7『運命』が現れるまで、お守りします
それから私の両親との約束を守るために、たったの三週間という短い期間でヘンルートゥ伯爵は私との婚姻までの段取りを整えた。
私はヴォレッカ・ヘンルートゥとなり、馬車で迎えに来たヘンルートゥ伯爵と一緒に伯爵家へと向かっている。
「お、大きい……」
サミレット家の三倍はありそうな屋敷に思わず一歩後ずされば、その腰を支えられ、微笑みかけられる。
その笑みに、逃がさないよ? という声が聞こえた気がするのは、気のせいだろうか。
「大きいだけで、実際に使ってるのはほんの一部だけだよ。さ、中に入ろうか」
そう言って開かれた大きな扉。
開かれた先には、頭を下げている十人にも満たない使用人たちがいた。
「「「「おかえりなさいませ」」」」
「あぁ、ただいま。みんなで待っていてくれたんだね」
「もちろんでございます。皆、奥様にお会いできるのを楽しみにしておりましたから」
銀縁メガネの初老の男性がにこりとも笑わずに言う。
言葉は歓迎しているけれど、その顔はどう見ても歓迎されているようには見えない。
仲良くなるには、まずは挨拶からだよね。
「はじめまして。ヴォレッカ・サミレットです」
「もう、ヘンルートゥだよ?」
ヘンルートゥ伯爵にくすりと笑われて、かぁっと恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じる。
「まぁ! 坊ちゃまは何て意地が悪いのでしょう。それくらい気付かぬふりをするのが紳士というものですよ」
「これは、好きな子ほどいじめたいってやつなのかしらね」
「遅い初恋どころか、まともに妙齢の女性と話したこともないから、気遣いができないんじゃない?」
侍女服を着ている高齢女性たちが、ヘンルートゥ伯爵に残念なものを見るような視線を容赦なく向けている。
「アーネ、ミナー、ジリル、その言い方はないだろ」
ヘンルートゥ伯爵がそう言えば、がっしりとした肩幅の日に焼けた男性がガハハと笑う。
何だか、とてもアットホームな雰囲気に、ふっと肩の力が抜けた。
知らず知らずのうちに、緊張していたみたいだ。
「みんな、話していた私の『運命』の人、ヴォレッカだよ。ヴォレッカ、ヘンルートゥ家一同、あなたが来てくれる日を待っていたんだ。私と結婚してくれて、ありがとう」
「いえ。私の方こそ、実家の支援ありがとうございます。いつか本当の『運命』が現れるまで、しっかりヘンルートゥ伯爵をお守りしますね」
そう言った瞬間、玄関ホールは静寂に包まれた。
ヘンルートゥ伯爵は驚きの表情を隠すことなく私を見ているし、使用人たちの視線は何か言いたげにヘンルートゥ伯爵へと向いている。
まさか、私がヘンルートゥ伯爵の安眠と社交のための妻だと、誰も知らなかったパターンなのだろうか。
アットホームな雰囲気だから、てっきり話しているものかと……。
「な、なーんて冗談ですよ。あは、あははははは……」
私の乾いた笑いだけが響いている。
あぁ、ものすごーく居たたまれない。ごめん、ヘンルートゥ伯爵。悪気はなかったんだよ。
「ちょっと坊ちゃま!」
「話が違うではありませんか」
「どういうことですか?」
私のおばあ様より年上の大ベテランすぎるであろう侍女三人が、ヘンルートゥ伯爵をぐいぐいと引っ張っていく。
これは一体どうしたら……。
そう思っていたら、銀縁メガネの初老の男性が私の方へとやって来た。
「奥様、長くなりそうなので、お部屋までご案内いたします」
「え、いいんですか?」
「はい。あぁなると長いのは、昔から決まっておりますので」
「そうなんですね。えっと……」
「大変申し遅れました。執事のジーシと申します。旦那様を連れて行った三人は侍女のアーネ、ミナー、ジリル。あちらにいるのは……また今度ゆっくり紹介しますね」
「え?」
「いくら伯爵家の使用人が私たちだけとはいえ、いきなり覚えるのは大変でしょうから」
「お気遣い、ありがとうございま……す……」
ん? 今、使用人が私たちだけって言ったよね?
その言葉に、玄関ホールにいる人数を数える。
いやいや、数え間違いだよね。いくら何でも、そんなわけ……。
「何人か柱の陰に隠れているってことはありませんか? もしくは、天井裏とか」
「ありませんね。ここにいる八人で全員です」
「こんなに大きなお屋敷でですか?」
「はい。他の質問はお部屋でお聞きするのでよろしいですか?」
「あ、はい」
うーん、なかなかに素っ気ない。
ま、あんなに見目麗しい主人の連れてきた伴侶が私じゃ、がっかりもするか。
あとで、安心してもらえるように仮初の妻だって、ヘンルートゥ伯爵から皆さんに説明してもらおう。
「おいおいジーシさんよぉ。その言い方じゃ伝わんねーぞ。疲れているだろうから、まずは座ってもらいたいんだろう?」
「テンガン、うるさいですよ。さっさと庭の手入れにでも行ってください」
「おー、怖い怖い。ヴォレッカ様、俺は庭師のテンガンって言うんだ……です。何か好きな花、あるか……ですか? 庭に植えますぜ……よ」
「奥様、申し訳ございません。テンガンは少々………、いえ、だいぶ言葉遣いが下手でして」
そう言いながら、ジーシさんはテンガンさんの頭を鷲掴みにして下げさせた。
「そんな! ジーシさん、大丈夫ですから。皆さんには、普段通りに話してもらえると嬉しいです」
「寛大なお心、感謝いたします。私のことは、どうぞジーシとお呼びください。奥様は、この家の女主人になられるのですから」
その言葉に、背筋が伸びた。
そして、一つの疑問が頭をよぎる。
…………女主人って、何をするの?
少なくとも、畑仕事や、掃除、洗濯、料理、古いドレスのリメイクなどではないはずだ。
もしかしなくても、今までやって来たことすべて活躍の場所がないんじゃ……。
私ができることって、侍女の仕事なんだよなぁ。
いっそのこと、妻ではなく、侍女として……じゃない。それだとヘンルートゥ伯爵を守れない。
私の仕事は、女避けがメインなのだから、妻という役割がぴったりなはず。
女主人の仕事については、これから勉強しよう。
実家を支援してもらった分は、お返ししないと。たとえ、何年、何十年かかっても。




