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『灯影百譚──見えぬものと、ひとの縁』  作者: にせもん


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第九十五話 猫をかぞえる夜

 その家には、猫が多すぎる――と、町ではささやかれていた。


 夕暮れどき、坂の上の古い民家。

 いつ通っても、必ず猫が一匹、二匹、三匹……

 庭に寝そべり、縁側に並び、屋根の上からこちらをじっと見ている。


 けれど、奇妙なのはそこではない。


 猫を数えると、必ず“ひとつ多い”のだ。


 近所の子どもたちは怖がり、大人たちは目をそらす。

 けれど、一人だけ、毎晩数えている少女がいた。


 彼女は、あの家の住人。

 名を「すみ」といった。


 白いワンピースに、古びたショール。

 小さな木箱に、猫用のおやつを入れて、縁側に座る。

 そして、指折り猫たちを数える。


 「いち、にぃ、さん、よん……じゅうろく、じゅうなな……」


 数え終えると、ふっと小さく笑って、

 「やっぱり今日も、十九……」


 灯守ともりがその家を訪ねたのは、霧雨に煙る初夏の夜だった。


 古い屋根瓦から、ぽたぽたと雨がしたたり落ちている。

 猫たちは雨を避けて、縁側や玄関に密集していた。


 灯守は声をかけることなく、彼女の隣に座った。


 「今日も、ひとつ多いんですね?」


 少女はうなずいた。


 「ええ。うちはずっと、十八匹なんです。

  でも、夜になると、十九になるんです。不思議ですよね」


 「その“十九匹目”って、見分けはつくんですか?」


 「ううん。見た目は、どれも変わらない。

  でも、数えると、必ず“ひとつ多い”」


 「だから、わたしは“それ”に名前をつけてあげたんです」


 少女は、縁側の隅に並んだ猫たちを見渡しながら囁いた。


 「十九匹目の名前は、“なまえ”です」

 「なまえを忘れた子、っていう意味」


 その言葉に、灯守の胸がわずかに疼いた。


 名前を忘れた者。

 誰からも呼ばれず、記憶されず、存在だけが取り残された何か。


 きっとそれは、猫の姿を借りてこの家に棲みついた“何か”なのだろう。


 灯守は、懐から旅帳を取り出す。


 「君は、その“なまえ”を怖くないの?」


 少女は首を振った。


 「怖くはないよ。だってね、たまに、夢の中で喋るんです。

  『ただ、いっしょにいたかった』って」


 その夜、灯守はその家に泊まった。


 薄明かりの中、猫たちは静かに丸くなり、

 ときおり誰かの夢にそっと入りこむように、呼吸を重ねていた。


 明け方近く、夢の中で声がした。


 《わたしは、なまえを もらえなかった》

 《だけど、いっしょに いられるなら、それで うれしい》


 優しい、かすれた声だった。


 灯守は目覚めると、静かに少女に話しかけた。


 「“なまえ”は、きっと君に会いたかったんだと思う」


 少女は、少しだけ泣いていた。


 「そうかもしれません……

  うちには昔、“いなくなった子”がいたんです。

  ほんとは、十九匹だったんです」


 澄は、懐から一枚の写真を取り出した。


 そこには、今より少し小さな彼女と、猫たち、

 そして、猫のようにしゃがみこんだ、男の子の後ろ姿が写っていた。


 「弟でした。名前も呼んであげる前に、いなくなって。

  でも、夜になると、猫の数がひとつ増えて。

  だから“なまえ”って呼ぶことにしたんです。

  忘れないように」


 灯守は旅帳にこう記した。


 「呼ばれなかった名前ほど、長く世界に残るものはない。

   記憶のかたちを借りて、猫として、風として、

   あるいは、夢の端にひそむ灯として」


(第95話・了)

あとがき

「名前を呼ぶ」という行為には、とても深い意味があります。

誰かをこの世界に引き留めること。

まだ在るよ、と、確かめること。

本当の別れとは、名を呼ばれなくなることなのかもしれません。


この話が、何かを呼び戻す“音”になりますように。

ご感想をお寄せいただけると、とても励みになります。

もし気に入っていただけたら「応援」や「お気に入り登録」をよろしくお願いいたします。

次回も、灯の下でお会いできますように――。

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