透明な壁
それは7年前、緋の少女と北白。間に走る透明な壁。お姉ちゃん……私はね……。
7年前、私は当時10歳だった。
アクリル板の向こうに見知らぬ男が立っており、私の後ろにはお母さんが心配そうに見守っている。
私は飛び上がり、こいつとの間にある透明な板が邪魔だから蹴り上げる。大きな音が面会室に響いて周りの大人達が驚いた様に身体を一斉にビクつかせた。
構わず私は二蹴りめを入れる。
透明な板は結構頑丈に出来ていて震えるだけで割れる気配が無い。私は腰掛けていた椅子を持ち上げようとした所で看守さんが私の身体を取り押さえる。
どいてよ。
その間にある透明な壁を砕いて、私はあいつを殺さなくちゃいけないんだから。
目の前の男が怯えるようなしぐさをして私から距離をとる。いくつか怪我を負っているようで包帯が服の下からのぞいていた。
「おぉ、怖い怖い。同じ姉妹とは思えないね。あの男の子といい、少し元気が良すぎるよ」
私を抑える看守さんの手をふりほどき、アクリル板に顔を近づける。
「なんで殺した!」
男が首を横に振る。
「殺してなんかないよ。あの男の子が君の妹の首を絞めて殺したんだよ」
その状況を無理矢理作り出した犯人がそうのたうち回る。実際、その主張は間違っている。そうせざるを得ない状況を作り出したこいつが悪い。間接罪が本来なら適応されるはずだった。しかし、こいつの精神状態が事件当時に責任をとれるような状態では無かったとの判断から裁判所はこいつに無罪を言い渡した。
最初は精神病を患っている様にみせかけていると思われていたが、何十人もの医師による診断の結果、重度の精神病が認められた。
私はその理不尽さを憎み、叫ぶ。
「私がお前を殺してやる!」
お手上げだというような仕草で首を振る北白。そこに何一つ罪の意識は現れていなかった。
「何の為に妹は、浅緋は死んだのよ!!」
男が笑いながらそれに答える。
「僕の魂を浄化する為の生贄になったんだ。惜しかったなぁ。天使様も降臨されたし、もうすぐ僕の魂は清らかなものに生まれ変わるところだったのに。本当に残念だよ。大丈夫、君の妹は無駄死になんかじゃないよ」
無駄死だ。
こんな、こんな奴に利用される為に妹は死んだのだ。天災でも事故でもない。人為的な意志により妹は殺されたのだ。
私は絶望して、床に膝をつく。
「絶対に許さない・・・・・・復讐」
その言葉を言い終わる前に私の後ろにいた母が男に飛びかかる。椅子を振り回した母の一撃が、ものすごい音を立て頑丈なアクリル板を砕き、男の目の前に滑り込む。看守が唖然としている中、母は男の首に手を回して力を込め始める。みるみると男の顔が赤くなっていき、酸素を求めて口をパクパクさせる。口からは泡を吐き、だらしなく涎をたらしている。
「お前が直接手を下していないなら尚更だ!お前は10歳の男の子に友達だった女の子を殺させたんだぞ!?只でさえ、只でさえ緑青君は・・・・・・」
母が泣きながら手の力を緩めていく。男がたじろき、弁解する。
「仕方ないじゃないか!あの儀式に生贄は必要で、そうしないと僕は」
「うるさいっ!」
母が再び椅子を持ち上げて男に振り下ろそうとする。周りの大人達が慌ただしく母の周りを囲む。その状況に構うことなく私は奴に近づく。
「妹は最後に何か言い残した?」
男が目を明後日の方向に向け、事件の情景を思い出しているようだ。
「色々男の子と話してたけど、君の妹は何度もあの男の子に自分を殺すようお願いしていたのは覚えてるよ」
妹は賢い子だ。自分が死ぬことを予見していた?いつから?その時?それともこいつに誘拐される前から?
「本人直接聞けばいいんじゃないかな?あの男の子が全部知ってるよ」
私はベッドで治療を受けている緑青君を思い出し、涙を流す。
「あれあれ?泣いちゃったね。どうかしたのかな?」
笑う男に私が呟く。
「緑青君は、妹の事、全部忘れちゃったの」
男の笑い声がピタリと止まる。その部屋に長い沈黙が訪れる。
「そんな、あの男の子はこの儀式の勝者なんだよ!?生きる事を認められた尊い人間なんだ。そんな事があっていい訳が無いよ!」
男が何故か動揺を始める。生贄にされた女の子と同様に、あの生贄ゲームで生き残った方にも男にとっては意味があるようだ。
「そんな、そんな、僕は、それじゃあ悪者みたいじゃないか」
周りの大人達が互いに顔を見合わせている。母が俯いたまま口を開く。
「お前の起こした事件で生き残った子が、今、どんな生活を送っているか教えてやろうか?お前は片方を助けた気でいるかも知れないが、あの子達の心はその時に死んでるんだよ。お前があの子達の心を殺したんだ」
男はそれっきり同じ単語を繰り返し、呟くだけで、私達の質問には何一つ答えなくなった。
「僕は悪くない。悪くないんだ。悪くない……仕方なかったんだ、僕はただ言われた通りに……僕は悪くない。悪くな……」
男の苦しそうな呟きが面会室に響き木霊する。私の妹の命は絶え、そして石竹君の記憶と共に葬り去られたのである。その後、正式に裁判所は彼に無罪判決を言い渡した。
そして、しばらくして妹の生きた記録が世界から消えた。ある男の子の為だけに。
私は亡き妹の魂に誓いを立てる。
浅緋の痕跡は私が一生をかけてでも生き返らせる。私は重い脚を引きづりながら部屋を出て歩き出した。前後の感覚が無くなり、前に進んでいるのか、後退しているのか。合っているのか間違っているのかも分からないまま私の足は動きを止めない。
無念と後悔と憎しみの感情を糧にただただ動いているだけだ。




