始まりの夜。よみがえる夜。
喧嘩が起きた。
居酒屋では日常茶飯事のことだ。
だけど、いつもと違ったのは、それにレフィーが巻き込まれてしまったこと。
ここ「踊る子馬亭」に来るのは気のいい人ばかりじゃない。
なかには、黒色に差別意識を持つ人たちもいる。
そんな人たちにとって、レフィーは目障りらしい。
「あんなものに、うろつかれたら目障りだ」
「何考えてんだ、ダールは」
「黒色の触ったものなんか食えるか」
普段は、さりげなくそんな人たちを避けて接客していた。
だが、今夜は運が悪かったとしか言いようがない。
ルフィーが注文を聞いていた隣の席で、いきなり、それが始まったのだ。
「なんだよ、なんでこんなとこに黒色がいるんだよ」
「んだと、もいっぺん言ってみろ」
「は、何度でも言ってやるさ。黒色と同じ空気吸ってるだけでも気持ちわりぃんだよ。」
二人とも相当酔っているようだった。
レフィーは注文を取ったら、さりげなく離れようと思っていた。
だが、そのまえに「それ」は起きてしまった。
「とにかく、おれは黒色にうんざりしてるんだ」
そういうと、レフィーの方を向き、ハッとあざ笑うように笑う。
「こんなみすぼらしい黒色のいる店なんかに誘うんじゃねぇよ」
その一言で、二人の空気が、一気に緊迫したものとなった。
レフィーは、機会を逃し、いつものようにうまく逃げられなかった。
困ったことに、いつもと違う点がもう一つあった。
それは、いつもだったら野次を飛ばす店の客達が、やけに静かなことだった。
「それ以上言ってみろ」
一方の男が、腰の剣に手をかける。
客達が息をのむのが分かる。
「へえ、どうするって言うんだ?」
相手の男も、剣を手にする。
(まずい)
レフィーの頭の中で、警鐘が鳴る。
なぜなら、その二人は、同じ純白の軍服に身を包んでいたからだ。
二人の髪に混じる金色がほの暗い店内で、かすかに光った。
レフィーの今いる国、ラファール帝国は穏やかな国だ。
この世界は戦争がなくなり、平和といってよい状態になって久しい。
豊かな国々に、朗らかな人々。
それでも、軍というものは存在していて。
そして、この帝国最強の軍が、近衛軍隊だった。
四大貴族の中でも、特に実力のあるものだけが入隊できる軍隊。
その近衛隊だけが身にまとう、
ひとかけらの闇色が混じることも許さない、
誉れ高き純白の軍服だった。
燃えるような赤と澄んだ青がにらみ合っている。
二人は、最悪なことに、対立する魔力を持っているらしい。
いつの間にか立ち上がり、互いに剣を構えていた。
客の大半は、はすでに店の外へ逃げている。
高位の竜族の争いに巻き込まれれば、命が危ない。
頭の片隅で、早く逃げなければと思う。
二人の間で、高ぶる魔力の粒子が互いに衝突しあい、バチバチと火花を散らしはじける。
空気が徐々に加熱されていく。
逃げようと、一歩引きさがったレフィーの目に、怯え互いに抱きしめあうミーアとダールの姿が映った。店の片隅には、逃げ遅れた客たちが縮こまっている。
このままだと、彼らが巻き込まれてしまう。
金色が髪に混ざるほどの実力を持つ者たちなのだ。
彼らが、少し本気を出しただけで、こんな木造の建物はあっという間に破壊されてしまう。
後になって思えば、それはとても無謀なことだった。
だが、その時には、相手が竜族だとか近衛だとか、そんなことは頭から消し飛んでいた。
ただ、ここを守りたい。
それだけを思った。
行き倒れた自分を世話してくれた店。
大好きなミーアとダール。
黒色の自分に、厭うことなく接してくれる客達。
なにより、
『こんばんは』
あの低い声をきくことのできる場所。
(失いたくない)
胸の奥底にしまった、かつての自分がよみがえるのが分かった。
ガシャンッ。
突然響いたガラスの割れる音に、男たち二人が目をやると。
酒瓶をテーブルに叩きつけたレフィーの冷え冷えとした眼が、二人を射すくめた。
手にある割れた酒瓶から、血のように鮮やかな色のワインが滴っている。
低く、それまで店の誰も聞いたことのない、どすのきいた低い声で、レフィーがつぶやく。
「…いい加減にしろ。」
そこですうっと息を吸うと、王都中にとどろくような怒声を二人に浴びせかける。
「この馬鹿ども! 貴様ら、それでも近衛か!」
二人の男は、年端もいかない少女に怒鳴りつけられ、
あっけにとられたような表情をしていた。
その、間の抜けた表情に、ますます腹が立つ。
「近衛は王都を守護する者! 己が使命を忘れたか! 私情に走り、関係のない民をも巻き込んで喧嘩をするとは! 恥を知れ!」
持っていた酒瓶の残骸を激情に任せて床に投げつける。
飛び散る破片で、頬を切ったことにも気付かず、怒りにたぎる目で二人をにらむ。
「こんなものたちが、誉れ高き純白だと? 聞いて呆れる!」
怒りが頂点に達した。ふっと表情を消し、ただ二人を静かに見つめる。
「まだ、続けるつもりか?」
先ほどまでの怒声が嘘のような、静かな声だった。
だが、凄みを増した、その声に、二人は声を出すこともできなかった。
すでに、酔いは醒め、喧嘩をする気など失せていた。
二人は、この小さな黒色の体からにじみ出る威圧感に、完全に飲まれてしまっていた。
「続けるというのならば、こちらにも考えがある。さあどうする? 今、ここで謝罪すというのならば、許してやるが。」
その言葉に、ただただ縮こまっていた二人の青年は飛びついた。
本来、王族にしか向けないはずの最高礼を持って、謝罪をする。
「申し訳ありませんでした!」
少女が黒色だとか、年下だとかは関係なかった。
まるで上官に接しているかのようなその威厳に逆らうことなど考えられなかった。
「よろしい」
謝罪をきくと、少女は緊張をとき、一つため息をついて、苦笑する。
ああ、結局、最後には本性が現れてしまうらしい。
「剣をしまいなさい」
二人が大人しく指示に従うのを見て、少女は、ぐるりと店内を見回す。
目を丸くして自分を見つめるミーアとダール。
彼らも客達も怪我はせずにすんだ。
店内の被害は、レフィー自身が割った酒瓶だけだった。
まずまずの結果だ。
そこで、レフィーは、馴染みの視線を背中に感じた。
いつもより少し早い時間だと思いつつ振り返り、そのまま固まる。
店の入り口のところに、肩を上下に大きく動かし、荒い息をした男が立っていた。
いつもと違うのは、その色合いだった。
純白の軍服の腰のところには立派な剣が下げられている。
乱れていても、美しい燦然と輝く金色の長い髪が、夜風に吹かれて靡く。
紅い瞳が彼女を見つめる。
自分が息をのむ音が聞こえた。




