だ。その後の調べで、北白の手により殺害された事が明らかにされている。佐藤が恐る恐る江ノ木に訪ねる。
「その3人組の男に、カナちゃんは襲われそうになったのよね?」
それに「うんうん」と頷く江ノ木。この子、強いな。僕は詳しい経緯を知らないが、警察との繋がりが強い佐藤はすでに事件の全体を把握しているのだろう。
「そうなの。私達が監禁されて5日目ぐらいかな?段々衰弱してきたところに、前に町で絡まれた3人組の男に襲われてレイプされそうになったよ」
へ?
教室の空気が一変して凍りついたのが僕にも分かった。佐藤の顔も青ざめている。つまり、下手すれば江ノ木はその男3人組に犯されようとした?その空気の変様を感じ取った江ノ木が慌てて付け加える。
「大丈夫だよ!初めてを奪われそうになったけど、鳩羽君がボロボロになりながらも、襲いかかってきた男の一人を手首に繋がってた鎖で首を締め上げて首の皮をズタズタに引き裂きながら首の骨を折って殺したの。そしてもう一人の男を落ちていたナイフで背中から刺して、何とか男達から私を守ろうと戦ってくれたの。でも結局鳩羽君も殺されそうになって……そこに突然北白さんが現れて……薪割り用の小振りの斧で鳩羽君に刺さされて苦しんでいる男の人の頭から叩き割って、いっぱい脳髄が辺りに飛び散って……それで、それでええと、確か、最後に残った男の人がナイフ片手に北白さんに跳びかかったんだけど、片手を切断されて痛みでうずくまっているところを背中から斧を叩き込まれて、背骨と肺に斧がめり込んで……」
取り繕うとすればするほど、辺りの空気は凍てついていく。何人かの生徒が青白い顔をして気を失いそうになっている。背中を誰かに叩かれて後ろを振り返る江ノ木。学年代表の田宮稲穂だ。
「江ノ木さん」
「は、はい?!タミちゃん?」
田宮が辺りを見回して、2年A組の廊下側からこちらを覗いていた杉村愛好会会長の細馬将先輩を手招きする。
「うお!田宮様が私を手招きしていらっしゃる!今伺いますぞ!」
意気揚々とこちらにやってくると、田宮の言葉を待った。
「先輩、すいませんが江ノ木さんと会話をしてくれませんか?」
意図が分からずに、首を傾げる2人。少し間を置いて細馬先輩が口を開く。
「いいお天気ですね、2年A組の聖母様」
それに答える江ノ木。
「そうですね。私はマリア様ではありません。江ノ木です」
細馬先輩が顔を赤くしてそれに答える。
「失礼しました。江ノ木さん。怪我の具合はどうですか?」
「ぼちぼちでんなぁ」
江ノ木が何故か関西弁で答えだしたところで田宮が次の指示を出す。
「細馬先輩、江ノ木さんの肩に触れてみて下さい」
細馬先輩が更に顔を赤くして恐る恐る江ノ木の肩に手を伸ばす。
「田宮ちゃん?なんでこんな事……を?」
細馬先輩の手が江ノ木に触れた瞬間、大きな悲鳴が弾け飛ぶ。それは江ノ木から発せられたもので、目を瞑り、怯えながら勢いよく細馬先輩を突き飛ばす。その思わぬ反撃で細馬先輩が床に倒れ込んでしまう。結構痛そうだ。江ノ木がしゃがみこんで何かを呟いている。
「やめて、やめて、やめて、来ないで、触らない……で?」
しばらくして、唖然とした表情で下から田宮を見上げる江ノ木。
「手荒な事をしてごめんなさい。けど、貴女が思っている以上に貴女自身は傷を負っているの。山小屋に監禁されて数人の男に集団レイプされそうになった。そして殺され逝く人達を目の当たりにした。普通の女子高生がそんな体験をして無事なはずが無いわ。私でも恐らく耐えられないもの。自暴自棄になって生徒会なんてやめてやるし」
震える江ノ木の肩を支えて優しく立ち上がらせる田宮。
「きちんとしたアフターケアが必要だと思うの。素人だけど、丁度この学校には専属の臨床心理士もいる」
僕は赤髪の我らが心理部の顧問、ゼノヴィア=ランカスター心理士を思い浮かべる。
