第七十九話 音の鳴らない風鈴
小高い丘の上にある古寺、清明院。
その縁側に吊るされた風鈴は、一度も音を鳴らしたことがないという。
真鍮製の風鈴は錆ひとつなく、風が吹けばかすかに揺れる。
けれど、どれほど強い風にも――音は沈黙したままだった。
寺の住職はこう語る。
「この風鈴は、“悲しみに沈んだ者の耳にだけ”音を鳴らすんです。
姿のある音じゃない。けれど、確かに“聞こえる”らしいのです」
灯守は、本堂に通され、
古い帳面に綴られた記録を見せられた。
《父を亡くした夜、鈴の音が聞こえました》
《涙が止まらなかった日、鈴が慰めてくれた気がします》
《誰も鳴らさないはずの音が、風より先に胸を打ちました》
灯守は、その夜、寺に泊まった。
灯籠の光がゆれる中、縁側に座る。
風は穏やかに吹き、風鈴はわずかに揺れた。
だが音はしない――そう思ったそのときだった。
――ちりん。
耳ではない“どこか”が、ふるえた。
鼓膜ではなく、心の深い場所に届く音。
それは、忘れかけた誰かの手のひらのぬくもりに似ていた。
その夜、灯守は夢を見た。
ひとりの子どもが、風鈴の下で座っていた。
「鳴らないの、音。でもね、ほんとうは鳴ってるんだって」
子どもは微笑む。「だれかの心が、泣いてるときにだけ」
目覚めた灯守のそばには、風鈴の紙片が落ちていた。
そこには、小さな文字が記されていた。
「音のない音が、もっとも遠くまで届くことがある」
その言葉を読み、灯守はそっと頷いた。
言葉にならぬ想い。涙にならない悲しみ。
誰にも見えぬ痛みを、風鈴はそっと響かせていたのだ。
灯守は旅帳にこう記した。
「耳に聞こえぬ鈴の音ほど、深く人を慰める。
音なき声を聞ける者が、世界にそっと寄り添うのだ」
(第79話・了)
あとがき
悲しみは、時に言葉にも音にもできません。
けれど、静けさの中にだけ響く“なにか”が、私たちを包んでくれるとしたら。
この物語は、そんな「無音の優しさ」を形にしてみたいと思って書きました。
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次回も、灯の下でお会いできますように――。




