ハニーチェック
木田沙彩、自室に天使を招き入れる。下される審判は?
今、私は自分の部屋に死神を招き入れています。
物珍しそうに撮影機器やパソコン周辺機器をペタペタ触っている杉村蜂蜜さん。大丈夫、打ち上げの時はあんなに楽しく話せたじゃないか。石竹君が横にいたからかも知れないけど。
「粗茶ですが」
お盆に乗せた紅茶をスコーンと一緒に黄金の少女に差し出す。カタカタとそれを差し出す手が震えてしまう。暖かい紅茶の香りを少し楽しんだ後、何もそれに加えず口をつける。彼女の紅茶を飲む仕草は絵になる。本場の英国人だしね。
「あづぃっ!」
かわいいピンク色の綺麗な舌が杉村さんのふっくらした唇から少し覗く。どうやら猫舌のようだ。粗相があってはいけないと思い、熱めに淹れたのが仇となったか。
木田彩綾、自宅にて謎の死を遂げる……か。
私が怯えて目を瞑っていると、紅茶を小皿に戻した杉村さんが私を心配して揺り起こす。
「らいじょうぶ?そんらにきんひょうしなくていいよ?」
完全にこれ、舌を火傷してるよね?私の馬鹿っ!
「すまない、いっそ楽に殺してくれ!」
覚悟を決めた私に首を傾げる杉村さん。
「死にたいの?何通りか楽に死ねる方法は知ってるけろ、その為に自宅に呼んだんじゃないれしょ?」
よかった、まだ殺されてない。
「えっ!?あっ、はい!杉村さんに作品の仕上がりをチェックして貰おうとここへはお呼びしました」
杉村さんがやんわりと笑顔を私に見せる。だ、騙されないぞ!そんな眩しい微笑に私の心は惑わされないんだからね!グラグラ。
「内容を少し変更ひたのよね?」
私はパソコンから出力した簡単なあらすじが書かれた台本を杉村さんに見せる。少し恥ずかしい気持ちもあるが、命がかかっているのでそんな事言ってられない。
あの高架貯水槽で見せた歪な美しさを伴う彼女の微笑を無理矢理思い出して、目の前の優しそうな杉村さんを頭から追い出す。
彼女の中には恐らく、働き蜂さん以外の誰かがいる。ネットで調べたけど彼女の症状は恐らく解離性多重人格障害。彼女の中にあと何人杉村さんが居てもおかしくないのだ。きっと今は優しい杉村さんなんだ。
この障害を引き起こすキッカケに幼少期の性的虐待が関与する場合があるらしいけど、杉村さんのお父さんはそんな事しないだろうし、そういう被害に遭ったとしても彼女なら簡単に相手を撃退出来るだろう。
彼女の美貌は幼い頃から花咲いていた事が容易に想像がつく目鼻立ちをしている。私が彼女の顔に見惚れながらパソコン内に保存された動画ファイルを杉村さんでも見れる状態にする。私も彼女の様に綺麗に生まれたら何か違っていただろうか。
「杉村さん、英国でもモテましたよね?」
スコーンを口にする杉村さんが食べクズを撒き散らしながら首を振る。机の上に散らばったそれを慌てて手で拾い出す杉村さん。私は素早くウエットティッシュでそれを始末する。か、かわいい!
「ご、ごめんなさい。でも私なんて英国では背もかなり低い方だし、鼻も低いし、全然モテ無いよ?周りにはモデルさんみたいな人ばかりだし……権力目当てで婚約の申し込みとか何件かあったけど……大概、パパの名前を出したら自然と離れていったの」
……杉村のお父さんって何者?私達日本人が知らな過ぎるのかも知れない。
分割している動画ファイルで杉村さんが出演しているシーンを選んで準備をする。接続したヘッドフォンを杉村さんには渡すとそれを恐る恐る頭に装着する。
「えっと、なるべく事実に沿った話に修正して杉村さんと石竹君の幼馴染という関係性を強く現した作品に……」
私が再生ボタンをクリックすると、編集済みの映像が流れ出す。音声はヘッドフォンに遮られてこちらには聞こえてこないが、内容は全て頭の中に入っているので質問されても答えられる。
一つずつ順番に杉村さんに見てもらう。
彼女が転入してからの半年近くを簡単に纏めたものに近かった。モノローグは全て差し替えを行ない、石竹君の台詞は別の人の声で吹き替えは行なっている。
2つ目の動画ファイルが再生されると、杉村さんと石竹君がベットの上でいちゃついてる場面が画面に映る。モノローグの内容も大幅に変えて、幼馴染の男の子のベッドに無理矢理上がり込んできた分かりやすい萌えシーンにした。
途中までは食い入る様に見ていたが、私が横に居る事を思い出して、顔を伏せてしまう。3つ目の動画ファイルを再生しようとする杉村さんが口を開いた。
「ここは確か、ろっくんが声を入れてしまった場面?」
私はそれに頷く。このシーンの中盤、拘束された杉村さんが隠しナイフで自らのロープを切り裂き、鎖で柱に繋がれた日嗣さんを主柱を破壊する事によって救い出す(すげーな)。崩落していく山小屋の中、石竹君が幼い頃に突然居なくなった杉村さんに問い掛けるシーン。
『なんで!僕の前から急に居なくなったんだよ!僕は、僕はずっと!』
ヘッドフォンから別録した石竹君の声が漏れてくる。しばらくそれを聴いていた杉村さんがこちらを向く。不服なのかな?
