第五ゲーム 終焉
江ノ木です!私を抱えて山小屋を飛び出した北白さん。山を降り、中腹の車道に飛び出した地点で見知らぬ男の人がそこに立っていた。私は助かったの?
深い緑の長いコートを羽織った見知らぬおじさんが目の前で銃を構えている。傍に黄緑色の八ツ森の無料タクシーが留まっている事からこの人はタクシーの運転手さんであることが分かる。
「その子を離せ」
北白さんが森を駆けて掻いた汗とは別の冷汗を流すのが分かった。口元の髭と白髪混じりの頭髪を後ろに纏め、紳士然とした雰囲気はおじさん好きには堪らない。北白さんとはどういう関係だろう。知り合いの様だったけど。私は抱えられている北白さんの顔を下から見上げる。突如現れた謎のおじさんよりも北白さんの方が若い様に思える。声のトーンも実年齢よりも若く、少年の様でもある。
「お、お久しぶりです」
北白さんの言葉に構う事無く、手にした小さく黒い銃を左右に揺らし、北白さんを急かす。その合図に従い、私をゆっくりと地面に降ろしてくれる北白さん。裸足なので車道のアスファルトがひんやりと足の裏を冷やしていく。山小屋に残された鳩羽君は無事かな?私は、多分、もう大丈夫だと思う。この目の前に待ち伏せしていた拳銃を持つ男の人に助けられたんだと思う。警察の人なのかな?銃声が一発弾けて北白さんの左腕が何かに弾かれたように跳ねて、そのまま体勢を地面に崩す。
「その少女に傷を負わせた箇所だ」
私は北白さんに傷をつけられた左腕を見る。わずかに包帯に血が滲んでいた。なんでこの男の人はそんな事が分かったんだろ。男の人が音も気配も無く、一瞬で間合いを詰めていた。私はその動作に既視感を抱く。
「行方知れずになっている八ツ森高校の生徒のもう一人はどこだ?」
北白さんは銃弾が掠めた左腕を押さえながら苦しそうに体勢を立て直す。ここまで一息で一気に駆け抜けた披露が蓄積していそう。大丈夫かな?私はどうしたらいいんだろ?この状況をうまく把握出来ない。私は助かったんだよね?
「僕が走ってきた方向にある大きな山小屋の中に、まだ居ると思う」
「位置はこちらでも把握している。その子は生きているな?」
北白さんが神妙な顔で深く頷く。銃を構えた男の人が、私に自分のタクシーに乗り込むように声をかけてくれる。けど、ダメな気がした。私がここを離れたら、このタクシードライバーさんは間違いなく北白さんを殺す。
「どうしたんだい?早く私のタクシーに……」
「おじさん、その人をどうするつもりなの?」
銃を構えたおじさんがそうする事がさも当たり前の様に「ここで殺す」と答える。私と鳩羽君を8日間に渡って監禁し、一歩間違えれば鳩羽君は死んで、私はレイプされていた。その原因を作ったのは彼で間違いは無い。はずなのだけど、私はなぜか彼を憎めなくなっていた。
「ダメ!あなたの事は名前も知らないけど、そういうのは警察に」
銃声が一発響き、北白さんが左耳を押さえている。弾が左耳の一部を吹き飛ばしたらしく、耳の辺りから血が流れていく。なんでだろ、山小屋で色々悲惨な光景を見たからかな?感覚が麻痺してあまり驚かない。
「何も知らなかった7年前の私は、君の言うようにこいつを警察に引き渡したんだ。そうする事が正しいと信じて。こいつが何をしでかしたか知っているのか?」
男の人が憤りを込めた声で叫ぶ。
「この人は北白直哉。八ツ森に昔から住む人なら誰でも名前ぐらいは知ってるよ。この人は連続少女殺害事件の犯人で、数人の小さい女の子を死に追いやった」
男の人が北白さんを睨みつけて、銃口を男の額にあてがう。
「そうだ。こいつがその犯人だ!」
私は大きく首を振る。
「でも裁判では無罪だったよ!だから罪人では無いんだよ!だから殺さないで!」
男の人が呆れた様に首を振る。
「君はあれだね。俗に言うストックホルム症候群という状態になっているのかも知れない。君は今、正常では無い」
私は歯を食いしばってそれを全力で否定する。
「おじさんこそ!まともじゃないよ!なんでタクシーの運転手さんが銃を持ってたりするの?!おかしいよ!」
おじさんが自分を嘲ける様に口の端を歪める。
「クククッ……とっくの昔に私は正気を失っている」
男の人が銃を投げ捨てると、右足で北白さんの肩を蹴飛ばしてうつ伏せにさせる。手にはいつの間にか小型のナイフが握られていた。躊躇無く北白さんを背中から浅く切りつける。上に着ていたアーガイルの青いセーターが斬り裂かれて血が滲む。
