葬花
亡くなった北白直哉のお通夜に参列する青の少年と黄金の少女。そんなに背負わないで?でないと貴女が壊れてしまうよ……。そして緑青君……ごめんね?
11月9日、北白直哉のお通夜に僕と杉村は二人で顔を出すことにした。会場で待ち合わせをしていた僕らはそこで合流する。黒いネクタイに着慣れない礼服が僕を落ち着かなくさせている気がする。先に到着していた杉村の格好は黒いワンピースの喪服姿で全身を黒に身を包んでいる。黒帽子のケープ越しに、蜂蜜の様な優しい色合いの黄金の髪をより一層際だたせている。髪は後にコンパクトに纏められていてアップされている。お通夜ともあっていつもの簪は見受けられない。項が綺麗だ。
「ろっくんまで付き添うことは無いよ?」
杉村が僕に唇を読ませるために意識的に口の形が見える角度で話しかけてくれる。面倒をおかけします。北白とは生前に出会った事は無く、先日の江ノ木と鳩羽の監禁事件でも結局僕は顔を合わせる事は出来なかった。会った事は無いはずなのに何故か僕はその人の事を知っている気がする。僕は杉村に言葉を返す。
「(ハニーちゃんの方こそ大丈夫?)」
森でもう一人の彼女「殺人蜂」に本名で呼ぶように指示されてから僕はなるべくこちらの名前を意識して使うようにしている。杉村の主人格である「女王蜂」は知らない様だが。彼女は江ノ木と鳩羽を探し出して助けるという僕の依頼を果たして守ってくれた。だから僕も彼女のお願いの一つや二つ叶えてあげる恩義は十分にある。本人は恐らく僕に対する見返りは求めないような気はするが。杉村は震える肩を抱えるように静かに僕の言葉に頷く。あの日、八ツ森市連続少女殺害事件の犯人の最後を看取ったのは杉村だった。その性もあってか今日は彼女が北白のお通夜に顔を出すと言い出したのだ。
そんな彼女を心配して僕は付きそう事にした。彼女は過去に北白直哉と森で遭遇して、追い駆けられ殺されかけた。その時のトラウマで彼女の精神状態が不安定になり、乖離性人格障害となって今日に繋がっている。その元凶である北白直哉に近づく事は本来相当彼女にとっても辛いはずなのに。
八ツ森を代表する資産家、四方の名を冠する名家とはいえ、八ツ森で事件を起こした主犯である過去は消せない。その為かお通夜への参列者は全体的に少ない印象を受ける。今回も彼は7年前の事件の再開を目論見、そして杉村のおじさんに殺された。その事について杉村はどう感じているのだろう。僕は人を愛せなくなった性か、他者への憎しみも気薄になっているように思える。
「ろっくん、無理しなくていいよ?」
喪服姿の杉村が僕の袖を引っ張って受付で署名しようとする僕を引き留める。なんでだ?黒いケープ越しに覗く緑青色の瞳が揺らいでいる。僕は杉村の手に自分の手を重ねるとそっとそれを引き離す。杉村に口の動きが分かるように顔を向ける。
「(杉村と日嗣姉さんの事件に関わった犯人の顔、見ておきたくて。それにハニーちゃんの事も心配だし)」