「ろっくん……石竹君の吹き替えバージョンがいい」
正確には吹き替えでは無いのだけど。あったかな?必要無いので削除してしまったかも知れない。杉村さんの方を見るとちゃっかりとヘッドフォンを外して自分が熱演してしまった部分を顔を紅くしながら聴こえないようにしている。あのシーンの言葉だけは演技でなく本心だったんだなぁと思いつつ、杉村さんの隣に腰掛けて目当てのファイルが残っていないかを探す。
「あぁ、消して……」
そういいかけてハッとする。その透き通る緑青色の瞳が私のすぐ近くで今にも崩れそうになっていたから。白く細い指先が私の腕に絡む。石竹君はこんな子の近くに居てよく平常心でいられるものだ。女の私でもこんな上目遣いで見つめられたら……。おかしくなりそうな私の頭を揺すり、正気を保たせる。
「最近、忙しくてゴミ箱フォルダを空にして無かったからもしかしたら残ってるかも」
消してても復元は出来るのだが。編集した日付前後の動画データをいくつか元に戻して一つ一つ再生して確かめていく。
「ごめんね、木田さん。手間をとらせてしまって……」
しおらしい彼女もいい。というより、彼女の自然体はこうなのかも知れない。夏休み、私があの時遭遇した彼女の方が異常なのだ。様々な面を人は持っている。もしかしたら、彼女のこの状態もあまり問題では無いのかも知れない。一つ一つ動画を再生していき、確認をとっていく。杉村さんが先ほど確認した動画の原型がゆっくりと読み込まれて映し出される。やはり学校のバソコンの方がスペックが高い。その中の一つに小室から送られてきた「キュートなハニーちゃん」のテストショットが再生される。線画だけだがぬるぬる動く動画に眼を輝かせる杉村さん。
「なにこれ、かわいい!」
「これは小室が……腐れ眼鏡が創ったやつで……」
「くされ?」
「働き蜂さんがつけたあだ名だよ。君が知らなくてどうするんだよ。ちなみに私の事はアホ毛女と呼ばれて……」
いくら説明してもどうやら彼女は覚えていないようだった。そうか、丸々働き蜂さんの記憶が欠落しているのか……。なんでだろ?いや、これ以上は関わるべきでない。消されてしまう。
「今度、小室に描いて貰うといいよ。これぐらいのラフなら数十秒で描いてしまうからね」
それに素直に頷く杉村さん。
「私、絵が下手だからコツを教えて貰わないと……留年怖い」
……同じパソコンを共有する私達。あの時、襲撃事件が起きなければこうしてもっと早くに仲良くなれていたかも知れない。石竹君の時といい、パソコンが私達を引き寄せているのかも。
「あったあった」
最初に小屋の内部が引きで映されて、そこからぼんやりと薄暗い小屋の奥で椅子に座る石竹君に寄っていく。
音声もそのままだ。
杉村さんが私の手からヘッドフォンを奪うと真剣な眼差しで彼の声に耳を傾ける。
そこまで食いつかなくても、データは逃げないのに。
しばらく何回も再生を繰り返した後、こう呟いた。画面は日嗣尊役をこなすアウラ=留咲さんと石竹君の場面だ。
「ここ、少しスローで再生できる?あと画面も2人の口元によれる?」
なんだ?何か気になる事でもあるのだろうか。先程までの柔らかい空気が一変して鋭さを帯びてピリピリしてくる。
何回かの再生を終えた後、ヘッドフォンをそっとデスクに置いて眼を瞑り何かに考えを巡らせる。
「不思議なの」
私が首を傾げる。
「アウラさんとろっくんが話をする時は一字一句漏らさずに筆談を行なうの。でも、この撮影シーンではまるで相手が聞こえている様な素振りで両者間の呼吸がピッタリと合い過ぎているの。声の無い合いの手みたいなものだけど。私となら簡単な単語は唇で読み取れる訓練はしてるのだけど、それでも難しい単語は筆談が必要になる」
え?えぇ?何を言ってるの?
「私とろっくんは、小さい頃に音を立てられない状況下でも動けるように相手の唇を読む訓練をしていたの」
つまりそれは?
「……だから……だから?」
そこまでは分かったものの本人もそれ以上は分からないようだった。
「んー……ろっくんの聴力は私達が思ってる以上に回復している?でもなんでだろ?わざわざそんな事をする必要無いのに……何か不都合が?私を出し抜いてあのアウラさんと何か強い繋がりを感じる」
や、やめて、ちょ、ちょっと怖くなってきたんですけどっ!助けてー、石竹氏!
杉村さんが、画面上で再生されている動画ファイルを指差す。
「これ、フロッピーとかにデータを落とせない?」
「逆に難しい」
「保存出来ないの?」
「フロッピー自体が絶滅危惧種だからね。よかったらいらないUSBメモリーを渡そうか?」
杉村さんの顔が輝いて私に抱きついてくる。おっふ!これ私も思いっきり抱きしめてもいいよね?うわーっ、超いい匂い!君は本当に毎日花の蜜を集めていそうだなっ!そして柔らかい……なんだこれ。骨抜きにされていく私を他所に杉村さんがそのデータを保存したUSBメモリーを大事そうに掲げる。
「木田さん良い人!大好き!」
彼女の抱擁が私の映画制作における疲労感を吹っ飛ばしてしまった。これで私もあと10年は戦えるぞ!
文化祭まではあと2ヶ月と少し。
作業は分担してみんなでも出来るようにしているから、私はもう一度、自分を見つめ直そうかな。まだ私は若い。諦めるにはまだ少し早い年齢だ。