違和感
白き観測者。お前の望みはなんだ?
2年A組、教室内の様子を伺うとやはりあの2人が来ていない。私の横に同学年の細馬将がやってきて残念そうな顔をする。
「今日も我らの女神様はお休みか?」
「そうみたいだな、細馬よ、私と一緒に見舞いでも行くか?」
体格のごつい細馬が怯えたように後ずさる。
「や、やめておく」
「どうしたんだ?お前らしくないな。我ら女神の住居ぐらいお前なら把握済みだろ?同じ杉村愛好会の会長よ」
それに強く首を振り否定する細馬。大きな顔には露骨に恐怖の顔が浮かぶ。
「我らの月の女神は、本物の忍者かも知れない」
「忍者?」
「実は、この杉村愛好会が発足して間もない頃、会員全員で女神の後を追ったんだが」
呆れてため息をつく私。
「随分と大がかりなストーキング行為だな」
「確か総勢20人のメンバーで行ったからな。結局、彼女を見失ったあげく、見慣れない袋小路に誘われて全員帰れなくなったんだよ。その時、彼女の澄んだ声だけが頭上から響いてきて「私は忍者です。貴方達の安易な追跡はすぐに私にばれています。次やったら、一人ずつ消していきます、忍術使えます」とな。だからこうやって、毎朝顔だけを見に来ている。忍者怖い」
その言い回しは、襲撃事件よりも前の杉村蜂蜜だな。やはり本人を不用意につけ回すのは無理か。今ではその凶悪性も上がっている。
「なるほどな。それで自宅の所在が分からず仕舞いか」
私達二人の会話を聞きつけて田宮が迷惑そうにこちらにやってくる。
「貴方達の女神様は2日前から居ませんよ?」
特に私に釘を刺すような鋭い視線が痛い。細馬だと逆に喜びそうだが。
「体調でも悪いのかい?」
手にした大量のプリントを抱えたまま田宮が首を横に振ると、しなやかな長い黒髪がそれに合わせて揺れる。椿の香りがあたりに広がる。
「2日ぐらい前かしら。授業が始まる直前に、誰かを殺したいって宣言してそのままどこかに消えてしまったんですよね……」
「それは只事では無いね」
「横の席に座る石竹君も姿が見えないのは?」
「こんなに長い期間、杉村さんを追いかけるのは初めてだけど、二川先輩も生徒会ならご存じですよね?彼は一応学校側から直々に、彼女の監視を任されています。その後を追って彼も学校から姿を消しました」
そんな事があったのか。なぜだ?なぜこのタイミングで?二日前と言えば江ノ木と鳩羽の正式な発表が学校側からあったその日だ。直後に姿を2人で消した?
「彼女のお父さんと石竹君の親類の方には連絡済みなんですけど、どうやら2人で山に居るみたいなんですよ」
「山?なぜそんなところに?」
「わからないわ。でも、昔はよく山で遊んでいたらしいし、杉村さんのお父さんは心配しなくてもいいとおっしゃっていました。彼らなら一ヶ月ぐらいの山籠もりも出来るらしいですよ。どちらかと言うと私達が不用意に山に入ることを警戒されていたくらいです。八ツ森を囲む樹林を甘く見てはいけないと」
「そうか、寂しくなるね。石竹君の怪我の具合はどうなんだい?杉村さんも重傷を負っていただろ?そんな体で山に登って大丈夫なのかい?」
田宮が二人の様子を振り返る様に、思い出しながら教えてくれる。
「石竹君は最近、鎖骨の骨折が治ったところかな?自宅でも問題なく手を動かせてたし。でも耳の方はほとんどダメみたいですね。複雑な内容だと筆談が必要なレベル。ただ、彼、耳が聞こえなくても読唇術が少し使えるみたいで、単純な言葉だったら生活に支障が無いレベルで読みとってくれます。あとは犬の噛み傷の跡が全身に残っているぐらいですね。杉村さんは少し顔に切り傷が出来ていたけど、もうほとんど消えそうでした。銃の衝撃で砕けた骨も全快しているみたいで、驚異的な治癒力を発揮してましたね」
やたらと石竹君の症状に詳しい事が気になったが、その事はとりあえず置いておこう。この八ツ森は四方を森に囲まれている。どの方角の山に入ったが問題だ。
「2人が入ったのは、どの方角の山かは分かっていないのかい?」
「そこまでは聞いてませんよ。杉村さんのお父さんなら把握していると思いますけど、夏休みのあの事件で、石竹君と杉村さんのサバイバル力の高さは証明されてます。それに杉村さんのお父さんの話では危険な野犬のほぼ全数が彼女達の手によって処分されてたみたいですしね。すずもそれに貢献してたみたいだけど。もうあそこはほとんど安全な森ですよ」
私は嫌な予感に身震いする。四方の森の中でも特に危険なのは北方の森だ。それは北白家に訓練された狩猟犬が俳諧するからで、それは北白家の所有する森だけである。その土地のほとんどを市に売却し、金銭に換え、被害者遺族へ当てたと聞いたが、まずあの2人は北白の森に入ったとみて間違いない。何故だ?最初から友達が心配なので山に登りますと言えばいいはずだ。なぜそんな回りくどい事をする?わざわざ「誰かを殺したい」なんて演技をしてまで。いや、だからこそか?日嗣を助ける為に重傷を負った彼等がそんな事を言い出せば止められるに決まっている。それを見越して?
「会長?」
難しい顔をして考え事をしている私を心配して田宮が私に声をかけてくれる。
「あぁ、すまない。大丈夫だよ。彼女がまた現れたら教えてくれ、では失礼するよ。稲穂ちゃん」
後ろから彼女に「下の名前で呼ぶな!」と釘を刺されるが気にしない。杉村と石竹は恐らく江ノ木を捜す為に動いている。演技をしたのは恐らく、石竹に頼まれたからだ。そんな事を自発的にする様な彼女では無い。この事態の把握が遅れていたら、危なかったかも知れない。悠長にしていてはいられない。早々に決着を。手の平に出来た刺し傷が疼く。それは杉村のナイフが貫いた箇所だ。全く手が灼ける子達だ。
誰にもこの生贄ゲームは邪魔させない。