英国蜂と日本雀
ナイフと木刀。どちらもすごいけど、彼女の方が強いよ。背負っているものが違うから。
朝のチャイムが鳴る前だというのにこの人数の集まり具合はおかしい。杉村の傷が完全に癒えたのを境に、僕の座席周りがまた騒がしくなってきた。僕の席の前には若草と佐藤。横には杉村。そして2年A組の後ろの扉の所に東雲が杉村の様子を伺っている。
開け放たれた廊下側の窓には「杉村愛好会」の会長「細馬将」先輩とラブレターを手にヒラヒラさせているのは生徒会長の「二川亮」先輩だ。そして廊下には杉村を見守るように同好会の面子が10人ほど杉村を心配そうに遠くから見つめている。
「二川よ、その手紙は受け取って貰えたのか?」
「いや、だめだよ。頑なに受け取って貰えない」
「いいきみだな」
「お前こそ遠巻きに見ているだけじゃないか」
「うぬぬ、亮こそ我らが月の女神に爆弾魔扱いされてひどい仕打ちを受けているらしいじゃないか」
「そういう将こそ」
無益な争いは続く。杉村がこちらの目をのぞき込んで僕に見えるように口元を動かす。
「(邪魔なら消すわよ?)」
僕はそれに大きく頭を左右に振る。今の杉村は「女王蜂」では無く「働き蜂」さんでも無い。もう一人の誰かのようだ。女王蜂は本来の彼女で、働き蜂さんは防衛本能が人格化した防衛に特化した彼女。今の彼女は恐らく攻撃面に特化した彼女だと思う。朝、登校してきた時は本来の彼女だったのだが、空席になった木田の席を眺めては涙を流し、心の内側に隠れてしまう。そして、その代わりに表層に現れるようになったのが攻撃型の彼女だ。
「(君の名前は?)」
「(ハニー=レヴィアン)」
そうだね。そう名乗るよね。僕と杉村が無声会話をしていると、そこに後輩のストーカー君が僕の席にやってくる。怪我だらけの僕等に遠慮してしばらく顔を見かけなかった。
「天使先輩!いい加減僕の名前を覚えて下さい」
杉村が僕との会話に水を差されて不機嫌そうな顔になる。
「何か用かしら?」
「名前を覚えて下さい」
「待って、脳内を探るわ」
しばらく目を瞑り、席の前に立つ後輩ストーカー君の名前を思い出しているようだ。
「鳩」
「おしいです!」
「雀?」
「それは私だ!」
扉の影から顔だけ出して様子を伺っていた「東雲雀」が呼ばれたと思って杉村の背後に回る。彼女もこの前まで手と体に包帯を巻いていた。実はあの山小屋での件で僕らを助ける為に、星の教会と杉村愛好会の一部の人間があの高原のキャンプ場まで足を運んでいたのだ。
深夜にも関わらず駆けつけた彼らの中に東雲の姿があったみたいで、どうやら彼女も杉村愛好会の一員らしい。そして、同じ剣道部の二川先輩と鳩羽が止めるのにも構わずに一人北白家の私有地に侵入し、木刀で襲い来る野犬に奮闘していたらしい。
ただし、方向が微妙にズレていたのか僕らと遭遇する事は無く、朝方一人で下山してきたそうな。もしかしたら、僕らのところに群がってきた野犬が少なかったのは彼女と杉村が引き寄せていてくれたおかげなのかも知れない。
「フフフ、やっと決着をつける気になったか。私の好敵手よ」
「ちょっと!今は僕と話してるんですよ!東雲先輩は引っ込んでいて下さい」
「そうなの?今呼ばれたぞ?」
溜息を吐く鳩羽の下に何故か目を輝かせた江ノ木がやってくる。珍しいな。
「鳩羽君!おはよっ!」
「え?あぁ、江ノ木先輩おはようございます」
軽く頭を下げる鳩羽。少し迷惑そうだ。
「あのさ、やっぱり杉村さんじゃないとダメ?」
「ダメです。何度も言ってますよね?貴女とは付き合えないと」
え?何?どういう事?