「里宮翔子さんにお前は背中から斬りかかった」
北白さんが呻きながら、そうですと答えた。そしてYシャツの襟元を掴みあげると北白さんの体を側面から蹴り上げる。
「小さな体の天野樹理ちゃんを手加減無く蹴り飛ばした」
男の人の右足による強烈な一撃が北白さんの体の側面を捉え、呼吸困難に陥らせる。肋骨が折れてしまったのかも知れない。この謎の男の人は、かつての事件被害者である女の子が味わった苦痛の一部を北白さん自身に返そうとしているのかも知れない。
「川村仁美さんの受けた傷だ」
北白さんの右太腿に、手にしていた小さいナイフを外側からねじ込む。その余りの痛みに気を失いそうになる北白さんを揺り動かせて気を保たせる。ナイフを引き抜くとボタボタと大量の血が流れ出してくる。止めないといけない。鳩羽君の話では総血液量の三分の一を失うと危ないんだっけ?私は恐る恐る北白さんに近づいていく。
「矢口智子さんの受けた苦しみだ」
男の人が北白さんの頭を片手で掴むと、顔の傍で素早くナイフを切り返す。私の近くに何かが飛んで来て、反射的にそれを拾い上げる。その生暖かくて血にまみれたゼラチン状のそれは北白さんの左目だった。私は悲鳴を上げてそれを投げ捨ててしまう。北白さんの体がどんどん斬り刻まれていく。そんな状態でも北白さんから流れる出血量自体は少ないようで、弱まりながらも、白い息が口から吐かれている。
「日嗣命さんの信念だ」
男の人の懐から、刃渡り20cmほどのダガーが取り出されて、空いている方の手で右腕を支えるとそのまま音も無く、北白さんの右手首を切断する。宙を舞う手首を私はゆっくりと地面に落ちるまで眺める事しか出来なかった。さすがに死んじゃう。北白さんの手首から大量の血が吹き出て止まらない。男の人が腰のポーチから医療用の帯を取り出すと、一瞬で止血処置を行う。まだ殺さないという事かな?止めないと、止めないと、本当にこのまま北白さんは殺されてしまう。
「そしてこれは緑青君の分」
ダガーを懐にしまうと、再び小型のナイフに持ち替えて、北白さんの額の左側面を斬りつける。その箇所から血が飛び散る。ここまで来て、処刑人の様なおじさんの衣服に北白さんの返り血は一滴もかかっていなかった。このタクシーの運転手さんは本当に殺し屋なのかも知れない。それより、緑青君ってあの石竹君の事だよね?確か彼もその事件の被害者で……額に大きな傷跡もあった気がする。
「おじさんは、緑青君の知り合い?」
ナイフを逆手に構えた男の人の動きがピタリと止まり、こちらに振り向く。
「君は、緑青君の友達かい?」
初めておじさんの動きが止まる。これはもしかしたら北白さんを助けられるかも知れない。
「はい。クラスメイトなんです!」
「そうか。緑青君のクラスメイトか」
そう呟くと、おじさんの手がだらりと力無く下がる。
「おじさんは、緑青君とはどういう関係なんですか?」
おじさんが一転して父親の様な顔をして微笑む。
「娘の最初の日本での友達でね。息子の様に思っていた」
ん?娘さんの友達で、日本人じゃない?緑青君の狭い交友関係で外人さんの友達って、留咲アウラさんか、杉村蜂蜜さんしかいないはず。そしてあんな神懸かったナイフ裁きは……。
「石竹君は、今もまだ記憶を失った……ままなんですか?」
息も絶え絶えに北白さんが私の言葉の前に口を開く。男の人が北白さんを睨みつける。殺気のこもったそれは、周りにいる人間でさえ気を失ってしまいそうな圧力を感じる。
「そうだ。未だに彼の記憶は戻っていない」
北白さんが本当に残念そうにがくりと肩を落とす。彼の顔半分は血にまみれて判別がつきにくいけど、とても悲しんでいる気がした。
「彼がその後、どういう人生を歩んだか教えて貰えませんか?」
おじさんが、目に怒りを称えて答える。
「彼は強い子だよ。母を父に殺され、貴様に仲の良かった女の子を自ら殺すようにし向けられ、尚、彼は真っ直ぐに育ってくれた」
男の人が女の子の名前を呟いて、北白さんの首に手をかける。北白さんは石竹君の事を聞いて安心して微笑んでいるように見えた。死にかけていて満身創意なのに。それより、さっきおじさんは「佐藤浅緋さんの無念だ」と言って北白さんの首を絞めた。そして石竹君は女の子を殺すようにし向けられたと。そして北白さんが行う生贄ゲームは、基本的には被験者二人が生き残りをかけて殺し合わされるゲーム。石竹君は、佐藤さんの妹の首を絞めて殺害してゲームに生き残った?そんな、嘘でしょ?