お通夜の場面とあってか杉村が遠慮がちに頬を赤くして微笑む。署名を書き、惜しみの言葉を受付の女性にかけると、深く礼をされる。そして何気なく僕の書いた名前を目にして驚いた顔を僕と杉村に向ける。なんでだ?いや、杉村の書いていた名前「ハニー・レヴィアン」に驚いたのかな?カタカナで書かれたそれは歪でいかにも書き慣れた感じでは無かった。英字で書けばよかったのに。そして小さなハンドバックから包みを取り出して香典の袋を取り出す。熨斗の表書きには灰色の拙い文字で「御花料」と書かれていた。確か杉村はプロテスタントだったからかな?漢字が苦手なら杉村おじさんに書いて貰えばいいと思ったが、今はそれは出来ないのか。杉村おじさんは、あの日、北白直哉を死に追いやった罪を負って警察に出頭した。二人の少年少女を監禁した事件背景と共に警察の入念な状況確認が行われているが、本人の強い希望もあり、おじさんは今、八ツ森の留置所に居る。杉村の渡した分厚い香典に深々とお辞儀をするもう一人の受付の女性。その人も杉村の記帳された名前を見て、驚いた表情をする。
「北白家の者がご迷惑をおかけしました。その罪は到底償いきれるものとは思っておりません。直哉の代わり、こんな場でございますが謝罪させて頂きます」
お通夜の席上にも関わらず、大きな声で深々とお辞儀をする女性。そして僕の方を向いてもう一度深々とお辞儀をする。謝罪の言葉は無かったが、僕にまでそんなお辞儀をする必要無いのに。
席上に入り、親族の方々に礼をすると、悲痛の表情でそれに答える。そこにもやはり悲しみが漂っていた。事件を起こした犯人といえど、彼らにとっては血の繋がりのある家族だからだ。北白直哉が横たわる棺の前に進み、僕らは焼香をあげた。どうか安らかに。北白直哉は精神疾患を抱えて生きてきた。それはきっと苦しみを伴う人生だったのかも知れない。だから、せめて、今度は安らかに。
棺の窓から顔の半分が包帯に巻かれた男の顔がそこにあった。40歳代の中年男性の顔だがどこか少年っぽさを残している。片目しかない瞼が穏やかに閉じられ、口元もどこか微笑んでいるように思えた!顔を拝見し、頭を下げようとした瞬間、視界に生前の彼の顔がいきなりフラッシュバックする。包帯の巻かれていない北白直哉の双眸が見開かれ、口元が動き何かを話している。暗がりの中、鮮烈な夕陽が薄暗い小屋内を照らし出す。そこに戸口に立ち尽くしている幼い頃の杉村。全身に冷や汗を掻き、体中の筋肉が硬直し、必死に何かを振り払う様に僕は空に手をさまよわせる。人の遺体を見たのは初めてだからか!?パニック状態に陥った僕は過呼吸状態になり、北白直哉の棺に寄りかかるも、力なく会場の床に苦しみあえぎながら倒れ込んでしまう。僕の方こそ大丈夫では無かったようだ。誰かの遺体を見たのは初めてだったからか?脳裏に顔を真っ赤にさせて目を充血させた小さな女の子の顔が僕の目の前に現れる。その幻に手を伸ばすが届かない。僕は涙を流しながら、心配そうに駆け寄ってきた杉村の首に両手を伸ばす。一瞬、顔を強ばらせた杉村だったが微笑んで僕のそれを躊躇無く受け入れる。彼女の白く細い首越しに彼女の頑丈な首の骨を圧迫していく。僕は何をやっているんだ?離せ、手を離せ!
脳裏に先ほどの小さい女の子の儚い横顔が映り、四肢を投げ出した彼女の切り裂かれた腹腔の裂け目からその内包物を晒け出している。僕が遺体を見たのはこれが初めてでは無かった?僕の背中を暖かく、優しく後押ししてくれるその小さな女の子の温もりを感じつつ、僕は杉村の首を絞めあげていく。
「いいよ。ろっくん。これは二人の罪だから」
僕の両手で首を締め付けられながら、それになんの抵抗もする事無く、僕を静かに抱きしめて暖めてくれる杉村。
「私を殺して?」
その幻聴に僕は我に返り、無理矢理両手を杉村の首から引き剥がし、意識を失った。なんで僕は杉村の首を?