「貴方も同様にね」
そこに丁度顔を出してきた後輩ストーカー君の鳩羽が驚いて立ち止まる。顔や体に残っている傷跡が痛々しい。お前もよくがんばったよ。
「確か1年B組鳩羽竜胆君ね。すず(東雲雀)も泣きそうな顔して心配していたし、あなたも今からランカスター心理士の下に向かいなさい。生徒会命令です」
戸惑いながら田宮に返答する鳩羽。
「いえ、僕の方は中程度の傷を負っているぐらいで大丈夫ですよ」
「私が言っているのは、心の方の傷よ。授業は後回しにしていいです。まずはランカスター先生の下へ行って下さい。軽いケアは恐らく警察でも行われたと思うけど、再確認の意味を込めて行きなさい。もう一度言います。これは生徒会権限において下す命令です」
ですよね?と、窓際に居た生徒会長の二川先輩に確認をとると深く頷いた。去り際に鳩羽がこちらを名残惜しそうに見つめてくる。
「石竹先輩もありがとうございました。僕達を心配して天使先輩と森に入って下さったんですよね?」
主に心配していたのは江ノ木の方だが、僕はそれに頷いた。
「何はともあれ、無事で良かったよ」
*
「で?なんでこうなるんだよっ!」
若草がカウンセリング室に集まった面々に対して悪態をついている。
「狭くて仕方無いんだけど?鳩羽、もうちょっとそっち行ってくれ」
「あ、はい。僕立ってますよ?」
「いや……いい。それなら石竹が立つから」
若草が僕の方に手を向けて起立の合図を送ってくる。僕は「え?何だって?」ととぼけてみるが、自分が何を伝えようとしているかがこっちに伝わっている事を見抜いて呆れ気味の表情で僕にスタンドアップを促す。
百合の花が飾られた長机を囲むようにソファーが設けられ心理部の新旧めメンバーがランカスター先生に集められ、どういう訳か狭い一室に入り乱れている。心理部では無い杉村蜂蜜の姿はここには無い。その面々の中に日嗣姉さんも居て、久しぶりに顔を合わすので少し嬉しい。髪の色はすっかりと真っ黒に染まっているが猫目がちな綺麗な三白眼は健在でいたずらっぽく僕にだけ微笑んでくれる。
「みんな揃ったようね?」
僕らをここに集めた張本人が一番遅くにカウンセリング室に現れて声をあげる。手にはバインダーを持ち、白衣の胸ポケットにはいつも愛用している赤いボディのペンが窮屈そうに挟まっていた。
「ランカスター先生。杉村さんがいませんけど?」
窮屈そうに江ノ木カナの横に詰め込まれているアウラ=留咲さんが杉村の姿を探している。
「あぁ。いいのよ。杉村さんはよくここに顔は出すけど正式には心理部ではないしね。それに今はお父様の件もあるし、しばらくは学校に来れないはずよ」
ランカスター先生の方でもある程度の事情は把握しているらしい。僕もおじさんとは面会したいと思っているが、もう少しほとぼりが冷めてからの方が良さそうだ。それにあまり大人達に事件を掻き回されるのは好ましくない。一人、カウンセリング室のソファーから弾かれて立たされた僕はこの場にいるメンバーを一人一人確認していく。
僕と若草と佐藤、そして日嗣姉さん(日嗣命)がこの場にいるのは分かる。アウラさんも日嗣姉さんの付き添い人として座っているのも分かるが、なぜ、この場に江ノ木と鳩羽が居るのかが分からない。
「ランカスター先生?なんでカナちゃんと1年の鳩羽君まで居るんですか?今日は文化祭に向けての打ち合わせをするはずでは?」
ランカスター先生が、手に腰をあてて微笑む。
「そうね。石竹君も撮影が終わってアニメ研究部から解放されて。心理部の出し物について話したいところだけど、その前に彼らを紹介しておきたくてね。新しい部員の2年の江ノ木カナちゃんと1年の鳩羽竜胆君よ」
名前を紹介されて、照れながら立ち上がる2人。朝の件も踏まえて僕らの部に入部したって事か?
