江ノ木の居ない教室
江ノ木と鳩羽が姿を消してから5日目の教室。君は本当に変わらないなぁ。そういうとこも好きなんだけどね。
江ノ木と鳩羽の行方が分からなくなってから5日経つ。さすがにただ事ではないと察しているのだろう。教室内でその事を自主的に話題にする生徒は居なかった。後ろの扉から泣きそうな顔で東雲が学年代表の田宮に詰め寄る。
「なぁ、本当に鳩羽は……来てないんだな」
それにゆっくりと神妙な面持ちで頷く田宮。黒い長髪が肩からするりと滑り落ちる。
「クラスメイトの江ノ木さんも同様に姿を現さないの。警察へは江ノ木さんのご両親から捜索願いを出しているのだけど……」
「そうか。鳩羽の方はやっぱり」
悲しそうに顔を伏せる田宮。鳩羽の両親は届け出を出していないのか?
「鳩羽君の方も、学校側からきちんと届出はしているわ。だからすずも安心して?」
東雲が手を震わせなながら田宮の体に寄りかかる。体格差のある田宮がそれを優しく受け止める。
「私の、私達の性かも知れないんだ」
「すずの?」
コクリと頷いて体勢を立て直す東雲。
「江ノ木さんが数人の男に絡まれた時、助ける為に私達は相手の男達を……」
田宮が窓際で杉村の事を眺めている生徒会長の二川先輩に目配せをする。それに応えるように深く頷き返す。
「あの件、悪いのは相手の方でしょ?江ノ木さんを無理矢理自分達の車に押し込めようとして。それに実際に相手を叩きのめしたのは、あそこで杉村さんを眺めているうちの生徒会長でしょ?」
田宮稲穂は二川先輩を責めているのでは無い、東雲を落ち着かせる為に純粋な事実として説明しているだけだ。
「あいつらにはそんな事、関係無いんだ。単なる仕返しだから。もしかしたら、今頃あいつらに二人は……江ノ木さんに至っては監禁され、辱めを受けているかも知れない。私の性で!」
田宮が背伸びをして背の高い東雲の頭に優しく拳骨を降らせる。
「イタッ……くない?」
「今、全力で警察の人も捜してくれている。そのうち報道されるだろうし、男達が犯人ならそう無茶な事は出来ないはず」
目を赤くした東雲がゆっくりと頷き、2年A組の教室から静かに退室しようとする。その背中に田宮が声をかける。
「幼馴染として忠告しとくけど、すずは方向音痴なんだから一人で山に登って二人を捜しに行かないでよねっ!」
その言葉に東雲は振り返らず小さく頷き返すだけだった。始終、それを眺めていた前の席に座る佐藤と若草が言葉を交わす。
「なぁ、もしかして行方不明のあいつら2人って、医療施設を退院した北白が」
「そんな訳無いでしょ!もう再犯は起こしそうな雰囲気じゃなかったし、しばらく動けない様にわざと数カ所くだものナイフで刺したし、大丈夫よ」
若草が驚き、椅子をガタつかせる。僕も内心驚いている。
「あの連続少女殺害事件の犯人と会ったのか?お前、胸は無いのに、度胸はあんのな」
胸の事を言われ、佐藤が顔をしかめる。
「私に殺されたいの?小さいからって舐めないで。それに刑法上、彼は無罪。ただの一般人よ?犯人扱いしないで」
「す、すまん。それより何時の間に会ったんだよ?」
「掻い摘んで話すと、日嗣さんと石竹君を助ける為に森に入った時に、北白の弟さんの遺体近くに携帯電話があって、それを渡しに行った時にちょっとね」
若草が何かを考えるように席に深く腰掛ける。
「大丈夫さ、鳩羽も一応剣道部だし、江ノ木もああ見えて腐女子だ」
「どの点において安心してるかは分からないけど、今は二人の無事を祈りましょう」
若草が頷き、前へ向き直る。担任の荒川静夢が教室に入って来たからだ。いつもと違う切迫した表情で、江ノ木と鳩羽の現状を僕等に説明する。混乱を招かない為か、いくつかの情報は伏せられているようだ。
前を向く僕の横から、杉村が荒川先生の話の内容を要約し、書き留めてくれていく。殺人蜂さんの状態でも僕の事を気にかけてくれるのは変わらない様だ。手元を見ずにほぼリアルタイムでメモ用紙が、次々と杉村の文字で埋まっていく。捜索から2日。2人の足取りは5日前に木田の入院する「実原総合病院」を最後に分かっていない。荒川の口からは、北白の事や、田宮が口にしていた山に関する情報は伏せられていた。杉村の握るペンがまるで命を宿したように跳ね回る。僕は一度、深く深呼吸をしてその杉村の手に、自分の手を添える。
その行為に驚いた杉村が、こちらの目を覗き込む。キスを求められていると誤解された様で、僕の唇をなんの躊躇いも無く奪おうとする杉村。今の彼女は殺人蜂さんだけど、頼みを聞いてくれるかな?今は彼女の協力が必要だ。無声会話。僕の口の動きを読みとり、小悪魔的な笑みが殺人蜂さんの顔に浮かぶ。ありがとう。
「誰かを殺したい……」
抑揚は無いが、綺麗な声色の響きが教室に木霊する。その言葉の持つ重みにクラスメイト全員が沈黙する。立ち上がった杉村が注目を浴びる中、首に巻かれた切り裂かれたマフラーが揺れ、何時の間にか手には短いナイフが二本握られていた。奇妙なまでに澄んだ叫び声が教室に響く。誰もがその杉村の突然の振る舞いに戸惑い、微動だに出来ない。僕は慌てて杉村を抑えようとするが、そのナイフが僕の上着の一部を切り裂き、ナイフが刺さらない様にか、肘で僕を椅子から引き倒す。
「私の邪魔しないで?緑青」
固唾を飲んで皆が見守る中、教室を出ていく杉村。僕は立ち上がり、教室に居る全員の表情を伺う。そして、溜息をついて拙い言葉で「いってきます」と伝える。それに応える様に、クラスメイト全員が深く頷いた。担任の荒川先生は、僕と杉村の事を止めようと此方に近付いて来るが、それを振り切る様に教室を後にする。
トップスピードの杉村は僕でも追えないが、今の彼女はわざとその速度を落としてくれている。教室から玄関ホールまでを急ぎ足で僕は追う。そのまま下駄箱に向かったようで、靴を履き替えているのが遠目に見えた。外靴に履き替えると、杉村に少し遅れて校門の下を潜り抜ける。
僕はあくまで杉村を追いかけている。授業中だろうがその行為は学校側から認められている正当な権限だ。誰にも文句は言われない。
僕らはお互いの家に一度戻ると、装備を調え昔二人が待ち合わせに使っていた近くの「紫陽花公園」で合流する。僕らの極秘任務が始まった。その名も「キノコ救出作戦」。守れ、乙女の純血、そしてついでに鳩も。八ツ森市連続少女殺害事件の犯人、北白と江ノ木を襲った男達。関連があるかはまだ分からないけど、病院帰りに襲われたのだとしたらその可能性は大いにあると僕は考えている。二人だけで森に入るのは7年ぶりだ。