*
「撮影以来じゃの」
私が会館の待合室で意識を失ったろっくんを膝枕していると、喪服姿の日嗣尊さんが私に声をかけてきた。彼女も北白直哉のお通夜に出席するようだ。彼女にとっては喪服の方が普段着と思えるぐらい着用していたのでこちらの方が見慣れている。
「尊さん?あなたも焼香をあげに?」
日嗣さんが難しい顔をしながらそれに頷く。
「あぁ。さすがに北白の顔は見れなかったがの。それより、なんでこんな式場でその男は天使に膝枕されて夢心地なのじゃ?」
日嗣さんが尊さんと呼ばれても否定する事無く彼の容態を聞いてくる。校内では確か姉の日嗣命さんを名乗っていた気はするけど、その辺の事情は私もよく知らない。
「ろっくん、北白直哉の顔を見てから様態が変化して意識を失ったの」
日嗣さんは私の首についている赤い手形に気付いていたようだけど、それには触れないようだ。
「そうか。今の彼は、彼自身が自覚している以上に不安定なのかも知れぬの。それが記憶を取り戻そうとしている良い兆候なのかは分からぬが」
私はろっくんの額にある傷跡を優しく撫でる。
「7年前八ツ森で起きた事件の犯人は死という形で終わりを迎えた。奇しくもそれは7年前、警察にその身柄を引き渡した男性の手によって集結を迎えた訳だけど」
日嗣さんが私の様子を伺うようにこちらを覗きみている。きっと最後に私が北白直哉を看取ったから何か変わった事が無かったかを確かめようとしているのかも知れない。
「そうですね。7年前、私は事件現場に遭遇した犯人に森で追駆けられて私が逆に北白を罠にはめて殺そうとした所を私の父は引き留め、その身柄を警察に引き渡しました。私の手は血に染まりませんでしたが、ずっとその事を父は引きずっていたのかも知れません」
日嗣さんが、長い黒髪を揺らし私の隣のソファーに腰掛ける。
「そうじゃの。事件に関わった私達以上に当時の大人達は犯人を憎んでいたに違いないの。昔も今も」
私は警察に犯人を引き渡した時の父の姿を思い出しながら答える。
「当時、父は知らなかったんです。私が殺そうとした人間がろっくんや他の小さい女の子達にひどい事を行わせた犯人だという事を」
「だが、その判断は人として間違ってはいないと妾は思うぞ」
「確かにそうです。けど、その後も父はその事を心残りにしていました。だから私の母とも半ば強制的に離婚してずっとこの八ツ森にタクシードライバーとして機会を伺っていたんだと思います」
日嗣さんが首を傾げる。
「まさか、北白に無罪判決が出て入院させられた。その彼が正気を取り戻し、出てくる機会をずっと待っていたと?」
私は父に呆れながらも微笑んでその推測に頷いた。
「出なければあのタイミングで父が私達を森の納屋小屋に閉じこめるなんて事はしません」
私とろっくんが江ノ木さん達が監禁されている山小屋にたどり着く直前で父に背後から襲われて、武装解除された上で近くの納屋小屋に閉じこめられてしまった。体は拘束されていたのだけど、その時、ろっくんがブーツに仕込んでいたナイフで縄を解いてくれた。気を失ってから半日以上たっていたから間に合うか分からなかったけど。
「天使のお父様はお主が犯人を殺してしまう事を警戒していたのかも知れぬの」
「えぇ。恐らく。父は私のもう一人の人格、殺人蜂とも顔を合わせた事はありますから」
「そうか」
少し間を空けて彼女が口を開く。
「北白直哉の最後を看取ったのはお主だと伺った」
「はい。かなり衰弱していましたが私が駆け寄った時には生きていました」
「あなたのお父様が自首したのは」
「その心配はいりません。もう一人の私は彼に止めを刺した訳ではありません。直前で私自身がそれを引き留めましたから」
日嗣さんが申し訳無さそうな顔をして私に謝罪する。