「あ、どもども。顔馴染みさんばっかりだけど、宜しくね。2年A組の江ノ木カナです。あ、アウラちゃん、アニメ研究部への映画出演協力ありがとうございました。あ!貴女が本物の日嗣さんですね?宜しくお願いします。あとはクラスメイトと愛しの人なので割愛ね」
頭を掻きながらお辞儀する江ノ木。一応足並みの揃っていない拍手で歓迎される。いつもなら日嗣姉さんは初対面の人には眼を合わせられないのだけど、今は「命」さんなのでいかにも年上のお姉さんっぽくやんわりと会釈する。
「こんにちは。1年、剣道部所属の鳩羽竜胆です。ほぼ強制的にこの部に入部させられる運びとなりました。今後、どういう活動をしていくかは存じませんが精一杯努力しますのでご鞭撻のほど宜しくお願いします」
歓迎の拍手と共に鳩羽も迎え入れられる。
「鳩羽君は剣道部で忙しいし、江ノ木さんもアニメ研究部の文化祭への追い込みで忙しい身だけど急遽この部に入って貰ったわ。あ、ちなみに、アウラ=留咲さんも夏休み明けから心理部に在籍していて色々と手伝ってくれているの」
若草が疑問を口にする。
「留咲アウラはともかく、この二人が入ったのって、やっぱり北白の件で監禁されたからっすよね?」
若草が惜しげもなく疑問を口にする。
ランカスター先生が少し困った顔をしながら微笑んで、理由を話す。
「そうね。それが一番の理由なの。本人達は平気なつもりでも事件に巻き込まれてしまった恐怖体験はしっかりと心の傷として刻まれてしまっているはずなの。だから皆にも彼女たちの力になってほしいと思っているの。あと、文化祭に向けて人数ほしい」
「そっちが本命だろ!」
と若草に突っ込みを入れられて舌を出すランカスター先生。
「あ、二人とも、荷物があるならあっちのロッカーの余っている場所を使っていいわよ?」
2人がお礼を言って傍に置いていた鞄を持ってロッカーに向かう。何かを思い出した様に日嗣姉さんが立ち上がると慌てて二人を追い越していく。なんだ?
「ちょっと、待ってね?あのロッカーには生前に妹が使っていた私物があるのよ」
使われていないロッカーを確か日嗣姉さんは無断で使用していた様な気がする。それを別人である姉が覚えているのは辻褄が合わないが、誰もそれに突っ込む気は無いらしい。カウンセリング室を仕切るカーテンの向こう側に消えていく日嗣姉さん。ロッカーを開けたり閉めたりする音が聞こえてきて、しばらくすると両手に荷物を抱えた日嗣姉さんが出てきた。
「ごめんなさい。うちの妹はだらしなくて。あ、天才!バカボンドの漫画読む?」
眼を輝かせた鳩羽が勢いよく返事する。
「あっ!それ最初の一巻だけ読んでそのままで、ずっと読みたかった漫画です!確か昔の漫画で田舎侍が成り上がっていくギャグ漫画ですよね?」
「おぉ、お主!!じゃなくて、貴方、なかなか見所があるわね。ここに置いておくからいつでも読みにいらっしゃい」
何やら笑顔で会話を交わす両者。日嗣姉さんが床にそのまま天才!バカボンド。を積み上げていく。
「あ、石竹君!君の淹れた紅茶が飲みたいな」
僕は溜息をついて棚からランカスター先生のティーポットを取り出すと水場へと向かう。ランカスター先生は別の棚から色々なお菓子を物色し始める。完全にティータイムを始めるつもりだ。それに続く形で佐藤も僕の横に並んで紅茶の準備を手伝ってくれる。少し離れた所から若草と鳩羽の会話がカーテン越しに聞こえてくる。
「あれ?石竹先輩って夏休み以来耳が聞こえないんじゃ?」
「ん?そんなに気にするな。口元をしっかりとあいつに見せてやったら、唇を読んで簡単な会話ぐらいは出来るんだよ。複雑な会話はメモ書きがいるけどな」
