6『運命』ではなく、互いの利益の一致というやつで
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「やぁ、私の可愛いヴォレッカ。今日もあなたに会いたくて来てしまったよ」
「……おはようございます、ヘンルートゥ伯爵。今日も神々しいですね」
「そういうヴォレッカは、今日も働き者だね」
ヘンルートゥ伯爵の前から逃げるように帰った日から早ひと月。
夜会での待ち伏せをされた翌日に、普通の顔をしてヘンルートゥ伯爵は私の元へと現れ、それからは毎朝必ずやって来るようになった。
最初の頃は、ヘンルートゥ伯爵が来る度に何か用かと聞いていたけれど、一週間経つ頃にはそれも面倒となり、今は聞くのをやめている。
この人のことだから、用事があれば、こっちから聞かなくても勝手に話すだろう。
「そうそう、昨日の夜会、うまくいかなかったんだって?」
「……うるさいですよ。放っておいてください」
睨みつける私をヘンルートゥ伯爵は楽しそうに笑っていて、こんな感じのやりとりも最近では日常と化してしまった。
「あなたの方は最近、夜会に出なくなったって聞きましたけど」
小さな菜園への水やりの手を一度止め、探るようにヘンルートゥ伯爵を見た。
私と同じで結婚相手を探しているはずだったのに、どうして?
今度こそ、本当の『運命』と出会えるかもしれないのに。
「もう私の『運命』と出会えたからね」
「へぇ……」
「随分と他人事じゃないか。ヴォレッカのことなのに」
「何度も言いますけど、それ気のせいですよ」
「そう言われても、私の『運命』は、私が決めることだからなぁ。何でヴォレッカは気のせいだって、思うんだい?」
「何でって、パッと見ただけでも分かるじゃないですか。誰もが振り返るほどの美丈夫と、どこにいても埋没できる平凡な私が釣り合うとでも? 爵位だって、伯爵家と田舎の子爵家ですよ。『運命』って、無理ありすぎですよ」
ヘンルートゥ伯爵のことが嫌いなわけじゃない。
だけど、そもそもが違いすぎて、友人としてですら隣にいることが想像できないのだ。結婚相手として考えるとか、図々し過ぎてありえない。
何より、世の女性を敵に回すとか、まっぴらごめんである。
「家格に関しては、気になるなら一度別の家の養子にヴォレッカがなればいいだけの話だよ。あと、ヴォレッカは平凡なんかじゃない」
「え?」
まさか、平凡にもなれないとか言わないよね?
さすがに、それはちょっと傷つくのだけど。
「ヴォレッカは、可愛いよ」
「…………はい?」
ちょっと本気で何を言っているのか分からない。
「だから、ヴォレッカは可愛いんだって」
「ちょっと言っている意味が分かんないんですけど……」
「だったら、言い方を変えようか。愛らしい、子猫のよう、抱きしめたい、誰にも見せたくな──」
「ス、ストップ! ストップーーっっ!!」
言われたことのない言葉の数々に、脳がキャパオーバーだ。
勘弁してほしい。
「だからね、今日こそ私と婚約して、結婚してほしいんだ」
あぁ、頭がぐるぐるする。
タイムリミットまであと一月という不安もあってか、不安で寝つきが悪くなっているのも良くないのかもしれない。思考が鈍る。
「……本気なら、私の実家に手紙の一つでも出したらどうですか? たかが子爵家の私となど手紙ひとつで婚約となりますよね。うちに拒否権なんてないですし」
からかって遊ぶなら、他所でやってほしい。
私は時間がないの。ヘンルートゥ伯爵と遊んでいる暇はないのよ。
もう、ここら辺で、私で遊ぶのは終わりにしてもらいたい。
もう用事はないですよね? と言葉にはしないものの、水まきを再開する。
これが終わったら、明日の夜会のためにドレスに刺繡の続きをしなくては。
「いいのかい?」
「え?」
「本当に手紙を送るよ? そうなれば、ヴォレッカの気持ちは関係ないものとされるのに……」
「良いも何も、本当に送るわけ──」
真剣な眼差しに、本気だと直感した。
ジョウロの先からは、一点に向かって水が出続け、そこから水たまりができていく。
「ヴォレッカはさ、すごく結婚を焦っているよね。その理由を私には頑なに教えてくれなかったから、勝手に調べさせてもらったよ」
「な……んで…………」
「焦って、私以外の男と結婚でもされたら、たまったものじゃないからね。どうして、私を頼らない?」
低くなった声のトーンに、逃がさないというような眼差しに、はくりと口から空気が漏れるだけで、言葉を返すことはできない。
「サミレット家には、借金あるよね。それも、多額の……」
ドクリと心臓が嫌な音を立て、呼吸が浅くなる。
ジョウロは私の手から水たまりへと落ち、泥水が跳ねた。
「い……つから、それを…………」
「サミレット領は昨年、一昨年と大河の氾濫があったんだってね。国へも陳情書を出した。でも、その返事は領地の返上を求めるものだった」
握りしめた指先は冷たく、嚙み締めた唇からは血の味がする。
勝手に調べられた怒りか、悲しみか。それとも、嫌というほど分かっている事実を再び突き付けられたくなかったのか。
頭も心もぐちゃぐちゃだ。
「だから、ヴォレッカは嫁ぎ先を探しているんだよね?」
「……それが、何?」
「うん。つまり、私ほどヴォレッカの結婚相手として条件の良い男はいないと思うんだよ」
「…………は?」
自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
たしかにヘンルートゥ伯爵の言う通りだろう。
ヘンルートゥ伯爵家は、うちと比べ物にならないくらい裕福だし、結婚すれば融資をしてくれそうだ。
だけどね──。
「私ほどあなたに利益にならない女もなかなかいないと思いますよ」
「そんなことはない。ヴォレッカは、理想的な女性だよ」
その言葉に、取り引めいたものを感じた。
もしかして、『運命』とか、可愛いとか言ってるけど、本当は夜這いに来ない妻がほしいのでは……。
それに、結婚さえしてしまえば、そのことが多少の女性避けになるかもしれない。
つまり、安心して眠れる環境と快適な社交活動を行うことが望みで、現状、私が一番適任って考えるといろいろとつじつまが合う気がする。
「……分かりました。互いの利益の一致ってやつでしたら、その話をお受けしたいと思います」
「うん? 何か勘違いしてそうだけど……」
「大丈夫です。きちんと理解しましたから」
だって、そうじゃなきゃ、私に何度も婚姻を申し込んでいた意味が分からない。
「まぁ、ヴォレッカが私の妻になってくれるのなら、それでもいいか。ねぇ、ヴォレッカ。私と結婚してくれるかい?」
「はい。必ず安心して生活できるよう尽力しますね」
ヘンルートゥ伯爵は何度か瞬きを繰り返したあと、何か言いたげな雰囲気のまま、口元に笑みを浮かべた。