「何かの間違いですよね?」
首を絞めるおじさんの背後から私は声をかける。体勢を変えずにおじさんがこちらを向かずに答えてくれる。
「いや、入念な現場検証の結果、殺害された佐藤浅緋さんは、胸部から下腹部にかけてこいつに体を切り開かれる前に、首を絞められて絞殺されていた。その細く小さな首に残っていた手形は子供のものだった」
「石竹君が、佐藤さんの妹を……」
佐藤深緋さんは今までどんな心境で人生を歩んで来たのだろう。妹を友人に殺され、犯人に体を解体されて生け贄に捧げられて……。想像を絶する苦しみの中、彼女は生きてきたのかも知れない。それは直接の被害者で無いからこその痛みだ。なら、このおじさんもまたその苦しみを抱えて生きてきたのかも知れない。男の人が咳込む北白さんを余所にナイフを逆手に構える。恐らく、北白さんのお腹を真っ二つに切り開く気だ。生かす気は最初からきっと無い。
「杉村さんのお父さん……ですよね?」
私の言葉にハッと息を飲み、掲げたナイフが宙で止まる。
「娘の?そうかクラスメイトか。すまないね、君達を巻き込んでしまって」
私は首を振る。
「関係ありませんよ!私達は町で絡まれた3人組の男に仕返しをされて……」
あれ?でも首謀者は北白さんだったはず。なんであの3人の男と私達の関係を知っていたんだろ?
「娘に伝えてほしいことがある」
杉村さんのお父さんが手に握ったナイフに力を込める。
「手荒なことをしてすまないと。母さんを宜しく頼むと」
私は直感的に気付く。この人は北白さんを殺して自分も死ぬ気だ。そんなの杉村さんが悲しんでしまう。木田さんが意識不明になっただけでもあんなに塞ぎ込んでたのに!私は無我夢中で駆けだしていた。そしてそのまま杉村おじさんに体当たりする。完全に私の事は警戒していなかったみたいで、そのまま地面に転がってしまうおじさん。私はそのままおじさんに抱きついて身動きを封じる。
「逃げて北白さん!」
戸惑いながら立ち上がる北白さん。怪我はひどいが、出血はそんなに無いようだった。
「なんで、僕を助けるような真似を?」
私は色々な事が頭の中でごちゃごちゃになりそうになるのを首を振って思考を止めさせる。
「あなたは悪い人じゃない。私の直感がそう告げている。それに犯されそうになった私を貴方は助けてくれた。その事実は誰も消せない!もしかしたら、それは貴方が侵せるギリギリのルールを越えた行動だったんじゃないかなって」
北白さんが深く礼をする。
「ありがとう。僕は君を助けた後、どこかで死ぬつもりだった。結局、あの方の呪縛からは完全には逃れられなかった。でも、僕にはまだ出来る事があるのかも知れない。佐藤深緋さんに言われたんだ。罪は消せない、けど、罰を受ける事によって罪は購なわれるって」
北白さんは傷ついた箇所を押さえながら町に向かって下山していく。これでよかったんだと思う。再びヘリが上空を旋回している。私がそれに気をとられ上を向いている隙に、杉村おじさんが銃を取り出して、北白さんに向ける。
「私は!被害者家族の怨念が作り出した亡霊だ!」
「この分からず屋さんっ!!」
私とおじさんの声、そして一発の乾いた銃声が重なる。遠くに町に向かって歩いていく北白さんの姿が消えていく。これで、これでよかったのかな?