「いいじゃん。杉村さんは石竹君のものだし」
恐る恐る横を向くと、深く頷いて僕の頬に軽くキスをする。英国式の軽い挨拶なのだろうがついつい体を強ばらせてしまう。それを目の当たりにした鳩羽が一歩退く。前の席に座る佐藤が顔を朱くさせ、若草はにやついている。この状態の杉村は攻撃的であり、積極的な肉食系女子らしい。満足そうに微笑む杉村。
「そういう事。だから君も私に関わらないで。死ぬわよ?」
それが相手を殺すという意味を含めているのかいないのか微妙に分かり辛い。鳩羽の肩を叩いて振り向かせてやや身長の低い江ノ木が背伸びをする。
「鳩羽君は私がもらうね」
「って!どさくさに紛れて何をしようとしているんですか!」
窓際に陣取る先輩2人が深い溜息をつく。
「なんで俺らには、あんなかわいい子が横に居ないんだろうな、二川」
「誰が好き好んでゴリラと一緒になりたがる?」
「それもそうだなって!」
細馬先輩が二川先輩の肩を軽くパンチする。
「私たちに出来る事と言えばこうして遠巻きに彼女たちの幸せを見守ってやるぐらいさ」
「確かにな」
「俺達はこうして徒党を組まないと彼女らにお近づきする事さえ出来ない」
いや、近づく事さえ出来てないけどね。
「それより、あの隠れファンがたくさん居そうな天然系正当派美少女ちゃんはなんであの頑固な後輩君を好きになったんだ?」
「あぁ、それはね。帰り道、彼女が男に車で連れ去られようとしているところに彼が助けに入ったんだよ」
「あぁ。なるほどね。吊り橋効果って奴か?」
「あながちそうとも言えない。その男達を追い払ったのは私の方なんだけど、なぜか私では無く彼の事を好きになったみたいで」
「多分、顔の好みだろうな」
「そうかもな」
しょんぼりとする先輩2人がなんだか可哀想になってきた。予鈴が鳴り、江ノ木の猛アタックから逃れる様に教室から退避する後輩ストーカー君。ストーカーのストーカーになってしまった江ノ木は残念そうに自分の席に着席する。
「おい、二川?お前ももう戻るか?」
「いや」
2年A組の教室を見渡す二川先輩。
「うちの生徒会のマドンナに用事があったんだが、まだ教室には戻っていないようだな。彼女も忙しいからな。彼女が戻って来てから私は教室に戻るよ」
「そうか。お前は良いな。生徒会長だからある程度の自由が効いて」
「役得だよ。もう少しここで我らが女神の御存顔を拝むとするよ」
そこで細馬先輩と同好会の面子は引き上げていく。残るは……木刀娘だけだ。
「残り15分。決闘だ」
懲りない東雲雀。八ツ森高校剣道部は今夏、全国優勝を果たしたにも関わらずまだもの足りないらしい。僕に肩を寄せる杉村蜂蜜。東雲の事は全く眼中に無いらしい。二川先輩の妬ましそうな視線が痛い。静かに目を瞑る杉村。独り言の様に呟く。
「こうしていると落ち着くの。だから気にしないで」
彼女の後ろに纏めた黄金に煌めく髪が僕の背中にかかり、蜂蜜様な甘い香りが一層濃くなる。前の席で佐藤と若草が話している。
「木田さんを襲った犯人だけど、警察の人に聴いたら相当お金に困っていたみたい」
「金の為に女の子も襲うとは世も末だな」
「うん。でね、その人の口座には大金が振り込まれていたみたいなんだけど、前金だったみたい」
「追加報酬……殺せば更にプラスしますよって事か?」
目に怒りの炎を宿らせた佐藤が深く頷く。
「恐らく口封じ」
若草も目を細めて犯人への嫌悪感を露わにする。
「今の彼女は昏睡状態で、しかも、意識が戻っても障害が残るって医者に言われてたんだっけ?」
「そう。だから口封じには実質成功している」
「結局受け取った金も、受け取るはずだった金も死んじまったら意味ないよな」
