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第六話 花弁をくわえた猫

 灯守ともりがその猫を初めて見たのは、春のはじまりのことだった。


 通学路の途中、小さな神社の前で、白い猫が花弁をくわえて立っていた。


 桜の花びらだった。


 風で舞い落ちたそれを、まるで何かの“証”のようにくわえ、じっと神社の門の方を見つめていた。


 灯守が近づくと、猫はふとこちらを向き、鳴きもせず、すうっと門の奥へ入っていった。


 それは、ありふれた町角の一場面のようで、なぜか忘れがたい気配を残していた。


 次の日も、またその次の日も、猫はいた。


 同じ場所に、同じように。


 くわえている花弁の色が、時折変わっていた。


 桃、薄紫、橙、白……季節ごとに咲く花を、まるで誰かに届けるように。


 そして毎回、同じように門の奥へ消えていく。


 灯守はある日、思いきってそのあとを追ってみた。


 神社の奥には、古い参道が続いていた。


 両脇に植えられた木々の合間を、猫は静かに歩く。


 花をくわえたまま、鳴きもせず、ただひたすらに前を見て。


 そして着いた先は――苔むした、無人の祠だった。


 その前に、小さな木の箱があった。まるで供え物のように花びらが溜まっている。


 色とりどりの花。数えきれない数。


 灯守は、そっと祠に手を合わせた。


 その瞬間、視界の端に誰かが立っていた。


「……君も、来てくれたの?」


 声は、透明だった。


 少女の声。十代の半ば、灯守と同じくらいの年齢の。


 振り返ると、祠のそばに少女が立っていた。


 長い髪を風に揺らし、白いセーラー服を着ている。だが、その姿は半ば透けていた。


「君が……この猫を待ってる?」


 灯守が問うと、少女は微笑んだ。


「ううん、私が“待っているのは猫”じゃない。……猫のほうが、私を待ってくれてるの」


 不思議な答えだった。


 灯守が視線を戻すと、猫は祠の前に花を落とし、また、静かに帰っていった。


「私は……ある日、いなくなっちゃったの」


 少女は静かに語った。


 数年前のある日、帰り道で事故に遭った。意識を失ったまま、そして……目が覚めた時には、誰にも見えなくなっていた。


 家族も、友人も、彼女のことを少しずつ忘れていった。


 けれど、ひとりだけ――その猫だけは、なぜか彼女を見つけて、ここに花を届けに来てくれるようになった。


「きっと、私の“思い”を、この子はずっと感じてくれてるんだと思う」


 少女は、祠にそっと手を当てた。


「ありがとう、って言えたらいいんだけど。猫には……言葉、通じないから」


「……いや、通じてると思うよ」


 灯守は答えた。


 猫は振り返り、ふにゃっと小さく鳴いた。


 それは、まるで「わかってる」と言っているようだった。


 その日から、灯守は祠の掃除を手伝うようになった。


 花が風に飛ばされないように、小さな籠を置いて。雨に濡れないように、瓦の欠片で屋根を作って。


 猫は、変わらず毎日、花をくわえてくる。


 少女の姿も、変わらずそこにあった。


 けれど、ある朝――


 猫が祠に花を供えたとき、その場に少女の姿はなかった。


 ふと、灯守が見上げた空に、春の光が満ちていた。


 やわらかな風が、猫の耳を揺らす。


 猫は一度、空を見上げ、それからくるりと体を返し、静かに去っていった。


 その背中は、どこか、満ち足りていた。


(第6話・了)

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