第八十二話 手をつなぐ影たち
午後五時。
町外れの小さな公園は、茜色に染まっていた。
木々は長い影を伸ばし、ベンチの影はゆっくりと地面に沈み込んでいく。
そんな中――
ブランコだけが、誰も乗っていないのに静かに揺れていた。
「おかしいのよ。あそこ、いつも“二人分”だけ影が多いの」
そう言ったのは、灯守に話しかけてきた中学生の少女だった。
彼女は犬の散歩中に毎日のように公園に立ち寄っては、
その“影”が確かに存在することを目にしてきたという。
「ベンチの後ろに、三人分の影が映ってたの。
でもそこにいたのは、私と犬だけだったのに」
灯守はその言葉に興味を抱き、その夕刻、公園を訪れる。
夕陽はまだ山の端に届かず、空は淡い橙に包まれていた。
ベンチに座る。
風はなく、木々のざわめきも遠く、世界がまるごと静けさに包まれる。
やがて、日が傾くと同時に、
足元に伸びた影が、一度、ふわりと“揺れた”。
それは、誰かに“手を握られた”ような感覚だった。
振り返っても、誰もいない。
だが、確かにもうひとつの影が、自分の影と並んで伸びていた。
灯守は、そっと語りかけた。
「――きみは、誰を待っている?」
答えはなかったが、空気がわずかに湿り、
影がわずかに首を振ったように思えた。
その夜、灯守は町の古い資料館を訪れ、
この公園のかつての名前と歴史を調べた。
そこは、昭和の終わり頃までは「ひだまり園」と呼ばれる児童施設だった。
様々な事情を抱えた子どもたちが、短い期間だけを過ごしていった場所。
転校、転居、里親のもと、また別の施設へと――
名前も記録もわずかしか残されていない“通過点”だった。
翌日、灯守はもう一度、公園を訪れた。
ベンチに腰掛け、前日と同じように影の揺れを待つ。
陽は傾き、やがて二つ、三つ――
確かに、自分の影の隣に“影の手”が現れた。
「ぼくはね……置いていかれたことが、あるんだよ」
声が、空から降るように届いた。
「でもさ……きみは、忘れなかったよね」
灯守はうなずいた。
影の中の誰かは、きっと“手をつなぐこと”を
最後まで願っていたのだ。
忘れられてしまったとしても、ただ一度でも。
「おかえり」
「ただいま」
小さな声が重なると、
ブランコが、ほんのひとこぎだけ揺れた。
それは、風のいたずらではなく――
「見送る」ための、最後の“ひとゆれ”だった。
その翌日から、
ブランコはもう揺れなくなった。
夕暮れの影は一人分になり、
少女の犬も、不思議と吠えなくなったという。
灯守は旅帳にこう記した。
「つなげなかった手も、離れてしまった影も、
いつかきっと、もう一度寄り添える。
影がそう信じる限り、人の心は、ほどけない」
(第82話・了)
あとがき
この話は、「影」という存在が持つ記憶や名残りに焦点を当てた一編です。
手をつなぐという行為が、これほどにも心を温かくするのは、
きっと、それが“誰かの不安を引き受ける”ことだからかもしれません。
誰かの手を、誰かの影を、見逃さないままでいたいと願いながら書きました。
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次回も、灯の下でお会いできますように――。