「ホント、バカみたい。それより許せないのは実行犯に指示した奴よ」
「警察の動向は?」
「確か……」
僕は耐えられなくなって2人の会話を止めようと立ち上がろうとするが、それを片手で力強く押さえる杉村。
「(私が殺した事実は消せない。それに……)」
後ろから半泣きになった東雲の声が弱々しく聞こえてくる。
「私と戦え……いや、戦ってくだ」
その言葉を遮るように大きく溜息を吐くと杉村がそのまま東雲を教室の扉に叩きつける。余計な得物を装着していない杉村のトップスピードは軽く東雲の動態視力を超えて彼女を容易に捉える。
戸惑う東雲に、杉村のスカートが翻り、半袖の彼女のワイシャツの脇の下を二本の小型ナイフで扉に磔にする。そして、腹部、スカートの順に扉に縫いつけていく。計6本のナイフで彼女を扉に固定した後、二本の簪を自らの纏めた髪から引き抜いて、その一本を彼女の股下に深く突き刺した。
「あぁ、気持ちいい」
杉村のその感嘆の声と共に彼女の額に鋭い簪が襲いかかる。僕はその最後の一撃にタイミングを合わせて、腕を掴み、勢いを相殺させる。虚ろな目を僕の視線に合わせる彼女。
「緑青君?最後までしたいの。ダメ?」
頬を染め、気分を高揚させている彼女に僕は静かに首を横に振る。クラスメイト全員が固唾を飲み、見守る中、杉村は諦めた様に東雲の衣服に突き刺さったナイフを引き抜いていく。僕が止めなかったらどうなっていただろう。多分、寸前で止めていたのかも知れない。最後の一撃だけ、わざと僕が止められるように溜時間を作っていてくれた気もする。
冷や汗を掻いている東雲がその場に力なくへたり込む。そして呼吸を整えつつ、呟く。
「お前は誰だ?」
ナイフを全て引き抜いた彼女がそれらを自分の机に並べ、簪で髪を纏めながら答える。
「ハニー=レヴィアン」
「ハニーレビアン?何語だそれ?」
「ハニーそれが私の本名よ」
しばらく何かを考えた後、東雲が杉村を見上げる。
「名を聞いたのでは無い。お前の存在を問い正したのだ」
髪を纏め終わった杉村が溜息混じりに答える。
「ただのバカでは無さそうね。彼女は私の中でこう分類している。殺人蜂と」
「ホーネットか。しかとお前の名、刻んだ。しかしお前の剣には心を感じない」
立ち上がり、落とした木刀を手にする東雲。まだ戦う気か?
「私はあいつと戦いたいんだ」
全てのナイフを仕舞い終えた杉村が構わずに席に座る。
「貴女もあのコの方がいいのね。あんな出来損ない(ウォーカー)のどこがいいのかしら」
今度は目の前に学年代表の田宮稲穂が杉村の前に手を出している。
「生徒会としてそれは見過ごせません。例え小型のナイフでも隠し持っていれば法に触れる事は知ってるわよね?まぁ、裁判起こしても今の貴女が罪を負うことは無いと思うけど」
杉村は東雲に悪態をつきながら、隠していた小型ナイフ6本全てを彼女に差し出した。
「帰りに私のところに寄ってくれれば返してあげるわ」
それを眺めていた生徒会長の二川先輩が待ちくたびれたように田宮の名前を呼ぶ。
「待ってたよ稲穂ちゃん」
「下の名前で呼ばないで下さい。それより、生徒会長も見ていたのなら杉村蜂蜜さんを止めて下さいよ」
「ごめん。杉村さんの翻るスカートしか見てなかった」
「生徒会をクビにしますよ」
「あはは、冗談だよ。結局、速すぎて見えなかったしね」
ちなみに杉村のスカートの中に頭を突っ込んだ事のある僕は知っている。彼女のスカートの中を。
そして、ナイフを二川先輩に預けた後、穴だらけの制服をそのまま着用している東雲のとこに近寄ると上着を脱いで下に着用していたカーディガンを東雲に渡してあげる。
「うむ?そんなものいらないぞ?寒くない」
お前はコ◯=カルナギかっ!
