暖かな朝
ふかふかする。
レフィーは、その心地よい感触を懐かしく思う。
店の部屋は、こざっぱりとしていて、必要なものもそろっているが、
ふかふかなベッドなど、望めるわけがない。
いつも抱いて眠る剣がなぜか腕の中にない。
探索の腕が滑らかなシーツの上をさまよう。
違和感に目を開くと、見慣れぬ光景が広がっていた。
大きな部屋だった。
家具は統一された優雅なデザインで、落ち着いた色合いだ。
自分が、大きく真っ白なベッドに横たわっていることに、レフィーは混乱した。
(え?)
思わず飛び起きる。
必死で昨夜のことを思い出しつつ、無意識に剣を探す。
突然、視線が止まる。
昨夜のことが脳裏によみがえる。
いっそ、すべて忘れてしまいたくなった。
抱きしめられた感覚がまだ残っている。
名前を呼ばれた気がする。
名前を呼んだ気もする。
「起きたか」
聞きなれた声に、彼女がびくりとして振り返ると、今、一番合いたくない人物が戸口に立っていた。
「あ、あの・・・」
二人の間に、なんともいえない沈黙が落ちる。
「はい、はい」
そこに、老婦人が手を打ちつつ割り込んできた。
「女性の部屋に断りもなく入るなんて。何をお考えですの?グリフィス様」
婦人は、あきれたように、首を振る。
「取りあえず、身支度をいたしますので、一度お出になられてください」
グリフィスはまだ何か言いたそうだったが、女性に追い出されてしまった。
「あ、あの・・・」
ためらいがちに呼びかけると、深々とお辞儀をされた。
「お初にお目にかかります。グリフィス家のメイド長をしております、タレス・ジーナでございます。よろしくお願いしたします。レフィー様」
「よ、よろしくお願いします」
思わず、返事を返すと、優しく微笑み返された。
「では、ご支度をはじめましょう」
「え?」
次の瞬間、ばあんっ、と閉じていた扉が開き、メイドたちがなだれ込んできた。
「まずは、湯あみから…」
じりじりと近づいてくるメイドたちに、後ずさりしつつ、レフィーはふと思う。
(なにが、どうなっているの?)
だが、今はそれどころではなかった。
書斎にいたアーサーは、悲鳴を聞いた気がして、本から顔をあげた。
今日は、一日中、屋敷で過ごすつもりだった。
この一週間、部下をしごいて、しごいて、しごき倒していたのだが、ついに昨日、副隊長から、休暇を取るよう懇願されてしまったのだ。
「このままでは、近衛隊が壊滅してしまいます。」
その、大げさな物言いに苦笑したのだが、後ろで固唾をのんで見守る隊員たちに気付いた。
全員、体じゅうに痣と打僕があり、疲れ切った表情をしている。
特に、ひどいものが2名いた。
あの居酒屋で問題を起こした者たちだ。
ただ謹慎にするよりも、自分が性根を叩きなおしてやろうとしたのだが、
これも途中で、
「性根を治す前に、死んでしまいます。」
と、半泣きの副隊長に止められてしまった。
ぼろぼろの隊員たちを見て、悪いことをしたと思いつつも、あの程度でこんなことでは困るとも思う。
(あれのどこが「あの程度」ですか。と涙目で訴える副隊長が脳裏に浮かんだが無視する。)
気持ちを切り替えることが確かに必要だった。体を動かすことだけでは無理のようだったので、おもいきって3日だけ休暇を取ることにした。休暇を取るなど、何百年ぶりだろうか。
そして昨晩、彼女を『捕まえた』。
偶然だった。
休暇の連絡を各所にした帰りに、何となく大広場に出ると彼女がいた。
ずぶぬれになって。
思わず抱きしめると、そのあまりの冷たさにぞっとした。
気が緩んだのか崩れ落ちる彼女は、最後に。
(確かに、俺の名を呼んだ)
名をよばれた瞬間の自分の感情を何と呼べばよいのかはわからない。
あんな感情初めてだった。
だが、ひとつだけわかったことがある。
俺は、もう、彼女を手放せなくなるだろうと。
ノックの音が部屋に響いた。
「入れ」
短く命じると、誰か遠慮がちに部屋に入ってくるのが分かった。
使用人らしくないその態度を奇妙に思い振り返り、グリフィスは硬直した。
赤いドレスを身にまとい、化粧をし、
長くつややかな黒髪を背に流した彼女が、そこに立っている。
白い肌が、その色鮮やかさを引き立てる。
おずおずと微笑みかける彼女に、
頭の中で何かがはじけ飛んでいくのが分かった。