「君はなんて馬鹿な事を」
「分かんない。でも、いくら憎んでいても彼は裁判で無罪となった一般人だよ?私を殺す気のない彼を殺したら、杉村おじさんが捕まっちゃう」
私は血まみれになった右手を押さえる。痛いなんてもんじゃない。
「借してごらん?応急処置をする。それにもうすぐ八ツ森の特殊部隊の医療班が到着するはずだ」
「お、お願いします」
「殺傷力の低い、口径が小さい弾丸で良かったよ」
「ぞ、ぞうですね」
私は右手に触れられてその痛みで涙を流す。止まらない。
「私が愛用していたマグナム銃は丁度娘に借していてね。もし、それを使っていたら右手自体が吹き飛んでいたよ。穴は空いてしまったが、手術さえすればまた使える様になるはずだ」
私は右手が吹き飛ぶ場面を想像したら急に意識を保てなくなって、意識を失いそうになる。おっと、確認しないといけない事がある。
「なんで、この場所が分かったんですか?」
杉村おじさんが小型のパネルを取り出すと、地図が表示されて、ある地点が点滅していた。
「娘が身に付けている簪にチップを埋め込んでいるので、GPS機能でどこに居るか分かるんだよ。彼女達の進行方向から、ここから近い小屋に監禁されていると判断した」
彼女達?やっぱり、あの2人は私達を助けに。あれ?まだ合流してないのかな?
「本当は昨日の段階で、娘は君達の監禁された小屋に辿り着く予定だったみたいだけど、それを私が邪魔させて貰った。今はあの2人は別の納屋小屋で大人しく眠っているよ」
私はおじさんの手元にあるパネルを覗き込む。んん?点滅する黄色い光が、すごい速度で動いている気がする。
「杉村おじさん。2人は別の納屋小屋に閉じ込めたんですよね?」
おじさんが首を傾げる。
「あぁ、武装解除させて、縄で二人とも動けない様に拘束した。後で怒られそうだが」
「もの凄い速さで此方に向かってないですか?」
私の右手の痛覚が限界に達して、そこで私は気を失った。疲労もあるけど、痛みを感じなくて済むので少し助かった。
*
ありえない。そんな事があっていいのか?八ツ森タクシーの杉村誠一が放った銃弾は確実に北白の背後を捉えていた。そこで確実に奴は死ぬはずだった。それが直前、江ノ木カナの差し出した右手に阻害されて弾道が変わり、近くで始終を眺めていた私の頬を掠めた。運が悪ければ顔面に流れ弾を食らっていたかも知れない。やはりあの江ノ木という娘も一種の天才なのかも知れない。私の想定では測りきれない何かを持っているようだ。しかし、私は運命を変えられたままで放置するような生優しい性格では無い。背中を切り裂かれ、肋を折られ、額は傷付けられ、左目は抉られ、右手は切り落とされて、満身創痍な状態で彼は足を動かしている。何が彼をそこまでさせているのだろう。江ノ木を殺さずに山小屋から連れ出したのは誤算だったが、それもここまでだ。誰も私の計画を狂わす事は出来ない。私は血を滴らせながら下山する北白直哉に止めを刺すために背後から近づき、声をかける。
「大丈夫ですか?すごい怪我ですね!」
声をかけられて男が辛そうに振り向く。血塗れの顔にはとっくに血の気は失せていたが、目にはまだ希望の光が射し込んでいた。やめろ、そんなもの見たくも無い。
「ありがとうございます。出来たら電話か、町まで肩を借して頂けると……助かるのですが」
そこで北白の言葉が途切れる。口を横に引き結ぶと、表情を固くして私の事は顧みず、再び山を駆ける。何かに感づいたらしい。私は前を向く北白の背後から薄ら笑いを浮かべ木刀を取り出し、森を駆け、北白の背後に踏み込み、勢いに任せて北白の後頭部にそのままそれを叩き込んだ。そのまま腐葉土の大地に体を横たわらせる北白。目眩を起こしながらも体を引きずり、私の足にしがみつく北白直哉。怪我とは別に動悸が激しくなっているのは、過去の救世主の呪縛だろうか。