「それって読唇術ですよね?石竹先輩ってすごいんですね」
「そうか?確かに没個性キャラの割には変な技能は持ってるけどな。それより、お前、怪我は大丈夫……」
コンロにかけたやかんがコポコポと音を立て始める。
佐藤が僕の横に並ぶ。僕がほとんど聞こえないのを知っているので無言のままティーカップの準備をしていく。さすが喫茶店の娘だ。手際が僕の3倍ぐらい良い。さっきからお湯の沸き加減をチラチラ確認している事から紅茶を淹れるのに最適な温度を見計っているのかも知れない。そんな事を思いながら僕もコンロを見つめていると、いつのまにか佐藤がこちらを見つめていた。少し真剣な表情でこちらの瞳を覗き込んでくる。大きな丸い、茶色がかった瞳が心配そうに揺れている。一言僕にわかりやすく唇を動かしてくれる。
「もう無茶する必要は無いから」
その思いがけない優しい言葉に僕は眼を丸くしてしまう。僕が何かを返そうと口を開こうとするがそれと同時に前を向いてしまう。唇が読まれないように何かを呟いている。
「あの事件の犯人、北白直哉は捕まった。世間的にも北白の死という形をもってこの事件は幕を降ろされた。だから、あなたは今まで通りの生活を続けてほしい。それが私やこの町の大人達の願いであり、希望だから。私のお母さんの願いでもあるの。無茶して命を縮める様な真似はやめてほしいな。なんてね」
聞かせるつもりがあるのか無いのか分からない言葉は伝える相手も定まらないまま宙を舞い消えていく。そうだよな、北白直哉は死んだ。日嗣姉さんや杉村を苦しめた犯人は捕まったんだ。けど、まだ、僕らの教室を滅茶苦茶にして、山小屋で日嗣姉さんを殺そうとした例の男はまだ特定されていない。そのままにはしておけない。僕らの日常を壊そうとする奴がいる限り僕と杉村は前に進めないんだ。
「佐藤も無茶するなよな」
驚いてこちらに向き直る佐藤。何か言葉を話そうとした瞬間、やかんの音が鳴り、お湯が沸騰する。慌てて佐藤が火を消して紅茶を人数分淹れていく。僕はトレイを用意して既にお菓子を食べ始めている心理部達にそれを渡そうとして、部屋を仕切る緑のカーテンを開こうとする。そこに背中を向けた日嗣姉さんが突っ立っているシルエットが浮かび上がっている。
「日嗣姉さん、紅茶入りましたよ?」
少し間があった後、静かに返答があった。
「うん。ありがとう、緑青君……私からもお願いするけど、勝手に無茶はしないでね?もしくは……させないでね?」
その言葉は僕と僕の回りを囲む彼女達にあてた言葉だったのかも知れない。カーテンを開くと、向こう側ではランカスター先生が鳩羽と江ノ木の関係について眼を輝かせて聞き入っていた。
「ねぇねぇ!鳩羽君!彼女とはどういう関係なの?先生気になって仕事も手につかない!」
仕事はして下さいよ!と鳩羽が迷惑そうに頬を掻いている。
「どうもこうも何もありませんよ。山小屋に一緒に監禁された仲だというぐらいは」
「嘘よ!約一周間も同じ小屋に居て何も無いなんて信じられない!」
「本当ですって。そんな余裕も無い状態でこれでも殺されかけたんですから!」
ランカスター先生が鳩羽への詰問を諦めて、江ノ木の方へと詰め寄る。
「ねぇ、エノッキ!どうなの?!」
江ノ木が照れながらどんどん迫ってくる紅髪の英国人を迷惑そうに押し返している。まさに混沌としている。
「うんとね、私の一方的な片思いだよ。私が男の人達に襲われそうになった時、無理矢理唇は奪ったけどね?」
ランカスター先生が表情を一転させて江ノ木に謝罪する。
