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その唇に触れられたなら ミカエル視点

「いつまで引きずってんだよ、みっともない」


……何度も自分に言い聞かせたその言葉。お前の影から目を逸らせない自分が、俺は心底嫌だった。自分の気持ちを押し込め続け、悪いものだと決めつけた。


だがーーーそれが『過去じゃないかもしれない』と感じたあの時、俺は手を伸ばすべきだったんだ。


二度とあいつに会えなくなる、その前に。


ーーーー


ふわりとふく風が冷たくて心地いい。日差しが傾き始め、影が段々と濃くなってくる。


思ったより、長引いちまったな。


花が咲き乱れる庭園を足早に歩く。時折り置かれている白いベンチが光を反射していて眩しかった。


「あ……」


急いていた足元が、ぴたりととまる。


視線の先に浮かび上がる、焦がれてやまない女性の姿。


季節の終わりを告げるようにまばらに咲いた黄色いコスモス。その中で目を閉じる彼女は、記憶より僅かにやつれた姿をしている。羽根をもがれた天使のような危うい美しさに、俺の視線は釘付けになった。


「ん……」


リリアはかすかに声を漏らしてもぞりと体を動かす。


どうやら、寝ているらしい。


「……おい、起きろ。風邪引くぞ」


俺の問いかけにぎゅっと目を瞑り唸るリリア。寝起きが悪いのは昔から変わらない。


ガキの頃はよく、こうやってリリアを起こしてたな。あの時は布団をひっぺがしても揺らしても起きなかった。……今はもう、一人で起きられるんだろうか。


……いや、やめろ。それは俺が考えることじゃない。


過去の思い出を振り払うようにがしがしと頭を掻く。


何度朝を迎えても、彼女が隣で微笑む日など来ないのだから。


「おい。リリア、起きろ」


再び呼びかけても瞼は固く閉じられたまま。その代わりにうっすらと開いた唇が微かに動いた。


「ミカ……もうちょっとだけ、寝かせて……」


その言葉を聞いた瞬間、時が止まる。


今、なんて言った?


子供の頃と変わらぬその声を起点として、走馬灯のようにリリアとの思い出が頭を駆け巡る。


あんなに俺がいっても、堅苦しい敬語も、ミカエル様なんて他人行儀な呼び方も、何も、変わらなかったのに。もう、リリアの中に『幼馴染の俺』は、いないものだと思っていたのに。


名前を呼ばれるだけで浮かれてしまうなんて、我ながら単純だと思う。それなのに、湧き上がる感情が止まらない。もう一度その声を聞こうと、ゆっくりと顔を近づける。


「リリア……」


呼びかけた声は、自分でも驚くほど甘い熱が篭っていた。リリアの長いまつ毛がフルフルと震える。


「ん……ミカ……。まだ、眠い……」


やっぱり、聞き間違いじゃない。彼女の中にはあの頃の俺がいる。


もしかしてーーーまだ、間に合うんだろうか。


そんな都合のいい希望が頭の隅にちらついた。


頬に手を伸ばし、そっと触れる。


最近のリリアはおかしい。原因は十中八九あの婚約者だろう。あいつから引き離せばーーーこのくすんだ顔色も、昔のように戻るのだろうか。


「んぅ……デービット様……?」


聞こえきたのは、俺の名前じゃなかった。

リリアの頬に触れる手は、あの婚約者を想起させたらしい。


艶やかだった唇はひび割れ、陶器の肌には青黒いクマが刻まれている。触れた頬は、記憶より僅かに骨っぽい。


唇を噛みしめ、眉間に皺がよる。

こんな風になっても尚、お前はあいつが好きなのか。


醜い嫉妬と敗北感が俺の胸を埋めていく。

今ここで、お前の唇だけでもーーー俺のものに、出来たのならば。


ゆっくりと、あどけない寝顔に唇を寄せる。


心臓が、うるさくて仕方がない。


リリアが身じろぎするだけで、触れてしまいそうな距離。なのに俺は、自分から動くことができなかった。



カランっ……


俺を現実に引き戻したのは、何かが落ちたような高い音だった。


なんだ……?


移した視線の先に見えたのは、去っていく人間の影と、取り残された箱。


アメジストの留め具があしらわれた黒いエナメル加工の木箱。手渡されることなく打ち捨てられたその姿は、どこにも行き場のない気持ちと重なって見えた。


あと一歩踏み出す勇気があれば、結末は違ったかもしれない。俺も、そしてこの箱も。


それでも俺はーーー前に、進めなかった。

お読みいただきありがとうございます!

『次回予告』リリアに会いにこないデービット。見かねたラファエルは、再び苦言を呈すことに


✨ブクマとリアクションの合計数で番外編公開!✨

合計10→断罪前日 リリアとミカエル

「最後に、お前を救えたら」

彼の手が、リリアに届く日は来るのかーーー

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