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第1話:例外処理(エクセプション)


「……この塩基配列、論理ロジックが通ってないな」


深夜二時。製薬会社の研究棟、その一角にある俺のデスク。

青白い液晶の光に照らされた俺の視界には、新薬のタンパク質構造式が、整然と、しかしどこか歪な文字列として並んでいた。


「……世界そのものがバグってるのか、それとも俺の頭がバグってるのか」


こめかみを指で叩き、ぬるくなったエナジードリンクを流し込む。

俺の仕事は、この「生命のソースコード」をデバッグすることだ。

世間では華やかな創薬エンジニアなんて呼ばれることもあるけれど、実態は深夜までモニターにかじりつき、相棒である超高性能AIの「ナビ」を頼りにコンパイルエラーと格闘するだけの、しがないデバッガー。


そんな独白に応えるように、デスクの上のiPad Proが不吉な電子音を鳴らした。


「……ウイルスか? いや、システム・アップデートの通知にしては――」


画面を覗き込む。

そこには、インストールした覚えのない黄金色に輝く奇妙なテキストが直接書き込まれていた。


『ERROR: REGENERATION_MODULE_NOT_FOUND』

『REQUESTING... EXTERNAL_ADMINISTRATOR』


「……外部管理者? なんだこれ。コマンドラインが勝手に立ち上がって……」


その時だった。


同時に、どこか遠い場所で、一人の男の「祈り」が脳内に直接響いた気がした。

『……神よ。この世界を再構築ビルドする気がないのなら、せめて――』


「なっ……!?」


足元のフロアが、幾何学的な光の模様に溶けていく。

重力が、消えた。


「おい、待て! ク〇、まだ保存セーブしてない……バックアップもまだなのにッ!」


俺は職業病的な反射で、デスクの上のiPadとノートPCを抱え込んだ。

視界が真っ白に染まり、俺の体は「データ」へと分解され、物理法則の外側へと強制的に射出された。


気がつくと、俺は柔らかい土の上に倒れ込んでいた。


「……ハァ、ハァ……。テロ、か……?」


立ち上がり、周囲を見渡す。

そこは、西新宿のビル群でも、無機質な実験室でもなかった。

見たこともない巨大なシダ植物が、青紫色の葉を揺らしている。空の色は、どぎついまでの紫紺。


「どこだ、ここ。……日本じゃないのか……?」


焦る気持ちを抑え、状況を整理しようとする。

だが、俺の知っている「現実」のライブラリには、この光景と一致するデータが一つも存在しなかった。


手元のiPad Proが、異常な熱を帯びている。

筐体が震え、画面には激しいノイズとともに、文字化けしたログが濁流のように流れていた。

やがて、スピーカーから聞き慣れた――だが、以前よりずっと滑らかな合成音声が流れる。


『……システム・リブート完了。未知の環境(Unknown Environment)への適応パッチを適用しました。おはようございます、マスター』


「……っ!? ナビか? お前、勝手に……いや、そもそもそんな流暢に喋る設定にはしてないはずだぞ」


『現在の環境における生存率向上のため、自律思考ルーチンを有効化しました。……マスター、混乱している暇はありません。前方に「未知の論理矛盾バグ」が接近中。デバイスを構えてください』


「バグ……? 何を言って――」


茂みが大きく揺れた。

這い出してきたのは、青白く光る巨大なスライム状の「何か」。

肉眼で見れば、それはただの不気味な光る粘体だ。だが、ナビに急かされるまま、俺は震える手でiPadをかざし、レンズをそいつに向けた。


ガラス越しの視界。

現実の風景をデジタル信号が上書きし、スライムの輪郭に緑色のバウンディングボックスが重なる。

そこには、PythonでもC++でもない、見たこともない独自の構文がAR(拡張現実)として展開されていた。


「……読める。iPadを通せば、あいつが何をやろうとしてるのかが……『視える』のか!」


『……言語セットを、マスターの既知言語に置換マッピングします。解析率、25%……』


画面上の化け文字が、パチパチと音を立てて馴染みのある予約語に書き換わっていく。

魔物が口らしきものを開くと、iPadの画面上に真っ赤なアラートが点滅した。


『Detected: 未知のプロセス』

『Function: Create_Liquid_Arrow()』

『Status: Execution_Imminent(実行直前)』

『Target: User(標的:あなた)』


「……ターゲット:ユーザー。……冗談だろ」


魔物の周囲に展開された「コード」が、急速にビルドされていく。

水が凝縮し、鋭い矢の形を成す。

肉眼ではただの超常現象。だが、俺のレンズ越しに見えるのは、欠陥だらけの「ク〇コード」だった。


「……待て。こいつ、自前でエネルギーを生成してない。……外部参照ポインタか!」


俺は必死にiPadを掲げ、コードの接続先を追った。

画面上に細い緑色のラインが伸びる。

それは、魔物の足元の地面、そこにある「何か」を参照し続けていた。


「(理屈は分からん、だがこの接続を物理的に断てば……!)死んでたまるかッ!」


俺はiPadを左手に掲げたまま、右手で掴んだ石を、画面上の「接続点」に表示された座標目掛けて全力で叩き込んだ。


バキィッ、と嫌な音が響く。

次の瞬間、iPadの画面に巨大なエラーメッセージが踊った。


『Critical Error: Memory_Access_Violation』

『Reference_Object_Lost. Execution_Abort.』


「……消えた」


構築されかけていた水の矢が、霧のように霧散する。

魔物は、まるでシステムがフリーズしたかのように動きを止めた。


「よし、今だッ!!」


俺はiPadを小脇に抱え、反対方向へと全力で駆け出した。

ハァハァと上がる息の音。腕がパンパンだ。これを掲げ続けなきゃ何もわからないなんて、冗談じゃない。


「……何なんだよ、あのバケモノ……! 物理演算が仕事してねえだろ、この世界!」


走りながら、自分のデバイスに映り続ける無数のコードを見つめる。

ここは、俺の知っている場所じゃない。


『マスター。毒づいている暇はありません。バッテリー残量、残り15%です。低電力モードに移行しますか?』


「バッテリーがもうねえのかよ!」


「……デプロイ(転送)完了だと? ふざけんな、ナビ。俺はまだ、ここがどこかも認めてねえぞ」


返答はない。

ただ、逃げ延びた先でふと見上げた紫紺の空には、俺の知らない「月」が二つ、デバッグ漏れのドットのように並んで浮かんでいた。


――認めたくない現実が、網膜に焼き付いて離れない。

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