「そうか。嫌な事を聞いてすまぬ」
私は微笑んで、小刻みに震えていた彼女の背中に手を添える。
「気にしないで下さい。それより、尊さんもここを離れた方がいいんじゃないですか?」
日嗣さんが悲しそうに笑ってソファーから体を起こす。私は気になって居た事を日嗣さんに訪ねてみる。
「なぜ、自分の事を姉の「命」さんだと名乗り出したんですか?」
日嗣さんが去り際にこちらに振り返る。
「引きこもりだけに、引っ込みがつかなくなっただけじゃ」
私は首を傾げる。
「引きこもりの対人恐怖症度を舐めるでない。朝、制服を着てクラスに顔を出して皆と同じように授業を受ける。耐え難い不安と苦痛じゃ」
尊さんが首を振りながら自分の体を抱き抱える。
「それで耐えられなくなって、叫び声をあげて倒れたのじゃ」
「はい。確かそれ以降自分の事をお姉さんと名乗りだしたのですよね?」
「うむ。保健室で目覚めて、自分の失態を思い出してもう帰りたくなった。けど、妾はその男との約束があったからの。夏休みが明けたら教室に顔を出してほしいと」
そんな事が二人の間で交わされていたのか。少し嫉妬してしまう。
「日嗣尊はダメな妹。けど、日嗣命はクラスの人気者で品行方正、成績優秀。自分が姉と思えば上手くやれる。要はこのまま学校で生活を送るためのただの打開案じゃ」
なんとも日嗣さんらしい理由だ。
「今後もお姉さんを名乗っていくつもりですか?」
「無論じゃ。あ、もちろんこの事はオフレコじゃぞ?」
私はお茶目な日嗣さんに微笑みながら頷いた。
「あ、妾も聞いておきたい事がある。お主と夏休みに行方不明になった新田君との関係じゃ」
私はその心当たりの無い名前に首をふる。
「にいだ君?新田君の事は知りません」
私の心の中を探る様に私の顔をのぞき込む日嗣さん。
「そうか。ならよいのじゃ」
日嗣さんがそのまま私の下を離れていく。ゆらゆらと亡霊の様にその黒い魔女の様な姿を揺らしながら。
会場の出口へ向かう為に、ホールのエレベーターを待つ間、背中越しに私に話しかける。
「ここ最近、一年前に廃部扱いになった軍部の関係者が何人か行方不明になっておるらしい。このままいけば元々軍部に所属していたお主の膝枕している男にも危険が及ぶ可能性がある。まぁ、北白が亡くなった今、心配する必要は無いかも知れぬがな」
彼女は何を言いたいのだろう。
「あまりその男に危険な真似はさせるでない」
彼女の黒い髪の間から覗いている白い両耳が紅みを帯びていく。彼女はつまり、ろっくんの身の心配をしているのだ。私は微笑んで答える。それに彼女の行動の全ては恐らくろっくんの身の安全にも関わっている。そんな気がする。
「見張っておきます」
「うむ、まぁ……その男が元軍部の連中を誘拐しているなら問題無いがの」
エレベーターが到着して、そのまま日嗣さんが姿を消していく。私は彼の寝入っている横顔を見る。
誰かの言葉が脳内に響く。
「あいつが記憶を取り戻しても、何にもいい事なんかないぜ?」
この少年の声は一体誰のものなんだろう?彼の失われた記憶の事を誰かがパンドラ箱だと表現した気がする。蓋を開けて待ちかまえているのは多くの厄災。けど。私は彼の額の傷に再び手を触れる。
「最後に残さているのはきっと、希望だよね?ろっくん?」
私の呼びかけに彼の瞼が震え、目を開く。
「あれ?杉村?え?膝枕?喪服?」
ろっくんが慌てて身を起こすと、私の首回りについた手形と自身の両手を見比べる。そして自分のした事を思い出して頭を垂れる。いいよ。ろっくんが私に謝る事なんて何一つ無い。貴方になら私は殺されてもいいよ。私をこの世界に繋ぐたった一つの楔は貴方なのだから。彼が私を優しく抱きしめてくれる。うん。幸せになろうね。私達。