「ごめんなさい、デリカシーが無いことを」
すっかり落ち込んでしまった先生を優しく慰めているアウラさん。本当にいい人だ。彼女が居なかったら僕も日嗣姉さんも木田の件で相当まいっていただろう。
「アウラたん。私なんかよりカウンセラーに向いている。交代しない?」
そのアウラたんが、ランカスター先生の白衣と眼鏡を無理矢理装備させられる。
「わ、私より似合う!」
ランカスター先生が今度は江ノ木の膝にうずくまる。
「まぁまぁ先生。アウラたんはハーフ系褐色美少女だからね。胸も大きいし、その辺の女の子では太刀打ち出来ない……」
ランカスター先生が悲しい顔をして、白衣を自分で引っ剥がした体を抱えている。
「若さが足りないという事か……。胸はあるけど少女では無いもんね」
なんだかランカスター先生慰め会になってしまっている。呆れている若草と鳩羽に僕は紅茶を差し出す。
「ありがとうございます」
鳩羽が気をつかって口元を僕に向けて礼を言う。
「おっ、気が利くじゃないか。緑青ちゃん」
若草が普段通りにカップを受け取る。
僕の後から佐藤がやってきて残りの紅茶を机に並べていくと完全にお茶会モードへと移行する。
「さて、今、私達が考えなければいけない事は何か分かる?」
アウラさんが度の合わない眼鏡を直しながら、答える。
「事件直後のカナちゃんと鳩羽さんの精神的ケアですか?」
名を挙げられた二人が照れる様におじぎする。それに大きく首を振って否定する。
「実はね、我が心理部の存続の危機なのよ。私のお菓子療法に不適切では無いかという不当な嫌疑がかけられているの」
誰が見ても正当だろ!という若草の突っ込みに怯まずに続けるランカスター先生。そういえば心理部はまだ正式に生徒会に認められていない。(仮)がついたままだ。
「そこで!12月24日に行われる文化祭にて名誉挽回するわよ!みんな!」
今日こうして集められたのはその話をする為だったようだ。若草が口を開く。
「確か、佐藤の実家の喫茶店と協力して喫茶店を開くんだよな?」
それに頷く佐藤。
「うん。私の実家の宣伝も兼ねて今回は関わらせて貰うつもり。段取りとかほとんどもう決まっているけど、他に私達がする事ってありますか?」
ランカスター先生がニヤリと口の端を歪めて笑う。
「心理部員達による本格メイド喫茶よ!もちろん杉村さんにも手伝って貰うわ。そして評判と実績を残し、このまま心理部を正式な部に認めてもらうのよ!」
高らかに拳をあげるランカスター先生。佐藤が溜息を吐いてメジャーを取り出す。
「だから私に採寸用のメジャーを持ってくるように指示したんですね」
「そうそう。メイド服の用意ならコッキーに伝手があると思って」
「確かにありますけど、お金はきちんと請求しますからね?」
「うん。文化祭用予算からきちんと捻出すから安心してね?」
日嗣姉さんが露骨に嫌な顔をする。
「私はその他大勢にメイド姿など披露させたくはありません!」
いつも喪服を来ていた彼女ならすんなりと受け入れると思っていたが、違ったようだ。
「うぅ、きっとかわいいのに!」
首を横に振る日嗣姉さん。
「ね?石竹君?」
日嗣姉さんがこちらに顔を向ける。
「そうですね。でも本人が嫌がるなら……」
僕は喪服姿の姉さんを思い出す。
「さすがに文化祭で喪服着用は通らないと思いますが、日嗣姉さんのゴシック衣装なら見てみたいです」
森で一緒にヴァンパイアごっこした事を思い出す。僕の言葉に頬を赤くして俯いてしまう。
「し、仕方ないのぉ。お主がそう言うのなら着てやらん事もない。ただし、大きな棺と白い拳銃「454カスール カスタムオートマチック」と黒い拳銃「ジャッカル」は用意してもらうぞ?ゼノヴィア?」
