第九十一話 かさぶたの手紙
ある町の片隅に、小さな診療所がある。
古くて静かで、待合室には年季の入った木の椅子と、くたびれた絵本。
その片隅――
子どもがよく遊ぶぬいぐるみのかごの中に、一枚の絆創膏が貼りついていた。
色褪せ、端がくるりとめくれたそれは、どこか普通ではない。
剥がれかけたその裏には、何かが書き込まれていたのだ。
《たいせつなことは すぐきえちゃう
だから ここに かくしておくね》
誰が書いたのかも、いつのものなのかも、誰も覚えていない。
けれど、その絆創膏を見た者は、なぜか皆、胸の奥をそっと押されるような気がしたという。
灯守がその絆創膏の話を聞いたのは、秋の初めだった。
診療所の医師は、朗らかな老婦人で、少し照れながら言った。
「うちの宝物みたいなものなんです」
「本当は処分しようとしたこともあるんですが、何度捨てようとしても、
朝になると、またぬいぐるみのそばに戻ってきていてね……」
絆創膏は小さな子ども用、
ほのかに動物のイラストが残っていた。
だが、そこに書かれた文字だけは、不思議と滲まずに残っていた。
灯守はそっとそれに指を触れ、目を閉じる。
その瞬間――
ふわりと、誰かの“声”が心の奥に届いた。
――あれは、七歳のころ。
雨の日、ひとりで転んだ。
膝をすりむき、血がにじんだ。
痛くて、泣きそうになった。
でも誰にも言えなかった。
母は仕事。
父は離れて暮らしていて。
声を出せば、もっと“さびしく”なりそうだった。
だから、絆創膏の裏に書いた。
小さな鉛筆で、必死に書いた。
《いたいよ》
《でもだいじょうぶ》
《ほんとうはないちゃいそう》
そして最後に、
《たいせつなことは すぐきえちゃう だから ここに かくしておくね》
それは、誰にも届かない祈りだった。
けれど、それを書いたことで、その子は泣かずに立ち上がれた。
灯守は、その記憶が“誰のものか”を知ろうとはしなかった。
大切なのは、言葉の送り手ではなく、“言葉が確かにあった”ということだから。
その日、灯守は診療所の待合室にひとつの箱を残した。
中には、絆創膏が丁寧に包まれていた。
そして箱の内蓋には、こう記されていた。
《忘れてもいいよ。でも、なくならないよ。
大切なことは、ちゃんと君の中に残ってる》
絆創膏は、翌日には箱ごと見当たらなくなった。
だが、ぬいぐるみのそばに、新しい絆創膏が一枚、静かに置かれていたという。
そこには、こう書かれていた。
《また あたらしい ひみつを しまっておくね》
灯守は旅帳にこう記した。
「かさぶたは、痛みの記憶。
それを隠す絆創膏は、小さな祈り。
言葉にならなかった想いは、時に形を持って、
次の誰かの勇気になる」
(第91話・了)
あとがき
この一話は、“届かないつぶやき”を描きました。
誰かに伝えるには拙すぎる感情や、
口に出すには未熟な思いは、よく“自分だけの記憶”に閉じ込められます。
けれど、そんな言葉もまた、時に形を変えて、
次の誰かの背中をそっと押してくれることがあります。
かさぶたの裏に、あなたも何かを隠していたことがあるかもしれませんね。
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次回も、灯の下でお会いできますように――。