「このタイミングで君みたいな少年がこんな森に制服姿で居るのは不自然だ。……君が僕の救世主様だね。やっぱりずっと見ていて」
「ご名答」
私が止めの一撃を側頭部に打ち込むと、完全に気を失う北白。私は北白の頭を叩き割ろうと木刀を天高く掲げる。どちらにしろ、ここで気を失わせれば出血多量でいずれ死ぬのだが。
殺気が森全体をざわつかせる。森が何かに怯え震えているのが私にも分かった。それはどこから来る?その震源はどこから!?私は木刀を構えたまま倒れている北白から遠く離れた茂みへと姿を隠す。
姿は見えないが遠くから、小枝がリズムよくパキパキと踏み折られていく音が段々と近づいてくる。何かが嵐の様な風を纏い、獰猛な獣の気配を帯びて山頂から雪崩の様な圧倒的な存在感を放って降りてくる。
「北白!直哉ぁ!!」
奇妙なまでに澄んだ叫び声が木々に木霊し、遠くから一気に距離を詰めてきた黄金の髪を揺らす少女、杉村蜂蜜が北白の喉元に食らいつく。
その北白自身は既に気を失っている。私は物音を立てない様に慎重に気配を消す。血塗れになって異変に気付いた杉村蜂蜜が辺りを見渡す。
「一番新しい傷は頭部への打撲……?」
瞬時に状況を見極め、視線を北白から周囲の森に巡らせる。北白を殴ったであろう犯人を捜しているようだ。私は呼吸を落ち着かせてじっと耐える。北白の容態を確認していた杉村が立ち上がろうとした時、地面から伸びた手が杉村の手に触れる。
「天使……様?」
おとなしくしていれば助かったものを。お前は言うなれば自分と石竹君の人生を破壊した憎むべき怨敵だ。只ではすむまい。
「やっと会えた。天使様。私の汚れた魂とこの森の浄化の為の儀式は整いました。今こそ、浄化の儀を」
杉村蜂蜜が後ろに髪を纏める為の簪を2本引き抜くと、それを北白直哉に突き立てようとするが、寸前で手が痺れたのかそれを地面に落としてしまう。杉村の顔から殺気が消えていく。
「江ノ木さんと鳩羽君は無事保護出来た。貴女がろっくんにお願いされた任務はここまでのはず。だから、今は引っ込んでいて!」
「天使様……?」
杉村が優しく微笑み、北白の血塗れの顔に手を伸ばすとゆっくりと血を拭ってあげる。
「お役目ご苦労様です。貴方の願いは叶えられました。貴方の行いでこの森の結界は強まり、汚れた邪気は取り払われました」
北白が感極まって涙を流す。40歳近くの男が情けない。
「そして、貴方の魂も汚れ無き尊い御霊へと生まれ変わりました」
北白が片方しか無い手で必死に杉村の白い手を握りしめる。
「ありがとうございます!これで、これで僕は!やっと!」
北白の体から生気が抜けた様に、腕がだらりと下がり、腐葉土の上にその体を横たえる。
「天使……様。白い救世主様に気を付けて下さい。あの方は、常に私達を見張っています。あの制服姿は八ツ森高校のものです。そして、僕がひどい目を合わしてしまった子達にお詫びを私の代わりに……私の全財産は犠牲になった子達に分配しました。これで僕は心置きなく逝けま……す」
天使の手と体が震え、自分の震える体を必死に押さえ込んでいる。それもそうだ。自分と大事な人の人生を破壊した人間が目の前にいるのだから。必死に恐怖と憎しみを押さえ、男の最後を看取るつもりらしい。
「あの聖母の様な子……私が監禁してしまった、江ノ木さんには助けて頂きました。天使様とこうして最後に話せたのも、彼女のおかげ」
そこで囁くような声は途絶え、山を吹き抜ける風が木々を揺らす音だけが辺りに響いていた。私はそっとその場から姿を消した。
「北白直哉さん……仇はとります。北白家を没落させた張本人、白き救世主。その者に必ず罪は償わせます。例えそれが誰であったとしても。貴方は十分すぎるほど罰をその身に受けました……貴方の御霊が安らかに天国へ召されるようお祈りします。アーメン」
これでよかったのかな……?