口調が戻ってしまってるがヴァンパイアを演出しているとも見てとれなくないのでセーフなのだろう。とにかくやる気を出して貰えてよかった。
「うんうん、その銃の名称は知らないけど、同じ様な銃はこちらで用意するわ。弾は50発ぐらいでいいかしら?」
「ふむ。十分じゃ」
日嗣姉さんは冗談だと思っているが、ランカスター先生も銃保持者なので、本物が用意されそうでちょっと怖い。あとで訂正いれておくか。
佐藤が女性部員の採寸を行う間、僕と若草と鳩羽はソファーでくつろぐ。ランカスター先生も採寸を受けている事から自分の分のメイド服も用意してもらうらしい。赤髪の彼女が着たら本物の吸血女に見えてしまいそうだ。見た目も実年齢より若く見えるし、これは客引きに期待できそうだ。採寸している佐藤の怒りの声が時折聞こえてくる。
「くそっ!どうしてこうも心理部員は軒並みスタイルがいいのかしら!新手のいじめかしら!1人ぐらい私みたいに貧相な体の部員を所望します!」
鳩羽が天才!バカボンを片手に、こちらの様子を伺っている。
「あの杉村天使先輩は大丈夫なんですか?」
僕はそれに軽く頷いた。
正直なところここ数日顔を合わせていないので少し僕も心配ではあったが。おじさんが留置所に居るので今はずっと一人で生活している。
「でも良かったな、鳩羽。心理部に入れば杉村とも時々会えるし、仲良くなるチャンスだな」
すっかり鳩羽と打ち解けている若草の言葉に顔を輝かせる鳩羽。怪我の功名というやつか。
そこに採寸を終えたランカスター先生が僕の膝の上に乗っかってくる。やめて、重い。必死に降ろそうとする僕を余所に、その場で机の上にあったメモ帳に文章を書き出していく。
〆「あとでハニーの現在の状態を教えてほしいのだけど?」
僕はそれに言葉で答える。
「はい。しっかりと記録はとり続けているので、また報告書としてまとめて提出します」
そう、定期的にこれが無いとランカスター先生も杉村の安全性を学校側に保証できない為、必要不可欠なのだ。もちろん自分自身でカウンセリングも杉村に行なっているが杉村が僕にしか見せない部分もあるので100%補完出来ている訳では無いからだ。
〆「その時に、君とも話したいけど大丈夫?」
僕と?メモを読んでからランカスター先生の方を見上げる。膝に乗ったままだし。
「そう。ランカスター先生の個別相談よ!うふん!」
可愛くないと若草に突っ込まれつつ、先生は僕以外の心理部全員にこの後、話を聞く旨を説明している。確かに夏休みを経て、それからも色々あったからなぁ。そしてランカスター先生がこちらを向き直ると、再びメモを書き出す。
〆「君との話は今度でいいから、この後すぐ、杉村誠一さんのところに顔を出してほしいの」
杉村おじさんが?何の用事だろう?ランカスター先生が少し心配そうに顔を覗いてくる。
「大丈夫です。ハニーちゃんの事もしっかり支えるつもりですから」
にっこりと笑うと、ランカスター先生は僕の額にキスをしてくれた。最近、なんかキスされる率が異常に高くないか?採寸を終えた佐藤がこちらに来て、ランカスター先生を僕から降ろすと、今度は僕らの採寸に入り出した。僕らにも専用の衣装を用意してくれるらしい。執事服的な?
皆を心理部に残したまま、ランカスター先生に渡された住所を頼りに僕は杉村おじさんの下へと向かう。実は僕も聞きたい事があったので丁度良かった。僕と北白直哉の繋がりについておじさんなら何か知っているかも知れないからだ。