「貴女が風の娘なのは知っているけど、Yシャツの下から下着が見えてるわよ」
僕と目が合う東雲。小さく悲鳴を上げると田宮の背中に隠れてしまった。
「ダメだ。もうお嫁にいけない。あの鼻血君に全部見られてしまった」
全部は見てない。パステルカラーの藤色の下着が制服の下から覗いていただけだ。杉村が股下に簪を刺し込んだ性で大事な部分にスカートに穴が空いてるけど、大丈夫なのかな?東雲に呆れて、軽く拳骨を落とす田宮。
「なら彼のお嫁にいく事ね」
「なるほど、さすが稲穂は頭がいいな」
僕で解決手段を見い出すなよ。
「冗談よ。全く貴女は両極端なんだから」
カーディガンを腰に巻く東雲。
「すず?」
「いや、長袖は嫌いなんだ。腕の動きを阻害されるのがどうも気になって」
あんたは無理矢理服を着せられた猫か?!田宮が無理矢理カーディガンを着せると足の長い彼女のスタイルと相まって見違えるように女の子っぽくなる。長身の彼女はまるでモデルみたいだ。
「ほ、ほら、まただ。また男子どもが奇妙な物を見るような目で私を視る」
田宮が東雲のヘアピンを解いて髪型を整えてあげる。
「よし」
「何をしている?」
「貴女が変なんじゃない。綺麗だからよ。ね?石竹君」
僕はそれに素直に頷く。
「ふぁ!?」
今まで見せた事の無いぐらい顔を真っ赤にさせて2年B組に帰って行く東雲。武士の魂であるはずの木刀が寂しく床に転がっている。
「全く、あの子は世話がやけるねぇ」
と会長がその武士の魂を拾い上げて彼女を追いかけていく。去り際に何かを思い出した様に田宮の方に振り返る。
「あ、稲穂ちゃん。文化祭における各部活動のブースの割り当てなんだけど……」
「その件については朝方、担当の先生にまとめた書類を提出しています。あと名前で呼ぶな」
「さすが稲穂ちゃん。気が利くね」
爽やかな笑顔で東雲を追いかけていく二川先輩。
「だから、名前で呼ぶなって……もう」
お疲れさまです。田宮様。上着を着直して僕の怪我の具合をチェックする田宮。
「うんうん。怪我の方は大丈夫そうね」
と僕の返事を待たずに、軽く肩を二回叩いて席に着く田宮。彼女もそれなりに僕の様態を心配してくれているようだ。席に着くと横で何事も無かったように僕に微笑みかけてくる杉村。
本鈴が鳴り1限目の授業を担当する教員が教室に入ってきて授業が始まる。僕は忘れないうちに今日起きた彼女に関する出来事を漏れなく手帳に記していく。何か、何処かに本来の彼女「女王蜂」を救い出す為の解決手段を見つける為に。そしてそれが「あいつ」を追いつめる為の一手に繋がる事を願って。
2012年10月19日.
「女王蜂」(クイーン)=主人格。本来の彼女。頭は良くない。
「働き蜂」(ウォーカー)=別人格。防衛本能?軍人気質。今は眠りについている。やや照れ屋さん。クラスメイト全員に変なニックネームをつけている。
「殺人蜂」(ホーネット)=別人格。攻撃的。悪い奴では無さそう?頭すごく良い。主人格が不安定になり支配力が弱まると、最近はこちらが表に現れる。面倒な事が嫌い。僕の事は気に入られているみたい。トップスピードは恐らく働き蜂さんを軽く凌ぐ。他者への殺す事への躊躇は全く無い?各人格への支配権は場合により、主人格をも凌駕している?




